濁流

1.

「ねぇ、今日のランチは何がいい?」 
オリヴィエは隣にいるロザリアに声をかけた。
「そうですわね。軽いものでよろしいですわ。今朝、食べ過ぎてしまいましたの。」
ロザリアは考えながら言った。本当は今朝はあまり食べられなかった。
でも何となく思ったことと反対のことを口にしてみる。
「ん、わかった。じゃ、あそこのカフェでサンドイッチでも食べようか?」
オリヴィエはそう言うと、ロザリアの手を引いて歩きだす。
つないだ手が熱い。
付き合いだして半年以上たつというのに、ロザリアはまだオリヴィエに触れられるだけで心臓がパクパクと音を立てるのがわかった。
こんなに好きなのに、このさえない気持ちは何なのか?
最近のロザリアはデートのたびにもやもやしてくる気持ちがあることに気付いていた。

「今日はありがとうございました。」 
ロザリアの私邸に着くと、玄関前でいつものように言った。
オリヴィエはにっこり笑うと、「ワタシもだよ。楽しかった。」と頬にキスをくれる。
頬を寄せられ、オリヴィエの香りが鼻腔をくすぐる。
頬へのキスでさえロザリアはうっとりと目がうるんでしまうのだ。
(もう少し一緒にいたいのに・・・。)
オリヴィエはロザリアの気持ちに気付かないのか 「じゃ、ね。」と帰ってしまう。
その背中を見送るのが、ロザリアにはとてもつらくなっていた。


ロザリアはバルコニーに出た。月明かりがその体を照らす。
薄い夜着のまま、じっと風に吹かれていると、ロザリアの中にどうしようもない気持ちがあふれてきた。
(わたくしは本当にオリヴィエに愛されているのかしら・・・)
どうしても自信が持てない。
いつも優しいオリヴィエ。ロザリアのしたいことをなによりも優先させてくれている。
無理を言ったり、わがままを言ったりしない。まさに理想の恋人。
なのに焦燥感が消えない。本当のオリヴィエが見えない。気持ちがわからない。
ロザリアは初めて恋した人にどう接したらいいかわからなかったのだ。


(今日はオリヴィエの執務室にはいかないわ。)
まずロザリアは自分から会いに行かないことに決めた。
会いたくて、毎日用事を作ってはオリヴィエの元に通っていた。
周囲にももちろんばれていると思ったけれど、会いたい気持ちが止められなかった。
(もし、わたくしが行かなかったら、オリヴィエは会いに来てくださるかしら?)
補佐官室の時計は壊れているのかと思うくらい進まなかった。
針を眺めてはため息が出る。
昼食の誘いにもロザリアはもちろん行かなかった。

(今日は来ないねぇ。) 
オリヴィエは時計を眺める。 
いつも朝と言える時間に一度は来てくれていた。
その顔を見るから執務に励む元気も出てくるというものなのに。
今日はさぼっちゃおうかな? 
オリヴィエは久しぶりにネイルの道具を出した。
今日の色はイエロー。薔薇のような彼女の青い執務服によく目立つだろう。
注意の色は「ワタシの彼女に出を出すな」とアラームを発しているようで、なかなか面白い。
結局昼食まで、ロザリアはあらわれなかった。
(今日は忙しいみたいだね。)
オリヴィエはロザリアの邪魔をしたくはなかった。
仕方なく、一人で昼食をとろうとカフェへ出かけた。


テラスになったカフェは通りからもよく見える。
植え込みの向こうにのぞく青紫の頭はロザリアのものだった。
声をかけようとして、止まった。誰かといる?
オリヴィエは気付かれないように近づく。向かいに座っているのは赤い髪の男だった。
「ロザリア、俺の誘いにのってくれるなんて、やっと本当の気持ちに気付いたのか?」
オスカーの軽口が心地よい。
ロザリアは昼食に行こうとして、偶然、オスカーに会った。
一人で食べるつもりだったが、オスカーの誘いのセリフに気が変わった。
「一緒にカフェに行かないか。」 
オスカーはそう言ったのだ。 ついていこう、と思った。
(きっとオリヴィエなら、「どこに行きたい?」と聞いてくださるわ。)
そう思いながら、ついて行ってしまう自分をおかしいと、自嘲した。
オリヴィエは静かにその場所を離れた。
オスカーが誘うのはいい。アイツは女なら誰でも声をかけるようなヤツだから。
でも、なぜロザリアが誘いに乗ったのか、わからない。
約束こそしていないが、二人で昼食をとるのは、当然のように思っていたのに。
オリヴィエはどす黒いしみが心に浮かぶのを感じた。


午後もロザリアはオリヴィエの執務室に行かなかった。
(オリヴィエは来てくれるかしら?) 
ロザリアはイライラと時計ばかり見ていた。
部屋から出ないのに全く仕事は進まない。
ロザリアは気分転換のために中庭に出ることにした。
中庭は綺麗に手入れされていて、いつでも美しい花が出迎えてくれる。
その中に咲く薔薇がロザリアは特にお気に入りだった。
ツンと上を向いて花開いている。
薔薇のようになりたいとロザリアは思う。
上だけを向いて、孤高のその美しさで一人で立っている。
(なぜ、会いにきてくださらないの・・・?)
同じことばかり考える自分が嫌になる。 
後ろでかさかさっと花がこすれる音がした。

「よお、補佐官殿。こんなところで休憩中か?」 
オスカーは執務中、気になることがあって王立研究院まで行っていたという。
ロザリアはオスカーを見ずに、言葉だけで頷いた。
「この俺と視線を合わせないなんて、感心しないな。たとえ誰の薔薇であっても、俺と話すときはこの瞳を見てくれよ。」
ロザリアのあごに手をかけて自分のほうに向かせる。 
ロザリアは抵抗しなかった。

「オスカーはいつでもご自分のよろしいようになさるのね。」 
オスカーがおや、という視線に変わる。
(今日のロザリアはまるで雨に打たれた花のようだ。この俺を再びとらえようというのか。)
女王候補時代にロザリアに感じた甘い胸のうずき。
オリヴィエへの思慕を感じ取るとともに奥底にしまいこんでいた熱い想いが這い上がってくる。
「どうしたんだ? 俺がやりたいようにやることに不満があるのか?なら言ってくれ。守れるかどうかはわからんがな。」
オスカーはロザリアのあごに手をかけたまま顔を近づける。
強い視線にロザリアは動けない。
炎の強さがオスカーには確かにある。
オスカーの強い視線が今のロザリアには甘いものに感じられた。

「おはなしになって。」 
ロザリアは弱弱しくつぶやく。
「なぜ?俺は放したくない。だから放さない。」 
オスカーはロザリアの背中に手を回そうとする。
その瞬間、ロザリアがオスカーを強く押した。
よろめくことはしないが、とっさに手を離してしまった。
何も言わずにロザリアは走り去った。
手元に残された薔薇の香りに、惑わされるとオスカーは思った。


ロザリアが中庭にいるのを見かけたのは本当に偶然だった。
廊下の窓から下に目を向けると、ちょうど中庭が目に入ったのだ。
すぐにオスカーがやってきた。
まるで、約束していたかのようなタイミング。オリヴィエは目を疑った。
オスカーがロザリアのあごに手をかけ、顔を寄せたのだ。
抱きしめるように見えた腕は離れたが、どう見ても普通の様子ではなかった。
オリヴィエは今見た光景が信じられないというように窓に背を向けた。
まだ、自分はキスすらもしていない。
手をつなぐだけでうろたえる彼女をおびえさせたくないから。
(まさか、ね。)
小さなしみが少し広がっていく。


オスカーの瞳は有無を言わせない力があった。
ロザリアは自分の中に言いなりになってしまいそうな気持ちがあることに気付く。
(早く、会いに来て。わたくしに会いたかったと言ってほしい。)
会わないときはなぜこんなに長いのか。
その日はとうとうオリヴィエに会わずに過ごした。


長い夜をこの気持ちのまま過ごすのは気に入らない。
オリヴィエはオスカーの邸を訪ねることにした。
私邸にいないこともままあったが、なぜは今日はいるような、そんな予感がした。
夜でも寒くないのは、アンジェリークのサクリアは強大で穏やかな気候が続いているせいだろう。
街灯の明かりがオリヴィエの顔を照らす。
ゆるいその明りに少しだけ心を隠せるような気がした。

「こんばんは。」 
オリヴィエはなんでもない風にオスカーの部屋に現れた。
気安い仲だけに屋敷の者も誰も咎めないのだろう。
オスカーは、ガウン姿のままウイスキーを開けていた。
「ナイトキャップ代わりに、お前もどうだ?」 
オスカーがグラスを掲げて誘う。オリヴィエはその向かいに腰を下ろした。
小さなグラスに琥珀の液体が注がれる。月明かりと重なって鈍く光った。
オリヴィエはその液体を一気に流し込んだ。
少し酔いたかった。冷静な自分になれるように。

「ねえ、今日、なにしてた?」 
遠回しなセリフだが、オスカーにはすぐに分かった。
「美しい薔薇が雨に打たれたようだったんでな。どうにも放っておけなかっただけさ。」
オスカーはグラスをまわして、その琥珀の色を楽しむようにのどに流し込んだ。そして、オリヴィエをじっと見た。
「もし、美しい薔薇をこの手に欲しいと思ったら、お前ならどうする?」 
挑戦的な氷青色の瞳に目を奪われる。
オリヴィエもその瞳をじっと見つめ返した。
「大切に守って、いつかはその花がワタシのほうをむいてくれるようにするよ。」
「フッ、お前らしいな。」 
ナイトキャップというには少しピッチが速いのではないか。お互いに手酌で注ぎ合う。

「その薔薇は誰かのものじゃないの?」
「誰かのものだって?その薔薇が選んだ場所で美しく咲いているのなら、俺は構わないさ。」
さらにグラスを空ける。
「だが、もし憂いがあるのなら、もう一度俺のもとで咲かせてやりたい。そのために、俺が手に入れるだけさ。」
オスカーの静かに語る口調と裏腹にその氷青の瞳は熱くオリヴィエに訴えていた。
俺が彼女を手に入れる、と。
オリヴィエは立ち上がる。それ以上聞くことはない。
帰り道は追いかけられるような強い風になっていた。


その夜、オリヴィエはまんじりともせずに夜を明かした。
ロザリアの気持ちを疑ったことはない。
ただ、人の心がいかにも移ろいやすいものだ、ということもまたよく知っていた。
だからこそ、ゆっくり育てていこうと思ってきたのに。
夜明けの光は雲間から弱く漂っている。
(ワタシの愛し方はアンタに届いていないのかい?) 
オリヴィエは朝日に目を細めた。



ロザリアの朝は昨日帰ってから起こった一連の惑星の動きをチェックすることからはじまる。
手元のデータだけでわからなければ、王立研究院に出かけていくこともしばしばある。
今日も途中で途切れた通信を把握するために研究院に出向くことになった。
いつもなら帰りにオリヴィエのところに寄って朝の会話を楽しむが、ロザリアはまだ行く気になれなかった。
(オリヴィエはまだわたくしに会いたいと思っていないのかしら。)
もう3日も会っていないというのに、オリヴィエからは何の連絡もない。
火急の執務もなかったし、このままどれくらい会わない日々を過ごすのか。
ロザリアは早足になるのを止められなかった。
その腕をオスカーにひかれるまで、自分が倒れそうになっていることにすら気付かなかった。

「ロザリア、そんなに急いでどうしたんだ。」 
後ろから抱きとめられた体は、大きく前に倒れて、かろうじて顔面から倒れることを避けられた、という様子だった。
ロザリアは大きく息をつくと、オスカーに礼を言う。
「なぜ、そんな顔をするんだ。」 
ロザリアの表情がやけにさみしげに見える。
オスカーは心で小さな吐息をもらした。
雨に濡れた薔薇は何よりも強くオスカーの心を惹きつけた。
手に入れたい、と強く願う。

「ロザリア、今度の休みに俺と会わないか? たまにはいいだろう? 連れて行きたいところがある。」 
強引な誘いが不快ではない。
(オリヴィエは、なんと言うかしら?) 
ロザリアはふっと笑みを漏らした。 
(きっと、行っておいで、とおっしゃるでしょうね。) 
オスカーに了承の意を告げると、ロザリアは執務室に戻って行った。
残されたオスカーは、ロザリアの微笑みの意味を考える。
(俺ならあんな顔はさせない。) 
オスカーは近くにあった木の枝を折って投げ捨てた。


今日もオリヴィエは来ない。
ロザリアの中で時計の音が死刑宣告のベルのように響く。
その音がだんだん大きくなってくる気がする。机の上にペンを置いて、ロザリアは立ち上がった。
もう、我慢できない。 
ロザリアはオリヴィエに会いたい、と部屋を飛び出した。
オリヴィエの部屋の前に立つと、話し声が聞こえてくるのに気づいた。
親しげなその様子に思わず聞き耳を立てる。はしたない、と思うよりも知りたい気持ちが勝った。

「最近、お買い物の量が減りましたね。わたくしどもとしてはさびしい限りです。」
出入りの商人だろうか? いつもきらびやかな衣装を作らせているオリヴィエにはなじみの商人が多かった。
「ん、そうでもないでしょ? 綺麗な物に囲まれていると、もう、心がうきうきするからね。」
オリヴィエが布地を選んでいるのか、かすかに衣擦れの音がする。
「どれもいいね。最近ゆっくり買い物もできなかったからね。パーっといっちゃうよ。」 
商人を喜ばせるためのパフォーマンスだったが、楽しそうな声を上げた。

「そうなさってください。日の曜日でも前のように寄ってくださいな。」
  「ん~、日の曜日は残念だけど行けないんだ。お姫様の子守があるからね。」
オリヴィエは愛しむような顔で商人に言った。
その表情でオリヴィエがその女性をどれほど大切に思っているかわかる。
商人は残念そうな顔をしたが、商魂たくましく新しい布地と次々に取り出してきた。
さらにオリヴィエの歓声が聞こえ、そのまましばらく続きそうな雰囲気だった。

ドア越しにロザリアは蒼白になる。
(わたくしは子守程度なのですわね。)
走り去る足音がオリヴィエには届かない。
思えばオリヴィエがロザリアを「愛している」と一度でも言ったことがあっただろうか。
「かわいいね。」「好きだよ。」 
いつもオリヴィエは言ってくれる。
でも、それは子犬や子猫に向ける言葉と大して変わらないものなのかもしれない。
小さくて、コドモで、それゆえに可愛らしいと。
いつの間にか、中庭に来ていた。

綺麗な薔薇もいつまでも咲いているわけではない。昨日より少し傾いた花にロザリアは傷ついた。
薔薇に顔を寄せる。甘い香りは心を落ち着かせてくれた。
(オリヴィエにとって、わたくしはまだ子供にすぎないのだわ。愛する価値に満たないコドモ。)
優しい瞳も、いつも楽しいからかいを含んだ言葉も今のロザリアにはすべてその表現に思えた。
(オリヴィエに大人の女性として愛されたい。) 
まだキスさえも知らないロザリアは早く大人になりたかった。



「よお、極楽鳥。」 
オスカーが執務室に入ってきた。あの夜から会うのは初めてだ。
「今度の日の曜日、ロザリアを借りるぜ。」 
オリヴィエの目の色に険が現れる。
オスカーは大きな足取りで机に近づくと、椅子に座るオリヴィエの隣で机に体を預けるようにして立った。
均整のとれた体躯にカッコつけすぎなポーズがよく似合う。

「おまえの薔薇はずいぶんとさみしそうだ。俺が慰めてやってもいいんだが?」 
オリヴィエも立ち上がる。
勢いで椅子が倒れ、大きな音を立てた。
その音も耳に入らないというようにオリヴィエはオスカーをにらみつけた。
「ロザリアがOKしたんだ。お前に邪魔されたくないと思って、わざわざ言いに来たんだぜ。感謝してくれよ。」
オスカーはゆっくり姿勢を戻すと、ドアへ向かう。
その背中にオリヴィエは息を殺して視線を向けた。
ドアのしまる音が合図のように聞こえた。
オスカーは本気なのだ。 本気の宣戦布告。
オリヴィエはネイルを気にする余裕もなく、爪先をかんだ。


補佐官室は静まり返っていた。
さらさらとペンの流れる音だけが聞こえる。
ドアが開くと、オリヴィエが立っていた。
顔を上げたロザリアがオリヴィエの姿を見て、一瞬輝いた。
しかし、すぐにその輝きは消えた。
(誰だと思って、そんなに喜んだの?ワタシじゃない、誰か?) 
オリヴィエの言葉が口から出ることはない。
まっすぐ部屋のソファに座ると、ちょうどロザリアに背中を向ける形になる。
そのままの形で口を開いた。

「ねえ、今度の日の曜日、オスカーと会うんだって?」
ロザリアの心臓がきゅっと絞られたように痛んだ。
何もかも放り出して、オリヴィエの隣に座りたい。
その気持ちを必死で隠す。子供じみた行動はしたくない。
「ええ、誘われましたの。わたくしと行きたいところがある、とおっしゃって。いけませんかしら?」
心のどこかで止めてほしい、と思う。ロザリアはオリヴィエの背中を見つめた。

「行かないで、って言ったらどうする?」 
ロザリアの心が震えた。
「オリヴィエがそうおっしゃるのなら。」
すぐに言おうとする。
「なーんてね。冗談。行っておいで。ワタシならいろいろやることあるし、一日くらいオスカーと過ごすのもイイかもね。」
ロザリアは声を出すこともできなかった。
「じゃ、楽しんできてね。」 
オリヴィエは片手をひらひらとさせて出ていく。
とうとうロザリアを一度も見てはくれなかった。 
(会いたいと思っていたのは、やはりわたくしだけだったのね。)
オリヴィエは嫉妬すらしない。
自分が誰と会っていても気にならない。ロザリアは堂々めぐりの思考の中でもがいた。

ロザリアの一瞬輝いた瞳を思い出す。
あれは誰に向けたものなのか、知りたい。
(行かない、と言ってくれないんだね。) 
補佐官室の扉を閉めてオリヴィエは長い息を吐いた。
「行かないで。」と口に出してしまった。
自分をもっと大人だと思っていたのに。
束縛しすぎて壊れた恋を思い出す。苦しい嫉妬の炎に身動きすら取れなくなった、あのとき。
(もう、手遅れかもね。) 
知らずにつかんだ自分の腕に爪痕ができていることに気付いて苦笑した。



日の曜日、オスカーはロザリアの邸まで迎えに来た。
執務服と違うラフなスタイルでも、オスカーは一段と輝いている。
「さあ、行こう。今日は俺に付き合ってくれるよな。」 
ロザリアの手をとったオスカーが顔を寄せる。
「ええ、お連れくださいませ。」 
手を振り払うこともせずにロザリアは頷いた。
オスカーが行きつけの店だというビストロで食事をとる。
「前はオリヴィエともよく来たんだぜ。今度、連れてきてもらったらどうだ?」 
おいしい、と思わずつぶやいたロザリアに向かって言った。
ロザリアはフォークを持つ手を止める。
「オリヴィエはこんな雰囲気のところには行きたがりませんわ。軽めの食事が好きでしょう?」
「そんなことはないさ。よく飲みにもきたぜ。ここのハウスワインは意外といけるんだ。」
オスカーはウェイターに声をかけて、2つのグラスを用意させた。

「わたくし、遠慮しておきますわ。まだ、お昼ですもの。」 
ロザリアはグラスを返そうとする。その手を押しとどめて、
「少しならいいだろう?」と、オスカーは魅惑的にほほ笑んだ。
「未成年なのはわかるが、ワインなら少しは飲めるだろう。」
強引に飲まされたワインは少し花の香りがして、赤ワインにしては軽やかな味だった。
「このビストロにあっていますわ。」
「そうだろう?」 
オスカーは対等に扱ってくれている。ロザリアは嬉しかった。


夕暮れはやはり冷えてきた。
オスカーはロザリアの隣に並んでいる。
「この丘は俺のお気に入りなんだぜ。俺の故郷もこんな景色だった。」
座り込むオスカーに付き合ってロザリアも草の上に座る。
いつも頭一つ上のあるオスカーの顔がとても間近に感じた。
氷青色の瞳がいつもより優しく感じるのはなぜだろう。
この丘のせいかもしれない、とロザリアは思った。

オスカーはロザリアの肩に自分の上着をかけた。
ロザリアの肩が出たワンピースを気遣ってのことだろう。
(「寒くない?」と尋ねることもなさいませんのね。) 
オスカーに抱かれているようなその感覚にロザリアは目を閉じた。
(少し疲れていたのかもしれないな。) 
気づいたらロザリアが隣で眠っていた。
あまりに考えすぎたかもしれない。
ロザリアの動作のすべてがオスカーの胸を痛いほど熱くしたから。
少し微笑む顔。うつむいた表情。はにかむしぐさ。気位の高さが見え隠れする話し方。 すべてがオスカーを刺激する。
とうに失くしたと思っていた気持ちを再確認させられた。

(ここに女と来たことはないんだぜ。) 
そのことを言いたかったが、あまりに無防備な寝顔は、彼女がまだ少女ということを思い出させる。
(遅くならないうちに返さないとな。)
つややかな唇がオスカーを誘うが、寝込みを襲うほど野暮な男になるつもりもなかった。

「ロザリア。」 
オスカーに起こされてロザリアは真っ赤になってうつむいた。
「わたくし、眠ってしまいましたの?ごめんなさい。」 
オスカーは大げさに両手を上げた。
「君の可愛い寝顔を見れたんだ。俺は構わないぜ。できれば次はベッドの中で見たいもんだが。」
オスカーの言葉にロザリアは顔を上げる。

「それはどういう意味ですの?」 
ロザリアの瞳は真剣だ。オスカーも真剣に見つめ返す。
「それを聞くのか? 君と夜を過ごしたい、と言っているんだぜ。」 
オスカーはロザリアの手をそっと自分の頬に寄せる。
落日の影がロザリアの顔を照らす。話すつもりはなかった。
なのになぜ勝手に口が動いたのだろう。

「ありえませんわ。からかうのはおやめになって。」 
オスカーはロザリアの瞳に悲しい影がよぎるのを見た。
「まだ、キスをしたこともありませんのよ。そんなわたくしと一体どんな夜を過ごすとおっしゃるの?きっと退屈なだけですわ。」
(オリヴィエはきっとそう思っているのでしょうね。)

突然抱き寄せられるのを感じた。
ロザリアはその胸が濡れたことで自分が泣いていることに気付く。
「おはなしになって。」 
答えは返らない。オスカーはいつでもロザリアを激しくとらえようとする。
その甘美な罠がロザリアには恐ろしかった。

「帰ろう。」 
オスカーは立ち上がると、手を差し出した。
夕陽も落ち、あたりは薄闇に包まれ始めていた。ロザリアの涙が乾いたことを確かめる。
差し出された手につかまりロザリアも立ち上がった。


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