彼氏の忍耐、彼女の憂鬱

1.

平和な聖地の午後3時。
立て込んだ仕事が少し片付いたこともあって、ご機嫌なロザリアは爽やかなダージリンを淹れた。
マスカットのような独特の香りが葉の広がりとともに漂ってくる。
生真面目なロザリアらしく、きっちり2分計った後、ポットの紅茶をカップに移した。

「陛下、お茶にしましょう。」
にっこりほほ笑んだロザリアはテーブルの上にカップとケーキを置いた。
とたんに女王が立ちあがって、お茶のテーブルに走ってくる。
どさっとレディとは思えない音を立てて腰を下ろした女王に眉をピクリと上げたロザリアは、あまりにも意気消沈している女王を見て、腰にあてた両手を下ろした。

「アンジェ?」
ロザリアが名前を呼ぶ時は友達として話したいとき。
テーブルに突っ伏したアンジェリークが顔を上げると、鼻が真っ赤になっていた。
ジトっとした目で見つめられてロザリアは向かいに腰を下ろした。
「どうしたんですの?・・・・ランディのことでしょう?」
わかる?と鼻水をすすりながら言いにくそうにアンジェリークは切りだした。

「ねえ、オリヴィエはあの後ってどうしてる?」
「あの後?」
話しだしたら止まらなくなったのか、アンジェリークは身を乗り出してくる。
「あのね、最近ランディったら終わったらすぐ寝ちゃうの。それに一回だけしかしないし、キスもいい加減なの。
この前なんか、キスもしないでいきなりしようとして・・・。」
ティッシュをわしづかみにしたアンジェリークはここで鼻水をかんだ。

「やっぱり年上の人って優しいの?とくにオリヴィエは上手そうだもんね。ねえ、どう?」
ロザリアの顔が固まっているのを見て、アンジェリークの緑の瞳がくるくると変わった。
「ねえ、ロザリアってば。」
ロザリアの顔の前で手を振ってみる。反応がない。
顔の横のくるくる巻いた髪を持ち上げてみても、動かないロザリアがおもしろくて、アンジェリークは耳を引っ張ってみた。
「ロザリア!」
魂が抜けたようになっていたロザリアがはっとしたように目を開いた。

「あの、終わったら・・・って。まさか、アンジェ、あなた、ランディと、その、・・・。」
鼻の赤味が取れたアンジェリークは紅茶を飲みながら尋ねる。
「だから、オリヴィエはエッチの後どうしてる?ってことが知りたいの。・・・ランディはもうわたしに飽きちゃったのかなあ。」
再び緑の瞳に涙がにじんだ。
アンジェリークはティッシュを4つにたたんで目がしらにあてると、そのまま下に落とした。
いつもなら「だらしない!」と怒りだすロザリアが沈黙しているのを見て、アンジェリークは首をかしげた。

「ロザリア?」
様子がおかしいと思った後、アンジェリークの頭にひらめいたのはひとつのこと。
「まさか、ロザリア、オリヴィエとまだ?」
ロザリアの顔が赤くなって、青くなって、また赤くなって、ゆっくりと首が下を向いた。
「ええっ!!付き合い始めて1年以上経つのに?あんなにラブラブなのに?」
ロザリアはずっとうつむいている。こんなふうに可愛いところがあるから面白い。
アンジェリークは口をあんぐりと開けてつい言ってしまった。

「オリヴィエったらあんなに上手そうに見えるのに・・・。ねえ、ホントなの?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
ロザリアの怒った顔は般若より怖いと十分わかっていたのに。
「アンジェ、それ以上は許しませんわよ!」
乗り出した体を椅子に戻して、アンジェリークは紅茶をすすった。

「でもね、ロザリア。オリヴィエだって普通に男の人なんだよ?一年以上たって、キスはした?」
こくり、と頷いたロザリアを見てなぜかホッとする。
キスもまだだったら・・・・かわいそうすぎて、笑ってしまうところだった。
「キスだけ?」
また頭がこくりと動いた。
「それは・・・。」
かわいそうに、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
「間違いないわ。絶対ほかで解消してるわね。じゃなければ、おかしいもの。」
「おかしい?」
怪訝そうに尋ね返したロザリアにアンジェリークは腕を組んで頷いた。

「そうよ!・・・ベッドの下とかを探したほうがいいわね。それか、オスカーにきいてみるか。」
オスカーのDVDコレクションはすごいわよ~と、アンジェリークが耳打ちする。
なぜ、そんなことを知っているのだろう。
けれど、ロザリアが気になったのはもうひとつの言葉。
「ほかで解消しているとは、どういう意味ですの?」 まさか、他の女性と?
うふ、と笑ったアンジェリークは飲み終えたカップをソーサーに戻して言った。
「オリヴィエに聞いてみて?」
歌いながら執務机に戻ったアンジェリークはすっかりさっきまでの落ち込みが治ったようで。
それだけがロザリアの救いだった。



日の曜日、いつものようにオリヴィエとデートをしたロザリアはふと足元を見た。
手をつないで町から帰る途中で、次第に二人の影が伸びていく。
背中から当たる西日に伸びる二つの影がつながるようにそっとオリヴィエに寄り添った。
影にならこうして触れることができるのに、現実には自分から手をつなぐこともできない。

「ねえ、ロザリア。」
「なんですの?」
自分のした事を見咎められたのか、とロザリアはオリヴィエからさっと離れた。
そのロザリアの様子にオリヴィエは少し目を細めて微笑む。
「なんでもないよ。ほら、着いた。」
ドアの前でオリヴィエはそっとロザリアに別れのキスをする。それがデートの終わりの合図。
「またね。」
後ろ手に手を振ってオリヴィエが帰っていくのを、姿が見えなくなるまで見送った。


家に向かう途中、オリヴィエの目の前をゆっくりと星がまたたき始めた。
手をつなぐだけで、赤くなるロザリア。この頃ようやく自然にキスができるようになった。
もちろんただ重ねるだけだけど。
それでも震える睫毛が愛おしくて、それ以上を求められなくなるのもいつものことで。
こうして何も進展のないまま1年にもなろうとしている。
無理に求めて、嫌われたくない。それくらいなら我慢したほうがいい。
いつになく弱気な自分に腹が立って、足もとの石ころを蹴とばした。
勢いよく飛んだ石は遠くの方に消えて行く。
オリヴィエはため息をついて、急ぎ足で家に戻って行った。



今日中の決裁が必要だったことを思い出してロザリアはオスカーの執務室に向かった。
ほんの少しドアが開いていて、中から話し声が聞こえてくる。
盗み聞きははしたないと思いつつも、中から聞こえてきたオリヴィエの声にロザリアは聞き耳を立てた。
「お前には必要ないと思っていたがな。」
オスカーの手には銀色のディスク。
「私だっていろいろ悩んでるんだよ。」
オスカーの手のディスクがオリヴィエに渡る。
オスカーは面白そうな顔でこう言った。

「ロザリアとうまくいってないのか?」
ロザリアの体がピクリと動いた。そんなことありませんわ!と今すぐドアを開けそうになる。
しかし、耳に聞こえたのは思いもよらないことで。
「そんなわけじゃないけどさ。まあ、あのコはまだ子供みたいなとこがあるから。」
「まだまだ大人の関係にはなれそうもない、か。遊ぶ時は声をかけてくれよ。」
楽しそうに笑うオスカーに苦笑するオリヴィエ。
ロザリアは書類のことも忘れて廊下を歩きだした。

オリヴィエが他の女性と? そんなはずはない。
大人っぽいと言われることはあっても、子供だなんて言われたことはなかった。
でも、子供のように見えるアンジェの方が実はずっと大人で、先に進んでいる。
なにもできないのは自分の方。
でももし、オリヴィエが望むのなら。
ロザリアは手にした書類に力を込めると、用事も忘れて補佐官室へと戻って行った。



日の曜日にオリヴィエはロザリアを私邸に呼んだ。
滅多に降らない雨が明け方から降り始めている。
ロザリアは大きな窓に当たる雨粒をため息交じりに見つめた。
「きっと、ランディと喧嘩をしたのですわ。」
まるで、叩きつけるような勢いの雨はアンジェリークの不機嫌さをそのまま表している。
あたたかな紅茶のカップを運んできたオリヴィエはトレーをテーブルに置くと、後ろからロザリアを抱きしめた。

「喧嘩?めずらしいね。」
子犬のような二人は、いつでもじゃれあうようにくっつき合っている。
どうせたわいもないことで、また明日には晴天の日々が戻ってくるのだろうけど。
オリヴィエはロザリアの首筋に優しく唇を寄せた。
とたんにこわばる体。すっと朱をさした頬が目に入って、オリヴィエは抱きしめる腕に力を込めた。
大丈夫。嫌がってるわけじゃない。
青紫の髪に顔をうずめて、ロザリアから漂う薔薇の香りを吸い込んだ。


「ランディがあの後に冷たいのですって。」
ロザリアの口からこぼれた言葉に思わずオリヴィエは腕を緩めた。
「なんだって?」
「ですから。なんでも最近のランディは終わったらすぐ寝てしまったり、回数も1回だったり、キスもしないで始めようとしたりするのですって。
それで、アンジェが悩んでいて。オリヴィエはどう思いまして?やっぱりランディの態度はよくないのかしら。」

ロザリアの鈴のような声は、いつもと同じようにオリヴィエの耳に心地よく聞こえた。
そのまるで世間話でもするような態度にオリヴィエも油断してしまったのかもしれない。
「そうだね。やっぱりその後も抱きしめてあげるとか、キスしてあげるとか、しないとダメだよね。
男の礼義として。すぐ背中を向けて寝るなんて、どうかと思うよ。」
「オリヴィエはいつもそうしていますの?」
「そうだねぇ。私は腕枕くらいはしてるかな。少なくとも女の子より先に寝たりはしないね。」
いいながら、オリヴィエは腕をロザリアの腰に回した。
口付けしようと顔を自分に向けさせるためにロザリアの頬に手のひらを当てる。
体を寄せると、彼女の肩が震えているのに気づいた。

「ロザリア?」
手のひらが暖かく濡れている。
オリヴィエは手のひらを見て立ちすくんだ。
「わたくし・・・。帰りますわ。」
オリヴィエの腕から逃げるように飛び出したロザリアがドアの向こうに消える音がした。

私はなにを言っただろう。よりによって他の女の話をするなんて。

少しいい雰囲気だったのが、いけなかった。
油断したなんてらしくないけれど、結果として彼女を傷つけてしまったのだから。
大きな窓から、走っていくロザリアが見える。
傘もささずに消えていく頬が雨粒とは違う角度に光っていて、オリヴィエは追いかけることができなかった。


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