彼氏の忍耐、彼女の憂鬱

2.

月の曜日になってもまだ空はどんよりと曇っていた。
アンジェリークとロザリアは同じくらい暗い顔をして向かい合っている。
「はあ。」
ロザリアがこぼしたため息をアンジェリークが拾った。
「はあ。」
ため息ばかり出てくる重い空気に耐えかねたのはアンジェリークの方で。

「ロザリア、どうしたの?オリヴィエと喧嘩でもした?」
はっと顔を上げたロザリアはアンジェリークと視線が合うと気まずそうに目をそむけた。
「アンジェこそ、このじめじめした天気をどうにかして下さらない?気分が滅入ってしまうわ。」
アンジェリークの瞳にジワリと涙が滲んでロザリアはあわてた。
「だって・・・。ランディったらとうとうなにもしなくなったのよ?きっと、わたしに魅力を感じなくなったんだわ。」
碧の瞳からあふれてくる涙にロザリアはハンカチを差し出した。
立ち上がって隣に座ると、アンジェリークの背中をさする。

オリヴィエも、わたくしに魅力を感じていないということなのかしら?
他の女性とはしているのに。

「ねえ、アンジェ。」
泣くとすぐ赤くなる鼻をこすりながらアンジェリークが顔を上げた。
「泣いていてもはじまらないわ。魅力がなくなったというのなら、また魅力を感じるように努力しましょう?」
立ち上がったロザリアに引きずられるようにアンジェリークも立ち上がる。
勢いよく女王の間を飛び出したロザリアが向かったのはオスカーの執務室だった。


「オスカー、あなたのコレクションをわたくし達に見せていただけないかしら?」
いきなり開いたドアに驚いたオスカーはロザリアを凝視した。
「・・・なにを言っているんだ。なんのことかわからないな。」
「アンジェから聞きましたの。あなたのDVDコレクションはすごい、と。」
ロザリアに連れてこられたアンジェリークが子ウサギのように目を丸くして、頷いた。
「知ってるんだから。」

オスカーがアンジェリークに視線を向けると、アンジェリークはロザリアの背後にさっと隠れた。
詰め寄るロザリアにオスカーはじりじりと後退していく。
やがてふっと薄笑いを浮かべると、逆にロザリアに顔を近づけた。
「何のことか知らないが、そんなに知りたいことと言うのは、なんだ?」
言葉に詰まるロザリア。
まさか、あんなことやそんなことだなんて口が裂けても言えない。

「勉強したいのよ。」
ロザリアの背後からひょっこり顔を出したアンジェリークが言った。
「勉強?」
座っていたオスカーが立ちあがる。
見上げるような姿勢になってもロザリアが引く気配はない。
「なんていうか、そうね、テクニックみたいなものよ。もう1回その気にさせられるような。」
オスカーの目が点になった、とロザリアは思った。
恥ずかしさに目眩がしそうになりながらも、オスカーに頷いてみせる。
「そ、そうですわ。勉強したいのです。・・・・見せていただけますわよね?」

しばしの沈黙。
そのあと、体を折り曲げるようにして笑いだしたオスカーにアンジェリークが背後から飛び出した。
「早く見せなさい!女王命令よ!」
結局そうなるのか、と肩をすくめたオスカーは、二人にウインクしながら引き出しからリモコンをとりだした。
「俺はかまわないが。お嬢ちゃんには刺激が強すぎると思うぜ?」
『お嬢ちゃん』と言いながらロザリアを見た視線にカチンときた。
「わたくしだって、子供じゃありませんわ。十分理解しておりましてよ?」
ツンと顎を上げたロザリアにアンジェリークも頷いた。


奥の部屋へと歩いていくオスカーに二人は付いて行った。
コレクションとやらはやはり奥の部屋に隠してあるらしい。
オスカーは二人をソファに座らせる。
そしてリモコンのスイッチを入れると、スクリーンが下りてきて部屋が暗くなった。

「映画を見るために作った設備だが、仕方がないな。・・・何が見たいんだ?」
「もちろん、あれよ!」
アンジェリークの声が響き渡る。
それほど広くない部屋は音響がいい。
映画を見るための設備だというのはまんざら嘘でもないようだ。
「・・・本気なのか?」
アンジェリークが首をかくかくと上下に動かす。

オスカーは苦笑してデッキの奥の扉を開けた。すらりと並んだケースのそのまた奥にまたケースが積まれている。
ほこりをかぶったケースから一枚のDVDを取り出すとデッキの中に入れた。
「見るのは卒業したからな。随分古いがお嬢ちゃんならこれで十分だろう。」
DVDのディスクが吸い込まれると、スクリーンが明るくなった。


画面に現れたのは二人の男女。
突然始まった濃厚なキスシーンにアンジェリークが歓声を上げる。
「これは・・・キス?!」
ロザリアが叫んで、ソファから転がり落ちると、床にへなへなと座り込んだ。
長いキスが続く画面を食い入るように見つめるアンジェリークの隣で、ロザリアは目を閉じることもできずにいる。
画面の男が女性の服に手をかけようとしたとき、ロザリアは急に立ち上がった。

「わたくし・・・。これ以上見られませんわ!」
ドアにもたれて立っていたオスカーを押しのけるようにしてロザリアは部屋から飛び出した。
ロザリアが開けたドアの向こうはまだ昼間で。
ぽかんとしたアンジェリークの前でオスカーがデッキの電源を落とした。

「もういいだろう?」
取りだしたDVDを再びケースに戻すと、収納ケースの扉に手をかける。
それを見て飛び跳ねるように立ち上がったアンジェリークがオスカーに手を差し出した。
「これ、貸して。」
女王陛下に逆らえるはずもなく、仕方なくオスカーはアンジェリークの手にDVDを乗せた。


オスカーの部屋を飛び出したロザリアは、もつれるように動かない足を必死で動かして補佐官室に向かった。
ダメだ、と思ったときにはもう転んでいて、思わず声を出してしまう。
一番会いたくない人がドアの向こうから出てきた。
「なにやってんの?転んだ?」
ひざまずいて手を差し出したオリヴィエはいつものように優しかった。
昨日、あんな風に出て行ったことをまるで気にしていないような態度がたまらなく寂しい。

やっぱり、わたくしの事など少しも気にしていないのかもしれない。
いつでも、追いかけるのはわたくしの方。
告白したのも、キスをしてほしいと目を閉じたのも。
オリヴィエは受け入れてくれただけ。

「大丈夫ですわ。」
オリヴィエはうつむいたままのロザリアの顎に手をかけた。
「大丈夫って顔じゃないでしょ?見せてごらん。」
強引に合わされたブルーグレーの瞳。
ロザリアの脳裏にさっき見た濃厚なキスシーンが浮かんだ。
オリヴィエも知らない誰かと、あんなふうに。・・・・わたくしにはしないくせに。

「離して!」
聞いたことのない大きな声で叫んだロザリアに、オリヴィエは驚いた顔を隠さない。
「どうしたの?ここが痛いの?」
足に触れたオリヴィエの手を強く払いのけた。
「触らないで!」
激しい拒絶にオリヴィエは動きを止めた。
「わたくしに触らないで!」
足なんて少しも痛くない。痛いのは、この胸。
立ち去ったロザリアを見つめたオリヴィエはひざまづいたまま、頭を垂れた。

嫌われた、なんて思いたくないけど。


しばらくそのまま膝をついていたオリヴィエをアンジェリークが見つけた。
「どうしたの?お腹でも痛いの?」
両手を後ろに隠したまま、アンジェリークがオリヴィエの顔を覗き込む。
のんきそうな顔になんだか腹が立って、オリヴィエは立ち上がった。
もとはと言えば、この二人のせいなのだ。

「なんでもないから。あんたこそ、ランディと喧嘩してるんじゃないの?」
アンジェリークの顔がうっとつまって、すぐに落ち込んだ。
まずい、と思ったときは手遅れで、じんわり涙が浮かんでいる。
「私の部屋で話そうか?ね?」
アンジェリークの背中に手をまわすと、泣きだす前に急いで部屋に押し込んだ。
ドアを閉めてぽろぽろとこぼれる涙にハンカチを渡すと、アンジェリークは盛大に鼻をかんだ。

「ねえ、オリヴィエ。どうしてロザリアに何もしないの?女の子として魅力がないの?」
オリヴィエがぎょっと目を丸くした。
勢いよく話し始めたアンジェリークにたじろぎながらもソファへと座らせる。

「ランディがなにもしなくなった?それで自分に魅力がなくなったって思うわけ?」
アンジェリークが首が折れそうなほどに上下させる。
オリヴィエが深い深いため息をつくのを、アンジェリークは見逃さなかった。
「他にどんな理由があるの?・・・あんなに毎日してたのに。飽きたとしか思えないわ。」
オリヴィエはアンジェリークの頭に手を乗せて、よしよしとなでる。
アンジェリークの碧の瞳がオリヴィエをじっと見つめていた。

「きっと、ランディにも訳があるよ。・・・なんとなくわかるけど。」
「どんな訳?教えて!」
オリヴィエは少し考えて開きかけた口を閉じる。
「ランディに聞いてごらん。お互いにきちんと話さないと後悔するから。」
男だって、いろいろ不安なんだ。本気で好きでいればいるほど。

しばらく考えていたアンジェリークがオリヴィエに笑いかけた。
「そうね!聞いてみるわ。ランディは嘘を言わないもの!」
そこも好きなの、と最後にのろけてアンジェリークは出て行った。

あとに残ったオリヴィエはものすごい疲労感でソファに深く座りなおした。
アンジェリークの方はいい。話せばきっと仲直りできるから。
ランディみたいなタイプが考えるのは大体予想がつく。
それよりも。

「きちんと話せ、か。自分に言ってるみたいだよ。」
オリヴィエは机の引き出しに入れたままの銀色のディスクを取り出した。
オスカーに借りたディスクは、結局この前の日の曜日にも持ち帰らなかった。
「こんなものに頼ろうとするなんてね。」
銀色のディスクは陽ざしに反射して光る。ケースに書かれたタイトルは甘い甘いラブストーリー。
これを見ながら、いい雰囲気になればいい。そんなことを考えたりしていたけど。
オリヴィエはディスクを引き出しに戻すと、ロザリアを探した。
やっと見つけたロザリアは女王の間にいて、「今日は一日陛下と片付けなければならない執務がありますの。」
ドア越しにそれだけ言われて、追い返されてしまう。
仕方なくオリヴィエは執務室へと戻って行った。


遠ざかるオリヴィエの足音に耳をすませるロザリアの様子を見て、アンジェリークが声をかけた。
「ねえ、いいの?」
ドキッと振り返った顔はなんだかいつものロザリアらしくない。
「わたくし、自分がこんなに心の狭い人間だなんて思いませんでしたわ。」
強気なロザリアが見せる弱音にアンジェリークは友達の顔に戻る。
「どうして? なにかされたの?」
ロザリアは弱弱しく首を振るとため息をついた。

「さっき、DVDを見ましたでしょう?オリヴィエがわたくし以外の誰かとあんなことをしたと思うと、悔しくて悲しくてどうにかなってしまいそうなんですの。
まともにオリヴィエの顔を見ることもできなくて・・・。」
ロザリアの言うことはよくわかる。
ロザリアには今まで嫉妬するということがなかったのかもしれない。初恋の人がオリヴィエなのだから。
「ロザリアはどうしたいの?オリヴィエのことが嫌いになったの?」」
アンジェリークに言われて、ロザリアは大きく首を振った。
嫌いになどなるはずがない。今だって本当はすぐに会いに行きたい。
「じゃあ、仕方ないんじゃない?昔のことなんだから。」
「頭ではわかっていますの。でも、・・・。」

オリヴィエなら大人だし上手そうだ、なんて無責任に思っていたアンジェリークは、悲しそうなロザリアにどう声をかけたらいいのか悩んでしまった。
たまたま初めて同士だった自分たちは、嫉妬する相手もいない。
そう、上手いイコール経験豊富イコール付き合った女性がいっぱい!ということに今まで気づかなかったのだ。
「そうよ!前の女を忘れちゃうくらいロザリアに夢中にさせたらいいんじゃない?」
「どういうことですの?」
「いくらオリヴィエが女好き・・・じゃなくて。」
ロザリアにじろりと睨みつけられてアンジェリークは咳払いして続けた。
「すごいとしても、ロザリアと毎日すれば、体力が持たないはずよ。だから!」
なぜか立ち上がったアンジェリークをロザリアは見上げた。
「思い出す時間も体力も全部ロザリアが取り上げちゃいましょう!」
言いきったアンジェリークはとても自信ありげで、思わずロザリアはぽかんとしてしまった。
今日ほどアンジェリークを女王らしいと思ったことはなかったかもしれない。

「どうしたらいいんですの?」
いつも叱られてばかりのロザリアに教えてあげるという立場にウキウキしたアンジェリークはロザリアを私室に引っ張っていく。
部屋の鍵をしっかりと閉めたアンジェリークは、ロザリアを残したままクローゼットをあさり始めた。
ここでもない、あそこでもない、と、ひとしきり部屋を荒らした後、収納ケースの奥から何かをとりだす。
「あった!!」
まるで泥棒でも入ったかのような惨状に、アンジェリークの後ろから片付けを始めていたロザリアが振り返る。
アンジェリークの手の包みは可愛らしいショッピングバッグ。

「絶対ロザリアなら似合うから。着てみて!」
なんだかんだの押し問答の末、結局、ロザリアはそのドレスを持って帰ることになった。
それからもアンジェリークのレクチャーは続き、気がつけば夜。
その日から毎夜続いた講義のせいで、ろくに仕事も進まない。
結局、ロザリアがこの一週間でわかったこと。
それはつまり、『オリヴィエに任せておけば大丈夫』ということだけ。

「早く、オリヴィエに連絡して!」
土の曜日は映画デートと聞いたアンジェリークはつつくようにしてデートの場所を変更させた。
そして最後にメモ帳を握りこませるようにして渡す。
「がんばってね!!」
意味不明な励ましとともに送り出されたロザリアは明日の準備のためにメモを真剣な瞳で見つめたのだった。


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