たいせつなもの、ひとつ

1.

いつもと変わらない平日の午後。
育成に向かうロザリアはあまりにも暖かな日差しに思わず手を額にかざした。
試験に赴く前はこんな風に日を浴びることはなかったように思う。移動は車が多かったし、外をぶらぶらするようなこともなかった。


「ロザリア~。いい天気だね! 今からどこに行くの? 私はランディ様のところに育成をお願いしに行くつもりなんだ~。」
アンジェリークの声が聞こえてきた。まだ表情が読み取れる距離でもないのに声がしっかり届くのが不思議だ。
ロザリアはいつものようにツンと顎を上げて答える。
「きちんと育成をするなんてあんたにしては珍しいわね。この天気も今日だけかしら。」
「ロザリアったら~。私だって育成してるよ!」
いつの間にかとなりに走ってきていたアンジェリークが頬を膨らませた。そのしぐさを密かに可愛らしいと思う。自分にはできない表情。
「あら、ランディ様のところに行くのは育成だけじゃないじゃないの。そんな無駄話に力を使うなんてわたくしには理解できませんわ。」
とたんにアンジェリークののんきな顔が真っ赤になる。
(全く素直すぎますわ・・・)


「さあ。行くわよ。ぐずぐずするならおいていきますからね。」
さっさと歩きだすロザリアの隣に並ぼうと足を動かすアンジェリーク。
聖殿に向かう間におしゃべりをするのもすっかりいつもの光景になっている。
「ロザリアだって、ルヴァ様でしょ?」
ロザリアに視線を合わせて尋ねてきた。尋ねる、というよりは断定している。
「あら、なんのことかしら?」
「また~。わたしにだってわかってるんだからね。」
ロザリアは首をかしげる。 (なにをわかっているというのよ・・・。)
「あんたがわかって、わたくしがわからないことなんてあると思っているのかしら?」
嫌味でなく本当にそう信じているところがすごい。
そんな口調にはもうとっくに慣れっこになっているアンジェリークはまたぷうっと頬を膨らませていた。
「もう、ロザリアの意地悪~。でも、なにかあったらすぐに教えてよ!わたしも報告するからね!」


いつの間にか、風の守護聖の執務室についていて、アンジェリークは軽いノックと同時に部屋に飛び込んで行った。
そのままロザリアも廊下をまっすぐに地の守護聖の部屋へと向かっていった。
いつものようにドアをノックしようとして、ふと手をとめた。
(わたくしとルヴァ様がなんですって?)
さっきのアンジェリークの言葉。まるでロザリアとルヴァが何かあるかのような…。
考えたこともなかった。しかし、アンジェリークにとってはすでにそれは既成事実らしい…。
(とんでもありませんわ。女王候補と守護聖。ただそれだけ。
わからないことに真摯にお答えくださるルヴァ様は、ほかの守護聖さま方よりも親しい間柄ではあるけれど。)
なんとなくドキドキしてくる気持ちを静めて、きれいに巻かれた青紫のカールを背に払うと、改めてノックした。


コンコン。
規則正しいノックはロザリアの几帳面さを反映していて、ルヴァの口元が思わずほころぶ。
「あいていますよ。」
そろそろ現れるのではないかと思っていた。美しい動作で部屋に入るロザリア。洗練された所作はルヴァを安心させた。
いつものように青い瞳がルヴァを映す。そして、彼女は少しきついような口調でこう告げるのだ。
 「育成をお願いいたしますわ。」と。


しかし,今日はルヴァに向ける青い瞳がすぐにそらされた。うつむいたまま次の言葉もなかなか出てこない。
(どうしたんでしょうね~。今日のロザリアは。)
いろいろ考えてはみるが結局わからない。しばらくの沈黙が気まずい。
「育成ですかね~。たくさんですか?それともすこしですかね~。」
いつもと同じルヴァの調子になぜかロザリアは少し落ち着かなかった。
ふと思い付いてその思い付いたままをルヴァに尋ねた。
貴族のたしなみとしてはしたないことだ、という気持ちをその時はまったく感じなかった。
青い瞳をまっすぐに向けてルヴァを見る。


「ルヴァ様は、アンジェリークをどう思われますか?」
「へ? アンジェリーク、ですか?」
唐突な質問にルヴァの声が裏返る。ロザリアは少し胸が痛んだ。思いがけない質問に焦るルヴァ。
(これは、何か特別な思いを持っていらっしゃるということなのかしら?)
「え~。アンジェリークはとても素直で可愛らしいと思いますよ。
慣れない育成でもとても頑張っていますしね。なんだか応援したくなるような気がしますよ。」
(あなたもそうでしょう?) と続けようとして、ロザリアに遮られた。
「もう、結構ですわ。ルヴァ様のお気持ちはよくわかりました。では、失礼いたします。」
優雅なしぐさで淑女の礼をして退出していくロザリア。呼び止めようとするルヴァの腕が上がったまま空をつかんだ。
(でも、私は素直でないあなたのことも気になってしまうんです。なぜですかねえ。)
心の底から上がってくる答えはまだみつからない。


ルヴァの執務室を出てどう歩いたのかわからない。いつの間にか聖殿の裏まで来ていた。
(なぜ、こんなに動揺しているの。ルヴァ様はアンジェリークを気にされている。
ただそれだけのことだわ。女王候補として応援されているのよ。)
ロザリアの周りで整えられた花壇からふわり、花の香がした。
昨日までも咲いていたはずなのに、今まで気がつかなかった。
香りは感じたと思ったらすぐに消えて、無性にさみしい気がした。
さみしさの理由は花の香りだけではない気がする。ロザリアは気付いていた。
今まで、何気なく過ごしてきたルヴァとの時間が代えがたいものであったこと。
気にしていなかった花の香りと同じように、当たり前にそばにあったということ。
それを失うことがさみしいということ。

(わたくし、ルヴァ様をお慕いしているのだわ。)

花壇の花が揺れている。
ロザリアの気持ちはまだ誰も知らない。


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