たいせつなもの、ひとつ

2.

しばらく立ち尽くしていたロザリアは、初めのショックから徐々に立ち直ってきた。
(わたくしにとって、アンジェリークは大切な友達。そして、ルヴァ様も。二人が仲良くなればきっと、わたくしもうれしいわ。)
涙の跡が消えるまで、思いをめぐらせていたロザリアは決心したように歩きだした。

次の日の朝、ロザリアはアンジェリークの部屋をノックした。
「は~い、今あけるね。」
ちょうど身支度を終えたらしいアンジェリークが出迎えた。
「どうしたの?今日は土の曜日じゃないよ。」
いつもと様子の違うロザリアに少し困惑顔だ。
「今日はルヴァ様のところに行くわよ。あんたのことだから、まだこの前あげた資料を全部読んでいないでしょう?一緒に勉強してあげるわ。」
「え~~~。」
アンジェは明らかに不満顔だ。
「さあ、行くわよ。」
アンジェを部屋から引っ張り出すと引きずるようにして連れだした。

途中でランディとすれ違う。
「あれ、アンジェ、今日の約束は?」
アンジェリークより先にロザリアが答えた。
「今日は一緒に育成の勉強をしますの。申し訳ありませんが、約束はまたにしていただけますか?」
丁寧でも有無を言わせないロザリアの口調に押されて、つい「うん。いいけど。」と言ってしまうランディ。
「では。ごきげんよう。」
思わず見送ってしまうランディだった。


「ルヴァ様、今日はアンジェも連れてまいりましたの。一緒に教えていただいても構いませんか?」
ロザリアが執務室に入ると、ルヴァの顔が輝いたような気がした。
(アンジェを見て、喜んでらっしゃるのだわ。)
ルヴァの喜ぶ顔は素直にうれしい。でも、それは自分がもたらすものではないのだ。
ロザリアの胸がぎゅうっと潰れるような気がした。
「どうぞ、どうぞ~。私は構いませんよ。教えられることなら何でも聞いてくださいね~。」
ルヴァも昨日あんな風に飛び出していったロザリアが来てくれて、本当にうれしかった。
(ああ~、よかった。なにか失敗してしまったのではないかと気が気ではありませんでしたよ~。)
思わず笑みがこぼれる。その笑みをロザリアが少しうつむいてみていたことにルヴァはまったく気づいていなかった。

ロザリアの指示でルヴァが真ん中に座り、3人は並ぶように机を囲んだ。
いつもルヴァは質問が出るまで本を読んでいる。
あまり先入感を与えたくない、という配慮からなのだが、今日はそうもいかないようだった。
「えーと、このサクリアが作用すると、なぜこんな地形になってしまうんですか?」「この段階ではういう影響が出るんですか?」など、アンジェリークの質問はまだまだ初歩の初歩、という段階だ。
その質問に答えるためにはひとつひとつ文献を見せながら説明しなければならない。
まさにアンジェリークにつきっきりという状態になってしまった。
体ごとアンジェリークに向けて一生懸命話すルヴァはとても熱心に見えた。
隣にいるはずなのに、ロザリアは二人が遠くにいるような気がしてだんだん耐えられなくなっていった。

「あの、ルヴァ様、アンジェリーク。わたくし、今日はほかの育成もお願いしたいと思っていますの。
少し席を外してもよろしいですか?」
「ロザリア、ずるい~。」
「何を言っているの!その資料全部に目を通すまで、ルヴァ様に教えていただきなさい!またあとで来るわ。」
ルヴァもアンジェをたしなめる。
「もう少し、育成について理解したほうがいいと、私も思いますよ。今日は時間がありますし、よければどうですか?」
そこまで言われて断れるアンジェではない。
「はい、わかりました。私も頑張るね!」とルヴァに笑顔を向ける。
ロザリアには二人が見つめあったように見えた。
アンジェリークが小声で「あとで、絶対迎えに来てね。」とロザリアに付け加えたのも聞こえないくらいに。


なんとか淑女の礼はできた。
執務室のドアを閉めたロザリアはゆっくりと聖殿の廊下を歩いて行った。
どこに行くというわけでもない。ただ何か理由が欲しかった。
(あの部屋にはいられないもの…。)
楽しそうにするルヴァとアンジェを見ているのはつらい。
自分で決めたこととはいえ、ロザリアは目の前がかすんでいくのがわかった。

「おや、こんなとこで何やってんのさ。目にゴミでも入ったのかい?」
夢の守護聖オリヴィエの声が聞こえた。
隣の執務室から出てきたオリヴィエはいつになく下を向いたロザリアが気になった。
「いえ、なんでもありませんわ。」
顔を上げては目がうるんでいることがばれてしまう。
ロザリアはなんでもない風に言うと、オリヴィエの横をすり抜けようとした。
しかし、オリヴィエはそんなロザリアを通せんぼするように両手を広げて、言った。
「ワタシの執務室に来ない?目がゴミのせいで赤くなっているよ。少し休んでいくといい。」
泣いていたのに気づいていないはずがない。この方はとても人の気持ちに敏感だから。
この言葉も彼の優しさなのだ、と気づいたロザリアは、素直にオリヴィエに従うことにした。


「顔を見せてごらん。」
香りのいい紅茶を手ずから入れたオリヴィエはロザリアに声をかけた。
(ワタシが自分で淹れてあげるなんて、滅多にないんだよ。)
特別にロザリアのために手に入れた紅茶。早く飲ませたいと思ってはいたけど。
カップを両手で包むようにしてぼうっとしていたロザリアは思わず目に手を当てた。
「ダメだよ、そんなにこすったら。ますます赤くなる。」
オリヴィエはきれいに手入れされた手をロザリアの目元にあてた。
オリヴィエの香水の香りがして、ロザリアはまた涙が出そうになる。
必死でこらえて、カップに口をつけた。
ロザリアの好きな香り。
「おいしいですわ。わたくし、この香りがとても好きなんですの。」
「うん、きっとあんたの好みだと思った。」
オリヴィエが微笑む。その優しい微笑みにロザリアは気持がほどけていくようだった。


時計の針が12時を回ったところで、ルヴァはアンジェリークに声をかけた。
「そろそろ、休憩にしましょうかね~。よくがんばりましたね。」
「はい!ルヴァ様のおかげでとてもよくわかりました。」
元気なアンジェリークの声にルヴァは尋ねた。
「あなたのこのノートはとてもよくできていると思いますよ。これだけ理解できていれば、すぐに育成に活かせると思いますよ。」
机の上に広げられた育成ノートはきちんとまとめられていて、簡単な注釈や参考文献なども細かく書かれていた。
いささか丁寧すぎる表現やたとえもあったが、かえって慣れない育成がわかりやすく記されていると思ったのだ。
ノートを手に取ってみるルヴァにアンジェリークは恥ずかしそうに上目づかいでルヴァを見た。

「これはロザリアが作ってくれたノートなんです。いきなり文献を読んでもわからないだろうって、まとめてくれて。
これだけ読めばわかるって言われたんですけど、できてなくて、今日もロザリアに怒られちゃいました。」
ペロッと舌を出すアンジェリーク。
「ロザリアってすごく優しいんですよ。いつも私のこと心配してくれるんです。
ちょっとお嬢様で口は悪いけど、本当は優しいんです。ランディ様とかは近寄りにくいっていうんですけど、わたしはそんなことないって思います!!」
一気に言うアンジェリークにルヴァは微笑んだ。
「ええ。わかっていますよ。このノートを見て、さらによくわかりました。」
いつでも他人のことを気遣うロザリア。そのことを素直に出せないために損をしていると思う。
一部の、特に年少組からは扱いにくいと思われているようだ。
それでも、ルヴァはそのわかりにくいロザリアを自分だけは理解している、と思えることが少しうれしかった。


アンジェリークとルヴァは昼食のために一緒に執務室を出た。
偶然、隣の扉も開いて、オリヴィエとロザリアが出てきた。
お互いに見つめあう。
「今から昼食にしようと思っていたのですよ。よければ一緒にどうですか~?」
ロザリアを見かけたルヴァはそう声をかけた。
さっきのノートの話もしたかった。何より一緒に過ごしたい、と思っていたのだ。
にこにこしているルヴァを見たロザリアは
(ルヴァ様、アンジェと一緒だったんですもの。とても楽しかったのだわ。)
と思い、少し暗い気持ちになる。
からだを固くしたロザリアに気付いたオリヴィエが言う。
「ルヴァ、ごめんね。今日はこのお姫様はワタシがエスコートしたいんだ。アンタはそっちのお姫様を頼むよ。」
ウインクしてロザリアの手を引くと、どんどん歩いて行ってしまった。

「もう、オリヴィエ様はロザリアばっかりなんだから!」
アンジェリークが少し膨れて言う。
どうやらオリヴィエはかなりあからさまにロザリアを応援しているらしい。
ルヴァはまったく知らなかった事実に驚く。
そうは言っても、アンジェリークも本気で怒っているようではない。

「ルヴァ様、心配ですか?」
まるで小悪魔のような質問だ。
「な、何を言っているんですか。ロザリアはあまり仲良くしている守護聖がいないようで心配していたんですよ。
オリヴィエとは仲が良かったんですねぇ。安心しましたよ。」
年の功か、アンジェリークにルヴァの動揺は見えない。
「ふ~ん。そうなんですか。」
アンジェリークは何となくがっかりしたように見えた。
それでも、つながれた手を見ているとなんだかチクチクした気持ちになる、とルヴァは思った。。
(なんでしょうね~。このちくちくは?)
宇宙一の賢者であっても、経験したことがない痛みに見当がつかないのだった。


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