たいせつなもの、ひとつ

3.

日当たりのいいテラスはたくさんの客であふれかえっている。
並ぶのをあきらめたルヴァとアンジェリークは少し空くまで待とう、と湖に足を延ばすことにした。
うららかな日差しに湖の湖面が静かなさざ波を寄せていた。
滝の音が耳元に涼を与えてくれる。
アンジェリークは湖にぽちゃんと石を投げ入れた。
ルヴァ様はとてもいい人だと思うんだけど。ちらりとルヴァを見る。

話が続かないっていうか、共通点がないっていうか。気まずいのよね。
こんなときランディ様なら楽しい話ができるんだけどな~。
パーになってしまった今日の約束を思い出して、少ししょんぼりした。

「あの、ルヴァ様。」
「なんですか~。」
のんびりするルヴァのペースに少し戸惑いながらもアンジェリークは尋ねた。
「ルヴァ様は、ロザリアのこと、どう思ってるんですか?」 
唐突な質問にルヴァはしばらくせき込んで、涙目になった。
「え、あ、あの、それは、どのような・・・?」 
明らかな挙動不審のルヴァにアンジェリークは心の中でため息をついた。
「ですから、ロザリアみたいな女の子は好みのタイプですかってことです!」
それを聞いて真っ赤になったルヴァはますます動揺している。

まったく、どうしてロザリアはルヴァ様のどこがいいのかしら? と、かなり失礼なことを思ってしまった。
「あ~、ロザリアみたいな女性は、全く私には近寄りがたいような、いえね、住む世界が違うというか、いえ、なんといいますか。」
しどろもどろで要領を得ない。
アンジェリークは悪いことを聞いてしまった、と反省した。
「あの、もういいです。」 
アンジェリークの声は耳に入っているのだろうか。
ルヴァは何やら考えているようだ。

「あ、オリヴィエ様!」
木の向こうにオリヴィエの姿が見えて、アンジェリークは勢い良く手を振った。
ルヴァはまだ何やらぶつぶつ言っているし、オリヴィエなら話上手だから退屈しない。
その隣にロザリアもいた。
「ロザリア~。」 
ぶんぶんと手を振っても、二人がこちらに来る気配はなかった。

ロザリアとオリヴィエも満員のカフェをあきらめて、テイクアウトで済ませようとランチを買って湖に来た。
二人並んでゆっくりと歩く。
見かけよりずっと気配りな人であるオリヴィエはロザリアの歩調に合わせてくれる。
木々のこすれる音が木漏れ日と合わせて気持ちいい。
その耳に 「ロザリアみたいな女性は、全く私には近寄りがたいような・・・。」 と、ルヴァの声が聞こえてきた。

足が止まる。
予想していたけれど、はっきり聞かされるとやっぱりつらかった。
ロザリアはオリヴィエに顔を向けると、にっこりとほほえんだ。
「オリヴィエ様、 今日は湖より花畑のほうがよろしいのではなくて?」 
聞こえなかったことにしようと思った。
「そうだね。」 
オリヴィエもうなづいた。
ロザリアの声が少し震えているような気がした。
ロザリアは好みではない、とルヴァがはっきり言っているように聞こえた。
好みじゃないと好きじゃないは微妙に違うと思うけど。
その言葉を飲み込む。
アンジェリークが手を振っているのが見えたが振り返すのはやめた。


「ロザリア~。」という呼び声ももうロザリアの耳には入っていない。
二人が去っていくのを見て、アンジェリークはぶーと口をとがらせた。
「ルヴァ様、今、ロザリアとオリヴィエ様がいましたよ!」
ルヴァに声をかけると、我に返ったように顔を上げた。
「そ、そうですか。それじゃ、私たちも行きましょうかね。」 
よくわからない言葉とともに、ルヴァはすたすたと歩き始めた。
いずれにしてもそろそろカフェもすいてくる時間だろう。
アンジェリークは意外に早い足取りのルヴァを追いかけた。


「ロザリア。どうしたの?」 
わかってて聞く私も結構ひどいヤツかもね。
オリヴィエはそんなことを思った。
サンドイッチを片手にぼんやりしているロザリアはオリヴィエの声にはっとした様子だった。
思いきって、と言う声音で尋ねてくる。

「女王候補であるわたくしがこんなことを、と思われるかもしれませんが。」
「あの、オリヴィエ様は誰かを好きになったことがありますの?」
「ん~、あるよ。もちろん。」 
オリヴィエは両手をついて、空を見た。
遠い思い出はいくらでもある。そして今も。
「では、教えていただきたいんですの。好きな人に幸せになってほしいと思うことで、自分がつらい時はどうしたらいいんでしょうか?」
ロザリアの瞳は真摯な光に満ちている。
青い瞳は今までのどの時よりも苦悩と純粋さでオリヴィエを惹きつけた。

「そうだねぇ。我慢するのもいいけど、あんたはなんでも我慢しすぎちゃうから、もっと自分の気持ちを出したほうがいいよ。もし好きだと思うならあたってみたら?」
よいしょっと足を投げ出して座り直す。
「私がついてるからさ。思い切りやってごらん。」 
そう、あんたが幸せならそれでも構わない。
ロザリアは少し考えていたが、すぐにオリヴィエを見つめて言った。
まっすぐな瞳は彼女をいつでもきれいに見せる。

「わたくし、女王になるためだけに過ごしてきましたわ。こういったことは初めてで、よくわかりませんの。」
少し逡巡したように続けた。
「でも、あの方には幸せになってほしいと思いますわ。」 
アンジェリークが好きならば、その思いをかなえてあげたい。
オリヴィエに話して少し気が楽になった。
自分の考えは間違っていないと改めてわかったような気がした。



コンコンとノックの音がして、ひときわ華やかな姿が現れた。
ふわりと動くたびにする香りでルヴァは来訪者がだれか見なくてもわかった。
「おや、オリヴィエ。何か御用ですか~?」
アンジェリークと昼食を済ませた後、ルヴァは相変わらずの本の虫に逆戻りしていた。
本の匂いは気持ちを落ち着かせてくれる。
アンジェリークによって起きた心のさざ波が次第にないでいく様に思えた。

「ねぇ、ルヴァ。あんたは恋とかしてる?」 
オリヴィエの質問にまたせき込んだ。
今日は一体どういう厄日なんでしょうね~、とまた涙目になりながら思う。
「いやですね~、なぜみんなそんなことばかり聞くんですか?今は大切な女王試験中なんですよ? 恋なんて・・・・するわけないじゃないですか。」
口から出る言葉と一緒に胸がもやもやしてくる。
お昼の鴨南蛮が少し脂っぽかっただろうかと考えた。

「あの子たちにとっては人生一番の分かれ道なんだよ。もし、女王になるより素敵な未来があれば、それを叶えてあげたいじゃないか。」
いつになく熱く語るオリヴィエにルヴァは首をかしげた。
「え~、あなたは誰のことを言っているんですか? 二人とも女王を目指しているんですよ?」 
特にロザリアは。
オリヴィエはイライラしたようにショールをふりまわした。
「私はね、ロザリアをもっと幸せにしてあげたいんだ。あんなに我慢しないで、もっと自由な笑顔を見たいんだ。女王候補としてじゃなく、彼女自身のね。」
ルヴァは胸がギュッと差し込まれるように痛むような気がした。
今までにない、その痛みに戸惑う。

「ここまで言ったんだ。協力してくれるよね?」
真剣なオリヴィエの口調にルヴァはつい頷いてしまう。
ソファにどっかりと座ったオリヴィエは安心したように出されたお茶を飲んだ。

「あんたは本当にロザリアのこと何とも思ってないの?」
ルヴァが彼女を想っていないなら、私が幸せにしてあげたい。
オリヴィエの気持ちがルヴァにも伝わってきた。
ルヴァはおかしなドキドキでのどがからからになる。
「ええ、素晴らしい女性だ思いますよ。あなたならお似合いでしょうね。」
綺麗な二人なら本当に絵のようにお似合いだろう。

オリヴィエが出て行ったあともルヴァはぼんやりとお茶を飲んでいた。
アンジェリークの残したノートがパラパラと風でめくれて音を立てるのにも気づかなかった。



バイオリンの音が流れてくる。
きっと隣の部屋から聞こえてきているのだろう。
ロザリアの腕前はかなりのもので、技術だけなら以前からプロにも負けないくらいのレベルだった。
それが飛空都市での生活が長くなるにつれて、人間らしい音色に変わってきたように思う。
最初は硬いつぼみのようだったロザリアがだんだんと花開いて行くのをルヴァだけでなく周りみんなが驚きとともに見守っていた。

この頃ロザリアのそばにはいつもオリヴィエがいる・・・。
ルヴァはいつものように本に囲まれていた。
いまでもアンジェリークのための勉強会は時々開かれていたし、あいかわらずロザリアも勉強のために訪れてくれている。
それでも、何かが違う。
確かにロザリアがみんなに認められてきて嬉しいはずなのに、自分だけのものだった彼女が遠くへ行ってしまったような気がする。
ルヴァは心の中に新しいもやもやが出てくるのを感じた。

バイオリンの演奏が終わり、また静寂が戻ってくる。
本を読むには良い環境のはずなのに、落ち着かないのはなぜだろう?
オリヴィエの部屋のドアが開く音がして、二つの足音が消えていく。
ルヴァはそわそわとお茶を用意した。口に含んだ玉露が熱すぎてせき込んでしまう。
せっかくの玉露がダメになってしまったことでまた落ち込んだ。


ロザリアは片手にバイオリンケースを下げて、湖までを歩いた。
一人でゆっくりと練習してみたい。
先ほどオリヴィエに聞かせた曲は小さいころから何度も練習してきた。
それでも何かが足りないと最近になって思うようになった。
きっと、自分の心が変わったせいだろう、とロザリアは思う。
誰かに想いを伝えるために演奏することはここに来るまでなかったから。
誰もいないことを確認して、バイオリンを構えると、曲を奏でていった。

湖に釣り糸を垂らしていたルヴァは静かに流れ始めたバイオリンの音に気づいて顔を上げた。
思うようにいかないときはここでのんびり釣りをすることにしていた。
魚ではなくて心と話をするための釣りだった。
湖に垂らした釣り糸が波紋を起こして広がる。ちらちら動くウキが湖面で大きく揺れた。
バイオリンの音は溢れるような感情に満ちていた。
音楽に疎いルヴァでもその曲が愛について語っていることが分かる。
ロザリアはバイオリンを通じて誰かへの恋を語っているのだ。
ルヴァはいたたまれない思いで釣り道具を片付けはじめた。
ついガタガタと音を立ててしまい、バイオリンの音が途切れる。 
木の陰からロザリアが顔をのぞかせた。

まさかルヴァ様がいたなんて、と、ロザリアは驚きのあまり言葉が出なかった。
ルヴァのことを想いながら弾いていた今の曲を、聞かれてしまったのではないだろうか?
ロザリアの顔に狼狽が走る。
ロザリアの表情の変化にルヴァも気づいた。

「あ~、素晴らしい演奏のお邪魔をしてはいけないと思いましてね。帰り支度をしていたんですが、返ってお邪魔をしてしまったようですね~。すみません。」
口からすらすら出てくるセリフはちっとも心がこもっていない。
「今の演奏をお聞きになりまして?」 
ロザリアはどうしても聞きたくなってしまった。頷くルヴァにさらに尋ねた。
「どのようにお感じになりまして?」 
精一杯の気持ちを込めた演奏をもし聞いていてくれたのなら、何か伝わっているのではないかと思った。

「え~、そうですね~。恋の曲ですよね?まるで貴女自身が誰かに恋をしているように思いましたよ。もしかして、オリヴィエと何かあったのですか~?」
ルヴァはいそいそと片付けをしながら答えた。手を動かしていないと落ち着かない。

「オリヴィエ様と・・・。」 
ロザリアは下を向いてつぶやいた。こぼれそうになる涙をこらえることに集中する。
「こちらこそ釣りのお邪魔をしてしまって申し訳ありません。わたくしが帰りますわ。ごきげんよう、ルヴァ様。」 
淑女の礼をすると、そのまま走り去る。泣いているところを見られたくなかった。
自分の愚かさを嘆く。答えは分かっていたはずなのに、なぜ聞いてしまったんだろう?

部屋に戻ったロザリアは枕を抱えて座り込んだ。
今度こそバイオリンとともにこの想いは眠らせてしまおう。
ロザリアはそっとバイオリンケースに鍵をかけた。
試験が終わるまではもう演奏はしない。そう決めたのだった。


Page Top