それはきっと

1.

8月某日。
主星での季節は真夏まっただ中。
ただ息をしているだけで、肺の中まで熱くなってくるほどの熱気が襲ってくる。
ゆらゆらとアスファルトから立ち上る陽炎に、ジュリアスは思わず目を細めた。
なぜ、私はこんなところにいるのだろうか。
耳には、賑やかな音楽や楽しそうな子供達の笑い声が聞こえてきて、普通なら、イヤでも気持ちが沸き立つのかもしれない。
けれど、ジュリアスにとって、ここは未知の世界。
今までの人生、全くもって縁遠かった場所。
近づきたいと思ったこともなかった。

「あ、二人が行っちゃう。 ジュリアス、早く!」
声を潜めてはいるが、はっきりとした命令口調で、ジュリアスのシャツの裾を引っ張るのは、女王陛下アンジェリークだ。
ジュリアスは逆らえるはずもなく、アンジェリークに引っ張られるまま、足を動かした。

「あそこにいるわ。」
アンジェリークの視線の先をたどれば、そこには、補佐官ロザリアと夢の守護聖オリヴィエの姿がある。
二人とも、今日はいつもの仰々しい聖地スタイルではなく、主星に合わせたラフなスタイルだ。
とにかくオリヴィエがノーメイクなのは珍しいし、ファッションもいたって普通のシャツとパンツ。
ただ、襟元のスカーフや、スタッズのついたベルトなど、良く見ればオシャレなのだが、そこまでジュリアスにはわからない。
ちょっと派手な男性、と言ったところか。

ロザリアは長い髪を緩くまとめ、白いワンピース一枚の涼やかなスタイル。
素足にサンダルで、バッグも籠のようなカジュアルなものだ。
二人とも、本当に当たり前の服装で、主星の人々の中に溶け込んでいる…はずなのだが。
実際はとにかく目立っていた。
長身の美男美女カップルは、周りの人とは違うキラキラとしたオーラのようなものすら感じさせて、通り過ぎる人々がわざわざ振り返るほどだ。
圧倒的に男性。時には女性。
その後の感嘆のため息は男女共通だった。

「ある意味、尾行しやすいわね。 なにもしてなくて目立ってるもの。」
アンジェリークの言葉に、ジュリアスもうなずいた。
これなら、彼らを見失うことはないだろう。

「ところで、陛下。」
「なにかしら?」
木陰に隠れて視線はずっと前を歩く二人に釘付けのまま、アンジェリークはジュリアスに声だけで返事をする。
「なぜ、こんなことを?」
なぜ、こそこそあの二人の後をつけなければならないのか。
すると、アンジェリークは、ちらりとジュリアスを見て、すぐにまた二人に視線を戻した。
仲よさげに、肩を並べて、笑い合うロザリアとオリヴィエ。
手こそ繋いでいないが、ジュリアスでもわかるほど、甘い親密な空気が漂っている。

「あんなにくっついて…。 心配でしょ? ロザリアにとっては初デートなのよ。
 それにもしかして、オリヴィエが変なことをしないとも限らないし。」
「変なこと?」
「そうよ! 身体に触るとか、どこかに連れ込んだりするとか。
 大事なロザリアになにかあったらどうするの?!」
アンジェリークは遠くのオリヴィエをじっとにらみ付けている。

そんなことはないのではないか。
ジュリアスはすぐにそう思ったが、言い返すことはしなかった。
執務上でのオリヴィエは見た目以上に有能な男で、信頼もしている。
けれど、私生活、まして恋愛事情に関しては、ジュリアスには全くわからないからだ。
それにオスカーほどとは言わずとも、オリヴィエもそれなりに遊んでいたのは知っているから、アンジェリークの心配もわからなくはない。

「それと、陛下呼びはナシにしてね。 アンジェリーク、よ。
 誰かに聞かれたら変に思われちゃうから。」
「はい。 …アンジェリーク。」
それに関しては異論がなかった。
ジュリアスとしても、女王陛下がこんなところで遊んでいる事がバレるのは避けたい。
万が一、気づかれたら…騒ぎになるのは必定だ。
あくまでお忍びの、カップルのふり。
…それにしても、『アンジェリーク』とは。
それほど昔ではないのに、遠い昔のような気のする女王試験のことを思い出して、ジュリアスの胸がざわりと騒いだ。

「ジュリアス、急いで。」
歩き出したオリヴィエとロザリアの後を、実に微妙な距離感でついて行くアンジェリーク。
視界に入らないように、上手く物陰に入る様などは、なかなか尾行が堂に入っていて、女王になる前にも、実はこんなことをしていたのはないかとすら思える。
今日はアンジェリークもいつもの女王のドレスとはほど遠い、ごく普通のカットソーにスカートだ。
帽子と眼鏡が若干怪しげだが、三つ編みにした金の髪によく似合っていて、どこにでもいる女の子にしか見えない。
ジュリアスも『なるべく目立たない服装を』と事前に知らされていたから、今日はごく普通のワイシャツにグレーのズボンだ。
ただ、髪は目立ちすぎるという理由で無理矢理まとめられ、アンジェリークと同じような帽子を乗せられた。
眼鏡までご丁寧に準備されていては、とても断り切れない。
結果、妙な身長差と年齢差のあるカップルができあがっていた。


休日の遊園地はそこそこに人が多く、紛れるという点ではありがたい。
オリヴィエとロザリアは、途中にあるスイーツやお土産のワゴンを冷やかしながら、アトラクションの多くあるゾーンに向かっていく。
最初に二人が選んだのは、かなり大きなジェットコースターだ。
少しためらう様子だったロザリアをオリヴィエがなだめながら、列に並んでいる。
ジュリアスとアンジェリークも少し後ろで列に並んだ。

「我々は乗らずに下で待っていた方がいいのでは?」
乗り場までの階段で、小声でアンジェリークに尋ねると、彼女はちっちっと人差し指を目の前で揺らして
「ダメよ。 下にいる人って上から見るとすごく目立つの。 オリヴィエはすごくめざといから、絶対に気づいちゃうわ。
 こうして並んでいる人に紛れるのが、一番安全なのよ。」
訳知り顔で答える。
そんなものなのか、とジュリアスが周りを眺めると、たしかに、下にいる人の姿がはっきりと見えた。
皆楽しそうに歩いているから、じっと座ったままや立ったままでいたら、本当に目立ってしまうかもしれない。
前の二人がコースターに乗り、すぐにジュリアスとアンジェリークの番になった。

「うわー、久しぶり! わくわくするわね!」
本当に嬉しそうにアンジェリークが乗り込み、続いてジュリアスも隣に座る。
硬いプラスチックの椅子はなんだかお尻の据わりが悪く、そわそわと身体が動いてしまう。
上から太い安全バーが降りてきたところで
「ジュリアスは乗ったことあるの?」
アンジェリークが満面の笑みでジュリアスに尋ねてきた。
カタカタと動き出したコースターは最初の山場をゆっくりと上っている。
妙な心臓の鼓動が口から飛び出しそうなほど大きく聞こえてきた。

「いや。」
「え?」
「一度もない。」
そこから先、ジュリアスは声を失った。
ぶんぶんと揺さぶられる三半規管と体中にかかる重力に、吐き気がしてきて、ぐっと堪えていると、じわりと脇下に汗がにじんでくる。
いったいなぜ。
こんな馬鹿げた物に、たくさんの人が群がるのだろう。
得体の知れない恐怖がジュリアスの額に汗になってにじんでくる。
しかし、それ以上に、恐ろしいのが、アンジェリークの叫び声だ。

「きゃー!こわーい!たのしいー!」
諸手を挙げての大はしゃぎに、だんだん、ジュリアスは怖さよりも、おかしさがこみ上げてきてしまった。
怖いと楽しいは本来共存しないはず。
けれど、アンジェリークがこんなに楽しそうなのだから。
きっと、これはとても楽しいものなのだろう。
不思議とそう思えたら、初めの気持ち悪さはなくなって、風の涼やかさを感じられるようになっていた。

その後も、立て続けに3つ。
急加速コースター、立ち乗りコースター、足のつかないコースターと、絶叫系ばかりをまわった。
意外にも初めのコースターで渋っていたロザリアの方がノリノリで、オリヴィエが引き気味なのが面白い。
「わたくし、こういう乗り物、初めてでしたの。
 とてもすっきりしますのね。」
スキップするような足取りで、先に立って歩くロザリア。
途中、ワゴンでアイスクリームを買い、交換しながら食べ合っている。

ジュリアスとアンジェリークも、一つ手前のワゴンでソフトクリームを買い、それぞれに食べることにした。
ぼーっと立っていては怪しまれてしまうからだが、アスファルトから熱気が立ち上るほどの暑さに、ひんやりしたソフトクリームは最高の組み合わせだ。
「バニラとチョコでいつも迷っちゃうのよね。」
結局選びきれなくてミックスにしたアンジェリークが、クリームを一なめして、目を細めた。
「冷たい! でも、美味しい!」
アンジェリークはにこにこ顔でソフトクリームにかじりついている。
ジュリアスも見よう見まねで、クリームを口に含んだ。

「…美味いものだな。」
ひんやり甘く、のどを通るクリームは予想以上に身体全体を冷やしてくれるようだ。
「ね? 美味しいでしょ? あ、もしかして、ソフトクリームも初めて?」
ジュリアスが黙って頷くと、アンジェリークは目を丸くして、大げさなため息をついている。
「そっか~。 じゃあ、チョコも食べてみたいでしょ?
 はい、こっち側、食べてみていいわよ。」

アンジェリークは自分の分のソフトクリームをジュリアスの口の前に差し出した。
ジュリアスが選んだのは、シンプルなバニラだ。
迷っていた様子はなかったけれど、食べたことがないなら、チョコにも興味があるに違いない。
一口どうぞ、くらいの軽い気持ちだったのだが。
ソフトクリームを前にしたジュリアスは、難しい顔をして固まっている。
おそらくこんな食べ方をしたことがないのだろう。

「そっち側はまだ食べてないわ。 早く。 溶けちゃう。」
アンジェリークがそわそわと身体を動かすと、ようやくジュリアスは顔を近づけソフトクリームをなめた。
ほんの少し、なめる程度。
そして、一言。
「チョコも良いな。」
それだけで、すぐにまた自分のソフトクリームを食べ始めた。
溶けたクリームがコーンからジュリアスの手に伝わってきて、慌てたのだ。

「むむ。 これは本当に急がねばならぬのだな。」
手についたクリームのことは後回しにして、ジュリアスはコーンの上のクリームを食べることに専念した。
すぐそばで同じように食べている子供が、コーンの下からぽたぽたとクリームを垂らしている姿を見たからだ。
あんなことになったら、いい年をしてみっともない。
懸命にクリームを食べているジュリアスの隣で、今度はアンジェリークが固まっていた。
クリームに、うっすらと残る、ジュリアスの跡。
ここをジュリアスの舌が掠めたのだと、はっきりと証拠が残っている。
アンジェリークは頬が熱くなってくるのを意識しながら、その部分にかじりついた。
同じクリームのはずなのに、なぜかその一口は、特別に甘く。
いつまでも口の中に残っているような気がした。


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