それはきっと

2.

再び歩き出したオリヴィエとロザリアは、今度はある大きな建物の前で足を止めた。
『最恐迷宮-戦慄の廃屋』
大きな看板におどろおどろしい文字が並び、不気味なペイントや装飾が建物中を彩っている。
ひらひらと舞い、血糊のように垂れ下がる赤い布。
建物の周囲を取り囲む、本物の竹。
竹がさわさわと葉をならしている様は、どことなく不気味で、まるで全く別の場所にタイムスリップでもしてしまったかのようだ。
相変わらず、空は抜けるように青く、アスファルトからは陽炎が揺らめいているというのに、この周りだけは他の場所よりも少し静かなような気さえする。

「15歳未満立ち入り禁止、だって。」
アンジェリークが看板を見ながら、うんうんと頷いた。
「だから、子供がいないのね。 きゃー、怖そう。」
なるほど、この静けさは、子供がいないせいなのか、とジュリアスも納得した。
建物に入るのに、多少の列ができているが、そこにいるのはカップルか、若者のグループばかりで、家族連れの姿がない。
それだけでやけに蝉の鳴き声ばかりが耳に入るようになるから不思議だ。

列にいるロザリアの顔は少し青ざめていて、その背中にオリヴィエがそっと手を添えている。
ロザリアのあんな表情は珍しいから、この中はよほど彼女の嫌うモノがあるのだろう。
二人の視界から外れるために、列の最後尾に滑り込むと、ジュリアスは改めて、辺りを見回した。
雰囲気を出すためなのか、天井からひんやりとした冷気が流れてきて、どきりとする。
わずかに漏れ聞こえてくる、叫び声。
バタバタと走り回る靴音。
何かイヤな予感はするが、はっきりとカタチにならないまま、列は進んでいく。
しばらくして、青い顔のロザリアとなぜか嬉しそうなオリヴィエが建物の中に吸い込まれていった。
そして、ジュリアスもアンジェリークに導かれるまま、建物の中に足を踏み入れた。

「なんだ?」
後ろで鉄の扉が音を立てて閉まると、一瞬、何も見えなくなる。
真っ暗なところにいきなり放り込まれたのだ、とジュリアスが理解する前に、アンジェリークがシャツの裾を引いた。
「わ、暗いわね。 これじゃ、二人が見えないわ。」
ようやく少し目が慣れると、周囲の様子がわかってくる。
建物の周りを囲んでいたのと同じ竹が、今、立っている小道に沿うように並んでいて、奥へと行灯がぽつりぽつりと点っていた。
鬱蒼とした迷宮に誘い込まれるような視覚的な効果。
さわさわと葉擦れの音が響き、どこかからか水の流れる音の聴覚的な効果。
そこに時々、先を行く人々の叫び声も合わさって、なかなかの雰囲気だ。
けれど、良く見れば、竹の合間にはきちんと壁面も見えていて、案内の矢印もあり、建物の中だとわかる。

「なるほど、これがお化け屋敷というモノか。」
ついジュリアスの口から呆れたため息が出てしまう。
実のところ、幼い頃から聖殿で暮らしてきたジュリアスは、幽霊的なものに慣れていた。
歴史ある建物特有の不気味さを持つ聖殿は、子供心に恐ろしく、様々な伝説めいた話を聞かされれば、夜のトイレすらも怖かった。
けれど、年齢を重ねるにつれ、ジュリアスはそういったモノに興味を失い、恐ろしいとも思わなくなっていったのだ。
見たこともないものは信じない。
超現実主義のジュリアスらしい結論。
逆に今は、クラヴィスが霊的なモノを感じやすいこともあって、そういう物全般を忌み嫌っていると言っていい。
ジュリアスはぶら下がってきたスライム的ななにかを軽く手で追い払うと、いつも通りに歩き出した。
危機管理のためか、足下はわりと光があり、一本道に迷うこともない。

「ちょっと、ジュリアス。 ダメよ!」
いちゃいちゃのろのろしているカップルを何組か追い抜いたところで、アンジェリークがまたシャツの裾を引いた。
アンジェリークは入り口で裾をつかんだまま、ジュリアスについてきていたのだ。
もちろん怖がっている余裕などない。
さくさく進むジュリアスについて行くのが精一杯で、あたりの幽霊達に構っていられなかった。
アンジェリークは声を潜め、
「ロザリア達がいるわ。」
と、少し先を指さした。

小道の折れ曲がった先に、見るからに怪しげなお堂のようなモノがある。
障子の扉の前にはお供え物と鏡が置かれていて、いかにもそこから何かが飛び出してきそうだ。
いつもの凜とした補佐官の姿とは違い、ロザリアはおびえた様子で、オリヴィエの腕にしがみついている。
ぴったりと身体が密着していて、ロザリアの胸がオリヴィエの身体に当たっているだろう事は明白だ。
アンジェリークはぎりぎりと歯ぎしりして、二人の様子を見ている。

「オリヴィエったら、絶対にアレが目的よ! ロザリアの巨乳をあんな風に楽しむなんてずるいわ!」
…なんだか意味がわからない。
ジュリアスもアンジェリークに習って、二人の様子を墓石の影から覗いていた。
見ているこっちがドキドキするほど、ロザリアは怖がっている。
おどろおどろしい音楽が流れ、人工的な風があたりの竹の葉を揺らすと、ふと、あたりが暗くなった。
「あ」と思った瞬間、予想通り、障子の扉が開き、明らかに人間が仮装した幽霊が現われた。

「きゃー!!! いやー!!!」
驚いて、オリヴィエに抱きつくロザリア。
そんなロザリアをオリヴィエは優しく抱きしめている。
いかにも、なカップルすぎるけれど、二人はとても自然な様子だ。

「あ~、もう。」
ほっぺたを膨らませたアンジェリークはくるりと二人に背を向けて、墓石の裏でため息をついた。
怒っているのか、ふてくされているのか。
暗い中で、細かな表情は見えないが、寂しそうにも聞こえる。
「どうしたのだ?」
ジュリアスは背中を丸め、アンジェリークの耳元で尋ねた。
「ううん。 なんでもない。 ちょっとお似合いだから妬けちゃっただけ。」
何でも無いようにアンジェリークはぺろりと舌を出すと、墓石の影から、また二人の様子を覗きだした。
幽霊が引っ込んで、ロザリアはオリヴィエから飛び退ると、一生懸命謝っているようだ。
オリヴィエはそんなロザリアの肩を抱き、なにかを言い聞かせている。
どこにでもいる、普通の恋人同士のような二人。
不安そうなロザリアはオリヴィエにしがみつきながら、ようやく先へと歩き出していった。

二人が扉の向こうに消えたことを確かめて、ジュリアスとアンジェリークは墓石の裏から出ると、あのお堂の前に立った。
この後に起こることは学習済みだし、驚くこともないだろう。
けれど、もしもアンジェリークがあんな風にしがみついてきたら、いったい、自分はどうするだろう。
ふと、ジュリアスは考えて、首を振った。
アンジェリークはお化け屋敷を怖がる様子はないし、自分たちはあの二人のように特別な関係ではない。
あんなに・・・くっつかれてもいない。
だから。

「きゃー!」
飛び込んできたアンジェリークの叫び声に、ジュリアスはハッと意識を取り戻した。
目の前には、びっくりして固まっているアンジェリークの姿。
不気味な白いなにかがアンジェリークの肩に乗っている。
もしかしたら、肩をつかまれているのかもしれない。
「なにをする!」
ジュリアスはとっさに、アンジェリークの手を引くと、彼女の身体を自分の胸の中へと抱き込んだ。
ぽとり、と、彼女の肩から振り落とされた白い物が、下に落ちてうごめいている。

「うわ・・・気持ち悪い。」
アンジェリークが呟いたとおり、ぶよぶよした白い塊は小刻みに揺れていた。
柔らかいグミのような質感で、つつけば、ぶにっと形を変えてくる。
さすがによくできた小道具を使っているようだ。
ジュリアスはアンジェリークに触れた手が偽物だったことに安堵しながらも、深く後悔していた。
ぼんやりしていて、きちんと彼女を守れなかった。
オリヴィエは震えるロザリアを優しく抱きしめ、慰めていたのに。

「あのね、ジュリアス、もう大丈夫よ。」
そこで、ジュリアスは自分の体勢に気がついた。
…抱きしめている。 アンジェリークを。 しっかりと。
「すまぬ。」
ぱっと手を離し、慌ててアンジェリークから離れた。
二人の間に微妙な距離感ができても、とっさに言葉が出ない。

「ありがとう。ジュリアス。」
アンジェリークの真っ赤な顔が暗い中でもはっきりとわかったが、たぶん自分の顔も赤いだろうと感じていた。
首座の守護聖として常に冷静であれ、と戒めてきたはずが、この程度のハプニングで、感情が揺れてしまう。
アンジェリークといると、いつもこうだ。
赤くなったり、青くなったり。
感情がコントロールできなくなる。

「ジュリアス、行くわよ。」
アンジェリークはとっくに先を行き、扉の前で手招きをしている。
ジュリアスは足を速め、アンジェリークの後ろに並んだのだった。


それからも、テラスでランチを摂る二人をこっそり後ろから眺めつつ、ハンバーガーをかじったり。
細々したアトラクションをついて回り、数時間。
高かった太陽が傾き、鋭角の影が長く伸び始める。
時折、涼しい風が帽子のつばを揺らしては、まだまぶしい日差しに目を細めた。
「やっと涼しくなってきたわね。」
傍らのアンジェリークがジュリアスを見上げて、にっこりと笑う。
「…一日ってあっという間。」
少し眉を下げた、いつもと違う笑顔に、ジュリアスの胸がちくりと痛んだ。
なぜ?と、胸に手を当ててみても、その理由は今ひとつはっきりしない。
ただ、夕方の風がわずかに冷たく感じるだけだ。

「あちゃー、やっぱり最後はアレなのね。 オリヴィエったら…。
 ジュリアス、追いかけるわよ。」
急に駆けだしたアンジェリークの後を慌てて追いかけたジュリアスは、遊園地に来てからずっと目にしていた観覧車の下へたどり着いた。
観覧車はそれほど大きな物ではないが、高台に設置されているおかげで、てっぺんからの眺めは遠くの海まで見通せるらしい。
特に夕焼けと夜景が綺麗、と案内所でもらったリーフレットにも書かれていた。
階段の上の乗り場に、オリヴィエとロザリアの姿があり、ちょうど着いたゴンドラに乗り込むのが見える。
オリヴィエの手につかまり、スカートの裾を軽く持ち上げるロザリアの横顔は、どことなく緊張しているようだ。
頬が赤く見えるのは、夕日が反射しているだけには思えなかった。
がしゃんと、ドアが閉まると、ゆっくりとゴンドラが上がっていく。
アンジェリークは二つほどゴンドラを見送った後、ジュリアスを先に押し込み、自分も乗り込んだ。

ゴンドラの中は空調が効いているらしく、ひんやりと涼しい。
ジュリアスは、思わず肺の中の熱気をふうっと吐き出していた。
「全然見えないわね。」
上を向いて、いろんな角度から覗き見ようと動き回るアンジェリークのせいか、ゴンドラはゆらゆらと揺れている。
危なっかしくて、ぞっとする。
「そのようなことをしても、ここからは見えまい。 座ったらどうだ?」
ジュリアスの言葉に、アンジェリークはじっとりした目つきを返した後、
「…そうね。 それになにかあっても、どうせここからじゃ何もできないし。
 せっかくだから、景色を見ましょ。」
どさり、と反対側の椅子に腰を下ろした。
その勢いで、またゆらゆらとゴンドラが揺れる。
けれど、アンジェリークはそれを気にする様子もなく、透明部分にぺたりと手のひらをつけて、外を眺め始めた。

「わ…。」
声にならない、とは、まさにこの情景だろう。
ジュリアスもアンジェリークの肩越しに見える景色に見とれた。
彼方まで続く海のきらめき。
太陽から光の道がまっすぐに伸び、夕日のにじむ水平線は、オレンジとブルーが絶妙なグラデーションで混ざり合っている。
オレンジの反射する雲の欠片までが見事なバランスで存在する、まさに大自然の奇跡だ。
ゴンドラが上がると、また光の位置が変わり、まぶしい輝きが目を射る。
直視できずに目をそらすと、ちょうど、上の方のゴンドラが目に入った。

「アンジェリーク、ここから上が見えるぞ。」
「え!」
すぐにアンジェリークが飛びあがって、ジュリアスの隣に並ぶ。
「あ、ホントだわ。 
 もう~~、なんで隣に座ってるのよ。 ちょ、肩に手なんか置いちゃって!
 ああ、もう、くっつきすぎだわ!」
アンジェリークは大声でまくし立て、もっとよく見えるようにと、突然立ち上がった。
とたんに、がたんと、大きくゴンドラが傾いて、足下がふらつく。
「きゃ。」
転びかけたアンジェリークの身体はゴンドラの揺れにちょうど重なって、ジュリアスの腕の中にすっぽりと収まってしまった。
今日はこれで二度目。
お化け屋敷では気がつかなかった、アンジェリークの身体の柔らかさや、その香りがはっきりと感じられる。

まだアンジェリークが女王候補だった頃、乗馬で転んだ彼女を同じように抱き止めたことがあった。
彼女が全くの素人だと知っていて、一人にしたジュリアスにも責任はあったのだが、
『ジュリアス様! ごめんなさい!』
身体を180度に折り曲げて、平謝りするアンジェリークは、ジュリアスの知るどの女性とも違い、素直で明るくまぶしかった。
感情表現豊かで、元気いっぱいで。
アンジェリークが女王になった宇宙は、きっと鮮やかに生まれ変わるだろうと考えた。
あのときよりも、彼女の肩は少し細くなっているような気がする。
この細い身体で宇宙を支え、導いているのだ。 …唯一無二の女王として。
不意にそんなことを思い、ジュリアスは腕を放した。

「危ないぞ。」
「…ごめんなさい。」
アンジェリークはしゅんとして、向かい側の席に戻った。
彼女もさすがに反省しているのか、無言でおとなしく座っていて、密室の沈黙が痛い。
すでにゴンドラはてっぺんを過ぎ、アンジェリークの後ろには、反対側のゴンドラが見えるだけだ。
背中にぬるい太陽の光を感じて、ジュリアスは振り返った。
ほんのひとときにはずなのに、太陽は海に姿を隠し始めている。
濃いオレンジに染まった空と暗い影のような海。
それもまた美しく、聖地では決して見ることのできない景色だ。

「こちらのほうがよく見える。」
ジュリアスは身体をずらし、アンジェリークのためのスペースを空けた。
「え? いいの?」
「ああ。 構わぬ。 ただし、こちらに移るときはゆっくりと来るのだぞ。」
大きく頷いたアンジェリークが、そっとジュリアスの隣に移動してくる。
それほど広くないゴンドラで、二人が並べば、かなり近い距離になってしまい、一瞬、ぎこちない空気が流れた。

けれど、
「わあ、日が沈むところ、初めて見たかも。」
アンジェリークが身を乗り出すように外を向くと、金の髪がふわりと鼻先を掠める。
オレンジ色の光に照らされたアンジェリークは、とても女王とは思えないほど、のびのびと楽しそうだ。
「ああ、美しいな。」
暑くて、歩き回らされて、とんでもない日になったと思わなくもなかったけれど。
こんな日も悪くない、とジュリアスの顔に自然と笑みが浮かぶのだった。


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