それはきっと

3.

ゴンドラを降りると、すぐにアンジェリークはきょろきょろと二人の姿を探している。
二人のゴンドラは二つ先だったから、まだそこまで遠くには行っていないはずだ。
階段の先の通路を進み、少し脇に入ったところの照明の下にロザリアの姿を見つけ、アンジェリークとジュリアスは、木の陰に身を潜めた。
「あれ? オリヴィエはどこに行ったのかな。」
近くにオリヴィエの姿はなく、ロザリアは不安げな顔で、ぽつんと一人で立っている。
涼しくなった風に、あっという間に熱を奪われたのか、赤かった頬も冷めていて、きょろきょろと落ち着かない様子だ。
しばらくは誰も通りかからず、やたらと明るいBGMだけが聞こえていたが、脇に入ったところで人目につきにくいのが、逆に災いしたらしい。
薄闇に紛れ、道の向こうから、男が二人、ロザリアに近づいてきた。

「おねーさん、一人?」
やたらとなれなれしく声をかけてきたのは、見るからに染めた風の金髪の男だ。
「へえ、すごい綺麗じゃん。 待ちぼうけなら、俺たちがつきあうぜ。」
もう一人の長い黒髪を無造作に結わえた男は、にやにやしながら、ロザリアの逃げ道をふさぐように立ちはだかる。
「結構ですわ。 すぐ来ますから。」
ロザリアが顔を背けると、
「うわ、結構ですわ、だって。」
「おじょーさまみたい。」
二人の男はロザリアを取り囲み、いやらしい笑みを浮かべている。

「おじょーさまがこんなところに一人でいたら、危ないよ?」
「なあ?」
男の手が髪に触れ、ロザリアは大きく身体を震わせた。
「おやめになって!」
「ひゃあ~。マジでおじょうさま。
 触ってないよなあ? 俺の手が動いたら、たまたまそこにおねーさんの髪の毛があったんだよなあ?」
「そうそう。 きれーな髪の毛、いい匂いがするぜえ。」

男達は互いに目配せしながら、じりっとロザリアを囲む輪を狭めていく。
身体同志が触れそうになって、ロザリアはバッグを胸に抱えて、小さく縮こまった。
まさかこんなところで無茶なことはされないと思いたいが、二対一は分が悪い。
力ずくで連れて行かれる可能性もある。

「ちょっと、オリヴィエはどこなの?!」
木陰から見ていることしかできず、アンジェリークはいらいらとあたりを見回した。
ざわざわとした人の気配は無数に感じるのに、なぜかこの脇道には誰一人現われないのだ。
「いいとこに行こうぜ」
黒髪の男の手がロザリアの腰のあたりに伸びる。
金髪の男もそれを合図のように、ズボンの後ろポケットから、ハンカチのような物を取り出した。
口をふさいで浚うつもりらしいが、ロザリアはおびえていて、気がついていないようだ。
いくらバレてはいけないとしても、これ以上は放置できない。
見かねたジュリアスは足を踏み出した。

ところが、ジュリアスよりも早く、木陰からアンジェリークが矢のように飛び出していくと、金髪の男の手をつかみ、後ろに引き倒した。
「ロザリアになにするの!」
全く油断していた男は勢いよく、尻餅をつき、顔をしかめている。
突然の乱入者に、黒髪の男も一瞬唖然としたが、相手が女性一人だとわかると、あざ笑うように、ロザリアの腰をさらに強くつかんだ。
「アンジェリーク!」
逃げようとするロザリアに薄く笑い、
「おい。」
金髪に目配せし、アンジェリークを背後から羽交い締めにする。

「ちょうど二人ずつでいいんじゃねえ? まさか、一人を置いて逃げるとか、ねえよな。」
黒髪の男は、ニヤリとロザリアに顔を近づけた。
ふうっと吹きかけられた息に背筋がぞくりとして、ロザリアが思わず男をにらみつけると、
「へえ、気の強いおじょーさまもいいな。 でも、いい子にしてないと、あっちの子が痛いよ?」
すかさず金髪の男の腕がアンジェリークの首を締め上げる。
苦しげな息がアンジェリークの喉から漏れた。

「アンジェ…。」
なぜ、ここにアンジェリークがいるのか、は、とりあえず考えるのを止めた。
アンジェリークを無事に逃がせるならば、自分はどうなってもいい。
ロザリアは決意して、身体から力を抜き、抵抗を諦めた。
「最初っからおとなしくしときゃいーんだよ。」
黒髪の男が満足げにスカートの裾に手を忍ばせようとしたところで、うめき声とともに、男の身体は膝から崩れ落ちていく。


「ロザリア!」
すでに金髪の男は意識を失って倒れていて、解放されたアンジェリークがロザリアの首に飛びついた。
「大丈夫? けがしてない? もう~~、なんでこんなことになるのよ!!!」
ロザリアに優しく語りかけたかと思うと、一転、アンジェリークは般若の顔でロザリアの背後をにらみ付けている。
「ごめん。 すぐに戻るつもりだったんだよ。」
照明の影から申し訳なさそうに姿を現したのはオリヴィエだ。
彼が背後から忍び寄り、手刀の一撃を浴びせて、黒髪の男を倒していたのだ。

少し前、脇道に入り、ロザリアの異常に気がついたオリヴィエは、かっと頭に血が上った。
嫌がるロザリアに無理矢理顔を近づける男。
正直、ロザリアの前のアンジェリークは目に入っておらず、黒髪の男を倒すことだけしか頭になかった。
いつも忍ばせている護身用のナイフに手を伸ばし、男の首筋を狙った、そのとき。
オリヴィエは、強い視線を感じて、最後の一歩を踏みとどまった。
アンジェリークの背後の木陰にいる、ジュリアスの姿。
ジュリアスは二人の様子をうかがい、確実に助け出せる方法を頭で巡らせているのだろう。
冷静な紺碧の瞳に、オリヴィエの頭もすっと冷えた。
こうなれば、守護聖として長年をともにしてきた、二人の呼吸はぴったりだ。
お互いにタイミングを見計らい、男達を一斉に倒していた。

「すぐ?! 全然すぐじゃなかったわよ!
 ロザリアがどんなに怖い思いをしたか…。 いったい、なにしてたの!」
オリヴィエに詰め寄るアンジェリークを、まだ恐怖で青白い顔をしているロザリアがそっと押しとどめた。
「オリヴィエは悪くありませんの。
 わたくしが観覧車にイヤリングを落としてしまって…。」
ロザリアの指先に促されて、アンジェリークはロザリアの耳を確かめた。
たしかに右耳には、ロザリアらしい青い花のイヤリングがついているのに、左耳にはない。

「で、私が観覧車に見に行ったんだけど、乗ったゴンドラが降りてくるまで待たされちゃってさ。
 見つかったから良かったけどね。」
いいながら開いたオリヴィエの手の中には、イヤリングの片方がある。
ロザリアは
「ありがとうございます。」
と、イヤリングを受け取ると、耳にはめた。
「だから、わたくしのせいですわ。」
「いや、私のせいだよ。 もっと明るい通りで待っててもらうべきだった。 ごめん。」
オリヴィエが目を伏せると、ロザリアもうつむいて、二人とも沈黙してしまう。
遊園地のメインテーマが流れ続けるBGMだけが、夕方の風に乗って、やけに賑やかに聞こえてくる。

気まずい空気になったところで、
「無事であったのだ。 もうよいではないか。」
ジュリアスがアンジェリークの前に立ち、彼女の顎を持ち上げると、首と胸のあたりをじろじろと観察し始めた。
女性に対してはかなり無遠慮な視線ではあったが、ジュリアスの瞳は真剣で、ふざけているようには見えない。
そのせいで、誰一人突っ込むことができなかった。
そして、
「けがはないようだな。」
アンジェリークの首にも肩にも、けがをしている様子はなく、ジュリアスはホッと息をついた。
あっという間に飛び出して行ってしまい、止める暇もなかったが、女王陛下になにかあれば、宇宙全体の存亡に関わる大事だ。
ジュリアスは転がる男達を一瞥すると、アンジェリークに問いかけた。

「女王陛下に対してあのような振る舞い、こ奴らをどう処理いたしましょう。
 終身刑が妥当かと思われますが。」
「え、そこまでしなくていいわよ!」
ジュリアスの物騒な台詞にアンジェリークは、首をぶるぶると振った。
けれど、たしかにこのままなにもなかったこと、にはしたくない。

「そうね、上半身を剥いて、大通りに転がしておきましょ。」
「わかりました。」
ジュリアスは即座に足で金髪の男を転がすと、Tシャツを脱がし、それで後ろ手に縛り上げた。
唖然としているオリヴィエとロザリアの隣で、黒髪の男にも同様の処置をする。
そして、一人を担ぎ上げると、
「オリヴィエ、そなたも手伝うが良い。」
と、黒髪を運ぶように指示をした。
一瞬、眉を顰めたオリヴィエも、逆らう理由がないと思ったのか、ひょいと男を担ぎ上げると、ジュリアスと並んで大通りへと転がした。

「わ!」
突然現われた半裸の男達に通りを行く人々が驚いている。
気がついたとき、男達がどんな反応をするかは楽しみだけれど、まだしばらくは目が覚めることもないだろう。


ジュリアスとオリヴィエが元のところへ戻ると、今度はロザリアがアンジェリークに詰め寄っていた。
「なぜ、あなたたちがここにいるんですの?
 まさか、わたくしたちをつけてきたの?」
さっきまで青ざめていた顔が、今度は怒りのせいか、赤くなっている。

まあ、バレればこうなるだろう、とジュリアスも予想していた。
友人のデートを覗くとは、あまりいい趣味とは言えないから、仕方がない。
アンジェリークは神妙な顔で、ロザリアの怒りを受け止めている。
言い返せないのか、言い返さないのか。

「わたくしはアンジェが親友だから、今日のお出かけの事を話しましたのよ。
 それなのに、こんな…。
 わたくしはともかく、オリヴィエに申し訳ありませんわ。
 せっかく誘ってくださったのに…」
どうやらロザリアの感情は、アンジェリークが覗いていた事への非難よりもオリヴィエへの申し訳なさが勝っているようだ。
そのせいで、いつも以上にアンジェリークを責めてしまってるのだろう。
「だいたい、あんたって子は…」

「ちょっと、ストップ。」
見かねたのか、オリヴィエがロザリアの肩を押さえるように、中に入り、距離を空けた。
「そこまでにしよう。 あんたも言い過ぎだよ。」
顔をしかめたオリヴィエに、ロザリアはぐっと拳を握りしめている。
たしなめられたことで、少し反省する部分もあったのかもしれない。
ロザリアの赤かった頬が何度か呼吸を繰り返すことで、次第にもとの白さに戻っていった。

「だいたい、私は最初からアンジェリーク達がついてくることを知ってたし。」
「え?」
「ちょっと、オリヴィエ、言わないでよ。」
ロザリアとアンジェリークの声が重なり、一瞬、聞き逃しそうになったが、今のオリヴィエの発言は問題だ。
ジュリアスは彼らに近づいた。

「アンジェリーク達が私達をつけてくるの、知ってた…っていうか、今日のデート自体、私とアンジェリークの計画だったんだよ。」
「ダメよ。言わない約束でしょ!」
爆弾発言のオリヴィエの口をふさぐように、アンジェリークがまとわりついていく。
けれど、オリヴィエはアンジェリークの攻撃をするりと避け、
「もう言った方がいいって。
 このままじゃ、あんたとロザリアの仲がおかしくなっちゃうよ。」
きっぱりと言い切った。

そして、ロザリアに向き直ると、
「今日がなんの日か、知ってる?」
「今日?」
唐突なオリヴィエの質問に、ロザリアは顎に手をあてて、考えた。

毎年、この時期は夏休みとしてたっぷり一週間程度は通常の執務が休みになる。
アンジェリークが女王になったときから始まった、ごく普通の夏休み。
祝祭日でもなければ、何かの記念日でも…

「あ。」
ようやく思い当たったロザリアがジュリアスをじっと見る。
見られたジュリアスは、意味がわからず、いつもの無表情だ。
けれど。
「ホラね。 やっぱり忘れてるじゃないか。」
「忘れてるわね。」
「忘れてますわね。」
三人三様で深いため息をはかれ、ジュリアスは渋い顔だ。
「…まだわかってないみたいだねえ。」
オリヴィエが綺麗に整えられた爪で、とん、とジュリアスの胸を小突く。

「あのね、今日、あんたの誕生日。
 だから、あんたを今日、ここに誘い出すために、私とアンジェリークが協力したってワケ。」

なるほど、と思ったが口には出さなかった。
今日が誕生日だなんて、本当に今の今まで忘れていたのだ。
ますます渋い顔になるジュリアスに、オリヴィエは饒舌に語り始めた。

「普通にこんなとこに誘ったって、ジュリアスは来ないでしょ?
 ま、女王命令って言えば来るだろうけど、それじゃ楽しくないしね。
 女王命令を匂わせつつ、プライベート感も出すために、私がまずロザリアを誘って、それをアンジェリークが見張るって、いうストーリーにしたんだよ。
 そうすれば、ジュリアスも帰りにくいし、遊園地を回る理由にもなるでしょ。
 全部、ジュリアスの誕生日を楽しませるために、アンジェリークが考えたんだ。
 だから、ロザリアも許してあげて。」

「そう、でしたの…。」
ぽかんとしていたロザリアはぎこちない笑みを浮かべたかと思うと、アンジェリークの両手をぎゅっと握りしめた。
「アンジェリークったら。 それならわたくしにも教えてくださったら良かったんですのに。」
「あ~、あんたは嘘が苦手だろう? だから、黙っておいたんだ。
 純粋に遊園地で遊んでもらった方がジュリアスもだましやすいし。」

アンジェリークは肩を落として頷いた。
全部ジュリアスにもバレてしまった。
このまま、上手くいけば、最後の花火まで、ゆっくりと過ごす予定だったのに。
だまされていたと知って、ジュリアスは怒っているに違いない。
おそるおそる、アンジェリークがジュリアスを見ると。
予想に反して、ジュリアスは楽しげに口角を上げ、わずかに微笑んでいた。

「誕生日とは、すっかり忘れていた。」
ジュリアスは自分自身がすっかり忘れていた誕生日を、アンジェリークが覚えていてくれたことが単純に嬉しかった。
祝おうとしてくれたことも、特別な何かをしようとしてくれたことも、全部が嬉しかった。
そして、そんな気持ちがまだ自分に残っていたということに驚きも感じる。
首座の守護聖として、いろんななにかはとっくに捨てたと思っていたのに。

「ジュリアス、怒ってない、の?」
アンジェリークが声をかけると、ジュリアスはわざと難しい顔をして見せた。
ここで甘い顔をすれば、この次はもっととんでもないことをしでかさないとも限らない。
けれど、
「怒るなど…。 むしろ、私にそなた達がつきあってくれたようなものだ。
 すまない。」
頭を下げかけたジュリアスをオリヴィエが右手を挙げて制する。

「こういうときは、謝るんじゃなくて、感謝したらいいんだよ。
 アンジェリークに、ありがとう、ってさ。」
「なるほどな。」
今度こそ、ジュリアスははっきりと微笑んだ。
夕日の残光が、ジュリアスの金の髪にキラキラと輝き、まぶしいオーラに変える。
そこにいるだけで圧倒的な存在感で、惹かれてしまうのに。
神々しいほどの微笑みを直視して、アンジェリークの頬は勝手に熱くなってしまうのだった。

「それじゃ、ここからは別行動って事で。
 このあとの花火くらいは、二人で見たいでしょ?」
オリヴィエはロザリアの肩を抱き、強引にその場から連れ出した。
残ったのは、微妙に気まずい空気と、アンジェリークとジュリアスの二人。
ほんの少し前までは、まだ明るかった空も、日が落ちると、とたんに薄暗くなってくる。
薄青の空に、ぽつりと浮かぶ白い星。
外灯の明かりだけが頼りになると、お互いの表情もすぐにはわからなくなった。

「行くぞ。」
「え。」
ジュリアスが歩き始め、アンジェリークは逆に足が動かなくなる。
一緒に花火を見たかったのに。
きっとジュリアスは帰るつもりなのだ。
いつまでも動き出さないアンジェリークに、ジュリアスはまた戻ってくると、彼女の手を引いた。

「花火というのは、人気があるのだろう?
 早く行った方がよいのではないか。」
「え?」
「あの二人に良い場所を取られてしまうぞ。」
アンジェリークがぱっと顔を上げると、優しい紺碧の瞳が夕闇に溶け込んでいる。
視界がぼんやり歪んできて、アンジェリークはあわてて、瞳をぬぐった。
「あ? うん! そうなの! わたし、いい場所を知ってるから、そこに行きましょう!」
繋がれたままの手。
アンジェリークは勢いよく歩き出すと、ジュリアスを自分の知る特等席へと連れて行った。


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