冬の風は時折身を切るような冷たさを与える。
あれほど咲いていた花も今はひっそりと次の春の訪れを待っているようだ。
色をつけた葉がかさりと音を立てて空に舞った。
「ロザリア。」
懐かしい声に心が震えた。
振り返るのが怖い。まだ、向かい合う気にはなれなかった。
長靴の音が響いて、オスカーがロザリアの腕をつかんだ。
あんなことをされたというのに、まだ、つかまれた腕がさっと熱を帯びる。
「お放しになって・・・。」
つぶやくような声にオスカーは力を込める。
「君はオリヴィエが好きなのか？」
オスカーのまっすぐな声にロザリアはおののいた。
思わずオスカーを見ると、そのアイスブルーの瞳の奥に小さな炎のかぎろいが見える。
「あなたには関係ないことですわ。」
ロザリアはいい当てられたことに動揺して声が小さくなった。
「俺には分かる。君が見ているのはいつでもあいつだけだ。 だが、あいつはダメだ。」
ロザリアはオスカーをにらみつけた。
怒りの表情に今度はオスカーがたじろぐ。
「あいつは君を愛したりしない。誰にも深くかかわらない。だから、あいつを好きになるのはやめろ。」
「なぜそんなことをあなたに言われなければなりませんの！ わたくしに構わないで。」
ロザリアの強い語気にオスカーは目をそらした。
「君には、幸せになってほしいんだ。だから・・・。」
「いまさら、そんなことをおっしゃるのね。わたくしの幸せを願うなら、もう話しかけないで！」
叫ぶロザリアにオスカーの声が重なる。
「あいつは、昔、誰かを深く傷つけた。だからもう、誰の心にも立ち入りたくないと言ったんだ！」
強引に手を振り払うと、ロザリアは走り出した。
踏みしめた落ち葉が乾いた音を立てる。
確かにオリヴィエはみんなと同じように距離を置いて、誰からも嫌われないかわりに深い付き合いもしていない。
彼が軽い外見とうらはらに、誰より人とのかかわりに慎重であることも分かっていた。
それでも、オリヴィエはロザリアのそばにいてくれた。
立ち入らないなんて嘘。
彼はもう、わたくしの心のこんなにも奥深くにいる。
中庭の端まで走るとロザリアの前に立ちはだかるようにアンジェリークが姿を現した。
ロザリアに激しい憎悪の目を向ける。
「オスカー様と何を話していたの。」
その憎悪の目にロザリアは困惑する。
なぜアンジェリークが自分を憎むのか？ すべてを手に入れたはずなのに。
アンジェリークは静かに近づいてくると、激しい口調で言った。
「ロザリア様なんて大嫌い！いつまでオスカー様の心にいるの？早く出て行って！
オスカー様は今だってロザリア様のことを気にしている！
早く、早く、出て行ってよ！」
胸を突かれてロザリアはよろめいた。
激しい想いに足を踏みしめることもできない。
倒れそうになるロザリアをオスカーが支えた。
「アンジェリーク！」
オスカーはすぐにアンジェリークを抱きしめる。
「済まない、ロザリア。 彼女を許してほしい。」
まだ泣きわめいているアンジェリークを支えるようにオスカーは部屋のほうへと歩いて行った。
その姿が次第に遠ざかる。
アンジェリークはオスカーを愛している。あんなにも強く。
そしてオスカーもまた、彼女の激しさを愛している。
初めて恋した人にロザリアはただ好きになってほしいと思った。
好かれたいばかりで、本当の自分の弱さも激しさも隠した。
愛されることばかり望んでいた。
だからその愛を失ったときにすべてを失った気がしたのだ。
愛にもいろいろなかたちがある。
アンジェリークのような激しい愛もあれば、叶わなくても思い続ける愛もある。
叶わなくても愛し続けたい。
それがわたくしの愛なのだから。
新宇宙とのはざまにある小さな惑星に異常が見つかったのはそれからすぐのことだった。
「あまりにも新宇宙の影響が強すぎて、エネルギーが正常に吸収されていません。このままでは惑星が消滅してしまいます。」
エルンストは神経質そうに眼鏡を上げた。
もしかすると、この惑星だけに影響は留まらないかもしれない。
あたりを巻き込み、星系全体に波及することも十分に考えられた。
「どうしたらいいの？」
リモージュの緊張した声が響く。
女王、補佐官、守護聖がそろった緊急会議の場は恐ろしいほど緊迫していた。
「直接女王陛下のサクリアが注げれば、このはざまのエネルギーを止められると思うのですが、この場所は危険すぎます。
お命にかかわることも考えられます。」
女王を危険にさらすわけにはいかない。
会議の空気が重いものに変わる。この惑星を救う方法はもうないように思えた。
「わたくしが参りますわ。」
「ロザリア！」
「わたくしと陛下は女王のサクリアでつながっていますもの。わたくしを通じて、サクリアを注げばよろしいのではなくて？」
確かにその方法なら、できるかもしれない。
しかし、それでも危険であることには変わりないのだ。
「ロザリア、そなたを危険にさらすわけにはいかぬ。」
ジュリアスの声は守護聖としてではなく、ただの男として心配しているように聞こえた。
ジュリアスの想いはすでに皆が知っている。
それでもロザリアははっきりと首を振った。
「この星系に住む何億という人々を救わなくては、女王補佐官の意味がありませんわ。わたくしに行かせてください。」
ロザリアの強い希望で、シャトルが打ち上げられた。
そして、無事にロザリアを介したサクリアの注入が行われ、異常は修復されたのだった。
帰還の途中、突然シャトルが消息を絶ったのはサクリアの注入が行われた翌日。
救出用のポッドに乗り込んだクルーがすぐに発見された。
激しい流星雨で、シャトルが破損したらしい。
「まだ連絡はないのか？」
ジュリアスの憔悴した声が響く。
消息を絶って丸２日、ロザリアの行方だけはまったくつかめなかった。
「どこかに不時着しているかもしれませんが、この広大な宇宙で見つけ出すのは不可能に近いかと思われます。
サクリアをたどれば不可能ではないかもしれませんが、その場所に近づくことの危険性を考えれば、守護聖さまを派遣することはおやめになったほうが賢明です。」
守護聖とて人間だ。
けがをすればもちろん命を落とす。
いくらロザリアのためとはいえそれほどの危険は冒せない。
ポッドは生存に適した惑星を選んで不時着するようにできている。
しかし何の準備もないこの現状で生きられるのはおそらくあと３日程度だろう、というのが研究院の見解だった。
ジュリアスの顔に一層の疲労感がにじむ。
こうして彼女を永遠に失ってしまうのか。
「引き続き３日は捜索を続けよ。そのあとは後日通達する。」
目を閉じたジュリアスの前にオリヴィエが立っていた。
突然頭上から降る声にジュリアスは驚いて顔を上げる。
「あんたは捜しに行かないの？ 守護聖なら見つけられるんでしょ？」
腕を組んでまっすぐに見るオリヴィエにジュリアスはなぜか視線をそらした。
その瞳がジュリアスを責めている。愛する者を見捨てるつもりなのかと告げている。
「私は首座の守護聖だ。軽々しく聖地を離れるわけにはいかぬ。軍も派遣している。私が行くよりも的確な捜索をしてくれるだろう。」
行けるものなら、行きたいと言ったつもりだった。
それでもオリヴィエはまっすぐジュリアスを見つめていた。
「あんたにとってロザリアはその程度だったのかい？ とんだ見込み違いだったよ。」
なぜ彼女を渡せるなんて思ったんだろう。
彼女を永遠に失うかもしれないと思った時、誰に憎まれても、誰を傷つけてもかまわないと思った。
たとえこの先どんなにロザリアに憎まれても今、失うことはできない。
オリヴィエが去った後、ジュリアスはゆっくりと空に目を向けた。
首座の守護聖としての責務よりも愛を選ぶことができなかった。
しかし、後悔はしていない。それが私なのだから。
冬の雲は低く空を流れていく。
過ぎ浮く景色にジュリアスは愛の終わりを見ていた。
オリヴィエは女王の部屋へ急いだ。
「おまえが行くのか？」
突然アイスブルーの瞳が目の前で揺れた。
「ロザリアを愛しているのか？誰も心に立ち入らせないと言ったおまえが。」
オスカーの瞳に浮かぶのは嫉妬なのだろうか。
「彼女が入ってきたわけじゃない。私が先にロザリアを愛したんだ。きっと、あんたよりも前から。」
オリヴィエの声は静かにあたりに響いた。
昼間の明るさはこの廊下をまばゆく照らしている。
それがまぶしすぎると思うのは二人に流れた想いの違いかもしれない。
「そうか・・・。」
知らなかった、と言えば嘘になる。
時折見せたオリヴィエの瞳の影に気づかないふりをしていた。
ロザリアを嫌いになったわけでも、誰かに譲るつもりだったわけでもない。
ただ、激しい愛に心がさらわれた。
オスカーが望んだ愛はロザリアの愛とは違っていたのだ。
窓から差し込む影でアンジェリークが近付いてきたことが分かる。
アンジェリークの瞳がオリヴィエを射抜いた。
その奥に流れた不安の色はオスカーへの不安を映しているように思えた。
「私がロザリアを迎えに行くから。」
アンジェリークの瞳が大きく見開かれた。
「二度と、彼女を離さないよ。」
オリヴィエの言葉にオスカーは小さくうなづいた。
アンジェリークを抱き寄せるオスカーが見え、オリヴィエはそのまま走り去った。
そして、女王の部屋のドアを勢い良く開けた。
「私に行かせてくれないかな？」
憔悴しきった女王がオリヴィエを見る。
何日も眠っていないような目の下のクマが痛々しい。
「あなたが・・・？」
ロザリアはなにも言わなかったけれど、誰かがロザリアを癒してくれたのは分かっていた。
その誰かがオリヴィエだったのかもしれないとリモージュは思った。
「リンゴをあげたのは、あなたなの？」
「リンゴ？」
オリヴィエはロザリアにリンゴを渡した日のことを思い出した。
「ロザリアがね、とても大切そうにしていたの。わたしにはひとかけらもくれなかったのよ。」
泣き笑いのリモージュが言った。
一緒にいても恋人じゃなかった。
彼女にあげたものがたったひとつのリンゴだけだったなんて。
「必ず、ロザリアを見つけてね。」
「必ず見つけるよ。まだロザリアに言ってないことがたくさんあるんだ。」
彼女に会ったら、言いたいことがたくさんある。
誰にも愛されたくないと思っていた。
けれど、ロザリアを愛した時から、ロザリアに愛されたいとずっと願っていた。
彼女の心に踏み込んだとき、もう答えは出ていたのだ。
ようやく見つけた、たったひとつの真実。
オリヴィエは宇宙へと飛び立った。
報告通りの激しい流星雨がスクリーンに映し出される。
このままシャトルで近づけば、こちらも破損してしまうかもしれない。
微弱なサクリアが感じられるのはもう少し先の小さな惑星だ。
「救命用ポッドに滞在用の準備を入れてよ。二人で一週間過ごせれば構わないから。」
早くロザリアに会いたい。
微弱なサクリアがさらに弱まっていることがオリヴィエをあせらせる。
すぐにオリヴィエを乗せたポッドが惑星に向かってはじき出されていった。
ロザリアは星が流れるのを見ていた。
聖地よりもずっと星に近いこの惑星は、本当に手を伸ばせば星に届きそうだ。
もうすぐこの星の一部になる。
助けが来ないことは覚悟していた。
自分のいるところは誰にもわからない。もしわかったとしてもこの危険な場所に誰も来ないだろう。
ただ、もう一度、オリヴィエに会いたい。
もし会えたら言いたかった。
「あなたを愛している。」と。
ごつごつした荒地に仰向けに寝転んでいると、背中に石があたる感触が心地よいと思う。
目を閉じると、愛しい人が浮かぶ。
怖くはない。いつでも心はそばにいるのから。
ものすごい地鳴りが起きてロザリアは飛び上った。
もう３日以上何も食べていないのに、まだ飛び上がる力があったことに驚く。
それでも空腹には勝てず、再び寝転んだ。
隕石の衝突が起きたのか、と納得した。
流星雨が空に眩しい。
「ロザリア。」
幻聴がし出したのね、と思う。
目を閉じたまま微笑んだ。
こんな夢なら悪くない。
「オリヴィエ・・・。」
目を開けたら消えてしまいそうで、ロザリアは目を開けることができなかった。
「迎えに来たよ。」
やっぱりお迎えだわ。夢でも言っておきたいことがある。
「わたくし、あなたを愛していますわ。」
言いたかった言葉を口にした。
久しぶりにそばにいてくれることがロザリアは嬉しかった。
夢って素敵なのね、と思う。
「私もあんたを愛してる。ずっと、ずっと前からあんただけを愛してる。」
たとえこの先傷つくことがおきても、今、この愛を誰にも渡したくはない。
逃げ続けたことで繰り返した回り道を取り戻せるだろうか。
オリヴィエはロザリアの隣に座った。
いつかのような綺麗な星空が目の前に広がる。
「お腹すいたでしょ？ リンゴ。」
ロザリアはまだ目を閉じている。
「食べれない？」
オリヴィエはリンゴをかじると、くわえたままロザリアの口へ運んだ。
ロザリアの口に入ったリンゴは、甘酸っぱい味がした。
驚いて、目を開けると、覗き込んでいる優しい暗青色の瞳。
「オリヴィエ・・・？本物ですの？」
ロザリアの瞳に涙がにじむ。
「あんたを迎えに来たよ。私のそばにいてほしいんだ。遅くなったけど、許してくれるかな・・・？」
ロザリアはオリヴィエの首にしっかりと手をまわした。
「わたくしこそ、遠回りしましたの。あなたはずっとそばにいたのに。」
オリヴィエはロザリアに口づけた。
優しい口付けに涙があふれ出す。
「帰ったら、聞いてほしいことがあるんだ。私の昔の話。あんたにはちゃんと知っててほしいから。」
もう逃げたりしない。
近づいて、離れて、再び近づいた。
これからはきっとそばにいる。
二人はこぼれるような星空の下で何度も口づけた。
FIN
