君のためにできること

1.

「おめーが好きだ。オレと付き合ってくれねーか?」

そう言ったとき、ロザリアは驚いたような顔をして、それでいて少し寂しそうな顔をした。
意味がわからないのかと思ったゼフェルがもう一度、
「好きだって言ってんだよ!」
と言って、ようやく気がついたらしい。
次第に顔が赤くなって、茫然と眼を開いたままゼフェルをじっと見つめた。
返事がないことに少しいらっとしたゼフェルは目の前の青紫の髪を黙って抱き寄せる。
「オレと付き合えって言ってんだ。わかったか!」
黙って腕の中にいたロザリアは小さくつぶやいた。
「わたくしで、よろしいんですの・・・?」
いつものように高飛車でなくて、少し不安そうな声にゼフェルは少しだけ腕に力を込める。
「おめーがいいんだよ。オレは。」
ロザリアが頷いたのを見て、ゼフェルは大きく息を吐いた。
今までで最高の幸せにゼフェルはただ、じっとロザリアを抱きしめていた。


特徴のある足音ですぐにゼフェルだとわかる。
補佐官室でロザリアはお茶の準備を始めた。
ゼフェルは甘いお菓子は食べない。紅茶の香りを楽しむようなこともしない。
けれど。
ドアが開くと同時に嬉しそうな瞳を向けたゼフェルにロザリアはにっこりとほほ笑んだ。
「今日は、庭園に行かねーか?」
恥ずかしそうに鼻をこすりながらゼフェルが言った。
付き合い始めてから、お茶の時間は二人で過ごすようにしている。
補佐官室だったり、執務室だったり、今日のように庭園のカフェだったり。
「ほら。」
乱暴に差し出された手をロザリアがそっとつなぐ。
ゼフェルは手をつないだことが恥ずかしいのか、必ず前を歩いていく。後ろから支えるのではなくて、前。・・・・あの方とは違って。

一番いい席は一番外からもよく見える場所。
二人が向かい合うようにしてお茶を飲んでいるところがカフェの前を通る人ならだれでも見える。
いつものように紅茶を頼んだロザリアは、メニューのケーキを指差してゼフェルに見せた。
「このケーキ、陛下がとてもおいしかったって言っていましたの。・・・注文してもよろしいかしら?」
ロザリアの言葉にゼフェルがどれどれとメニューを覗き込む。
額を近づけると、ロザリアの睫毛が思いのほか近くに来てゼフェルはあわてて身を引いた。
その動作に目をきょとんとさせたロザリアが可愛くて、ゼフェルは全身が熱くなる気がしてくる。

「あ、いいんじゃね。食べてみようぜ。」
真っ赤になったことを勘違いしたのか、ロザリアはクスッと笑いをこぼしながら言った。
「2人で1個でいいんですのよ。甘いものはお好きでないでしょう?」
2人で1個!!
よっぽどその方が恥ずかしい。黙ったことを肯定と受け取ったのか、ロザリアがウェイトレスを呼びとめた。
飲み物とケーキが出てきて、ロザリアが最初にケーキにフォークを入れた。
口に入れると同時にこぼれた幸せそうな笑顔。
「おめーでもケーキくらいでそんな能天気な顔すんのな。」
ロザリアが少しムッとしてすぐにケーキの皿をゼフェルに寄せた。

「食べてみてくださいませ。本当においしいんですのよ?」
・・・このフォークで食べるのかよ?
少しクリームの付いたフォークがお皿に添えられている。ゼフェルはドキドキを隠して一口ケーキを口に入れた。
甘い、とにかく甘い・・・と思うけれど、実際のところよくわからなかった。
緊張で喉を通るのに時間がかかり過ぎて。
「・・・いかがでして?」
覗き込んだ青い瞳にせき込みそうになりながらも「うまいんじゃねーの?」と答えた。
「食べてみてよかったでしょう?」
確かによかった。その笑顔が見れたから。
ゼフェルはミネラルウォーターをコップに移すと一気に飲み干す。
おいしそうにケーキをつつくロザリアはやっぱり最高にかわいいと思った。



オリヴィエの視線の先に久しぶりに外で見たロザリアがいた。
偶然通りかかったカフェの前。
うわさ通り仲良く午後のお茶を楽しんでいた二人を目にしてしまった。
爽やかな聖地の陽ざしにキラキラと輝く青紫の髪。
木々が揺れるたびに光を映す青い瞳。
飛空都市にいたころよりも少し大人になったロザリアは、子供のような笑顔を見せていた。

「好きです・・・。」
森の湖でロザリアが言ったとき、オリヴィエは迷った。
このまま彼女を攫ってしまおうかと何度も考えてはあきらめていた。
想いを閉じ込めたのはロザリアこそ女王にふさわしいと思ったから。
静かな湖は一層の静寂さで滝の音だけを響かせている。
木々の隙間からこぼれた光がロザリアの瞳を揺らした。

「悪いけど、応えてあげられないよ。」
静けさを破った自分の声がまるで機械のように感じた。
それからどうやって帰ったのか、彼女がどんな顔をしていたのか、まるで記憶がない。
覚えているのはただ、彼女の後ろ姿。
拮抗していた女王試験が大きく変化して、アンジェリークが女王になったのはそれからすぐだった。
ロザリアが負けたわけではなくて、宇宙がアンジェリークを求めた結果。
もし、この結末を知っていれば、彼女をあきらめたりはしなかったのに。

見つめる視線に気づいて、ロザリアはふと顔を上げた。
まっすぐにぶつかるブルーグレーの瞳。
ロザリアは目をそらすことができずに、吸い込まれるように見つめ続けた。
一瞬だったのかもしれない。ブルーグレーの瞳が静かに方向を変えて、柔らかなハニーブロンドに変わる。
陽ざしにきらめくその髪の眩しさにロザリアは目を奪われた。

「おい、どうしたんだよ?」
フォークが宙に浮いたままになったロザリアにゼフェルが怪訝そうに声をかけた。
「なんでもありませんわ。」
なんでもないはず。なのにこの言いようもない鼓動を、止める方法がわからない。
ロザリアは目の前のゼフェルに笑みを向けると、紅茶に口をつけた。
春摘みのダージリンの香りはあの頃を思い出させて、ロザリアは最後まで飲むことができなかった。



日が陰ると、すぐに肌寒くなってくる。
ロザリアはクローゼットからショールを取り出すと、膝にかけた。
今日もまだ帰れそうもない。
さっき、ゼフェルが顔をのぞかせて、今日は帰ると告げて言った。
明日は土の曜日だから、ゆっくり何かを作るつもりらしい。
「明日の約束、忘れんなよ?」
照れたように顔をそむけてぶっきらぼうに言ったゼフェルの口調は優しかった。
先週した約束は、お弁当をつくって湖に行くこと。
お昼に間に合うようにした約束の時間はかなりゆっくりだから、今日は遅くまで残っていても大丈夫。
心の中でロザリアは時間を計算すると、机に溜まった書類に手をつけた。

コツコツ、とヒールの音がする。
ロザリアは手を止めて、その音に耳をすませた。
特徴のあるヒールの音は間違いなく、あの人。きっとどんなに小さくても聞き逃さないと思う。
そう考えて、胸が痛くなった。
ゼフェルがいるのに。
遠ざかっていく音に心が寂しくなる。
もう一度、ペンを握りなおしたロザリアはペン先からいつの間にかインクが滲んでいるのに気づいてため息をついた。

気づけば、窓ガラスを雨が濡らしている。
ロザリアは机の引き出しから気象票を取り出した。
確かに今夜は2時ごろまで雨らしいけれど、明日、湖に行くのに支障はないだろう。
もう少し進めようかどうしようか迷って、ロザリアは片付けを始めた。
すでに物音一つしない聖殿の廊下はうす暗い。自分の靴音だけが響く廊下を何とも言えない気持ちで歩いて行った。

外へ通じるドアを開けると冷たい雨とともに冷気が中へ流れ込んでくる。
傘を持たないできたことを後悔しながら、ロザリアは上着のボタンをとめた。
雨に打たれる覚悟で階段を下りると、後ろから傘が差しかけられる。
振り向かなくてもわかる、雨の匂いに混ざる彼の香り。

「どうして?」
小さな声は届いていないかもしれない。傘に当たる雨音が規則正しいリズムを刻んでいた。
「傘、持ってきてないでしょ?送ってくよ。」
変わらない声がかえってロザリアを悲しくさせた。
二人きりになったのはいつ以来だろう。・・・あの湖以来かもしれない。
「いいえ。大丈夫ですわ。・・・一人で帰れます。」

雨の中にロザリアは足を踏み出した。
その後ろを傘が追いかけてくる。
ロザリアは静かにともる街灯の下で足をとめた。
振り向いて、なにを言うつもりだったのかわからなくなる。
目に映るオリヴィエの顔があまりにも寂しげで。
見ればオリヴィエの左側はほとんど傘から出ていて、雨にぬれた髪が雫の列をつくって背中までを濡らしている。
先に行くロザリアに傘をさしかけるために濡れたのだろう。
ロザリアはうつむいて、オリヴィエの隣に並んだ。
近づきたいわけじゃない。ただ、このままではこの人が濡れてしまうから。
黙って家までの暗い道を歩いた。
雨音なのか、それとも自分の鼓動なのか。
耳を打つリズムが体中に鳴り響いた。

ゆっくり歩いてもほんの10分足らずの距離で、二人はロザリアの家の門についた。
門から玄関までわずかに距離がある。
オリヴィエは自分の手に握っていた傘をロザリアの手に握らせた。
手と手が触れた瞬間、ロザリアは思わずオリヴィエを見つめてしまう。
冷たい、冷え切った手。
どれほどの時間、あの雨の中にいたのだろう。
見つめる視線に応えるように優しく微笑んで、オリヴィエは雨の中を走って行った。
ロザリアを包む傘から、いくつもの雫が地面に落ちる。
オリヴィエの姿が見えなくなるまで、ロザリアは門の前に立ち尽くしていた。


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