君のためにできること

2.

予報通り、翌日は快晴。
ゼフェルのために準備したマスタードのきいたサンドイッチを持って、ロザリアは約束の場所に急いだ。
「おせーぞ!」
乱暴な口調でも目は怒っていない。ロザリアがゼフェルのところまで駆け寄ると、ゼフェルはロザリアの手の荷物をひったくるようにして取った。
不器用な態度が初めは分からなくて、ずいぶんゼフェルとは衝突したものだった。
出逢った頃なら、その優しさに気付かなかったけれど、今ならわかる。
「ありがとうございます。」
大きなバスケットをゼフェルは軽々と振りまわして向きを変えた。
すたすたと前を歩いて行くように見えて、ちゃんとロザリアがついてくるのを気にしている。
そして、追いつくのを待って、後ろ手に手を差し出した。
差し出された手を軽くつないで、ロザリアの胸がきゅっと痛くなる。
ゼフェルの手は暖かかった。・・・昨日のあの人とは違って。

湖のほとりに着くと、ゼフェルはバスケットからシートを取り出して草の上にひいた。
ロザリアをシートの上に座らせると、自分もその端に座る。
日差しは柔らかく、前夜の雨のせいか木々も心なしか明るく見えた。
水面をわずかに波立たせる程度の風が吹いた時、ロザリアがくしゃみをした。
「寒いのかよ?」
確かに薄手のカーディガンを羽織っただけではあったが、それほど寒くはない。
「昨日帰りがけに雨に降られてしまって・・・。少し濡れたせいかもしれませんわ。」
ゼフェルが心配そうに赤い瞳を向けてくる。
ロザリアは内心の動揺を隠して微笑んだ。

オリヴィエに会ったことを、そして送ってもらったことをなぜ言えないんだろう。
もし、ランディやマルセルならきっと話していたはずなのに。

ゼフェルの瞳が近付いてきて、手のひらがロザリアの額にあてられた。
「そういうときはオレを呼べばいいだろ。・・・迎えにくらいいつでも行ってやるってーの。」
熱があるわけでもなさそうなのに、ロザリアはどことなく落ち着かないように見える。
ゼフェルは額から手を離すと、ジャケットのポケットから何かをとりだした。

「これ、やるよ。」
照れ臭そうにそっぽを向いてロザリアに渡したのは、綺麗な銀のペンダント。
細かな細工の真ん中に大きめな青い石がはめられている。
一目で手作業だとわかるそのペンダントをロザリアは手のひらにのせてじっと見つめた。
「昨日、これ作ってたんだぜ。だから、起きてたっつーか。とにかく、これからは困った時はオレを呼べよな。わかったか!」
銀の薔薇はまるで青い石を包み込むように幾重にも咲いていた。
「ありがとうございます。大切にしますわ。」
ロザリアは本当にうれしくて、ゼフェルに向かって極上の笑みを向けた。
ペンダントをつけて、ゼフェルに向き直ると、突然腕の中に閉じ込められる。
「何度も言って、めちゃくちゃカッコわりーけど、オレはおめーが好きだからな。」

器用な指先に反した不器用な言葉。
震えた腕の中でロザリアは頷いた。
しばらくの時間、ゼフェルの暖かさを感じてると、急に鳥の羽音がして、ゼフェルが腕を解いた。
「腹減ったよな。弁当にするか。」
真っ赤になった頬で、もごもごと言いながら、バスケットをあさりだす。
「うめー!」
素直なゼフェルの顔に心が和むような気がして、ロザリアも一緒にサンドイッチをほおばった。
そして、日が陰るまで、二人で過ごしたのだった。

湖から逃げるように立ち去る人影。
見たくないけれど、見てしまった。
ゼフェルの腕の中の彼女は少し緊張していたけれど、穏やかな顔をしている。
もし時間を巻き戻せるなら、あのときに帰って、彼女を抱きしめたい。
思わず一歩踏み出した先にあった木の枝がオリヴィエの頬を打った。
痛みよりも息苦しさでその枝を折り取ると、近くにいた鳥が空へと飛び立っていく。
その音に驚いた二人がはっと離れたのを見て、オリヴィエは背を向けた。
なぜここへ来たんだろう。
昨日の雨で頭がおかしくなったのかもしれない。
久しぶりに感じたロザリアの香りに雨の冷たささえ気にならなかった。
家について、濡れた体にようやく気付いたほどで。
熱が出そうだと思ったのは体よりも心。
今見た光景を忘れようとでもするように、オリヴィエは足を速めた。


晴天続きの後は、また、雨の日がやってくる。
ロザリアが窓の外に目を向けると、霧のような細かな雨が降り続いていた。
今日、ゼフェルは他の惑星に行っている。
出て行く前にロザリアに気象票を渡したゼフェルは赤くなりながら手にしたペンで丸をつけた。
「この日とこの日が雨だかんな。傘忘れんなよ?」
しっかりしているようで、意外に自分のことは鈍くさいロザリア。
傘を忘れて風邪でも引いたら、と思うと心配になってくる。

「・・・オレは迎えに行けねーぞ。」
乱暴に気象票を押し付けてきたゼフェルにロザリアは笑いながら言った。
「忘れませんわ。わたくしを誰だと思っているんですの?歴代で最も優秀と言われている女王補佐官なんですのよ?」
「わかってるけどよ。心配するくらいいいだろ?」
胸元のペンダントをゼフェルが見つめている。
もらった日からずっとつけているペンダント。
アンジェリークにさんざんからかわれて一時ドレスの下に隠していたけれど。
不満そうな顔をしたゼフェルに負けて、またドレスの上に出すようになった。

「行きたくねーな。」
補佐官室のソファに身を投げ出したゼフェルがポツリとつぶやいた。
一週間は長すぎる。
週末のデートを取り上げられて、会えない時間も長くて。
宇宙船まで見送りに行ったロザリアをゼフェルは何度も振り返りながら乗り込んだ。
手を振ったり、大きな声を出すようなゼフェルではなかったけれど、ロザリアには十分気持ちが伝わって来て、胸元のペンダントにそっと手を当てたのだった。


今日の日付に丸の付いた気象票を眺めて、ロザリアはため息をついた。
雨なのは知っている。・・・けれど、傘は持ってこなかった。
霧のような雨はすぐ目の前の景色さえも滲ませて輪郭をぼやけさせる。
心の中の答えを滲ませるように。
全く日の射さないまま夜が訪れて、雨はやむ気配もない。
警備員が見周りのために訪れると、ロザリアは尋ねた。
「わたくしが最後かしら?ご苦労をかけて申し訳ありませんわね。」
警備員は話しかけられたことに緊張した面持ちで「補佐官様が最後です。」と敬礼しながら言った。
警備員が去って、ロザリアは荷物を詰める。

外は雨。
聖殿の重い扉を開けると、雨が中へと吹き込んでくる。
糸のような雨は綿菓子のような粒子を青紫の髪にまとわりつかせた。
階段を足早に下りると、再び傘が差しかけられる。
「今日も傘持ってないの?送っていくよ。」
金の髪についたたくさんの細かな雫。
立ち止ったロザリアの隣にオリヴィエが並んだ。傘をさしていても、細かな雨が体をゆっくりと濡らしていく。
足がいつもの10分の一も動かない。
少しの距離を髪のカールがほどけるほどの時間をかけて歩いた。
やがて、門の前に着くと、オリヴィエはロザリアの手に傘を握らせる。
その手はやはりとても冷たくて、ロザリアは胸が痛くなった。


明日はゼフェルが帰ってくる。
気象票の最後の丸の日は、夜遅くからの雨。
もし、何事もなければ帰宅しているだろう。
それなのに、ロザリアは今日でなくてもいい仕事まで机の上に積んでいた。
まるで、雨が降る時間まで帰らないとでも言うように。
ノックの音がして顔を上げると、オリヴィエが立っていた。
「これ、書類。」
ひらひらとあげた右手におととい渡した書類がある。
今までオリヴィエが自分からこの部屋に来たことはなかった。それを自分を避けているのだと思っていたけれど。
「わざわざありがとうございます。」
・・・言い方が皮肉めいていたかもしれない。オリヴィエは寂しそうに微笑むとロザリアの机に近づいてきた。
机を挟んでも感じるオリヴィエの香りは雨の夜とは違っている。

「明日だね。ゼフェルが帰ってくるの。」
急に言い出したオリヴィエにロザリアは少し驚いてその顔を見つめた。
「毎日、雨が降ればいいのに。」
窓の外を見てオリヴィエが言った。
少し雲の出た空にはまだ雨の気配はない。目が合った瞬間、ロザリアは顔をそむけた。
この鼓動が聞こえてしまうことが怖くて、わざと書類だけを見ていると、オリヴィエが出て行く足音がする。
ロザリアはすぐには顔があげられなかった。
雨が降ればいいと、思っていたのが自分だけではなかったことに動揺していた。

聖殿の階段の下で、傘が揺れる。
ロザリアの靴が階段の大理石を鳴らすと、傘が振り向いた。
「送っていくよ。」
ブルーグレーの瞳は雨の中でも見間違えることはない。
ロザリアは黙ってその隣に並んだ。
ほんの少しの間、傘の中で二人は寄り添うように歩いていた。


翌朝は明るい日差しがまぶしい一日だった。
予定通りの時刻にシャトルが滑り込むとドアが開くのももどかしいようにゼフェルが飛び出してくる。
勢いよくロザリアの前に立つと、言葉が出ないというように下を向いた。
一拍置いて、「あのよ、会いたかったぜ。」と小さな声が飛び出す。
「え?どなたにですの?」
くすくす笑いとともにわざと尋ねると、ゼフェルは顔を赤くしてそっぽを向く。
「おめーに決まってんだろ。」
「え?」
小さすぎて聞こえない声にロザリアが耳を近づけると、ゼフェルは大きな声で「ばーか!」と叫んだ。
走っていくゼフェルを追いかけながら、ロザリアも走る。
建物の影に隠れたゼフェルを追って角を曲がると、ゼフェルが待ち構えたようにロザリアを受け止めた。

「あんなとこで言わせんなよ。・・・おめーに会いたかった。」
今度ははっきりと言って、赤い瞳がロザリアを覗き込んだ。
途端に触れた唇。
目を丸くして真っ赤になったロザリアの手を引いて、明るい日差しへ連れて行く。
「あいさつ代わりじゃねーからな。」
手を引いて前を歩いていくゼフェルに声をかけることもできずにロザリアはただ後を歩いて行った。
初めてのキスは驚きの方が大きくて。
熱を帯びたゼフェルの感触だけがロザリアの中に残っていた。

お茶の時間にロザリアのところに来たゼフェルは珍しく紅茶を飲んでいた。
「なんかコレにも慣れた気がするぜ。」
細い取っ手のカップが気に入らないとこぼしていたゼフェルがカップの取っ手を持ち上げた。
今日の紅茶はアールグレイ。ベルガモットの香りが部屋中に広がる。
「おめー、今日も遅いのかよ?」
つまらなそうにソファに足を乗せたゼフェルが尋ねた。
出張からせっかく帰ってきたのに、結局何日もすれ違いばかり。
次の週末まで、デートもお預けでは、執務のやる気にも大影響だ。
ロザリアはポットからゴールデンドロップをカップに落とすと、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめんなさい。どうしても片付けておきたいことがあるんですの。」
窓の外を見ると、今にも泣き出しそうな空。

今日も会えるかもしれない。
ぼんやりとしたロザリアを見て、ゼフェルも同じように外を眺めた。
つまらない天気。
なのに、彼女は少し様子が違って見える。
その理由がわからなくて、ゼフェルはカップをわざと音を立てて戻した。
いつもなら飛んでくる厳しい声が今日は聞こえない。
ロザリアを遠くに感じてゼフェルはなぜだかもやもやとした気分がした。


予報通り降り出した雨にロザリアは窓へ駆け寄った。
ゼフェルが帰宅を告げたとき、思わずホッとしてしまった自分。
誰もいなくなるまで仕事を続けると、ロザリアは部屋を飛び出した。
会いたくて、たまらない。
階段の下にはやはりオリヴィエがいて、ロザリアを見ると傘を開いた。

待っているのは少しも気にならない。雨が冷たいことも少しも気にならない。
オリヴィエに気付いた時のロザリアの瞳に浮かんだのは、喜びの色だと思う。
まだ、少しは想っていてくれるのだろうか?・・・他の誰かのものだとしても。
ゆっくりと歩き出す二人の足もとに雨でかすんだ街灯の明かりが揺れた。
少し近づけば、肩が触れてしまうような距離にロザリアがいる。
目の前に広がる青紫の髪は雨の湿気でいつもよりつややかに見えた。
あと少しでロザリアの家。
まだ門燈の明かりの届かない暗い道でロザリアが急に足をとめた。

「あなたはとても残酷な方ですのね・・・。」
雨の音にまぎれて絞り出されるような苦しげな声。
「なぜ、こんなことをなさるの・・・?」
森の湖で拒絶された時の胸の痛み。
今、頬を濡らすのはきっと雨のせい。
この人のために泣くのはあの日に止めたはずだから。

「好きでもないのに優しくなさらないで。愚かなわたくしは、また、勘違いをしてしまいますわ。」
うつむいたままのロザリアをオリヴィエは抱きしめた。
手放した傘が音もなく地面に落ちる。冷たい雨が彼女を濡らさないようにオリヴィエは両腕で包みこんだ。

「好きだって、言っていいの?」
抱きしめられて、息が止まるかと思った。
耳に寄せられる吐息のような声に心が震える。
「好きなんだ。女王になると思ったから、あきらめようとした。でも、あんたが好きで好きで、見ているだけなんてできないくらい好きなんだ。」
地面に広がった傘を打つ雨の音が耳から消えて行く。
「こんな言葉であんたを抱きしめることができるなら、いくらでも言える。・・・好きだよ・・・。」
ロザリアは下に降ろしていた手をオリヴィエの背に回した。
濡れた髪は冷たいのに、指先から伝わるのはただ、オリヴィエの熱さ。

「わたくしも、あなたを好き・・・。」
今までこの言葉を告げたのは2回。すべて、オリヴィエに。
冷たい唇が下りてきて、ロザリアは目を閉じた。
体中からあふれてくる熱にうなされるように、二人は口づけを交わす。
鈍く光るペンダントが冷たい雨にぬれていた。

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