君のためにできること

4.

窓をたたく雨音にゼフェルは目を覚ました。
家に戻って横になっていたら、いつの間にかうたた寝してしまっていたらしい。
雨が連れてきた冷気に身を震わせて、窓を濡らす雨粒を見つめた。
ロザリアはもう帰っただろうか。
今日雨が降ることは知っているだろうし、誰でも雨の中帰るよりも降り出す前に帰るだろう。でも。
仕事に夢中になって、気づいたら降っていた。なんてこともあるかもしれない。
実際、この間の熱はそんなふうに雨に打たれたからに違いない。
理由をはっきり言わないのは、プライドの高いロザリアがそんなポカをしたことを知られたくないせいだと思っている。

「しょーがねーなー。」
大げさに身を起こしたゼフェルは、言い訳を考えながら傘を手に取った。
もし、ロザリアが帰っているならそのまま戻ってくればいい。
ドアを開けたときに、風が家の中へとゼフェルを押し込むように吹いた。
外に出るな、という意味だったのかもしれない、と後から思った。

いつものブーツをスニーカーに履き替えて、なぜか足音を忍ばせた。
水たまりに足を乗せるたびに響く水音がうるさいように感じられたから。
少し向こうに見える聖殿は思った通り真っ暗。
傘を打つ雨の音が小降りになるとともに次第に小さくなっていく。月も星も出ていない夜は他の音がなにもなかった。
「さすがに帰ってやがったか。」
安心したような、気の抜けたような気分でつぶやいた声をかき消すように重いドアが開いた。


薄明かりに照らされたロザリア。
そして、傘をさすオリヴィエ。
同じテンポで階段を下りた二人は一つの傘の中で寄り添うように歩いていく。
ゼフェルは遠ざかる二人の後に引き寄せられるようについていった。
声をかけることができない。一定の距離を保って見つめた後ろ姿はまるで映画のようで。
二人も何も話さない。
ロザリアの家に着くと、オリヴィエは黙って彼女の手に傘を握らせた。
触れた手と手から、なにかがわき上がったような気がする。
想いが目に見えるなら、きっと、今のがそうなんだろう。なんとなく、ゼフェルはそう思った。
オリヴィエがもう一つの傘を広げて、ロザリアに背を向ける。
暗闇にオリヴィエの姿が溶けるまで、ロザリアは外でその姿を見送っていた。
そして、何度も振り返りながら、家の中へと消えて行く。
あとにはただ優しい雨とゼフェルだけが残された。

手をつないだわけでもない。キスをしたわけでもない。
なのに、二人の姿には確かに想いがあった。
それに気づく自分を呪う。

「オレじゃ、ダメなのかよ・・・。」
女王候補の頃から、ずっとロザリアを見てきた。
誰が好きかなんて、わかりすぎるほどわかっていて、それでも告白した。
あの頃のロザリアは健気なほど頑張っていて、とても見ていられなかった。
あいつを守ってやれるのはオレしかいないと思ったから。

傘をたたんで、柔らかな雨に身を任せた。
『傘を忘れたんですわ。』
ロザリアの声が耳によぎる。

たとえ嘘をついていても、オレを選んでくれるのなら、それだけで十分だ。
いつまでだって、オレは騙されてやる。
頭に昇った熱を連れ去るように雨が上がり、静かに冷めていく。
ゼフェルが走りだすと、足もとの水たまりが大きな音を立てて夜に響いた。

それからロザリアとオリヴィエが二人で帰るのを3回見た。
激しい雨の日もじんわりと体を濡らす雨の日も二人はただ黙って一つの傘に入っている。
そして、傘を渡すときに一瞬だけ手が触れる。ただ、それだけ。



晴天の日の曜日。
ゼフェルとロザリアは買い物のために商店街に出ていた。
ロザリアの目に留まったのは、綺麗なピンクのワンピース。
ショーウインドーを飾っていたそのワンピースはふんわりした優しいイメージで確かにロザリアに似合いそうだった。
ぴっちりした補佐官服ももちろん似合うけれど、意外にもロザリアの私服はお嬢様らしいふんわりしたイメージの服が多い。
今日もリボンのついたカチューシャをしていて、下ろした髪が風に揺れている。
ウインドーに映る二人はお嬢様とそれを連れ出す悪いお友達のようで、ゼフェルは自然に少し離れた。

「試着してみてもよろしいかしら?」
補佐官なんだから、お気に入りのドレスくらいいくらでも作れるだろう。
でも、陛下だってなんだかんだと買い物をしているのを知っている。
ゼフェルは仕方なく床に座りこむと、ロザリアが試着室から出てくるのを待った。
ハズカシイ。恥ずかしいけれど、ロザリアを待つのは平気だ。いつか来てくれるってわかってる時は。

「あ!」
薄いドアの向こうから慌てたような声が漏れた。
試着したワンピースはすごく似合っていて、綺麗と言うよりかわいい感じがする。
めちゃくちゃ可愛いぜ、なんてガラにもないセリフを言いそうになったゼフェルに、ロザリアがすまなそうに手を出した。
「ごめんなさい。ペンダントが・・・。」
手の中のペンダントはチェーンが切れている。
ペンダントを取り上げたゼフェルはそのまま胸ポケットの中に無造作に入れた。
「こんなんすぐに直せるから心配すんな。」
不安そうなロザリアの頭を軽く叩いて、ゼフェルは笑った。
手先で直せるものには自信がある。
それ以外のものは分からないことばかりだけど。

「ごめんなさい。」
会計を済ませてからも謝ったロザリアの肩を、ゼフェルは人波から庇うように抱き寄せた。
ロザリアは少し緊張したように体を固くして、すぐにゼフェルの動きに合わせてくれる。
青紫の髪がふわりと視界に揺れて、薔薇の香りが鼻をくすぐった。
話しながら隣で笑うロザリアを見ているだけで、幸せになれると思う。
くすぐったいような気がしてつないだ手に少し力を込めると、人通りの多い道を並んで歩いた。
突然雷の音が遠くに響いてくる。
すぐに晴天だった空が雲に覆われて、ぬるい風が足元の小さな花を揺らした。

「雨?」
手をかざす間もなく、降りだした夕立に二人は店の軒先に逃れた。
「アンジェったらどうしたのかしら?」
急な荒天は女王の機嫌のバロメーター。それをよく知っているロザリアは心配そうに首をかしげた。
「あいつと喧嘩でもしてんじゃねーの?」
仲がいいくせにすぐ衝突する守護聖の一人の顔を思い浮かべながら言った。
あいつらは喧嘩ばかりしているけど、本当に想いあってる。
能天気な女王とその恋人の幸せそうな顔がちらついて、ゼフェルは隣のロザリアをちらりと見た。
綺麗な横顔。
雨のせいで少し緩んだカールと額に落ちた前髪がドキリとするほど綺麗だ。
だけど。
青い瞳は雨の向こうのどこか遠いところを見ていた。
まるで、この雨の向こうにいる誰かを探しているように。

「オレ、帰る。」
ロザリアが何か言っているのが聞こえたけれど、無視して外に飛び出した。
ゼフェルの全身に冷たい雨が降り注ぐ。
どうしたいのか、自分でもわからない。ただ、隣にいてはいけない気がした。
「どうなさったんですの?」
立ち止ったゼフェルの後ろをずぶぬれになったロザリアが追いかけてくる。
そのまま雨に打たれたのはほんの短い時間。
降りだしたときと同じように突然雨がやんで空が明るくなり始めた。
このままでは、また風邪をひいてしまう。
濡れたロザリアを見てゼフェルは思った。
「帰るって言ったんだよ。」
うつむいて吐き捨てた言葉が足もとの水たまりに冷たく響く。
雲間から覗き出したのんきすぎる陽ざしにイライラと背を向けた。

「なぜですの?気分でも悪いのですか?」
ロザリアが心配しているのがわかる。嬉しくて、だけど自分の弱さに悲しくなった。
「わりい。ちょっと、頭が痛くてよ。今日は帰るぜ。・・・おめーも濡れただろ?早く帰れよ。」
それだけ言って逃げるように走る。
ロザリアがあきらめたように自分の家の方向に歩き出すのを見て、ゼフェルもようやく足をゆるめた。
胸ポケットのペンダントがやけに重く感じて、ゼフェルは何度もポケットに手を当てる。
一つしかない答えから逃げるように、ゼフェルはソファに寝転がったままひたすら天井を睨みつけていた。


暖かい陽気の聖殿の女王の間に女王とロザリアは向かい合わせに座っていた。
「昨日喧嘩でもしたのでしょう?」
妙ににこにこした女王にロザリアはため息交じりに尋ねた。
「うふ。でも、もう平気よ?すぐ仲直りしたもの。」
あの天気の回復ぶりを見れば誰だってわかるわよ!と憎まれ口の一つも言いたくなる。
雨の後、ゼフェルの様子は明らかにおかしかった。
気になる。あんなふうに帰ったことは初めてだったから。

それにしても・・・雨。
昨日降ってしまったから、もうしばらくは降らないだろう。
「ロザリア?」
女王に顔をのぞきこまれるまで、頭の中は彼のことでいっぱいで、ぼうっとしていたことさえ気付かなかった。
どれだけ忘れようとしても、忘れられない人。
ロザリアは動揺を悟られないように微笑みをつくった。
執務の間、窓を見るたびに眩しく光る陽ざしが疎ましくて、ロザリアは無理に窓へ背を向けていた。



あわただしく昼が過ぎて、お茶の時間がやってくる。
補佐官室にいつも通りゼフェルがやってきた。
「よお。・・・今日は湖まで行かねーか?」
「まあ、珍しいですわね。では、準備をしてまいりますわ。」
ロザリアが奥に行くと、ゼフェルはソファに座った。
綺麗なブルーでまとめられた補佐官室。ロザリアの好きな薔薇が飾られたテーブル。
部屋中を見わして、一つも自分と合うものがないと苦笑した。
でも、不思議と居心地がいい。
ロザリアが現れて、ゼフェルは立ち上がると、自然に後ろに手を差し出した。
そっとつながれた手。
眩しい光を反射する湖はちょうど誰もいなかった。

湖の前に立つと、ゼフェルは目を閉じた。
その姿にロザリアが不思議そうに尋ねる。
「ゼフェルったら、そんなに真剣になにをお祈りしているんですの?会いたい方でもいっらっしゃるのかしら?」
くすくす笑いをするロザリアの顔に木漏れ日がかかる。
その光に眩しげに眼を細めて、ロザリアが微笑んだ。
ゼフェルが目を開けると、滝の水音が辺りに響いた。その水音に耳が吸い寄せられる。
水の跳ねる音は雨の音に似ている。
そう思ってロザリアを見ると、やはり水音に心を奪われたように遠くを見ていた。

「別れようぜ。」
自然に口から出てきた。
ロザリアの笑顔が消えて行くのが、視界の端に映る。
「飽きたんだよ。おめーといても話もあわねー。つまんなくなっちまった。」
言葉を止めたら、なにも言えなくなりそうで、考えておいたセリフをそのまま口に出した。
「もう、終わりにしてくれよ。オレにつきまとうなよな。」
もし、近くに来られたら、これ以上理由を聞かれたら、きっと、嘘がつけなくなる。
「好きではなくなった、ということですの?」
らしくない弱気な声に、ゼフェルの胸が痛くなる。そんな顔を見たいわけじゃないのに。

高飛車で、偉そうで、でも優しくて、不器用で。
素直で嘘がつけないから、誰がホントに好きかなんてすぐにわかっちまう。
おめーのそんなところが大好きだ。

「冷めちまった。そんだけだ。」
ゼフェルは胸ポケットからペンダントを取り出すと、湖に向かって投げ込んだ。
ペンダントは大きな弧を描いて、湖の中央に落ちる。
湧き上がった波紋が静かに消えて行くのを黙って眺めていた。

木々は静かに緑の光を辺りに透かしている。
ゼフェルが顔を上げると、小道の向こうに人影が見えた。
見間違えようもない派手な衣装。
ロザリアが本当に一緒にいたいヤツ。
滝の祈りはマジで効果があるんだな、とゼフェルは意味もなく感心した。
そして悲しそうにうつむいたロザリアに背を向けると、勢いよく走りだす。
向こうから来る誰かに顔を見られないように、わざと遠回りの道を選んだ。
しばらく走ると大きな岩があって、ゼフェルが倒れ込むように岩影に座り込むと、こらえていたものが一気にあふれ出してくる。

「オレ、バカだよな・・・。」
知らんふりして付き合い続けることもできた。
でも、自分がロザリアのためにできることは、きっとこれしかない。
ゼフェルを取り囲んだ木々はなにも答えることはなく、ただ、風に揺れていた。



今夜は久しぶりに雨。
聖殿を出たロザリアに傘がさしかけられる。
「帰ろうか?」
「ええ。」
自然にかわされる微笑みが、お互いの瞳に映る。
並んで傘に入る二人をゼフェルは窓から見下ろした。

いつか、ロザリアを見ても胸が痛まなくなる日が来るんだろうか。
あんなふうに幸せな二人を見て、自分のしたことをよかったと心から思える日が来るんだろうか。

ゼフェルは小さくなる後ろ姿を、胸をさす痛みと共に静かに見つめていた。


FIN
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