ここにいてほしい

4.

「きゃあ~。」
ロザリアの声のあとにドサリ、と重いものが倒れるような音がした。
オリヴィエは急いで部屋まで駆けもどると、ふすまをがらりと開けた。
なんだか今日はこんなことばかりだ、と思いながらロザリアを見るとオスカーに押し倒されて、足をばたつかせていた。
浴衣の裾からのぞいた足にオリヴィエはかっと頭に血が上る。
「ちょっと!オスカー、いくらあんたでも、許さないよ!この節操なし!」
酔った勢いで押し倒すなんてそれでもオスカーなの! と自分でも訳がわからないような言葉を口走って、オスカーを押しのけた。
なにか反応があるだろうと身構えたオリヴィエの横を、ぐったりとオスカーが転がっていく。

「どうなってんのよ・・・。」
オスカーは眠っていた。
「おーい。」と頬を叩いてみても一向に起きる気配がない。
ふう、と息を吐いて浴衣の前を合わせながら、倒されていたロザリアが起き上がった。
じろり、とオリヴィエを見る。

「あなた、乾杯しませんでしたわね?」 
少し乱れた青紫の髪が揺れた。
見れば、アンジェリークとランディの姿はすでになく、他のメンバーは全員眠りこけていた。
「あんた、ひょっとして・・・。」 
オリヴィエは開いた口がふさがらないと言った感じでぽかんとロザリアを見た。

「ええ、一服盛りましたわ。こうでもしないとこの方たちはおとなしくして下さらないでしょう?」
目を丸くしたまま固まっているオリヴィエに、
「大丈夫ですわ。王立研究院お墨付きの超強力睡眠剤ですもの。12時間くらいで目が覚めますわ。」と、ロザリアは自慢げに言った。
12時間って・・・。
気の毒なこの人たちはこのまま明日の朝9時までこうしているのか。
気の毒そうな顔が気になったのか、ロザリアはあわてて付け足した。
「この薬で眠ると、望んだ夢がみられるんですって。だからきっと皆さん幸せな顔をしていますわよ。」
確かにみんなにこにこというかにやにやというか、どんな夢見てんのよ!と突っ込みたくなるような顔をしている。
「ロザリア…。」
つぶやいたゼフェルの頭をオリヴィエは軽くはたいてやった。

ふと見ると、ロザリアはオスカーを引きずって、部屋の真ん中に連れて行こうと悪戦苦闘している。
重たいオスカーにうんざりしたのか、オリヴィエをちょいちょいと手招きするとオスカーの体をぐいと押し付けた。
「みんなを真ん中に集めますわよ。」 
なんとか全員を真ん中に集めると、ロザリアは一人一人に布団をかけて回った。
結局7人を運ばされて疲れたオリヴィエは畳の上に座りこんだ。
クラヴィスの重さは半端ではなかった。 明日はきっと筋肉痛だ。

「朝方は冷えるのですって。」 
優しいんだね、というよりも早く、
「皆さまが風邪でも引いたら全部わたくしが執務をしなければならなくなりますもの。そうならないようにしなくてわね!」
ホーホホホ、と笑うロザリアの頬が照れて少し赤いのを見て、オリヴィエはよっこいせと立ち上がった。
ロザリアを手伝って、さらにその上に毛布をかけると、二人はそっと部屋を抜け出したのだった。

静かな寝息が聞こえてくる部屋の中で大きな影が立ちあがった。
「全く、私をこの者の隣に並べるとは・・・。少しは考えてほしいものだな・・・。」
大きな影は薄く笑うと、隣にいた守護聖の長い金の髪を引っ張った。
一向に起きない様子にもう少しいたずらしようか、と考えてやめる。
あの、補佐官思いの女王陛下に免じて、今夜は起こすようなまねはすまい。
クラヴィスはオリヴィエに引っ張られて乱れた浴衣を直すと自分の部屋へと戻って行ったのだった。


とにかく廊下は暗かった。
まだ9時だというのに、外は真っ暗だし、旅館の人も奥へと引っこんでいるようだ。
「呼ぶまで下がっていていいと言いましたの。」 
あまりにも静かなその様子にロザリアは自分の声が震えているような気がした。
その震える声にオリヴィエは手を差し出した。
「ほら、つかまっていいよ。」 
差し出された手をロザリアはバチンと叩くと、ずんずんと前を歩いて行った。
少し歩いて、オリヴィエの足音がついてくるかと耳をすませる。
シーンとした様子に不安になって振り向くと、オリヴィエがいない。

「いやですわ・・・。」 
固まってしまったロザリアの横から 「ねえ。」 と声がした。
きゃっと飛び上がって声のしたほうにすがりつくと、オリヴィエがくくくっと笑いながら立っている。
「こわいくせに。」 という言葉へ言い返そうとする前にロザリアの手をオリヴィエの手が包んだ。
「ほら、行くよ?」 
ロザリアはつないだ手が勝手に熱くなるような気がして、困ってしまう。
心臓の鼓動の音だけが体の中から聞こえてきて、オリヴィエにまで聞こえてしまいそうだ。
手をつないだのは、これで2度目。
暗い廊下がこのままいつまでも続けばいいのに、と心から思った。


部屋の前について、ロザリアはぱっと手を離した。
こんなふうに手をつないでいたら、オリヴィエにばれてしまう。
ロザリアはがらりとふすまを開けると明かりをつけた。
和紙に包まれた電灯は柔らかな明かりであたりを照らした。
その明りだけでは何となく心細い。
針を落とす音が聞こえそうな静けさにロザリアはぞっとした。
「じゃね、おやすみ。いい夢みなよ。」 とオリヴィエは声をかけた。
振り払うように離された手が冷たくなる。
仕方がないか、と思う。
今更、ロザリアを好きだと言って信じてもらえるはずもない。
背中を向けて、部屋を出ようとした。

「待って。いかないで。ここに、いてほしいの・・・。」 
ロザリアはあわてて口を押さえた。
わたくしったら、なんてことを!
ロザリアの頭の中でこっぴどくフラれた日のことがよみがえる。
女王になって、絶対ひざまづかせてやる!という願いは叶ったけれど、自分の本当の願いがそうではないことはとっくにわかっている。
「いいえ、なんでもありませんわ。」 
ロザリアは腕を組んで仁王立ちになった。
「暗いのが怖いなんて、そんなはずありませんもの。わたくしは女王なのよ!」 
静かすぎて、真っ暗すぎて怖いなんて、言えない。

オリヴィエの背中がゆっくりと回って、ダークブルーの瞳がロザリアを見た。
「それは、女王としての命令?それとも、ロザリアとしてのお願い?」
ドキン、と心臓が大きく動いたのがわかる。
いつでもこの暗青色の瞳を見ると勝手にドキドキしてしまうのだ。
「そ、そんなこと、どっちだっていいでしょう! もういいわ。 早く出ていって!」

強引に背中を押そうとしたロザリアの両手をつかむと、オリヴィエはロザリアの膝を抱えて抱き上げた。
お姫様だっこされたことに気付いて、ロザリアは真っ赤になった。
「なになさるの!離して!」 
バタバタと足を動かして逃れようとするロザリアを布団の上に連れていく。
よいしょっと布団の上に下ろされたロザリアは真っ赤な顔をしてうつむいていた。
「ここにいてあげるから、早く寝ちゃいな。」 
布団の横に腰をおろして、オリヴィエはロザリアの髪をなでた。
顔を上げたロザリアの目はうるんでいて、オリヴィエはドキリと目をそらしてしまう。
それを見てロザリアは何も言わずに布団に滑り込むと、目を閉じた。

「眠れませんわ。」 
目を閉じたまま言う。 
「こんなに早くベッドに入ることなんてないんですもの。全然眠くありませんわ。」
オリヴィエは苦笑すると、ロザリアの隣に肘を立てて横になった。
片手で、ロザリアの布団をぽんぽんとあやすように叩く。
「あんたはいつも頑張りすぎなの。この旅行のためにも一杯無理したでしょ。本当は疲れてるんだからすぐ寝れるよ。」
優しい歌がオリヴィエの口から流れ出した。
「それは?」 
ぽんぽんと叩きながらオリヴィエは答える。
「私の故郷の子守唄。すぐに眠くなるよ。」 
静かな声はいつものオリヴィエじゃないみたいだ。

眠れないわ。こんなにドキドキしているんですもの・・・。
甘い声の中で、いつの間にかすうっと意識が遠くなる。
お風呂に入ってきたり、浴衣を直されたり、こうして寝かしつけられたり、まるで子どもね。
女として見られていないとしても、ここにいてほしい。
だって、わたくし、やっぱりあなたが・・・。
ロザリアが規則正しい寝息を立て始めたのに気づいて、オリヴィエは叩くのをやめる。

「おやすみ、かわいい女王様。」
どうして彼女を見るとこうして構いたくなるんだろう。
怒られたり、睨まれたり、ろくなことにはならないのに、それさえも楽しい。
オリヴィエはロザリアの額にそっと口づけると静かに部屋を出て行った。


「これは一体、どういうことだ!?」 
目が覚めたジュリアスは部屋の惨状に驚いた。
あちこちに守護聖がごろごろと転がり、まだ眠っている者もいる。
隣で眠るゼフェルが勢いよく足をぶつけて来て、ジュリアスの背中にクリーンヒットした。
ジュリアスは立ち上がると、「皆のもの、これはどういうことなのだ!」 と叫んだ。

その声で、オスカーが飛び起きると、あたりをきょろきょろと見回した。
「これは・・・?」
俺は一体どうしたんだ? 
確か昨夜ロザリアの手を握って、さあ口説こうかというときにビールを勧められて・・・。 
記憶がない。
オスカーはジュリアスに見られないように下を向くとふっと笑みを漏らした。
あのビールの中に何か入れてあったのだ。
ロザリアの浴衣姿に目を奪われて全く警戒していなかった自分を思い出す。
これだから、君から目が離せなくなる。
オスカーは大声で笑い出しそうになる自分を一生懸命抑えると、勢いよくかけられた布団をめくって、次々に眠っている守護聖を起こした。

「なんだよ~。」
「僕、まだ眠いよ~。」
「寝てしまいましたね~。」
「わたくしはどうしてこんなところに?」 
口ぐちに首をひねっている。

ふすまががらりと開いて、クラヴィスが顔を出した。
「おまえたち、いつまで眠っているのだ・・・。」 
その声に時計を見ると、9時を回っている。
「オスカー、出発の時間は何時だ?」 
「10時です。」
その言葉にくるりとみんなを振り返ると、
「今日の朝食はなしだ。速やかに帰宅の準備をするように。」 とジュリアスは告げたのだった。
「クラヴィス、そなたは朝食を取ったのか?」 
クラヴィスはゆっくりと頷くと、「干物というのが意外にうまかったぞ。」と言う。
「ああ~、そんな~、ぜひ私も~。」 
ルヴァがゼフェルに引っ張られて奥の客室のほうへ消えて行った。
そんな守護聖たちをクラヴィスは目だけで笑って見ていたのだった。


旅館を出たオリヴィエの隣にロザリアがとことことやって来て、ふんと顎を上に向けて言った。
「昨夜はご迷惑をおかけしましたわ。・・・ありがとう。」
きらりと輝いた瞳はよく眠ったせいかとても澄んでいる。
少しはにかむ表情が憎たらしい態度にそぐわないが、とてもかわいい。
オリヴィエはロザリアの耳元に唇を寄せると囁いた。

「ロザリアとしてのお願いならいつでも聞いてあげるよ。添い寝してほしくなったら言ってよね。」
くすくす笑うオリヴィエのすねをロザリアは思い切り蹴とばした。
うっと足を抑えるオリヴィエを押しのけると、ロザリアはアンジェリークの元へ走って行く。
そのいかにも普通の少女のようなロザリアがとても眩しく見えて、オリヴィエは少し温かい気分でその後ろ姿を見送っていた。


FIN
Page Top