3.
浴衣の袖は大きくて、涙を拭くにはちょうど良かった。
目が赤くないかしら、と気にしながらロビーに入ると、５人の守護聖が一斉にロザリアを見た。
「おや、陛下。わたくしたちと同じ衣装なんですね。」
リュミエールが腕をひらひらさせながら言った。
いつもの衣装に似ているせいか違和感なく着こなしている。
「私もね、一度着てみたかったんですよ～。」
ルヴァも同じように袖をひらひらさせた。二人にはとても好評らしい。
「ケッ、動きにくいったらねーよ。」
足を大きく広げてソファに陣取るゼフェルの浴衣は前がぱっくり割れて、中がのぞけそうだ。
「ゼフェル、前が見えるぞ。それほど自慢のモノなら別だが。」
「な！！」
ゼフェルは真っ赤になって前を隠すとロザリアを見た。
「見たのか？」
ロザリアはぶんぶんと首を振った。
ゆったりと腕を組んでソファにもたれるようにして立っているのはオスカーだ。
少し気崩した感じがセクシーで、はだけた前から胸板がのぞいて、ロザリアは目をそらした。
「ん？陛下にはまだ刺激が強すぎたかな？」
アイスブルーの瞳がからかうようにロザリアを映す。
その言葉にロザリアが言い返すよりも前にマルセルが言った。
「陛下はとっても似合ってるね。なんだか普通の女の子みたいで、可愛いよ！」
ストレートな讃辞に赤くなったロザリアを見て、ゼフェルがマルセルをつつく。
「お前そんなこと言って恥ずかしくねーのかよ！」
ゼフェルときたらロザリアの浴衣姿をまともに見ることもできないらしい。
「やめてよ、ゼフェル～。」「うるせー！」
二人の言いあいが始まった。
やっぱりどこに来てもこの方たちは少しも変わらないのね、とロザリアは思った。
どうせジュリアスとクラヴィスは団体行動には向いていないから、ハナからあきらめている。
「アンジェリーク達はどうしていましたか～。」
みんなそれは気になるらしい。
ゼフェルとマルセルも言いあいを止めてロザリアに注目した。
「ええ、あんまり仲がいいものですから、わたくし、部屋を出てきましたのよ。」
なんだかやっかみのような空気が流れてくる。
「おめーはどこで風呂入ったんだよ。まさか、ランディも一緒に・・・？」
みんなが「えっ！」とロザリアを凝視した。
部屋風呂は小さな脱衣所はあるもののほとんど筒抜け状態だった。
いくらアンジェリークという妻がいるとしても、もし同じ空間にいたとしたらランディは到底許せない、とゼフェルの目の色が変わった。
「まさか、御冗談はおやめになって。わたくしは大浴場ですわ。」
「「「「「大浴場～～」」」」」
そんなものがあったのか～と、それぞれが違う意味で残念がった。
混浴なのか？泳げるのかな？広々していてよさそうですね～。ゆっくりできそうですね。
いろんな思いがぷかぷかと浮かんでいる。
「オレも飯食ったらその大浴場ってやつに行ってみるぜ。」
一番興味なさそうなゼフェルの声に心の中で 「ロザリアと同じ風呂に入りたいだけだろ！」 とみんなが突っ込んでいた。
「晩ごはんまでトランプでもしようよ～。」
ランディがいなくて遊び相手がいないのか、マルセルがロザリアの袖を引っ張った。
「ええ、みなさんもいかが？」
オスカーは首を振ったが、ゼフェル、ルヴァ、リュミエールは賛成してくれた。
まずはババ抜きでも、とたわいもないゲームから始めることにした。
ロザリアの隣にちゃっかりと座ったゼフェルはその湯上りの香りに真っ赤になりながらカードを抜いている。
そしてキラキラといたずらな青い瞳が輝くたびにわざとなのか騙されやすいのか、ロザリアからババを引かされていた。
それでも次のマルセルに引かせるのもお手の物らしく、ゼフェルはうまくババから逃げていたのだった。
パタパタと音をさせて廊下から人影が現れると、ロザリアはわざと顔をあげて、やってきたオリヴィエを睨みつけた。
「よお、なにもしないってのは暇なもんだな。どうだ？軽くやらないか？」
オスカーがグラスを口へ運ぶまねをすると、オリヴィエは頷いてオスカーの隣に座った。
「ワインもウイスキーもないらしい。きょうはこれだ。」
瓶ビールを女将から受け取ると二つのグラスに注ぐ。
うまい具合に泡がすーっと表面を覆い、グラスの底からもふつふつと立ち上がった。
オリヴィエはグラスを持ち上げると一気に中身を飲みほした。
苦いホップの香りが口の中に広がる。
そのほろ苦さを求めて、数回グラスへとビールを注いだ。
「また、オレの勝ちだな！」
今日のゼフェルは絶好調のようだ。マルセルがぶーっと膨れる声が聞こえた。
「おめーら、弱すぎるぜ。なんか賭けるか？ちったあ、張り合いがでるぜ？」
意外にも賭けに乗ったのはリュミエールが最初だった。
「そうですね。では、夕食の席でも賭けましょうか？」
今日は総勢１１人。
アンジェリークとランディが隣同士なのは鉄板として、あとがどうなるかは考えてもいなかった。
女王のロザリアを真ん中にして守護聖の順に並ぶ？
マルセルとオリヴィエの間で食うなんて御免だ！
ゼフェルは大声で、「その賭け乗った！」と叫んだ。
「誰の横で食うか、賭けようぜ。」
見ればルヴァも乗り気のようだ。
「おっと、お前たちだけで決めるつもりか？」
少しアルコールが入って上機嫌なのか、オスカーが椅子を引きずってゼフェルとルヴァの隣に入った。
「お前はどうするんだ。」
オスカーがオリヴィエに声をかけた。
「私はいいよ。ここで見てる。」
体を向けることもなく、手をひらひらとさせている。
ロザリアを見ようともしないその態度にプチっと何かが切れる音が聞こえた。
「あら、それではジュリアスとクラヴィスの間に入っていただきましょうかしら？」
地獄のようなロザリアの声にオリヴィエは椅子に手をかけた。
どうやら逃げることは許されないらしい。
ルヴァとリュミエールの間に椅子を入れると、カードが配られるのを待った。
「くそっ！」 と言うゼフェルの声とともにリュミエールがにっこりとほほ笑んだ。
結局最後は順当に腹黒さ（？）で勝負が決まり、夕食の席は和やかに決まったのだった。
神様は私を見放したよね、とオリヴィエは自分にあてがわれた席に座った。
お膳はアンジェリークとランディを上座にしてコの字型に並べられている。
こうして下に座ってご飯を食べたことはない。
たぶん他のみんなも同じようで、なんとなく足が落ち着かないようだ。
ルヴァのまねをして足を崩してはみたものの、すーすーする下半身が非常に気になった。
「ねえ、ルヴァ、この座り方はこれでいいわけ？」
こっそり聞くと、ルヴァはうんうんと頷いている。
「この胡坐と言うのは男性の座り方で足が楽でいいんですよ。ただ、浴衣の裾には気をつけてくださいね。向こうから見えますよ～。」
向かい側の席を見ると、ロザリアがきちんと足をそろえて座っているのが見えた。
隣にいるオスカーが何か言って、ロザリアがオスカーの二の腕をぎゅーっとひねり上げている。
それを見てゼフェルがちっと爪を噛んだ。
素直なゼフェルはあっさりと最後の大勝負に負けて、ロザリアから一番遠い席に追いやられている。
オスカーをたしなめるリュミエールの顔は何気に嬉しそうで、初めからあの席を狙ってやがった、というゼフェルのつぶやきも大いに納得できた。
この綺麗な星空であわよくば告白してやる！と張り切っていたゼフェルは、かわいそうなくらい意気消沈している。
ロザリアとの距離は２ｍないとしても、会話するのは難しい。
視界良好でその姿がはっきり見えるだけにゼフェルは余計にイライラしていた。
「では、そろそろ始めようではないか。」
ジュリアスの声にざわめきが消える。
ロザリアが立ちあがると、「今日はみんなで楽しみましょう。こういう形式のパーティを宴会と言うのですって。」
ちらりとルヴァを見てにっこりとほほ笑んだ。
ルヴァが照れたように赤くなる。
その微笑みは殺人的にかわいくて、ゼフェルはルヴァを横目で睨みつけた。
「それから無礼講と言って地位や身分を気にせずに楽しむ素晴らしい風習もあるんですのよ。今日はその無礼講でいきましょう。」
「乾杯。」
とロザリアはジュースの入ったコップを掲げると一気にグラスを開けた。
その勢いに押されてみんなも一気にグラスを開ける。
なぜだかここでは、とりあえずビールらしい。
見れば未成年たちはグレープフルーツジュースのようだ。
苦みの強い飲み物がこの辺りでは普通なのか、それともたまたまなのか、確かに甘い飲み物よりは食が進むらしい。
次々と新しいビンが運び込まれている。
守護聖といえども人間で、しかもみんなの酒量ときたらかなりのものだ。
いつもなら誰よりも飲んで騒ぐはずがさっきも軽く飲んだせいか、オリヴィエはあまりおいしいと思えず、グラスに口をつける程度でやめてしまった。
蒼い瞳がうっすらとにじんだロザリアの顔がちらついて、浮かれる気持ちにはなれそうもない。
ワイワイと料理が運ばれてきて、珍しい盛りつけの様子にみんなの旅行気分が盛り上がる。
「一度にすべての料理が出てくるとはずいぶん変わっているな。」
ジュリアスが女将に尋ねている。
お膳の上を所狭しと並ぶ見慣れない食材はジュリアスの興味をそそったようだ。
伊勢海老のつくりは特に気に入ったらしい。
浴衣姿のジュリアスなんて絶対貴重だよね～と、オリヴィエはあたりを見回した。
お酒が入って、みんな地が出てきたようだ。
クラヴィスだけがもう眠っている。
ずるずるの浴衣は全く違和感がなくむしろ似合っていると思った。
オスカーを気にしてちらちら前を見ていると、ロザリアと目が合う。
ふん、と顎を上げたロザリアはオリヴィエに向かって小さく舌を出した。
女王さまらしからぬその様子にどうやらロザリアもこの宴会を楽しんでいるのだ、とわかる。
ロザリアは少し赤い顔をして、正座した足を崩している。
きっと隣のオスカーあたりが甘い言葉でも言ってるのだろうと思うと何やらもやもやする。
崩した裾からちらりと綺麗な足首がのぞいてオリヴィエはドキリとした。
さっき意図せずに目にした綺麗な首筋と肩を思い出してしまい、ますます心拍数が早くなる。
この女王様は本当に危機意識がないらしい、とオリヴィエはため息をついた。
「ああ～、ゼフェル～、あなたはまだ未成年でしょう～？」
おろおろするルヴァの声が右耳から聞こえ、「うるせーな、無礼講ってやつなんだろ！」と言うゼフェルの声が左耳から聞こえる。
見ればゼフェルはビール瓶を抱えてラッパ飲みしている。
「飲酒が未成年に及ぼす悪影響は～。」
オリヴィエは後ずさって二人の間から逃げだした。
縁側の付いた廊下から庭へ出ると、夜空を埋め尽くすように星が輝いているのが目に入った。
聖地の空も美しいけれど、人工的な明かりのない世界は本当に綺麗だ。
オリヴィエは手ごろな岩に座ると、体を伸ばして上を向いた。
目に映るのが輝く星だけになる。
女王らしく優雅に微笑むかと思えば、子供のように怒りだす。
ロザリアにはまだどんな顔が隠れているんだろう。
あんなことやそんなことやとても口に出して言えないようなことをしてきたというのに、自分はまともな恋愛をしてこなかったのかと思う。
お手軽な恋愛ごっこを楽しむのが一番気楽でよかったのに。
馬鹿らしいと思っていた恋というものに振り回されていて、こんなままごとみたいなことが楽しいなんて、ずいぶんヤキが回ったもんだ。
オリヴィエは苦笑した。
ぽっかり浮かぶ丸い月がまるで笑っているようだった。
ここにいてほしい
