ここにいてほしい

2.

オリヴィエはすたすたと歩くロザリアの後ろを彼女のスーツケースを転がしながらついて行った。
さらに後ろをアンジェリークとランディがついてくる。
「さあ、行くわよ。」 とスーツケースを押し付けられたオリヴィエは一応、「なんで?」と言ってみた。
ちらりと視線だけ向けられて、ロザリアはどんどん歩いていく。
「おもしろい娘だな・・・。」 
クラヴィスのつぶやきに、リュミエールもにっこりとする。
「陛下はこの世にお一人ですから。」
リュミエールはオリヴィエの荷物をひょいと抱えると部屋へと向かった。

「ちょっと、どこまでいくのさ。」 
閑静な小道はどこまでも続いているように見える。
両脇にそよぐ竹藪がさわさわと柔らかな音を立てた。
「葵の間ですわ。露天風呂付きの離れなんですのよ。」 
少し脇へそれたら何かが埋まっていそうな細い道を進むと、平屋の一軒家が見えた。

「うわ~、素敵ね!」 
アンジェリークが家の中に走っていくと、それをランディが追いかけて行った。
「じゃ、わたくしはあちらへ行くから、二人で仲良くね。あとはわたくしに任せておいて。」 
ロザリアは二人に声をかけると、くるりとUターンする。
それからオリヴィエを追い越すと、振り向いて、「荷物はこちらへ。」と言った。
手前でいいなら、早く言ってよね! と再びスーツケースを転がして来た道へと戻っていく。
結局、元の建物の裏口についた。


「ねぇ、ここ元のとこなんだけど。」 
オリヴィエはスーツケースにもたれてため息をつく。
裏口をくぐると今度は廊下が続いていて、歩くたびにきしきしと音を立てた。
スーツケースがガラガラと大きな音を立てるせいで、ロザリアににらまれたオリヴィエは仕方なくスーツケースを抱えた。
何が入ってるんだろう?と思うほど重い。
「ここですわね。」 
2号室と書かれた部屋の前に立つと、ふすまをがらりと開けた。

畳と床の間のある純和風な部屋は新しい畳の匂いがした。
その珍しいたたずまいにオリヴィエは目を丸くする。
こういうインテリアがあることは知ってはいても実際に見るのは初めてで、何となくさびし~い感じがする。
「ホントにあんた、ここに泊まるの?」
驚いた様子のオリヴィエにロザリアは腰に両手をあてて言った。

「豪華なホテルは飽き飽きですのよ。旅の醍醐味はいつもと違う世界!
 まさにこの鄙びた雰囲気が、わたくしの求めていたものですわ!」
「それにしても、ちょっとさびしくない? みんなのとこからも大分離れてるよ?」
オリヴィエは廊下に顔を出しながら言った。
ここはスタッフオンリーの扉の向こうなのだろうか?
客は自分達しかいないし、従業員もわずかだ。・・・夜はどれほど寂しいことか。
「もともとは客室だったそうですのよ。いまは限られた客しか泊らないから使っていないのですって。」
ロザリアはくるりとオリヴィエに視線を合わせると、人差し指を鼻先に突きつけて言った。
「誰にもこの部屋のことは言わないでちょうだい。アンジェリークの邪魔をしたら許しませんわよ!」

わかってる。すべて、アンジェリークとランディを二人きりでゆっくりさせるため。
露天風呂付きの離れも、この狭い部屋に移るのも。
女王様の計画通りなのだ。

「お風呂はどうすんのさ?ここはないみたいじゃないか?」
オリヴィエの言葉にロザリアはぐっと詰まったように後ずさった。 
「い、いいのよ。一日くらい入らなくても。」 
「せっかくの露天風呂なのに?」 
ロザリアががっくりとうつむいた。
が、すぐに顔を上げると、オリヴィエをじろりと見た。

「申し訳ないけど、あなた、見張りをしていただけませんこと?」 
なに、この命令口調のお願いは? 
ロザリアはじーっとオリヴィエを見つめている。 
オリヴィエは唖然としつつもその青い瞳で見つめられると、結局言うことを聞いてしまう自分が情けないと思った。
「いいけど、あんた、私のことなんだと思ってるわけ?」 
危機意識というものはないのだろうか、それとも男として意識していないだけなのか。
どっちにしても落ち込みそうだ。
ロザリアは少し考えるようなそぶりを見せた。 

もし、好きって言ったらどんな顔をするかしら?
「そうですわね。少なくともわたくしを女とは思っていらっしゃらないでしょう? これ以上安全な方はいませんわ。」
せいぜい嫌味に聞こえるといいわ。
ロザリアはさっさと部屋の押し入れから浴衣を取り出すとお風呂へ行く準備を始めた。
少なからずオリヴィエはショックを受けた。
女として見ていない? 
もしここで思いっきりキスしたらどんな顔をするだろう?

「さあ、行きましょう。」 
気づけばロザリアは両手に荷物を抱えている。
「あんた、なに、それ?」 
首をかしげるロザリアはとてもかわいい。
いつもこうしていればいいのに、と思う。

「バスオイルですわ。」 
あ~もうっ、とオリヴィエはロザリアの手の中からバスオイル、ボディシャンプー、ボディスポンジ、マッサージャーを取り上げた。
「あのね、こういうもんは温泉じゃ使わないの!」 
ぽいぽいと荷物からいらないものを取ると、荷物は半分ほどになる。
「あとは・・・。」 
浴衣の下を探ってぎょっとした。
柔らかなシルクのような感触にドキッとしてしまう。
オリヴィエは素知らぬ顔でロザリアの背中を押した。


大浴場の入り口の札を清掃中にまわして、オリヴィエはきょろきょろとあたりを見回した。
とりあえず誰もいないことを確認すると、入り口の引き戸を少し開けて声をかける。
「誰も来ないよ。私が見張ってるから、ゆっくりね。」
「お願いいたしますわ。」 
さわさわと聞こえる衣擦れの音が耳につく。
青春時代のガキじゃあるまいし、こんなことで動揺しない、とオリヴィエは首を振った。
戸の前に座りこむと見張りに集中した。

ロザリアにとって初めての露天風呂はとても気持ちのいいものだった。
かけ湯をしてみると、少し熱い湯が心をしゃっきりとさせてくれるようだ。
綺麗な青い空がお湯に反射して鮮やかな岩の色を浮かび上がらせている。
ぼんやりあがる湯気が何ともいえずに情緒深い。
岩と岩の隙間から恐る恐る入ると少し熱い湯が足に当たった。
我慢して指先を浸していると、温度に慣れてくる。
ゆっくり湯に入ると、ロザリアはほっと吐息を漏らした。

「ロザリア!」 
アンジェリークの声にびっくりして、ロザリアは顔を上げた。
「アンジェ、なにをしてるんですの?」
アンジェリークはエへへと笑うと、ロザリアのすぐ隣に体を沈める。
岩の間からあふれた湯がこぼれ出た。
「だって、ロザリアとも一緒に入りたかったんだもん!」 
初めてだよね!と無邪気に笑うアンジェリークにロザリアも笑顔になった。
アンジェリークが来て、とたんに中がにぎやかになったのがオリヴィエにもわかる。
ああ見えてもきっとロザリアも寂しいんだろうな、と思った。
いつでも一緒だった無二の親友の代わりになれるなんて思ってないけど、ロザリアが必要としてくれるなら、いつでも手を貸したい。

「やだ~、ロザリアってばすっごく胸が大きいのね~。触っていい?」 
オリヴィエはせき込みそうになる。
「あら、アンジェこそ、これ、キスマーク?」 
ロザリアの驚いた声でオリヴィエも驚いた。
「ランディって、すごいのね~。」 
同じことを思ってしまった・・・。
軽く自己嫌悪に陥る。
それにしても、まさかランディに先を越されるなんて。
逃した魚は大きいということなんだろうか? 
けれど、今、こうして逃げたかどうかもわからない青い魚に振り回されていることがなんだか楽しい気もする。

「ロザリアってお肌もすべすべだよね~。」 
「ちょっと、アンジェ、どこさわっているの?」 
「いいでしょ~。触らせてよ~。」 「もう、困った子ね。」
イケナイ妄想が広がって来て、オリヴィエは頭を振った。

「ね、ロザリアは誰か好きな人いるの?」 
突然始まるガールズトークに耳が大きくなる。
「・・・・いませんわ。」
少し間のあいた返答をアンジェリークは見逃さない。 
「うそ~! もしかして、まだ?」
しばらく沈黙があって、
「わたくし、あきらめが悪いみたいですわ。だって・・・。」

「きゃっ~~~!」
アンジェリークの悲鳴にオリヴィエは考えずに戸をあけた。
湯気の向こうに青紫の影が見える。
反射的にそばにあったバスタオルをつかむと、その体にバスタオルを巻きつけた。
「あの、オリヴィエ。なんでもなかったみたい。風で葉っぱが揺れたから・・・。わたしはいいから、ロザリアを・・・。」
湯気がはれて腕の中を覗き込むとアンジェリークが立っていて、困惑した碧の瞳がこちらを見上げていた。

よく見れば、頭に巻いている薄ピンクのタオルが湯気で紫っぽく見える。
あわててあたりを見回すと、風呂の中に体を丸めているロザリアが見えた。
ターバンのように頭に巻かれたタオルがふるふると震えている。
ロザリアの顔から水滴が落ちて、水面に波紋が起きたように見えた。

「ロザリア、大丈夫かい?」 
覗き込もうとして湯桶が飛んできた。
オリヴィエが素早くよけると、カコーンといい音がして、向こうの岩にぶつかる。
「早く出て行ってくださいまし!!」 
うつむいているのはどうしてだろう。
いつもなら何よりその青い瞳で睨みつけてくるはずなのに。
「ごめん。」 
アンジェリークを離すと、オリヴィエは外へ出た。
扉の下に座りこんで、膝を抱えて頭をのせた。

ただ、動転してしまったのだ。彼女のことになるといつもそう。
もっとうまいやり方を後からならいくらでも思い付くのに。
頭を上げてため息をついた。
目を向けてもくれなかったことが悲しかった。

「ロザリア、泣いてるの?」 
うつむいたままのロザリアにアンジェリークが声をかけた。
「オリヴィエはわたしとロザリアを間違えたんじゃないかな? ほら、湯気でよく見えないし。」
きっと顔を上げたロザリアは泣いてなどいなかった。・・・むしろ怒っていた。
「女性の入浴中に入ってくるなんて、どういうつもりなのかしら?よっぽどわたくし達を女として見ていないのね!」
「あ、あの、ロザリア?」 
オリヴィエの血相を変えた様子に気づかなかったのかな? とアンジェリークは首をかしげた。
なんてことはない葉ずれの音に驚いて大声を上げた自分もいけなかった。
それにしてもあんなに驚いたオリヴィエの姿を初めて見た。

もしかして、オリヴィエったらロザリアを?
候補だったころ、ロザリアがオリヴィエにフラれたことは知っている。
だからこそロザリアは女王になったのだ。
あれからお互いにいろいろあったし、気持ちが変わることもあるかもしれない。

「オリヴィエは助けに来てくれたんじゃないかな~? ほ、ほら。クマとか出そうだし。」
アンジェリークの声を聞いていないのか、ロザリアはさあっと上がると脱衣室に戻っていた。
「このままではのぼせてしまいそうだわ。」 
頭に血が上ってるのがわかる。
さっさと浴衣に着替えると、ロザリアは脱衣室のマッサージチェアにドスンと腰を下ろした。
この後を見ていなさいよ!と恐ろしい表情で肩コリをほぐすロザリアを、アンジェリークは横目でちらちらと見ていた。


部屋までついてきたオリヴィエの鼻先でロザリアはぴしゃりとふすまを閉めた。
もどる途中ずっと、「ごめんね。」と繰り返すオリヴィエをほとんど許してはいたけれど。
部屋の中をイライラと歩きまわっても、いつものヒールの音ではなく、なんとなく心が和んでしまう。
甘い顔しちゃダメ! と気合を入れ直した。
しばらくしてふすまを開けると、まだ廊下にオリヴィエが立っていた。
口角が緩むのをぐっと我慢して、顎を上げて、仁王立ちになる。

「さあ、皆さんのところに戻りますわよ。くれぐれもこの部屋のことは秘密でお願いいたしますわ。」
言うだけ言って、ロザリアはすたすたと歩いて行ってしまった。
オリヴィエはなんだか嬉しくて走り寄って少し後ろについて歩く。
目があった時、確かにロザリアは一瞬嬉しそうな眼をした。
すぐに不機嫌な顔に変わったけれど、もともと嘘のつけない彼女のことはよくわかっている。
くっと笑いを洩らしたオリヴィエにロザリアはぎろりと視線を向けた。
浴衣姿でノーメイクのロザリアは本当に幼く見えて、いつもの彼女じゃないみたいだ。
けれどゆるくアップにした髪のおくれ毛がセクシーでうなじに口づけしたくなる。
誰にも見せずにいたかったな、と思った。

「なにがおかしいんですの。」 
早く言いなさい、と聞こえてくるけれど、かわいい、なんて言ったらまた何か飛んできそうだ。
「ん~、浴衣がちょっと崩れてるかな~って。」
言いながら合わせを直していく。
しかし帯が邪魔で布地がよれてしまった。
「ねぇ、帯を外していい?」 
結び目に手をかけて、しまったと思ったがもう遅い。
ロザリアの平手が飛んで来て、オリヴィエの耳を打った。

「あなたは・・・。」 
不意に青い瞳から涙がにじんで、オリヴィエは動けなくなってしまった。
パタパタと聞いたこともない音を立てるスリッパが遠ざかって行くのを、オリヴィエはぼんやり眺めた。
打たれた耳がひりひりと熱を持ってきて思わず手のひらで押さえた。


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