live together?

鼻先をくすぐるやわらかな毛にロザリアは意識を取り戻した。
「もう、カロリーナったら。やめて。」
手で払ってもまだふわふわと鼻先をかすめる毛に再び繰り返す。
「カロリーナ、だめよ。」
そう言って、ロザリアははっと目を覚ました。
生家で猫のカロリーナを飼っていたのはもう何年も前の話だ。
よくよく目を凝らして見ると、猫の毛だと思ったのは、柔らかな金の髪。
カーテン越しの朝日を浴びてキラキラと輝くやわらかなハニーブロンドは、ロザリアの声に寝がえりを打つと、
「おはよ。お姫さま。」 と、微笑んだ。
滑らかな白い肌に甘い色の金の髪がかかっている。
メイクをしていない顔を見たのはもちろん初めてで、その思いがけず端正な顔に胸が高鳴った。
微笑みを返そうとして起き上がって自分の姿に気付く。

服が、ない。
ないわけではない。着ているものが違う。
シルクサテンの綺麗な紫のパジャマは明らかに男ものだ。
「こ、これは・・・?」
オリヴィエは面白そうにくくっと笑うと、こう言った。
「あんたって、酔うと人格変わるんだね。すごく大胆になるんだから。さすがの私も手こずっちゃったよ。」
思い出し笑いなのか、くくくくくっと体を折り曲げたオリヴィエは起き上がってからも膝に顔をうずめて笑い続けた。
なにも着ていない上半身があらわになってロザリアは目をそらしてしまう。
その姿に顔面がさーーーっと蒼白になって、ものすごい勢いでベッドから飛び降りた。
そして、ソファにかけてあった服をつかむと言った。
「わ、わたくしはあなたと、一夜を過ごしてしまったということですの?」
その震える声に顔を上げたオリヴィエは涙目でロザリアに笑いかけると、
「そういうことになるかな?」とウインクした。

「あんたがどうしても私と寝たいって言うから。」

その言葉に青ざめてパジャマの上からワンピースを着たロザリアは、なぜか「申し訳ありません!!」と言って部屋を飛び出して行った。
裸のままで追いかけることができなかったオリヴィエはベッドの上で茫然とした。
あんなに急いで、どうするんだろう?
まだいつもより1時間も早いことを確かめると、もう一度ベッドにもぐりこんだ。
日の曜日くらいゆっくり寝ていたい。
あたたかなベッドの片側を感じて、また思い出し笑いをした。
昨日は本当に面白かった。

なぜこんなことになったのか。
隣で真っ赤な顔をして半分目を閉じそうになっているロザリアを見てオリヴィエは苦笑した。
今日の昼、たまたまオスカーの執務室に行ったオリヴィエはご機嫌な様子のオスカーに声をかけられた。
こんなときはたいてい、いい女を見つけたとかそんなことに決まっている。
「いい店を見つけたんだ。」
その途端、ノックとともにロザリアが入ってきた。
「ワインバーなんだが、いい種類がそろってるんだ。」
「ワインバー?」
ロザリアの声に一瞬しまったという顔をしたオスカーはさすがに早い切り替えで笑顔をつくった。
「補佐官殿には縁のない場所さ。ところで何の用かな?」
その言葉を無視してロザリアはにっこりとほほ笑んだ。
「そのワインバーにわたくしも連れて行って下さいませ。最近おいしいワインを飲んでいなくて。」
オスカーはふっと両手を上げて言った。
「未成年のお嬢ちゃんは連れていけないさ。おとなしく家に帰るんだな。」
ロザリアはむっとして綺麗な眉を吊り上げる。
「ワインならいつも飲んでいますわ。
 ・・・それに連れていけないとおっしゃるのでしたら、しばらく泊まり込みで警備でもしていただきましょうか?」
言葉に詰まったオスカーにオリヴィエが助け船を出した。
「ま、連れて行ってあげたらいいじゃないのさ。私にまかせといて。」
後半はオスカーに向かって言った。
いざとなれば、私が連れて帰るよ、という目をしたオリヴィエにオスカーも不承不承頷いた。
オリヴィエがなんだかんだと面倒見がよいことはオスカーも知っている。
特にロザリアに対してそうだ、ということに本人も気づいているのか、いないのか。
かくして、笑顔のロザリアと仏頂面のオスカーとなんとなくのオリヴィエはワインバーに向かったのだった。


カウンターで最初の1杯を頼むと、ロザリアは静かに口をつけた。
瞳がきらきらとしてそのワインが好みの味であったことがすぐにわかる。
素直な表情を見せるロザリアにオリヴィエは微笑んだ。
いつもこんなふうにかわいくしていれば、年少組にもウケがよくなるのに。
ツンツン頭の意地っ張りやきついことを言われて青くなる元気少年を思い出した。

オスカーが早速お目当てのピアニストを口説いているのを見て、嘆息する。
あいつはもう頼れそうもない。
ロザリアの前のグラスが立て続けに3回変わるのを見て、さすがに声をかけた。
「ちょっと、ピッチが速いんじゃない?もう少しゆっくり楽しもうよ。」
ね、と目の前からグラスを動かしたオリヴィエをロザリアは少しうるんだ目で見つめた。
「まあ、オリヴィエったら優しいんですのね。わかりましたわ。・・・つぎはこのカクテルにしますから。」
カクテルならアルコール度数も低いと思っているのか、ロザリアはすでに4杯目を注文している。
少し酔いが回っているのか、首を傾げたロザリアは青紫の髪をふわりと片側に寄せた。
オリヴィエの前に綺麗な首筋が見えて、思いがけずに色っぽいしぐさに驚く。
背の高いスツールに座っているせいかワンピースからちらりと見える膝も、
スクエアネックの胸元からのぞく鎖骨もいつものぴっちりした補佐官服とは似ても似つかないほど可愛らしい。
周囲の客もちらちらと彼女を眺めているのがわかった。
残念だけど、まだ、子供なんだよね。
無遠慮な視線から守るようにオリヴィエはロザリアに近づいた。
「とてもおいしいわ。ワインからもこんなカクテルができるんですのね。」
うっとりとした言葉がこぼれる。
「飲みすぎじゃない?」
「オリヴィエは恋していますの?」
「は?」
「わたくしは恋したことがありませんの。早く王子様が来てくれるように毎日お祈りしているんですのに。」
「王子?」
「ええ。いつかきっと、わたくしを好きだという王子様が現れるんですのよ。」
お堅い彼女の可愛らしい夢がオリヴィエは新鮮に感じた。
「王子はどんな人?」
きっと、かっこよくて優しくて、なんていうんだろう。
「わたくしだけを変わらずに愛して下さる方ですわ。永遠を誓ってくださる方がいいんですの。」
上目遣いで空を見たロザリアは突然しゃきっと起き上がって言った。
「君をずっと探していたんだ。もうずっと離さないよ。なんて、言うんですのよ・・。」
声が小さくなって目が閉じそうになっている。
今日はこの辺で終わりのようだ。
オリヴィエはオスカーに合図を送ると、ロザリアを立たせて店を出た。
店を出るまでは何とか持ちこたえていた足も外の空気に触れた途端にへなへなと座り込む。
「おーい、立てる?」
返事がない。予想通りの展開にため息をつきながらもオリヴィエはロザリアを背中に乗せて歩きだした。
「どこへ行くんですの?」
急に大きな声を出したロザリアにびっくりして立ち止った。
「あんたの家だけど。すぐだからおとなしくおぶさってて。」
その言葉にロザリアはオリヴィエの頭をポカポカと叩いた。
「ダメ!こんな姿を家の者には見せられませんわ。あなたのお家にしてくださいませ!」
「は?」
「家はダメ!家に帰るくらいなら、ここに置いて行って!」
耳元でワーワー言われて、オリヴィエは仕方なく自分の家に連れ帰ることにした。
まさか、ここに置いてはいけない。
早くゆっくりしたくて楽な方を選んだのだった。


夜は使用人も帰るので、ロザリアをおんぶしたままオリヴィエは部屋のライトをつけた。
ようやくベッドに下ろすと、大きく息を吐く。
びっくりするほど軽いとはいえ、かなりの距離をおぶってきたのだ。汗もかいたしとりあえずシャワーを浴びることにした。
パジャマに着替えて部屋に戻ると、ロザリアが服を脱ぎかけていた。

「あーーーー!!ちょっと待って!」
ミニ丈のスリップになったところであわてて声を上げると、ロザリアはなに?という目で見返してきた。
綺麗なボディラインが目に入って、自分じゃなかったらどうなっていることか!となぜかイライラしてくる。
「着替えなくては眠れませんわ。」
口をとがらせる姿は確かに普段とちがっている。自分の前で服を脱いだなんて教えたら、きっと彼女は気絶するだろう。
「これ、これ、着て!!」
オリヴィエは自分が着ていたパジャマの上をロザリアの肩にはおらせると反対側を向いた。
自分は上半身裸になってしまったが、まあ、どうせ見られたところでどうということもない。
ぶつぶつと何かを言いながらも着替えた様子に安心して振り向くと、ロザリアがこっちを見ている。
「少し大きいですわ。」
丈はワンピースくらいあるが袖も長い。手が隠れるのを面白がってロザリアはくすくす笑っている。
「似合います?」
にっこりした笑顔に少しドキッとしてしまった自分に困惑した。
オリヴィエが返事をする前にロザリアはベッドに倒れ込んでもう目を閉じている。
眠ったと思って近づくと、急にぱちっと青い瞳がオリヴィエを見た。

「さあ、こちらにいらして。一緒に寝ましょう。」
「は?」
「だから!ここにいらしてと言っているんですの!!」
その剣幕に驚いて、なぜか隣に正座してしまう自分がおかしい。
「では、休みましょう。・・・・一人は寂しいでしょう?」
そう言ったロザリアの声が本当にさみしそうで、オリヴィエは素直に隣に横になった。
オリヴィエの胸に顔をうずめるように、ロザリアは丸くなって寝息を立て始める。
そのあまりに無防備な顔にオリヴィエは苦笑して、彼女の顔にかかる髪を払いのけた。
かわいいお姫様が他の誰よりも自分に心を許してくれていることがなんだか嬉しい。
疲れたのは自分も同じで、隣に寝転ぶといつの間にか寝込んでしまった。
暖かいのは彼女のぬくもりのせいだけではなくて、なんだか守ってあげたくなるような気になる。
そして、朝が来たのだ。


「オリヴィエ、オリヴィエ。」
ロザリア?まだいたっけ?
それともさっき飛び出してったのが、夢?
「なあに。まだいたの?」
するするとカーテンが開けられて、オリヴィエは眩しさに目を細めた。
その光に目が慣れてくると、目に映った光景が信じられないというように何度もゆっくりと瞬きする。
夢? まだ、寝てるのかな?
目に映ったロザリアは白いエプロンをつけてにっこりとほほ笑んでいる。
まるで若奥様みたいで、思わず目を疑った。
恥ずかしそうにはにかんだ顔は確かにかわいい。
けれど・・・。
「あんた、なんでそんな恰好してんの?」
起き上がったオリヴィエの姿に真っ赤になったロザリアはあわてて窓の外の方を向いた。
あらわになった上半身をシーツに隠して、オリヴィエは今度こそゆっくりと言った。
「あのね、なんで、エプロンなんかしてんの?新しいファッション?」
振り向いたロザリアはまだ赤い顔をしていた。
言いにくそうにもじもじするロザリアは見たこともないような女の子の顔をしている。
「わたくし、今日からこちらで暮らすことにしましたの。」
「は?」
今なんて?
「ですから。」
さらに顔を赤くしたロザリアはオリヴィエをまっすぐに見つめ直して言った。
「あなたのお嫁さんになりますわ。今日からお世話になりますわね。」

絶句した。
しばらく見つめあって、オリヴィエはとりあえず立ち上がる。
ガウンをはおって、ロザリアに近づくと、彼女はまだじっとオリヴィエを見つめていた。
「なんで?」
そういうと、ロザリアは視線を下に向けた。
「昨夜、一夜を共にしましたわ。もう、わたくしはオリヴィエに妻にしていただくほかはございませんの。」
一言一言を咀嚼するように頭に刻むと、オリヴィエは笑いだした。
「あのね、なにもないから安心して。お嫁さんてあんた、意味わかってんの?」
笑うオリヴィエをぽかんと見ていたロザリアの顔がだんだん白くなっていった。
「では、わたくしは尼になるしかありませんわ。」
「あま?」
「こんなはしたないことをしてしまったら、もうどこへも嫁げませんわ。修道院にはいります。」
大真面目なロザリアにオリヴィエは再び絶句した。
今時どんなことをしたらそんなふうになるんだろう。
時代錯誤も甚だしいが、貴族の令嬢はそう言ってしつけられてきたんだろうか。
あくまで真剣なロザリアを前にオリヴィエは仕方がない、とでもいうように肩を落とした。
幸い今日は日の曜日。要は今日中にあきらめさせればいいのだ。
「じゃあさ、とりあえず、お試しでやってみよう? あんただって私でいいの? 後悔するよ?」
少し脅せばあきらめるかもしれない、と思わなくもなかった。
けれどオリヴィエの言葉にロザリアは安心したようににっこりとほほ笑んだ。
「ありがとうございます。わたくしも本当は尼になるのはいやですもの。」
素直な表情は心に入り込んで、小さなときめきを感じさせる。
どこか氷の中の薔薇を思わせたロザリアがなぜか生き生きとした薔薇のように見えたのだった。


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