魔法の言葉

3.

ロザリアのノックの音でオリヴィエとアンジェリークは顔を見合わせた。
今の今まで昨日のデートのことを話していた最中なのだ。
もっと詳しく聞きたいと思っていたアンジェリークは一も二もなく「入って。」と言った。
中にオリヴィエがいるのを見て一瞬驚いたが、ロザリアは補佐官ではない顔をしてアンジェリークに近づいてくる。

「ねえ、アンジェ。ちょっと聞いていただけるかしら?」
ロザリアはどう話せばいいのか、といつになく思案顔で昨日の話を始めた。
おかしいところはない。
おかしいところはないんだけど、なんとなくおかしい。
自分の思う初デートはもっとこう、距離感があるような気がする。
結局のところ、ロザリアはアルという人物のことがよくわからない、とまとめた。

うんうん、と聞いていたアンジェリークは一冊のファイルを取り出して、目の前に広げた。
ロザリアとオリヴィエもそれを覗き込む。
『草食系男子と肉食系男子』 と書かれたスクラップが目に入った。
けばけばしいレイアウトの紙面はいかにも下界の女子高生たちが好みそうなイメージだ。
アンジェリークは記事を指差しながら言う。

「わたしが思うに、そのアルくんって子はこっちね。今時珍しいらしいわ。」
人差し指の先には『肉食系』の文字がある。
『肉食系』とは『草食系』の対義語らしい。
では『草食系』は、と記事を見ると、
「心が優しく、男らしさに縛られておらず、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子」とある。
オリヴィエはアルを想い浮かべた。
心は優しそうだがいささか強引だし、ロザリアにガツガツしているし、全然傷つかなそうな感じに見える。

「たしかにこっちだね。」
アンジェリークに頷き返すと、アンジェリークはまるで先生のようにロザリアの手を握って言った。
「だからね、ロザリア。別に彼は特別でも何でもないのよ。むしろ現代の下界では普通なの。
だから、彼とお付き合いはするのならそれなりの覚悟が必要よ!」
「覚悟?」
「そう、ちょっと距離なしに思ってもそれが普通なのよ。がんばってね!」
アンジェリークの激励(?)にロザリアは「普通、普通。」と繰り返しながら部屋を出て行った。


その後ろ姿がドアの向こうに消えると、アンジェリークは改めてオリヴィエに向き直った。
ふふふ、とほほ笑む姿はいかにも楽しそうでオリヴィエは背筋が寒くなる。
「肉食よ、肉食。アルくんって子は肉食だわ! ロザリアったらきっと食べられちゃうわ~。」
「た、食べられる?!」
昨日の『アレ』はやっぱり『アレ』なんだろうか、とオリヴィエは考え込んだ。
「なんとかしなくちゃ!早く告白して!どうせ食べられちゃうなら、オリヴィエの方がずっとましよ!!」
ましって何なのよ。
無茶なことを言う女王に軽くデコピンするとオリヴィエは執務室に戻った。
嫌な想像で頭がいっぱいになって全然執務には身が入らなかった。



3回目の日の曜日がやってくる。
2回目のデートでもなんとかキスは回避したが、ずっと手を握られて困ってしまった。
相変わらずメールは山のように来るし、ものすごい好き好きオーラにロザリアも嬉しいながらも困惑気味だ。
まるでよだれを垂らしたオオカミみたいだ、とオリヴィエは恐ろしくなった。
このままではロザリアは本当に食べられてしまうかもしれない。

「明日はそこに行くの?」
ロザリアが見ていたのはイルミネーションの記事で、今ちょうど見ごろだと書いてある。
「ええ、そうなんですの。夜のお出かけなんてあまりないから緊張してしまって。・・・いつか星空を見せて下さいましたわね。」
女王候補だったころの甘い思い出にロザリアの胸がとくん、と音を立てた。
デートかもしれない、と思えたのはあのときだけだ。
星空を見上げた時、このまま時が止まればいい、と初めて思った。

「行かないほうがいいんじゃない?」
オリヴィエの言葉にロザリアは記事から目を離した。
ブルーグレーの瞳とぶつかると、オリヴィエはロザリアの頭をなでながら言った。
「あんたにはまだ早いよ。夜のデートなんて。もう少し先にしてもいいんじゃない?」
なでられて何も言わないロザリアが納得してくれたのだと胸をなでおろす。

「行きますわ。アンジェも言ってましたもの。覚悟が必要って。」
まっすぐにオリヴィエを見返した瞳には怒りのような色が浮かんでいる。
「心配していただけるのは嬉しいんですけれど、わたくしももう大人です。いつまでもお世話にはなりませんわ。」
変わらないロザリアの純粋さが胸に痛い。自分のしていることは余計なお世話なのだろうか。
そうだとしても、とても言葉を止められるものではない。
「あんたは人を信じすぎるよ。私が本当にあんたのことどれだけ心配してると思うの?」
ロザリアが自分以外の誰かのものになるのが嫌だ、なんて全くロザリアには何も関係ない。
ただ、自分のわがままだけど、とにかく行かせたくなかった。
どうしていつも、肝心なことが言えないんだろう。
オリヴィエは思いのほか勇気のない自分に苦笑した。
このままの関係を壊したくないと思う時期はもうとっくに過ぎているのに。

オリヴィエの心配はよくわかる。
でも、ただの心配ならそれこそ不要だ、とロザリアは思った。
「なぜ心配なのですか?わたくしが軽はずみな行動をするとでも? 結果としてそういうことがあったとしても、オリヴィエには関係ないでしょう?」
好きでもないなら束縛しないでほしい。
そう思って思考が止まる。
自分はオリヴィエに止めてほしいと思っているのだろうか?

「・・・関係ないかもね。」
ロザリアがそう言うなら、きっと関係ないのだろう。
『そういうこと』があったとしても。

ベッドにもぐりこんだオリヴィエは、じっとランプが作る光の輪を眺めていた。
「あんたが好きだから。」と、言えばよかった。
タイミングを失った告白がずっと宙に浮いている。
もっと早く言っていれば。
考えれば考えるほど、明日のことが気になって益々寝付けなかった。



澄んだ空気が綺麗なイルミネーションを浮かび上がらせていた。
遠くに見える数万個ものライトがまるで光の洪水のように見える。
目を閉じても残像の残る光にロザリアは感嘆の息を漏らした。
「綺麗・・・。」
シチュエーションはまさに完ぺき。あとはどのタイミングで誘うか、にかかっている。
出逢ったその日に誘うこともできた。でもそれをしなかったのは自分がかなり本気だから?
アルは光に見とれるロザリアの横顔を少し不思議な気持ちで眺めていた。
今まではデキてから付き合うなんてこともあったし、会ったその日にキスをするのは当たり前で。

「行こうか。」
指と指を合わせるようにして手をつなぐとロザリアはまたピクリ、と手を動かした。
はっきり拒絶するわけでもないけれど、気が進まないのかとなんとなく気になってしまう。
蒼い瞳にイルミネーションのライトがキラキラと反射して、とても綺麗だ。
人波を縫うようにして一番大きなモニュメントの下に着いた。

「ここはなんですの?」
ロザリアが尋ねると、何でもないことのようにアルはロザリアの耳元に囁いた。
「このモニュメントの下でキスをすると、永遠に幸せなカップルになれるんだって。僕たちも試してみない?」
時々すべてのライトが消えて、その間にモニュメントの下のカップルが一斉にキスを始める。
ロザリアは信じられない気持でアルを見つめた。
その視線を了承と受け取ったのか、アルがゆっくりと近づいてくる。
思わず目を閉じたとき、ロザリアの中にオリヴィエの顔が浮かんだ。

「心配だ。」と言ったその通りのことを、わたくしはしようとしているのね。

とっさにアルを押し返してしまった。
雰囲気を壊されてがっかりしたのか、アルは不満そうに声を上げる。
「どうしたの?キスするだけだよ。」
キスするだけ。わかっているのだけど、どうしてできないのか自分にも分らない。
「ごめんなさい。」
アルは少しいらいらしたように言った。
「もしかして、他に気になる人でもいるの?」
一瞬、ロザリアの心にある顔が浮かんで、すぐに消えた。
首を横に振ったロザリアにもう一度アルは顔を近づけると、その形のよい唇からこぼれた言葉を耳にした。
「ごめんなさい。・・・人が多いところでは恥ずかしくて。」
ロザリアの言葉に目を輝かせたアルは手を引いて、人波から連れ出した。
「僕の家に行こうよ。」
一人暮しなんだ、と言った意味をいくらなんでもロザリアだってわかるだろう。
自然とウキウキした足取りになって、アルは引っ張るようにロザリアを連れて夜道を歩いて行った。


部屋に入ってすぐ押し倒したい気持ちをこらえて、まずはコーヒーを出した。
「ごめん、紅茶ってなくて。」
デートのとき必ずロザリアが紅茶をオーダーしていたことに気付いていたアルは、すまなそうにそう言った。
「いいえ、大丈夫ですわ。」
その気遣いがうれしくてにっこりとほほ笑んだ。

本当にカワイイ。
いつになくドキドキしたアルはコーヒーをテーブルの隅に置くとロザリアの肩に手を置いた。
はっと顔を向けたロザリアをそのまま抱きしめると、キスをしようと押し倒す。
蒼い瞳が大きく開いて、力強く押し返してきたロザリアの両手を床に押し付けた。
「付き合ってるんだし、当然でしょ?」

ロザリアは頭が混乱してした。何より重いし、息苦しい。
それに確か映画で見たキスはこんな格好ではなかったはず。
「最近ではキスをするときはこんなふうにするんですの?」
映画を観たのもかなり前だし、下界ではいつの間にか変わってしまったのかもしれない。
真っ白になりそうな頭をフル回転させて、なんとかそれだけ尋ねた。
意味がわからない、という顔をしたアルはにっこりと笑った。

「昔からこんなふうじゃない?ま、キスだけじゃないけどね。」
キスだけじゃない?一体何をするつもりなのかしら?
アルの顔が近付いてきて、ロザリアはぐっと目を閉じた。 抑えられていて押し返すことはできない。なぜか顔をそむけて、ロザリアは唇をかんだ。
いやだ、と思ってしまう自分に驚く。
「オリヴィエ・・・。」
小さな声で呟いて、自分の浅はかさを悔やんだ。


「呼んだ?」
場にそぐわない明るい声が響いて、ロザリアは目を開けた。
驚いて茫然としているアルから逃れて座り込む。
腰が抜けたように立てないロザリアに気付いて、オリヴィエが手を差し出した。
「ちょっと、嫌がってるコにそんなことしたらダメでしょ。」
まだ、茫然としているアルにオリヴィエは人差し指を立ててチッチッと振った。

「ど、どうして?勝手に人の家に入って来て、あなた、なんなんですか?」
オリヴィエはよっこいしょとロザリアを立たせると、彼女に向かって言った。
「陛下が心配してたよ。帰りが遅いから。迎えに行けってうるさかったんだから。」
陛下?
「ごめんなさい。もっと早く戻るつもりだったんですのよ。」
「最近ろくに仕事もしないから書類もたまってるし、そんなんで補佐官としていいわけ?」
補佐官?
アルの目があることに思い当って、ぎょっと開かれる。その顔を見てにんまりしたオリヴィエはさらに言い続けた。

「女王補佐官のあんたがしっかりしてないと、陛下はただでさえあんななんだから。」
聖殿で働いているって、もしかして?
「あ、あのさ、君って聖殿でなにしてるの?」
二人の間に割り込むように入ってアルはロザリアに尋ねた。
「・・・隠していたわけではありませんの。身分を公表しないことになっているものですから。」
ロザリアは恥ずかしそうに微笑んだ。
「陛下の補佐官をしておりますの。」
女王補佐官! うわさでは影の女王と聞いていたけれど、まさかこんな可愛い女の子だったなんて・・・!

「行こう、ロザリア。陛下が待ってるよ。」
オリヴィエに背中を押されるように部屋の外へ出されたロザリアはアルに向かって軽く会釈をした。
「申し訳ありませんわ。陛下はとてもさみしがりなの。怒らないでくださいませね。」
ぶんぶんと首を振ったアルはぎこちなく笑顔を浮かべて手を振った。
その前にオリヴィエがずいっと顔を近づけて囁く。
「残念だけど、他を当たってくれないかな?それとも宇宙で2番目の女性に手を出す勇気がある?」
オリヴィエは肩をぽんと叩くと、悠々とドアを閉めた。
閉まったドアのすぐ向こうでアルが大きく息を吐きだしたのが聞こえて、少し笑ってしまった。



あの日からメールがぴたりと来なくなった。
補佐官って、そんなに嫌なものなのかしら。
ロザリアは携帯を両手で持ってじっと見つめていた。
この前、突然帰ってしまったことを謝るメールの返事は「気にしないで。またメールするね。」で終わっていた。
鳴らない携帯が邪魔に思えて、机の隅に置きなおす。
たまりまくっていた書類を片付けていると突然受信のランプがついた。
画面を見て、胸をなでおろした。

『今夜、あのモニュメントの下で待っています。』
まだ嫌われていなかったことに安心すると、今日言うことを改めて考えた。
「お付き合いはできません。」
言わなければならないと思うと気が重いが、これはメールでは言えないと思う。
もらった指輪もすでにはずして元の箱にしまってある。
告白してくれたことも、恋を考えることを教えてくれたこともロザリアはアルにとても感謝していた。


モニュメントの下でうろうろしていると、周りの視線が痛い。
にわか伝説に引き寄せられて、そこはカップルの場所になっていた。
ライトが消えるたびにキスを繰り返すカップルたちは、一人でいるロザリアに無遠慮な視線を浴びせている。
そんな中をアルの姿を探して歩いていると、突然後ろから声をかけられた。

「待った?」
執務服を着替えてメッシュを落としたオリヴィエが立っていた。
「オリヴィエ?! ・・・もしかしてあなたがあのメールを?」
「そうだよ。あんたにどうしても言いたいことがあって。」
消えていたライトが一斉について、二人の周りに鮮やかな光を落した。
オリヴィエの金の髪が鮮やかな色に染まる。

「好きだよ。ずっと前から。妹としてじゃなく、一人の女性として。」

優しいブルーグレーの瞳がロザリアを見つめている。
ロザリアは両手で胸を押さえてうつむくと、一言づつ自分の言葉を確認するように言った。
「わたくし、彼に告白されたとき、とてもうれしかったんですの。ドキドキして、彼を好きになったと思いましたわ。」
顔をあげてオリヴィエを見た青い瞳はイルミネーションの輝きで本当の気持ちがつかめない。
「でも、今の気持ちは違いますの。あのときとは全然。」
「ちがう?」
嬉しくない、という意味なのか。
次々と点灯を繰り返すライトがまぶしく辺りを照らした。

まっすぐにオリヴィエを見たロザリアの唇からあふれるように言葉がこぼれおちる。
「好きな人から好きって言っていただけることって、こんなにも幸せで特別なものなのですね・・・。」
オリヴィエの右手がロザリアの頬に触れた。
「このモニュメントの話、知ってる?」
赤くなって頷いたロザリアの顔に高さを合わせると、ライトが消えるまで見つめあった。
しばらくして一斉にライトが消えて、辺りが薄闇になる。
「永遠に幸せになろう?」
囁いてキスをしたオリヴィエをロザリアは瞳を閉じて受け入れた。

「手を出して。」
「手?」
右手を差し出したロザリアにオリヴィエは微笑んでその左手を取った。
ポケットから蒼い小さな石をちりばめた薔薇の刻印の指輪を取り出すと、その薬指にはめる。
「これ・・・。」
オリヴィエはぴったりなサイズに頷いた。
「ここ見て。薔薇のそばにあるこのバイオレットの石が私。」
おそろいだよ、と見せた手に一回りも大きな指輪が光っていた。
「ほら、そばにあんたがいる。」
バイオレットの石の周りに刻まれた蒼い石を包んだ薔薇。
「ありがとう・・・。」
オリヴィエの瞳に今までで一番綺麗なロザリアの笑顔が映った。

再びイルミネーションのライトが消え、恋人たちの時間が現れる。
ロザリアを優しく抱き寄せたオリヴィエはもう一度囁いた。
「好きだよ・・・。」
全てを変えた魔法の言葉がイルミネーションより輝いてロザリアの上に降り注いだ。
永遠の約束とともに。


FIN
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