Full moonで恋しよう


6.

「はあい。 あんたもいたんだ。」
ゼフェルをちらりと見たオリヴィエは、感情の読めない笑みを浮かべながら、軽く手を振っている。
けれど、ゼフェルにはなんとなく、オリヴィエの言いたいことがわかる気がした。
それはキッとゼフェルも同じことを感じていたから。
『なんだ、コイツ。 邪魔』
視線だけで通じる感情はお互いに共通だからこそ、だ。

「これを届けてくださったんですけれど、オリヴィエも一緒に夕食をどうかと誘いましたの。」
手にはオリヴィエが持ってきたらしい、ケーキの箱。
最近、セレスティアで話題のプリンらしいが、もちろんゼフェルは初耳だ。
ゼフェルはつまらなそうに
「そーかよ。」とだけ答えた。
勝手に上がり込んでいる立場で、オリヴィエの同席を断れる道理もない。
しかも、手ぶらでやってきているという後ろめたさもあった。
どちらかと言えば、ゼフェルの方が、図々しい客なのだ。
ロザリアはにこにこと笑いながら、オリヴィエにダイニングの椅子を勧めている。
もちろん、客の位置だ。

「もう少しでできますの。
 あ、オリヴィエは苦手な食材はありまして?」
「ん~、まあ、とりあえずはないかな。 まずいものは嫌いだけど、あんたの手料理なら、そんな心配は無用だしね。」
オリヴィエがパチンとウインクすると、ロザリアはまんざらでもなさそうに笑っていた。


ロザリアがキッチンの方へと戻り、ゼフェルとオリヴィエは並んでダイニングに残される。
肉の焼けるいい匂いと、調理器具のぶつかる音。
特に話題もなく、気まずい沈黙が流れてしまう。
じゅうっとコンロの火が上って、ゼフェルは立ち上がった。
戸棚のなかからカトラリーケースと取り皿を人数分取り出し、ランチョンマットを敷いて、テーブルセッティングを始める。
この辺りの一連の動作は慣れたものだ。
料理はできたてが一番おいしい、というのがロザリアの持論だ。
だから、作っていない人間が、すぐに食べられるように準備をしておく。
二人の間では、いつの間にかこの役割分担が暗黙のルールになっていた。

勝手知ったるキッチンを動き回るゼフェルに
「もしかして、ゼフェル、しょっちゅう来てるわけ?」
うっすらとした笑みでオリヴィエが言う。
からかっているのかと思ったが、口調はそういう雰囲気でもない。
むしろ…ほの暗いくらいだ。
ゼフェルは戸棚から水差しを出して、どん、と、オリヴィエの前に置くと、
「客は座ってていーんだぜ。」
あえて、自分達が使うものとは違う、華奢なグラスを並べてやる。
「ふうん。 そういう感じなわけね。」
二人の間の微妙な温度に、水差しの表面にぷつりと浮かんだ雫が伝わって流れ落ちた。


「やだ! ちょっと、これ、めちゃくちゃ美味しいんだけど!」
一口食べて、オリヴィエは驚いた。
所詮はお嬢様の手遊びレベル。 たいしたことはないだろうと思いこんでいたのだが。
オリヴィエにとってなじみのない和食が、実に自然に口に入ってくるのだ。
「え、これ、なに?」
器の下部に敷いてある白い物体はコメというもので、それにかかる甘辛いタレは醤油という調味料がメインになっているらしい。
食べながら、丁寧に解説してくれるロザリアに、オリヴィエは答えるのももどかしく、あっという間に完食してしまった。
自分で言うのもヘンだが、オリヴィエはそれほど味にこだわりがある方ではない。
味よりも健康や美容を意識してしまうのだ。
それなのに…今はそんな些細なことよりも、とにかく他のおかずも気になった。
次々と手を伸ばし、どれも美味しさに驚愕する。

「オリヴィエがそんなに気に入ってくださるとは思いませんでしたわ。」
にこにこ顔でどんぶり飯を頬張るロザリアも嬉しそうだ。
ロザリアのどんぶりは客用よりも二回りは大きく、食べるのにも時間がかかる。
もぐもぐと口を動かす様は…ほお袋をいっぱいにしているリスのようだ。
「ホントに美味しいって~。 食べ過ぎちゃうよ。 明日のエクササイズ、いつもの倍に増やさなきゃ。」
「ふふ、うれしいですわね。」

ゼフェルはそんな二人の楽しげなやり取りを内心イライラして聴いていた。
オリヴィエは話し上手でほめ上手だ。
盛大に持ち上げられてロザリアも嬉しいのか、いつもの5割り増しで愛想がイイ。
自棄になって、ゼフェルはパクパクとオカズを食べつくした。
いつもは楽しい夕食の時間。
それがオリヴィエがいるだけで、とたんにつまらないものになっている理由に気が付くのが怖かった。


「ぜひまたいらしてね。」
玄関先で手を振って送り出してくれるロザリアに、ゼフェルは
「おお」
と片手を上げて返した。
私邸が同じ方向だから、仕方なくオリヴィエと並ぶように歩いていく。

「ロザリアって料理上手だったんだねぇ。」
話題の一つ、という感じで軽くオリヴィエが切り出すと、ゼフェルはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「あれなら毎日でも食べたいよね。 あ~、でも毎日は困るか。」
きゃはは、と軽く笑うオリヴィエの言葉をゼフェルは無視して歩き始めた。
反応のないゼフェルに、なおもオリヴィエが続ける。
「ロザリアみたいになっちゃう。 そりゃ、あの身体にもなるよね。
 ホント、食べてるときの顔、すごかったじゃない。
 あれがあの、『わたくしは完璧な女王候補ですのよ』のロザリアなんてさ~。」
オリヴィエは昔のロザリアの真似なのか、腰に手を当てて、けらけらと笑っている。
彼女を馬鹿にしているのならば、きっともっと不愉快なのだろうが、悪意はなさそうだ。
単純に、ネタとして面白がっているのだろう。

分かれ道で足を止め、ゼフェルはオリヴィエを真正面から見上げた。
本当なら睨み付けて黙らせたいところだが、この身長差ばかりは仕方がない。
それでも、ゼフェルからの不穏なオーラに気がついたのか、オリヴィエは肩をすくめて笑った。

「なに? ゼフェルは思ってないの?
 女王試験のころの方が美人でよかった、ってさ。」

美人でよかった、って、なんだ?
いろいろ言いたいことはあったが、ゼフェルは全部の言葉を飲み込んだ。
オリヴィエとこんなところで言い争っても仕方がない。
たった一度しか、ロザリアの料理を食べたことのないオリヴィエに、なにがわかるとも思えないし、分かってもらう必要もない。
むしろ、わからないヤツのほうが清々する。
ゼフェルは無言のまま、オリヴィエの横を通り過ぎると、追いかけてくる声を無視して、私邸へと走っていた。



もう二度と来ることはないと思っていたのに、3日後、ゼフェルがロザリアの屋敷に行くと、この前と同じ場所にオリヴィエが座っていた。
「はあい。 今日は中華らしいよ。
 野菜をたっぷり使ったヘルシーな炒め物だって。」
白菜を切っているロザリアも、ゼフェルに向かってにっこりと笑いかける。

「オリヴィエが野菜料理がいい、ってリクエストをくださいましたの。
 だから、前にゼフェルが美味しいって言ったアレにしましたのよ。」
キッチンに置かれた食材を見れば、たぶん今日のメニューは八宝菜だ。
ゼフェルのお気に入りのメニューで、ご飯にかけても、そのまま食べてもオイシイ。

「ふーん。アレか。」
「ええ。」
「じゃあ、あれがいるんじゃねーの。」
「あ、そうですわね。 あれがあったほうが美味しいですわね。 準備しますわ。」
「おお。 じゃあ、これの皮むきはオレがやるから。」
「お願いしますわ。」

ごく当たり前に、ゼフェルが手伝いを始めると、ダイニングに座っていたオリヴィエがニヤリと笑う。
気分が悪いが、ゼフェルは無視を決め込んだ。
「私はこの爪だから手伝えないんだけどさ。
 なーんか、あんた達、息がぴったりってカンジ。 ひょっとして、そういう関係?」
からかうような問いかけに、ロザリアが困ったように眉を寄せる。
その顔にずきりと胸が痛くなったゼフェルは、なぜか大声で言い返していた。

「んなわけねーだろ! ただの共同作業だっつーの。」
「へえ。 共同作業だって。 ケーキ入刀みたいなこと言っちゃてるじゃな~い。」
煽るオリヴィエにゼフェルはますますイライラしてしまう。
手にしていた里芋を投げつけそうになったところで、ロザリアが「あ。」と声を上げた。

「ごめんなさい。 ウズラの卵を買い忘れてしまいましたわ。
 普通の卵でもイイかしら?」
両手に卵を2個持って、首をかしげるロザリア。
くりっとした瞳と困り眉が、やっぱりアザラシのようで…怒りの気持ちが萎えてしまう。
ゼフェルは怒らせていた肩を落として、里芋を握りしめた。

「ウズラじゃなきゃおかしいんじゃねえの? そんなデカいの、不自然だろーが。」
「そうですわよね…。 切ってしまうわけにもいきませんし。」
「ナシでいいだろ。 別に味は変わんねー。」
ロザリアは手にしていた卵を元に戻すと、オリヴィエに頭を下げた。
「本当はウズラの卵を入れるんですけれど…。 今日はナシでもよろしいかしら?」

「ん~。どうしようかな~?」
オリヴィエはからかうように笑っている。
そして、ロザリアの頬に、ぷにっと人差し指を押し付けると、
「じゃあ、また今度、ウズラ入りも食べさせてくれるならいいよ。」
と、ウインクまで飛ばしてきた。
「もちろんですわ! 次はちゃんと買っておきますから。」
勢い込んだロザリアと対照的に、ゼフェルはまた胸にもやもやとした感情がわいてくるのを感じていた。
里芋を握ったままオリヴィエを見ると、オリヴィエはゼフェルにだけわかるように、小さくピースサインをしている。
何を言いたいのかがわかって、モヤモヤがますます黒いものに変わっていく。

ウズラがなかったのは偶然だ。
でも。
『この次』
その約束が腹立たしくてたまらない。
…ゼフェルは約束などしたことがないし、考えてみれば、ロザリアに招待されたこともないのだ。
なんとなく差があるような気がして、面白くない。

「…できたぜ。」
ちょいちょい話をしている二人を横目に、ゼフェルは無言で里芋をむき終えた。
「ありがとう!」
にっこり笑うロザリアは、やっぱりなにも考えていないのだろう。
この絶対零度なキッチンの空気がわからないなんて、鈍感も過ぎるのも罪というものだ。
もしかして、体感温度もアザラシ並みに鈍いのかもしれない。

ロザリアがコンロを使い始めると、ゼフェルもやることが無くなる。
ここからはロザリアの絶対領域で、構われるのを嫌がるからだ。
テーブルセッティングを終えたゼフェルが、仕方なくオリヴィエと並んで出来上がりを待っていると、
「さあ、いただきましょう。」
テーブルに次々と料理が並び、冷めないうちに、とロザリアが食べ始める。
「いただきます!」
と挨拶をして(このあたり、良いところのお嬢様であるロザリアはけっこう厳しいのだ)、八宝菜に箸をつけた。


「もう!ホントにあんたって料理上手! コレもすごく美味しいよ。」
手放しでほめるオリヴィエに、ロザリアもにこにこしている。
前回と同じようなやりとりに、ゼフェルはうんざりしていた。

ロザリアの料理はおいしい。
でも、オリヴィエは、彼女がここまでの腕になる努力を全く知らないのだ。
お嬢様育ちでお茶一つ自分で淹れたことのなかったロザリアが、毎日どれほど頑張ってきたかを。
最初のうちはオカズだって一つしかなかったし、 失敗することもあった。
やたら濃かったり薄かったり。
焦げたり生焼けだったり。
それでも彼女はへこたれず、ずっと頑張ってきたのだ。
女王試験の時と同じように、誰にも知られずに、一人きりで。

ゼフェルは初めて彼女の料理を食べた時のことを思い出していた。
誰でも作れるはずのカレーでさえ、野菜がうっすら生煮えで、お世辞にも美味しいとは言えなかった、あの時。


「…失敗ですわね。 ごめんなさい。」
ロザリアは一口食べてすぐにスプーンを置くと、悔しそうに唇をかみしめてうつむいた。
カレー粉で誤魔化されているものの、そのスープはなぜか土のような複雑な味がして。
「失敗だな。 カレーもできねえとか、マジで信じらんねえ。」
ゼフェルははっきりと言い切った。
カレーの匂いに釣られて勝手に来ておいて、ずいぶんな言い草だと自分でも思うが、嘘をつくのは嫌いだ。
それにロザリアはそんな言葉を望んでいないだろうとも思った。

「ええ。本当ですわね。 切って煮込むだけですのに、なにがいけなかったのかしら。」
考え込むロザリアの目の前にスプーンで掬ったジャガイモを突き出した。
「煮えてねーし。 ホントにちゃんとレシピ通りやったのかよ。」
そういうゼフェルも料理の経験なんてほとんどないに等しい。
けれど、ここまで抜本的にオカシイとなれば、手順や方法に何かの問題があったとしか考えられないのだ。
それはメカづくりでも実験でも同じこと。
失敗は成功の母という通り、次に繋げればいい。 失敗は悪ではないのだ。
ただ、この気持ちがロザリアに伝わっているかは微妙だとも、ゼフェルはわかっていた。
乱暴な口調は直せないし、目つきもにらんでいるように見えているだろう。
『そんな言い方しなくても…』
昔、同じようなシチュエーションで、クラスメイトの女子に号泣されたことを思い出して、内心舌打ちした。
ところが。

「…そういえば、ルーを入れる前に煮込む時間が足りなかったのかもしれませんわ。」
ロザリアは考え込んでぽつりとつぶやくと、
「ごめんなさい。 次はきちんとしたものを作れるように勉強しますわ。」
ゼフェルに深々と頭を下げた。
彼女の潔い態度に、今度はゼフェルの方が慌ててしまう。
おまけになんだか心臓がバクバクしてきて、返す言葉が浮かばない。
「…次も食ってやるからよ。」
マズいカレーを掻き込んで、完食すると、ロザリアはしっかりとゼフェルを見つめて頷いた。
それからのロザリアの頑張りと腕前の上昇は…知っての通りだ。

ロザリアの頑張りを、自分は全部見てきた。
でも、それがいったい、なんになるというのだろう。
彼女と自分は…何の関係もない。
楽しそうに笑うロザリアとオリヴィエを横目に、ゼフェルはバリバリと揚げ餃子をかみ砕いたのだった。


To be continued…