Full moonで恋しよう


5.

「聞いたわよ、ロザリア。
 オリヴィエとカフェでデートしてるらしいじゃない。」
ある日、アンジェリークとお茶を飲んでいたロザリアは、口の中の紅茶を吹き出しそうになりながら、その言葉を聞いた。
ごくり、と飲み込んでから、視線を上げると、アンジェリークは興味津々。
好奇心いっぱいの瞳でロザリアを見ている。
けれど。
「デート・・・?」
そんな記憶は微塵もない。
不思議に思い、問い返せば、アンジェリークはニヤリと意味ありげに笑ってきた。

「カフェで向かい合って手を握り合ってた、って噂だけど〜。」
「…ああ、それですのね。」
ようやく合点がいったロザリアは、大き目のレーズンクッキーをお菓子皿から摘み上げた。
しっとり焼いたガレット風のレーズンクッキーは、食べごたえ十分でお茶うけにピッタリなのだ。
簡単に作れるのも気に入っている。
「え?ホントなの?! ホントにデート?!」
さらに目をキラキラさせたアンジェリークに、ロザリアはクッキーを上品に咀嚼しながら、小さく肩をすくめてみせた。
こういうくせは以前と変わらないが、体型がまるで違うせいで、本当に怒っているようには見えない。
なんだか小動物が首をかしげてるように見えるのだ。

「カフェにいたのも、結果として手を繋いでいるように見えたのも事実ですわ。
 でも、デートなんてものではなくってよ。」
「え〜、じゃあ、なんなのぉ。」
アンジェリークが唇を尖らせる。
「ただのネイルサロンですわ。 
 オリヴィエがわたくしの手がネイルをするのにちょうどいいと言って、練習台になっているんですの。」


初めてのネイルから数日後。
ロザリアがカフェで3つ目のケーキを食べていると、オリヴィエがふらりと現れた。
「はあい、ロザリア。」
「ごきげんよう。オリヴィエ。」
にっこり微笑みながら儀礼的な挨拶をして、今までならそれで終わり、だったのだが。
「美味しそうに食べているけど、それ、何のケーキ?」
そんな風に尋ねながら、オリヴィエが向かいの席に腰を下ろしたのだ。

「グレープフルーツのタルトですわ。 とてもさわやかな酸味で美味しいんですの。」
「じゃ、こっちは?」
「それはブルーベリーのムースですの。 ブルーベリーの風味がきちんと残っていて、とても美味しいんですのよ。」
「じゃ、これは?」
「イチゴのミルフィーユですわ。 このパイのサクサク加減が絶妙なんですの。 本当に美味しいんですのよ。」
お皿にまだ残っていた3つのケーキを順に説明すると、オリヴィエはくすくすと楽しそうに笑った。

「なるほど。 どれも美味しくて、全部食べたいってわけだ。」
「ええ。 ココのカフェのケーキはどれもおススメですわ。」
毎日、カフェには5種類のケーキが並ぶ。
定番のものと新作を取り交ぜていて、どれか一つを選ぶことなんてできない。
結果、ロザリアは毎日、全種類のケーキを食べ続けていた。
「で、どれが一番なわけ?」
両肘をテーブルに乗せ、指を組んだその上に顎を乗せたオリヴィエが、楽し気な笑みで問いかけてくる。

ロザリアは即座にミルフィーユを指さした。
「これですわね。 カスタードクリームが本当に…あっ!」
なんと、ロザリアの話の途中でオリヴィエはぱっとお皿の上のミルフィーユを掴むと、そのまま口へと運んでいたのだ。
「ん、美味しい。」
満足そうな声と共に、お皿に戻されたケーキには、バッチリ齧られた跡がある。

ロザリアは一瞬目を丸くして、すぐにくすりと笑みを浮かべた。
「そうでしょう? 本当に美味しいんですから。」
そして、すぐにウェイトレスを呼び、もう1セット、お皿とフォークを追加してもらった。
「オリヴィエって、意外に気が短いんですのね。」
運ばれてきたお皿に、齧られたミルフィーユを乗せ、オリヴィエに手渡す。

「もう少し待っていただけたら、きちんとお分けしましたのに。」
「ふふ。 あーんってしたほうがよかった?」
からかうように言うオリヴィエにロザリアもくすっと笑ってみせる。
「あら、そちらがよろしければ、今からでも構いませんわよ?
 でも、わたくしの一口は大きいですから、オリヴィエの口には余るかもしれませんわね。」
言いながら、ロザリアはグレープフルーツのタルトにフォークを入れ、大きな一切れをパクリと飲み込んだ。
たしかにそれはお嬢様らしからぬ大きさだが、今のロザリアにはちょうどいい。

「ん〜、美味しいですわ。」
ロザリアはどんどんケーキを攻略していく。
あっという間に残っていた2つもキレイになくなっている。
さらに、オリヴィエに譲ったと思ったミルフィーユも追加でオーダーするほどだ。

一つのミルフィーユをようやく食べ終えたオリヴィエの前で、ロザリアは満足そうに紅茶を飲んでいる。
「ねえ、ロザリア。」
「なんですの?」
「よかったら、太りにくいケーキとか教えるけど、どう?」
ロザリアがケーキを好きなのは、今見ていたことだけで十分わかった。
食べるのをやめるのが無理だとすれば…。 せめて、太りにくいケーキを食べれば、元の体型に戻るかもしれない。
当然、彼女も喜んでくれるはず、と思ったのだが。

「いいえ、結構ですわ。 わたくし、ここのケーキが気に入っているんですの。」
「でもさ、うーん。」
女性に体型の話をするのはタブーだと知っているオリヴィエは、一瞬言い淀んだ。
けれど、厳しい言葉になっても、ハッキリ言ってあげた方が彼女のため。
オリヴィエは覚悟を決めた。

「今のあんたは、太り過ぎ。 元に戻りたいでしょ?
 私、いいダイエットも知ってるし、あんたさえ、その気なら協力するよ。」
純粋に親切心からの申し出…とも言えないが、黒い気持ちは微塵もない。
さわさわとテラスの木々の葉が揺れる中、ロザリアは紅茶をソーサーに戻すと、小首をかしげてオリヴィエをじっと見ている。
彼女のまんまるの顔の大きな瞳には不思議そうな色が浮かんでいた。

「戻りたいなんて思っていませんけれど。」
「え? なんで?」
今度はオリヴィエが首をかしげる番だ。
「なんで、って。 オリヴィエこそ、どうしてわたくしが元に戻りたいなんて思うんですの?」
「そりゃ、そうでしょ。 太ってたら、見た目がよくないじゃない。」
「見た目なんて…。 そんなこと気になりませんわ。」
「ホラ、恋だってしにくいよ? 男はなんだかんだ言ったって、綺麗な女の子が好きなんだからさ。」
「恋なんて。 今のところ、そんな予定はございませんわ。」
「でも、痩せてた方がモテるだろうし。」
「モテたいなんて少しも思いませんもの。
 そんなことのために、このケーキを食べられない方が、わたくしには大問題ですわ。」
きっぱりと言い切られ、オリヴィエは唖然と言葉を失ってしまった。
年頃の女の子であれば、だれだって、綺麗になりたい。モテたい。そう思うのが当たり前だと思っていたのに。

「キレイになりたくないの?」
最後に聞いてみれば
「キレイでいたいとは思いますわ。 でも、痩せているほうがキレイだなんて、わたくしは思いませんの。
 今の状態で、なんの不自由もないのに、なぜ痩せる必要がありますの? そのほうが体にも悪いですわ。
 そうでしょう?」
ロザリアはにっこりと笑っている。
青い瞳はまっすぐで、ロザリアが心の底からそう思っていることが伝わってきた。

「そっか…。」
痩せているほうが綺麗とは思わない。
その言葉に、オリヴィエは少なからず衝撃を受けていた。
美しさを司る守護聖として、美には人一倍気をつけてきたけれど、その美の基準が全て独りよがりだったような気にさせられたのだ。
確かに宇宙には太っているほうが美しいとされる星もある。
目鼻立ちだって、千差万別の美がある。
それを全部否定して、一つの美だけを支持するのは、間違っているのかもしれない。

ふと考え込んだオリヴィエの視界に、ロザリアの手が入ってくると、この間、施したネイルにほんの少し剥げた場所を見つけた。
「美」についての壮大なテーマはともかく、この剥がれは単純に許せない。
オリヴィエはロザリアの手を取ると、
「ねえ、あんたの手にしてみたいネイルがあるんだけど、やってもいい?」
「え? ネイル? …構いませんけれど。」
以前と同じネイルならば、料理にも困らないことはわかっているし、特に断る理由もない。
「んじゃ、早速、私の執務室に行こう。」
結局、なぜかやる気満々のオリヴィエの熱意に押し切られるように、ロザリアはネイルをやる羽目になってしまったのだった。


「ふーん。ただのモデルか〜。 つまんないの。」
ロザリアの話を聞いていたアンジェリークは、本当につまらなそうに唇を尖らせた。
「当たり前じゃありませんの。 オリヴィエとわたくしなんて、ありえませんわ。」
「ありえないかなぁ〜。」
「ええ。 ありえませんわ。」

ロザリアはきっぱりとそう言うけれど、アンジェリークはそうは思っていない。
そもそもロザリアは天然というか鈍感というか、自分が他人からどう思われているかという事に無頓着だ。
だからこそ、女王試験でもああいう結果になってしまった。
大陸の育成ではロザリアの方が優れていたのに。
全体として守護聖からの支持(つまり、プレゼントだ)があったアンジェリーク、が建物数で勝ってしまったのだ。
ロザリアと親しくなればなるほど、アンジェリークはもったいないと思ってしまう。
あの笑顔だったり、このまっすぐさだったりを、もっと他の人が知ってくれたら…守護聖達とももっと打ち解けられるはずなのだ。
逆に言えば、ロザリアの本当の姿を知ると、結構ハマってしまうということ。
アンジェリークがその筆頭だ。

「で、そのネイルも新作ってこと?」
「バラのアートなんですって。 花弁と葉と大輪の花を10本の指に散らすのがオシャレらしいですわ。」
オリヴィエが施したネイルは手の込んだ素晴らしいものだ。
きっと時間がかかっているに違いない。
「ネイルしてる間ってなにしてるの?」
「おしゃべりかしら? お互い、口だけは暇なんですもの。」
「なるほどね。」
ネイルの間のおしゃべりは、きっととても楽しいのだろう。
でなければ、こんな手の込んだアートは作れない。
おしゃべりする二人を思い浮かべて、アンジェリークは心の中でくすりと笑っていた。


執務が終わり、私邸へ戻ったロザリアがリビングでパラパラ雑誌をめくっていると、美味しそうなレシピが載っていた。
ホカホカのご飯の上に、甘辛のたれにくぐらせた厚めのバラ肉。
香ばしい醤油の匂いまで想像できて、今の空腹を意識してしまう。
「これ、ゼフェルが好きそうですわね。」
最近、ロザリアが和食に凝っていることもあって、ゼフェルもご飯をよく食べるようになった。
ご飯とオカズが一緒になっている手軽さがいいのか、特にどんぶり物が気に入っているようだ。
雑誌には他にも、美味しそうな肉料理が載っていて、ロザリアはすっくと立ちあがっていた。
今日の夕食は簡単に済ませようと思っていたが、やっぱりどうせなら美味しいものが食べたい。
レシピを見ながら、冷蔵庫の材料と相談していると、
「よお。」
ふらりと入ってきたのは、ゼフェルだった。

「あら、まだ夕食には早いですわよ。 なにかありまして?」
「別に用なんてねーけどよ。暇だったからよ。」
「では、その辺にでも座っていらして。 ちょうど支度をしようと思っていたところですの。
 手が空いたら、お茶でも入れますわ。」
「おお。」
ゼフェルは近くに置いてあったキッチン用のスツールを手繰り寄せると、それに軽くまたがった。
目の前には、冷蔵庫を覗き込んで、野菜を取り出しているロザリア。
まんまるの背中はゼフェルを余裕で背負えそうなほど幅広く、まるではちみつを探して木のうろに頭を突っ込んでいる黄色いクマのようだ。
…可愛い…
一瞬、浮かんだ考えを、ゼフェルはおもいきり頭を振ることでなんとか追い払った。

合間にロザリアが淹れてくれたお茶を飲みながら、料理をするロザリアを眺める。
対面式のキッチンだから、ダイニングに座ったゼフェルから、料理をしているロザリアがよく見えるのだ。
彼女はとても楽しそうに鼻歌交じりで野菜を刻み、肉に包丁を入れている。
食べるのも好き。 作るのも好き。
女王試験のころのピリピリした雰囲気が無くなって、なんの言葉も交わさなくても…居心地がイイ。
平和で穏やかで、なんだかこんな日常なら、ずっと続いてもいいような。
ぼんやり眺めていたゼフェルは、ふとロザリアのネイルに気が付いた。

「おめー、その爪。」
「え?」
ロザリアの手が止まる。
「そんなんで料理とかいいのかよ。 はがれたりするんじゃねーの。」
「あら、大丈夫ですわ。 結構丈夫なんですのよ。
 それにはがれたら、また塗りなおしていただけますもの。」
平然と答えるロザリアに、ゼフェルは眉を寄せ…その言葉の意味を考え直して、より一層皺が深くなった。

「直してもらう、ってなんだよ。」
「え? これ、オリヴィエに塗っていただいているんですの。
 はがれたりしたら、いつでも直す、と言われていますのよ。
 もう何度か変えていただいていますし。」
『オリヴィエ』という名前に、ゼフェルの胸にもやっとした黒い感情がわいてくる。
そして、即座に以前カフェで見かけた二人の姿が浮かんできた。

自分の知らないところで。
オリヴィエと。
手を触れ合って。
話をしたりもしているんだろうか。
何とも言えないもやもやに胸が押しつぶされそうで、おかしい。

「…浮かれてんじゃねーよ。」
あ、と思った時には口から言葉がこぼれてしまっていた。
「ちょっとちやほやされて、そんな爪とかにして可愛くなったとか思ってんのかよ!
 おめーなんか、男に相手にされるわけねーだろ。」
グッとロザリアの眉がつり上がる。
握られた包丁の刃先がゼフェルの方を向いていることに気が付いたが、もう遅い。
ぎろりと光るロザリアの瞳に後ずさりしかかったところで、ゼフェルは彼女が笑っていることに気が付いた。

「なんだよ。」
「なんだよ、って。 それ、わたくしの言いたいことですわ。
 ゼフェルがあんまりにもおもしろいこと言うんですもの。
 可愛くなる、とか。 男に相手されない、とか。」
ロザリアは包丁を持ったまま、くすくすと笑っている。
なかなかにシュールな光景だが、ゼフェルに笑う余裕はなかった。

「アンジェリークもおかしなことを言ってましたけれど、そんなことが耳に入ったら、オリヴィエも笑うしかないでしょうね。
 わたくし、別に自分を卑下するつもりはありませんけれど、オリヴィエが好むような美とはかけ離れていることくらい、ちゃんとわかっていますわ。
 こんな丸い身体ですのよ? おかしいと思いませんの?」
「そ、そうかよ。」
清々しいまでにきっぱりと否定されて、ゼフェルは逆に抱えていたモヤモヤを持て余し始めていた。

言われてみれば、確かにこの丸いロザリアとオリヴィエが恋を語るなんてことは…ありえないに違いない。
そもそもオリヴィエがロザリアを女性として認識しているかどうかも怪しいのだ。
女王試験の時だって、オリヴィエは潔いほどロザリアをスルーしていた。
今よりもずっと、客観的に見て美しかったのに、だ。
ありえないことをがやがや騒ぐなんて、それこそカッコ悪いことではないか。
本当に…カッコ悪すぎる。

黙ってしまったゼフェルに、ロザリアは何事もなかったかのように、料理の続きを始めた。
手際よく肉を断ち、野菜を煮付けて。
きつね色に焦げ目のついた豚肉は、ほど良い脂がジワリとしみだして、実に美味しそうだ。
ゼフェルのお腹の虫がグーッとなるのが聞こえて、ロザリアと顔を見合わせて笑ってしまった。
「ゼフェルったら。 なんだかイライラしていると思ったら、お腹が空いていたんですのね。」
「はあ? 違うっつーの。」
反射的に返したけれど、ゼフェルもそうなのか、と自分に納得していた。
さっきのもやもやはきっと、空腹からくるものだったのだ。
そうだ。…そうに違いない。

味噌汁の香りがあたりに漂い始めた頃、玄関のチャイムが鳴り、ロザリアが出ていく。
こんな時間に訪問者?と思ったら。
「どうぞ。 ちょうど夕ご飯にしようと思っていたところなんですのよ。」
パタパタと言う足音とともにロザリアに連れられるようにしてやってきたのは…オリヴィエだった。


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