Full moonで恋しよう


4.

数日後。
執務室にこもっていることに疲れたゼフェルは、散歩に出かけた。
女王の力が安定しているせいか、最近の聖地は、常春の風が優しく空を覆い、柔らかな日差しが心地よい。
インドア派のゼフェルですら、思わず外に出てみたくなる陽気なのだ。
逆を言えば、執務なんてしていられない、とも言いたくなるほどで。
軽い足取りでなんとなく歩いていると、ふと耳に聞き慣れた声が飛び込んでくる。
気が付けば、そこはカフェの前。
オープンテラスの中に視線を向けたゼフェルの心臓がドキリと音を立てた。

楽しそうな笑い声をあげながら、テラス席で向かい合って座る男女。
遠目からでもはっきりわかる目立つ姿は、ロザリアと夢の守護聖オリヴィエだ。
なんと二人はテーブルの上で軽く手を握り合って、見つめ合っているではないか。
ゼフェルが二人のこんな姿を見たのは、もちろん初めてで、驚きとともに疑問がわいてきてしまう。

女王試験のころ、オリヴィエはアンジェリークをかなり気に入っていて、アレコレと世話を焼いていた。
アンジェリークに服をプレゼントしたり、メイクをしたり。
何度かデートしているのも見たことがある。
反面、ロザリアには全く関心がないようで、必要最低限の接触しかなかったはずだ。
いったい、なぜ。
何とも言えないモヤモヤが広がり、ゼフェルの足は勝手に早まっていた。


「少し派手すぎませんこと?」
「大丈夫だって。 柔らかいピンクだし、あんたの白い手にピッタリだからさ。」
綺麗なカーブに整えられた爪は淡いピンクに染まり、ところどころにあるラインストーンがキラキラと光を反射している。
「綺麗でしょ?」
向かいのオリヴィエが満足そうにウインクを投げてきたのに、ロザリアもにっこりと笑みを返した。
確かにとても綺麗だ。

「自分の手じゃないみたいですわ。」
まるでファッション誌のようなネイルをした手。
…グラビアと違うのは、手がちょっと、まるくてぷにぷに、というところだろうか。
「あんたってば、せっかく綺麗な肌をしてるのに、全然構ってないじゃない。
 ネイルもだけど、メイクだって、もうちょっと手をかければ、もっと良くなるよ。」

オリヴィエはにこにこと片手を伸ばし、ロザリアの頬を指で押してくる。
ぷにぷにと数回押され、ロザリアは困惑していた。
からかわれているのかとも思ったが、オリヴィエのダークブルーの瞳はとても優しい。
同時に艶っぽい色気もあって、なんとなくソワソワしてしまうのだ。

「今度はさ、その髪もちょっと手入れさせてくれない?
 前から触ってみたいって思ってたんだよね。
 いつものお堅いアップスタイルじゃなくて、もっとカワイくしてあげるから!」
思いがけない誘いに、ロザリアは目を丸くしながらも、
「え、ええ。」
と、素直に頷いていた。


少し前。
お茶の時間には少し早いと思いつつ、午前の立て込んだ執務で疲れてしまったロザリアが、カフェでお茶を飲んでいると、偶然、オリヴィエがやってきた。
ロザリアを見つけたオリヴィエは、ヒラヒラと手を振り、
「はあい、ロザリア。
 一人? なら、私も一緒してもイイ?」
そんな気軽な調子で、あっという間に、ロザリアの向かいに腰を下ろしていた。
他に空いているスペースがあるにもかかわらず、だ。

派手なスタイルのオリヴィエは、愛想よくウェイトレスを呼び止めると、紅茶を頼んでいる。
どうやら一緒に、というのは本気らしい。
ロザリアは内心の驚きを隠して、にっこりとほほ笑むオリヴィエに笑い返した。
女王試験から考えれば、すでに一年以上の付き合いがあるのに、オリヴィエと二人で話したのは、本当に数えるほどだ。
しかもそれらは全て育成のお願いで。
こんなふうに普通の会話は本当に初めてかもしれない。

少しの緊張とそれ以上の疑問があったけれど、オリヴィエの好意的な態度に、なんとなく嬉しいのも事実だった。
誰だって、冷たくされるよりは、フレンドリーに接してもらえる方がいい。
それに補佐官となった今、オリヴィエと自分は対等の立場なのだという気持ちもあった。
必要以上に遠慮することも、気を使うこともはない。
以前のオリヴィエとの態度の違いに戸惑いながらも、おしゃべりを楽しんでいると、カップを持ったロザリアの手をオリヴィエがじっと見ていることに気が付いた。

そして
「ね、ネイルとか興味ない?」
「え?!」
「イイ休憩にもなるし、道具持ってくるから、ちょっとあんたの手にやらせてよ。」
唖然としたロザリアが返事をするよりも前に、オリヴィエはカフェを出ていって。
戻って来た時には大きなボックスを抱えていた。
「ふふ、綺麗な手だね。 やりがいがありそう。」
結局、断る理由もないまま、ロザリアの手はオリヴィエによって、飾り付けられていったのだ。。

しばらくしてできあがったのが、今のネイル。
ぷにぷにの手に桜が咲いたような。
「ありがとう、オリヴィエ。 とっても嬉しいですわ。」
もう一度きちんとお礼を言おうと笑みを浮かべたところで、
「おい、おめー、サボってんじゃねーよ。」
明らかな非難の色をにじませた声と共に、ゼフェルが駆け寄ってきたのだ。


「オレにはいつもサボるなとかって、うるせーくせに。
 こんなとこで茶なんか飲んで、へらへらしてんじゃねーよ。」
テーブルの側で仁王立ちしているゼフェルの視線の先は、まだオリヴィエの手に支えられたロザリアの手。
なぜか気まずさが湧き上がってきて、ロザリアはパッと手を離すと、ゼフェルを真正面に見つめ返した。

「サボっていたことは否定できませんけれど、へらへらなんてしておりませんわ。」
「はあ? 手なんか繋いで、ニヤニヤしてたじゃねーか。」
「ニヤニヤなんて言い方、おやめくださいませ。
 それに手を繋いでいたわけじゃありませんわ。
 オリヴィエにネイルをしてもらっていただけですわ。」
「ネイル?」
首を傾げたゼフェルに、ロザリアは両手を広げて見せた。

「ご覧になって。 綺麗でしょう?」
広げられたロザリアの手をゼフェルはまじまじと見た。
確かに彼女の爪は、可愛らしいピンク色に塗られていて、ところどころ何かキラキラしたものまでついている。
いつもオリヴィエがしているような派手派手な感じではないが、なんだかむず痒くなるような可愛らしさ。
ゼフェルの苦手分野の…乙女チックだ。

「…なんだ、そりゃ。」
ちょっぴり誇らしげに手を見せるロザリアに、ゼフェルはいからせていた肩を下げていた。
そもそも冷静になって考えてみれば、オリヴィエとロザリアに『何か』があるはずもない。
美しさを司るオリヴィエは容姿にたいして厳しい。
昔の痩せていたころのロザリアならともかく、今の真ん丸なロザリアを人間として認識しているかどうかも怪しいものだ。
動物かなにか。 もしかしたら記号程度かも…。
なぜか一人で納得して、やっと、ネイルをきちんと見てみれば、ロザリアの真っ白な手にピンクのネイルはとてもよく似合っている。
柔らかそうで、ぽよぽよの手。
ぎゅっと握って、その柔らかさを確かめてみたくなる…。

「って、なに考えてんだ!」
突然、叫んだゼフェルにロザリアはびっくりして、手を引っ込めた。
なにか気に入らないことがあったのかもしれないが、そこまで怒らなくてもイイだろうに。
ゼフェルの突発的な行動にはもう慣れているが、やっぱりびっくりしてしまう。
しきりに首を振ってぶつぶつ言うゼフェルに呆然としながら、自分のネイルを見たロザリアは、ふと、ある事が気になった。
「あの、オリヴィエ、このネイル、水仕事は大丈夫かしら?
 わたくし、料理ができなくなると困るんですの。」

今日の晩御飯のメインは肉じゃがと決めている。
ホクホクジャガイモをたっぷり入れた肉じゃがは、最近のロザリアのお気に入りのメニューの一つだ。
副菜はシラスのかき揚げとほうれん草の胡麻和え。
煮物揚げ物あえ物と3種揃えたのは、活きのいい生シラスが手に入ったからだ。
シラスは聖地ではなかなか手に入りにくい。
もしも今夜作れないとなると…今すぐこれを外してもらわなければ困る。
それまで、ゼフェルとロザリアのやり取りを黙って聞いていたオリヴィエは、ロザリアに大きなウインクをして返した。

「ま、ピーラーでネイルを削ったりしない限りはよっぽど大丈夫だよ。
 それに、もしも、取れたら、私のところにおいで。 すぐに直してあげる。」
「安心しましたわ。」
これで、今日も美味しいご飯が食べられる。
土鍋で炊いたご飯に肉じゃがの汁をかけて食べるところまで想像して、ロザリアはホッと笑みを浮かべていた。


さすがにさぼり過ぎましたわ、と、ロザリアが席を立つと、オリヴィエはネイルの道具をボックスに片付け始めた。
なんとなくの気まぐれで声をかけただけ、のはずだったのに、ロザリアとのひと時は予想以上に楽しかった。
いや、なんとなく、楽しいような予感があったからこそ、声をかけたともいえるかもしれないが…。
ネイルをしている間のおしゃべりも、ぷにぷにの白い手も。
なんとなく、今までのどの女の子とも違う気がする。
思い出し笑いを浮かべながら、片付けを進めていると、オリヴィエの上に影が落ちた。

「おめー、気安くアイツに話かけてんじゃねーよ。
 試験の時は散々無視して、アンジェにデレデレしてただろ。」
面白くなさそうに赤い瞳で見下ろしてくるゼフェルに、オリヴィエは肩をすくめた。
ケンカ腰なのはゼフェルの常だが、今日のゼフェルはいつもにもましていらだちが激しいような気がする。

「デレデレしてた覚えはないけど、まあ、アンジェの味方だったかもね。
 ロザリアに興味なかったし。」
「ふん。 じゃ、ただの暇つぶしかよ。」
オリヴィエの言葉の奥をゼフェルは感じなかったらしい。
幾分和らいだ声音で
「ま、あんな丸い女、おめーの好みじゃないだろうけどよ。
 紛らわしーことすんなよな。」
ふんと鼻を鳴らすと、ロザリアを追いかけるように駈け出して行った。


「落ち着きのないお子さまだねぇ。」
去っていくゼフェルにひらひらと手を振り、オリヴィエはボックスのふたを閉めた。
そして、まだ少し残っていた紅茶を飲み干すと、小さく息を吐く。
「ホントにさ。 私の美意識では、あの身体は許せないはずなんだけどね。」
ロザリアの身体は丸い。
パンパンに膨らんだゴムマリみたいで、美容体重どころか健康体重さえも、はるかにオーバーしているだろう。
女として以前に人間として危険水域だ。
なのに。
冷めた紅茶が喉を通ると、改めて考えてしまう。

彼女に声をかけたのは、先日の会議の時の態度に、少し興味を惹かれたからだ。
女王試験のころ、ロザリアはキレイで完璧なお嬢様だったが、どこか近寄りがたかったし、実際、話しても面白みのない女の子だった。
まじめすぎて、息が詰まる。
それがあの時の会議では、まるで印象が違っていて。
久しぶりにワクワクしてしまったのだ。
…本当に久しぶりに。

おまけにどう見ても太り過ぎで許せない容姿なのに、なんとなく可愛いと思えてしまう。
オリヴィエに向けられるキラキラした大きな瞳が、小動物のようで庇護欲をかきたてられるのだ。
特に動物好きというワケでもないのに…。
よしよしと頭を撫でで、ぎゅっと抱きしめて。
昔飼っていた猫の肉球を懐かしみつつ、ネイルの途中、こっそりぷにぷにとした手の感触を楽しんでしまったことは、誰にも言えない。
オリヴィエは腕を組むと、ウェイトレスを呼んで、コーヒーをオーダーした。
紅茶党のオリヴィエだが、今は頭をすっきりさせないと、恐ろしいことを考えてしまいそうだったのだ。
苦いコーヒーがおかしな妄想を吹き飛ばしてくれることを祈りつつ、オリヴィエは運ばれてきたコーヒーを口に含んだ。


とことこと歩くロザリアに追いついたゼフェルは、そのまま彼女の隣に並ぶようにして歩き始めた。
「どこ行くんだよ。」
「補佐官室に戻りますわ。 少し休憩しすぎましたもの。」
当然とばかりに応えるロザリア。
それはそうなのだが…。
ゼフェルは内心のもぞもぞを誤魔化すように、手をポケットにいれたり、またその手を出して軽く握ったりを繰り返していた。
なぜかため息まで飛び出すと。
「なにか言いたいことでもありますの?」
足を緩めることなく、ロザリアが問いかける。
彼女の歩調は体型に応じて、とてもゆっくりなので、ゼフェルはグッと詰まりながらも転ぶことはなかった。

「あ、や、別に言いたいことなんかねーけどよ。」
本当にゼフェル自身も特に思いつかないのだから仕方がない。
でも、なにか・・・なんだかモヤモヤするのだ。
ふと下げた視線の先に、ロザリアの手が目に入る。
キラキラと光るネイル。
ふっくらとした真っ白な手に桜貝がちりばめられているみたいな。

「…似合ってる、んじゃねーの。」
「え?」
びっくりしたロザリアが立ち止まる。
青い瞳でじっと見つめられて、ゼフェルはふいっと顔を背けた。
「…なんでもねえよ。」
思わず口から飛び出した言葉が自分でも信じられない。
ゼフェルは歩調を速め、あっという間にロザリアを追い越していく。
少し間が空いて、
「ゼフェル! 今夜は肉じゃがですわ!」
ロザリアの声が聞こえてきて、ゼフェルはますます足を速めた。

彼女の作る美味しい肉じゃがを思いだすと、なんだか胸がしくしくと痛くなる。
一体自分はどうしてしまったのか。
ご飯のことを考えて胸が痛くなるなんて。
しかも、妙に体が熱い。
ポカポカ陽気なのはいつも通りだし、それはあくまで気温の話で、体温に影響はないはずだ。
ゼフェルは自分の頬が異常なまでに熱くなっているのを感じていた。


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