Full moonで恋しよう
3.
大きな鍋から立ち上るスパイスの香り。
くんくんと鼻を鳴らしたロザリアは、具材のチキンの皮に細かな切込みを入れ、塩コショウを刷り込んだ。
食べる直前に皮目から焼いて、パリッと仕上げたチキンをカレーにくぐらせる。
ロザリアが試行錯誤を繰り返して調合した自慢のスパイスは、こんがり焼いたチキンと合わせると絶妙な風味になるのだ。
あと少し煮込めば完璧。
こさじで味見をしたロザリアはちらりと時計を見ると、タイミングを計ったように、キッチンのドアが開き、ゼフェルがひょっこりと顔を出した。
「すげーいい匂い。 外まで漂ってるぜ。」
「まあ、ゼフェル。 やっぱり来たんですのね。」
「そりゃ、今日がカレーだってわかってたら来るしかねーだろ。
おめーのカレー、マジで絶品だからよ。」
照れたような顔でほめるゼフェルに、ロザリアはむっちりとした頬を緩めた。
特に約束したわけではないが、ロザリアが自炊する時、ゼフェルはどこからともなく現れては、当然のように食べていくようになっている。
正直、一人で食べても美味しいことには変わりないが、二人で食べるとまた違った美味しさがある。
もちろん、アレコレ注文を付けられることもあり、口げんかになることもあるのだが…。
ゼフェルの意見は適切なことが多く、この頃はロザリアもきちんと意見に耳を傾けるようになっていた。
お菓子作りを一通りマスターした後、ロザリアは料理に取り組んだ。
もちろん包丁すらロクに握ったことのなかったロザリアだったから、人並みの料理ができるまで苦労の連続。
いくつも鍋を焦がしたり、包丁で指を切ったり。
それでも、持ち前の根気と努力で、いつのまにかかなりの腕前になっていた。
この頃は魚をさばくことも余裕でできるようになったし、サラダのドレッシングまで手作りに替えていた。
コツコツ練習すれば必ず上達する。
女王候補として幼いころからバイオリンやバレエといったお稽古事を数多くこなしてきたロザリアにとって、料理もその一つのようなものだったのだ。
「マジで美味い!」
あっという間に一皿目を平らげたゼフェルは、すぐに二杯目を皿に盛りつけた。
香ばしいチキンカレーとパラパラのサフランライスは最高の組み合わせだ。
辛いだけではなくて奥行きのあるスパイスの風味は、市販のルーでは出せない味わい深さがある。
「ふふ、エスニック系も合格かしら?」
「まさかもうカレーは作らねーってことじゃねーよな?」
ガツガツとカレーをかきこみながらゼフェルが言えば、
「そうですわね。 次は和食あたりに挑戦してみようかと思っているんですけれど。」
「げ。 あのルヴァが時々食べてる、ヘンな味のスープだろ?
トーフとかいう具が入ってる…。」
「ええ。 なかなか奥が深そうで追求してみる価値がありそうですの。」
「ま、別に美味けりゃオレはなんでもいーけどよ。」
どうやら和食になってもゼフェルは試食する気満々らしい。
それなら、彼のためにもオカズの一つは何かスパイシーなものを取り入れてもいいだろう。
いろんな料理を融合させて献立を考えるのも、料理の醍醐味だし、チャレンジする楽しみも増える
くすっと笑ってロザリアがお代わりをよそっていると、ゼフェルがじーっと見つめているのに気が付いた。
「おめー、よく食うよな。 もう3杯目か?」
「失礼ですわね! 2杯目ですわ!」
そうは言っても2杯とも明らかに大盛りで、あまり言い訳にならないが。
キッとゼフェルを睨み付け、なおもスプーンをせっせと口に運んでいると、ゼフェルはさも愉快そうに椅子の背もたれをぐっと傾けて笑った。
「すげー変わりっぷりだよな。
ちょっと前はカフェのケーキでお腹いっぱいとか言ってた女がコレだぜ。」
キレイで高飛車で上から目線だったロザリア。
いつもピンと張りつめたような空気をまとっていた彼女は、簡単に人を寄せ付けないようなオーラがあった。
ランディやマルセルはロザリアのキツイ物言いに怯んで、すぐに彼女と親しくなることを諦め、アンジェリークに夢中になった。
他の守護聖達もそんな感じで、ロザリアからは離れていったのだ。
ゼフェルがロザリアと友達になれたのは、ひとえにガチンコで言い合ったからだと思っている 。
ロザリアにカチンと来る言い方をされた時、ゼフェルはやり込められたままではいられず、結局、会うたびに言い争いになって…。
拳で語り合った友情、に近い、口げんかで培った友情。
そして、今は…かなり胃袋を握られた状態だ。
ロザリアの作る料理は美味しい。
苦手だったはずのお菓子類も、ロザリアの工夫のおかげで、美味しいものもあると知った。
しかも。
「今日の会議のアイツら、傑作だったよな。
『廊下に出てなさい!』って、オレ、小学校の時に聞いて以来だったぜ。」
「あ、あれは・・・!」
ロザリアの頬が赤くなる。
ぷっくりした両手で唇を覆い、照れる姿はなんだか可愛い動物のようだ。
何かに似ている、と少し考えた後、ゼフェルは、あ、と閃いた。
白い肌と大きな瞳。 ぼってりとした体形。
「アザラシ。」
今のロザリアは赤ちゃんアザラシにそっくりだ。
ゼフェルも本物を見たことはないけれど、テレビや雑誌で見たことはある。
「え? 何かおっしゃいまして? あら?」
つい声に出ていたことに驚いて、ゼフェルは慌ててカレーを飲み込むと、
「なんでもねーよ。
ほら、あれだ、あの話。 まー、みんなすっきりしたと思うぜ。
あいつら、前の女王の時からずっとあんな感じでうんざりしてたからよ。」
慌てて話を変えた。
「そうだったんですのね。
皆様、気が長いですわ。
わたくしなんて、この数か月で、もううんざりしましたのに。」
ロザリアがうんざりしたようにため息をついた。
今日の午後の会議。
ある惑星へ送るサクリア量の調節を検討していたのだが、そこでいつものようにジュリアスとクラヴィスの言い争いが始まった。
もっとも、言い争いと言っても、一方的にジュリアスが怒るのを、クラヴィスが聞き流しているという、いつもの構図なのだが。
周囲のしらっとした空気に気づかないのか、またもや話は堂々巡りを始めている。
寝坊、昼寝、怠惰な執務…。
正直、今の議題には何の関係もない小言ばかりが続く。
ロザリアはおもむろに立ち上がると、両手をバン、と、机についた。
体重全部で打ち付けられた手はかなりの大音量を立て、皆の視線が一斉にロザリアに向く。
ジュリアスも鋭い紺碧の瞳でロザリアを見据えた。
「なんだ?」
「今まで聞いていましたけれど、お二人でお話なさった方がよい内容ですわね。
どうぞ、お二人で廊下でお話なさってくださいませ。」
「なに? 私を会議から追い出すつもりか。」
ジュリアスが眉をひそめ、明らかに怒りのオーラが増す。
今までジュリアスにこんなことを言うものは誰もいなかったのだ。
皆がどうなるのかとハラハラして、ロザリアとジュリアスを凝視している。
公然のうわさ、と言ってもいいだろう。
ロザリアは体型が変わってから…雰囲気までもが、がらりと変わっていた。
補佐官という職務のせいもあるのかもしれない。
女王候補のころがお嬢様だとすると…今はお母さん。
聖殿の職員なら、みなその意見に賛同するはずだ。
補佐官としてのきめ細やかな対応は落ち着いた女性らしさがあるし(体の重さでせいで動きが鈍いだけかもしれないが)、いつもニコニコしていて(これは頬の肉が盛り上がったせいもある)、穏やかでおおらかになった。
補佐官に就任したてのころは、小さなことにも目くじらを立て、いつもピリピリしていたというのに。
今は…。
失敗をどやされると身体を縮ませた女官たちにも、まるで菩薩のように接している。
ロザリア自身としては「他人の目なんかどうでもよくなった」から、「好きなようにやっている」だけなのだが…。
他人の評価というのは不思議なものだ。
完璧でいようと頑張っていた女王候補のころよりも、すっかりゆるんだ今のロザリアの方が、好かれるようになったのだから。
「ここはおしゃべりの場ではありませんのよ。
私語は謹んでください。」
「なに?」
ジュリアスに青筋が浮かぶのを、ゼフェルもはっきりと見た。
これは大変なことになる、と思った時。
「クラヴィスがいつもだらけているとかそんな話、会議に何の関係もないじゃありませんの。
完全に私語ですわ。
おしゃべりする方は廊下に出てください。」
まるで先生のように言い放ち、ロザリアが廊下を指さすと、会議室がしんと静まり返る。
水を打ったような静けさ、とは、まさにこのような場を指すのだろう。
ロザリアがにこにこしているから、険悪なムードとまでは言えないが…皆ポカンとしている。
しばらくして。
「ま、そうだよねぇ。 たしかに、会議とは関係ないよねぇ。」
沈黙を破ったのは、オリヴィエの声。
彼は明らかにこの状態を楽しんでいるように見える。
明るい調子のオリヴィエにふと空気が緩んだ。
「そうですねぇ。 会議中に他のことを話すのは、確かにおしゃべりともいえますね〜。」
そして、これまたちょっとズレた感じでルヴァが続く。
「え、おしゃべりって、お菓子食べながらしたりするんじゃないの〜?
今のは…なんか違うわよ!」」
ここまで黙っていた玉座のアンジェリークが突然割り込んできて。
「うん、お菓子があると話が弾むよね。」
「コーラもあったらもっといいよな!」
「そういえば、会議が終わったらロザリアが焼いてくれたパイをみんなで食べない?」
「うん!」
「じゃあ、早く終わらせないとな。」
「もうおやつの時間だよ。」
わいわいとした雰囲気が広がったところで、ごほんと咳払いの音がした。
ジュリアスの気配に、ピクリと皆が身体を震わせたところで。
「ええ。 早く終わりたいですわね。」
相変わらずにこにことしたロザリアの一声。
そして、「さあ、次の議題に移りましょうか。」と、レジュメをめくる。
「ジュリアス、お願いしますわ。」
菩薩のような笑みのロザリアに、ジュリアスもそれ以上何も言えなくて。
今までよりもずっと早く終わった会議に、ゼフェルは口笛でも吹きたい気分になったのだ。
思わず、その後に急きょ女王の提案で開かれたお茶会で、甘いケーキをかじってしまうほどに。
「はー、マジでうまかった。 ごちそうさん。」
「どういたしまして。 そう言っていただけると、作り甲斐がありますわ。」
にっこり笑ってカレーを頬張るロザリア。
3皿目の完食もあとわずかだ。
ロザリアの食べている姿は、本当に幸せそうで、見ていて気持ちがいい。
ゼフェルは食べ物を残すのが大嫌いなのだ。
だから女がわざとちょこっとしか食べなかったりすると、もうそれだけで幻滅する。
一瞬、食べっぷりに見惚れてしまい、ゼフェルは慌ててコップの水を全て飲み干すと、手の甲で唇をぬぐい、立ち上がった。
そして、使った食器を流しで軽くすすぎ、重ねておく。
食器洗いくらいはする、と申し出たこともあったが、食洗機があるから必要ないと断られた。
それからはここまでがデフォルトだ。
「じゃーな。」
ゼフェルは来た時と同じように、さっさとキッチンと後にした。
もう慣れたものだから、ロザリアもわざわざ見送りに出たりはしない。
彼女の料理のモットーは「熱いものは熱いうちに。 出来るだけ出来たてをすばやく」なのだから。
自宅に戻ったゼフェルは、カレーでパンパンのおなかを抱えながら、PCの電源を入れた。
いつも帰宅してすぐ、とりあえずやるのがPCでの情報収集だ。
下界のスピードはとにかく速くて、聖地の一日分でいろんな発見が日々繰り返されている。
鋼の守護聖として、知っておきたいことは自分で仕入れなければ、あっという間に古い知識になってしまうのだ。
モニターをタッチしていき、気になる画像や文献をチェックする。
新しいソフトで手に入るものは自分で試してみたりもするし、理解できないものは、さらに調べたりすることもある。
つい夢中になって夜更かしすることも多くなって、執務が滞り怒られるのもよくわかっているが、止められないのだから仕方がない。
一連の作業の途中、ゼフェルはふと、あるものを検索してみた。
すぐに結果が出て、大きな瞳の動物の画像がたくさん映し出されてくる。
「やっぱ似てるよな。」
まんまるの体に大きな瞳。 ふわふわの真っ白な毛。
なんとも憎めない、愛らしさ。
モニターの赤ちゃんアザラシと今のロザリアは、本当によく似ている気がする。
ゼフェルはじっとモニターのアザラシを見つめた。
『ゼフェル』
クリッとした目で見つめ返されて、涼やかな声で名前を呼ばれる。
その時のことを思い出すと、なんだか…背中がむずむずするような、お尻の辺りがそわそわするような、微妙な気持ちになった。
それほど動物好きというわけではない。
なのに、このアザラシの画像には妙に引き寄せられる。
可愛い? どこが?
…本当に自分が可愛いと思っているのは、なんだ?
「うわあああ!!!」
あまり考えたくないことが頭に浮かんで、ゼフェルは思わず立ち上がった。
勢いで椅子が後ろに倒れると、そばにあったペットボトルが倒れ、部屋の隅まで転がっていく。
ゼフェルは大慌てでそれを拾い上げ、キャップを硬く閉めた。
機械モノが近くにあるのが常だから、いまさら、中身が零れるようなヘマをすることなどないはずなのに。
気持ちの動揺が、行動までおかしくなってしまう。
ペットボトルを握りしめ、ゼフェルは立ち上がったまま、大きく息を吐いた。
そして、あまり近づきたくないとばかりに、遠くからギリギリまで手を伸ばして、PCの画面を閉じる。
他人が見たら、いったいどんなショック画像なのかと疑いたくなるような動作。
「違う。絶対違うからな!」
…丸くなってからのアイツの方が可愛く見える、なんて・・・・。
固く締めすぎてなかなか開かないペットボトルのキャップをどうにか外し、中身をごくごくと飲み干した。
しゃっくりなら止まるのに。
ドキドキとなる心臓は収まる気配もなく。
何度も首を振り続けたゼフェルは、翌日、肩こりで悩むことになるのだった。
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