Full moonで恋しよう
2.
「わ!すごい! おいしそう〜!」
「ふふ、今日は良くできたと思いますわ。」
焼きあがったばかりのチーズケーキにナイフを入れ、ロザリアは一切れをアンジェリークのために小皿に取った。
美味しく見えるサイズは1/6。 それがアンジェリークの分だ。
「さあ、召し上がれ。」
「いっただきまーす!」
ポットにたっぷりの紅茶を淹れ、アンジェリークの向かいに座る。
甘い香りはどんな花よりも魅力的で。
一口食べて、その味に満足したロザリアは、あっという間に一切れをたいらげていた。
補佐官になって、まずロザリアが考えたのは、美味しいお菓子を作ることだった。
女王候補時代、毎週土の曜日にディアが開いていたお茶会。
普段はいがみ合っているように見えた守護聖達もなんとなく集まり、貴重な交流の場になっていた。
そのお茶会で、ディアはいつも手作りのお菓子で皆をもてなしていて。
美味しいお菓子を挟むことで、なんとなくいい空気が流れていた気がする。
優秀な補佐官になるために、まずはディアを真似てみようと、ロザリアもお菓子作りを始めたのだ。
まともにキッチンに立ったことすらないお嬢様育ちのロザリアだったが、お菓子作りは案外性に合っていたらしい。
なぜならお菓子作りの基本は正確な計量と手順の順守。
そのどちらもロザリアは得意だったのだ。
あれよあれよと上達して、最近のティータイムはロザリアの手作りお菓子が定番になっていた。
「ん〜、美味しい。 ロザリア、本当に上手になったよね!」
食べ終えてフォークを置いたアンジェリークは、紅茶を一口飲み、ギョッと目を丸くした。
アンジェリークの皿には1/6。
すると必然的に5/6が皿には残っているはずなのだが…。
すでにケーキは跡形もなく、向かいでロザリアがもぐもぐと口を動かしているのが見える。
「え、もう全部食べちゃったの?」
「ええ。 スフレタイプのチーズケーキは焼きたてが一番ですもの。」
しれっと答えながら、ロザリアは優雅な手つきでカップを手に取った。
さすがに一気に5/6食べると喉が渇く。
アンジェリークは紅茶のお代わりを注いでくれたロザリアに「ありがと。」と告げると、じっとロザリアの顔を見つめた。
「なんですの?」
その真剣な目を不思議に思ったロザリアが尋ねる。
すると、アンジェリークは意を決したように口を開いた。
「ねえ、ロザリア。
ちょっと…太ったんじゃない?」
「ええ。 少し太りましたわ。 きっと試験が終わって気が緩んだんですわね。 それが?」
それが、じゃない!と、叫び出したい気持ちをアンジェリークはぐっと堪えた。
ちょっと、とは言ったが、ロザリアは明らかに以前よりもふくよかになっている。
いや、もうすでにふくよかを通り越して太っていると言ってもいい。
補佐官に就任してすぐに作らせたドレスは、すでにサイズ変更3回。
ぴったりとしたデザインが似合わない、と、デザイナーが嘆いているのも聞いてしまった。
実際、シャープだった顔のラインは丸くなり、ほっぺはぷにぷに。
袖からはむっちりとした腕の肉が覗いている。
「ううん、気にしてないならいいの。
ほら、前はロザリア、すごく体型に気をつけてたじゃない?
だから…。」
いくら親友とはいえ女性にとって体型の事は繊細な問題だ。
「痩せた」ならともかく「太った」とは決して言ってはいけないことは、スモルニイでも暗黙のルールだった。
アンジェリークも微妙なオブラートで包んで、言葉を選びつつ、ロザリアの様子を探っていた。
「そうね。」
ロザリアは優雅な仕草で飲み終えたカップをソーサーに戻した。
たとえ体形がどうなっていても、身についた所作というのは、やはり美しさを損なわないものだ。
むっちりした指を胸の前で組み、
「確かに、以前のわたくしなら、この状況を耐えられなかったと思いますわ。
完璧な女王候補はスタイルも完璧でなければいけいないと考えていましたし。」
そこでロザリアは言葉を切ると、アンジェリークににっこりと笑いかけた。
「でも、もうわたくしは女王候補ではないんですのよ?
普通の補佐官でいいんですの。
補佐官には体型も美醜も基準はありませんでしょう?
執務なら問題なくこなせておりますし。」
晴れ渡るような笑顔できっぱりと言い切るロザリアに、アンジェリークはぽかんと口を開けてしまった。
「へ? ま、まあそうだけど…。」
実際、ロザリアは補佐官の執務をすぐに覚えてしまい、その有能さは聖殿内でも噂になるほどだ。
アンジェリークがつつがなく女王としてやっていけているのも、ロザリアの働きによるところが大きい。
そう、問題はなにもないのだ。
ロザリアの体型がどうであろうと、補佐官としての執務には。
ロザリアはトレーに乗っていた缶に手を伸ばすと、その中に詰めてあったクッキーを取り出した。
アーモンドプードルを使ってサクサクに仕上げたスノーボールクッキーは、ロザリアの自信作だ。
たくさん作っておいて、こうして手の空いたときに食べるのが、今のロザリアのデフォルトになっている。
アンジェリークに一つ手渡して、ロザリアも一つを頬張る。
甘くてサクサクで、とても美味しい。
思わずロザリアの口から、感嘆のため息が漏れた。
「美味しいものを好きなだけ食べられるって、とても幸せですのね。
わたくし、今、とても幸せですわ。」
アンジェリークは絶句した。
ロザリアの言いたいことが、わかるようなわからないような…。
でも、実のところ、よくわからないような気がする。
ぽかんと口を開けたままのアンジェリークに、ロザリアが笑いながら、クッキーを入れてくれた。
そして、口の周りについた粉も、ちゃんとぬぐってくれる。
なんだかんだ言って、ロザリアは優しいのだ。
食べさせられるまま、もぐもぐと咀嚼して、アンジェリークは考えた。
たしかに今までのロザリアはいろいろ苦労を重ねてきたはずだ。
完璧な女王候補という周囲からのプレッシャーは、アンジェリークの比ではなかっただろう。
やっと自由になれた、と、のびのびしている様子が、笑顔一つを見てもよくわかる。
嬉しそうにクッキーを食べるロザリアに、アンジェリークはそれ以上何も言うことができなかった。
そして半年後。
補佐官服のサイズ直しは5回を超え、デザイン自体が南の島のフォーマルドレスのような被り物に変更された。
上から下までズドンとしたデザインは、締め付ける個所が一つもない。
「なんだか体が動かしにくいですわね。」
それもそのはず。
その時のロザリアの体重は実に女王候補時代の倍近くにも膨らんでいたのだった。
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