1.
規則正しいノックの音が響いて、オリヴィエは書類から目を上げた。
春のような日差しが差し込む午後に、飛び込んでくるのは決まっている。
そのまま机の隅に書類を積み重ねながら、「入っていいよ。」と声をかけた。
そっと開いたドアから青い影が静かに入ってくる。
きちんと後ろを向いて、ドアを閉めた後、ロザリアは周りにちらりと視線を向けた。
「誰もいないよ。」
オリヴィエがそう言うと、ロザリアはオリヴィエに向かってゆっくりとほほ笑んだ。
「オリヴィエ様!」
花がこぼれるような笑顔で机に近づくと、座ったままのオリヴィエの向かいに立って言った。
「聞いてくださいませ!今日はあの方と2回もお会いしましたのよ!」
一度目は聖殿の中庭で、二度目は王立研究院に向かう途中で、と指を折るロザリアをオリヴィエはソファに促した。
くるりと背を向けた青紫の巻き毛がふんわりと流れる。
「はいはい、ゆっくり聞いたげるから。お茶はどうする?」
オリヴィエを綺麗な瞳で見上げたロザリアは少し考えてから、
「いつものがよろしいですわ。」と、先にキッチンへと向かった。
ロザリアを追いかけて、棚から葉を出して彼女に渡す。
ポットに葉を入れた缶をまた受け取って棚に戻すと、オリヴィエは湯をポットに注いだ。
その間にロザリアがカップをトレイに載せて、砂時計をひっくり返した。
さらさらと音もなく砂が流れ落ちていく。
「あとは持ってくよ。」
いつものように言うと、ロザリアは先にソファに座ってオリヴィエが紅茶を運ぶのを待っている。
葉が開くにつれて紅茶の香りが漂ってきて、オリヴィエは目を閉じた。
何を聞いても動じないための自分だけのおまじない。
オリヴィエは小さく深呼吸をするとトレイを手に持って、ソファに向かう。
じっと見つめる青い瞳に、オリヴィエはテーブルにトレイを乗せて向かいのソファに座った。
「で、どうしたって?」
ポットの中をカップに移すととたんに広がる香りとともにオリヴィエのお気に入りのカップを彼女の前に置く。
ブルーの花が描かれた最高の磁器は凛とした彼女によく似合った。
ストレートティを好む彼女にはスプーンはつけない。
ロザリアは細い指で取っ手を持ち上げた。
「今日は2回もお会いして、少しですけれどお話もしましたのよ。・・・・相変わらず、『お嬢ちゃん』と言われましたわ。」
「そうなんだ。」
「アンジェリークに比べればわたくしはずっとレディだと思うんですけれど。どう思われますか?この後、育成をお願いしに行くんですの。」
恥ずかしそうにはにかんだ顔が目の前にある。
まるで、薔薇のつぼみのようだよ。これからもっともっと綺麗になる。
口に出せない言葉が胸の中に降り積もる。
「まったく、あいつはまだそんなこと言ってんのかね。じゃ、ちょっとこっちにおいで。」
手招きされたロザリアは素直にオリヴィエの隣に移ってきた。
「これ、おまじない。」
ロザリアの手に乗せられたのはシルバーのチェーンの付いたピンクの薔薇。
「女の子の魅力がアップするんだって。恋がかなう力もあるらしいから。あんたにぴったりでしょ?」
優しく微笑んだオリヴィエの瞳をロザリアは頬を赤くして見つめた。
「ありがとうございます。大切にしますわ。」
そう言って首につけたペンダントをロザリアは服の下に隠した。
「本当に効果があるみたいですわ。なんだか勇気がわいてくるみたい。」
嬉しそうに微笑む顔はきっとまだオリヴィエしか知らない彼女の素直な表情のひとつで、オリヴィエは胸が痛くなる。
「じゃ、がんばっておいで。」
すでに空になったカップを片付けようとすると、ロザリアも自分のカップを運んでくれた。
隣に立つロザリアからするほのかな薔薇の香り。
「あとはいいから。」
そう言って彼女を送り出すと、オリヴィエは出ていったドアを見つめた。
きっともう、ロザリアはいつものようにツンと顎を上げてあいつのところへ行ったんだろう。
オリヴィエは彼女の残したカップをそっといとおしむように指でなでた。
試験の結果が誰の目にもわかるようになった頃、オリヴィエはロザリアを湖に誘った。
「どうするのか、お尋ねになりませんの?」
滝の音が静かに耳に響く。
柔らかな日差しはロザリアの青紫の髪に天使のような輪をかけた。
「アンジェに頼まれましたの。補佐官になってほしいって。」
ロザリアは滝からオリヴィエにゆっくりと視線を移すと微笑んだ。
「わたくし、補佐官になりますわ。・・・・最初から女王になるのはアンジェだと思っていましたの。
ですからオリヴィエ様が思っていらっしゃるほど、傷ついてはおりませんわ。」
たぶん最初にそのことに気付いたのはロザリアなんだと思う。
同じサクリアを持っているからこそ、アンジェリークの背にある白い翼が見えただろうから。
「そうだね。・・・・あいつとも離れなくていいしね。」
からかうように口にした言葉にカッと赤くなったロザリアが
「もう、オリヴィエ様ったら。知りませんわ!」 と頬をふくらました。
アンジェみたいだよ、とからかうとますます赤くなる。
慰めたら、抱きしめてしまいそうだから。
オリヴィエはロザリアが笑顔になったことに安堵した。
そして、補佐官になってくれることを心から喜んだ。
ぶらりと執務室に入ってきたオスカーはソファに座ることもなく、ドアの横の壁にもたれたまま立っていた。
何気ないポーズでさえ、確かに人を惹きつける。彼女が夢中になるのも無理はない。
話し出すまで放っておこうとしたオリヴィエに気付いたのか、オスカーは顔を上げた。
「おい。」
「なに?」
ふっと息を吐き出したオスカーは言った。
「・・・彼女は補佐官になるつもりなのか?」
「そんなこと自分で聞きなよ。」
「・・・・聞けないからお前に聞いてるんだ。」
書類から初めて目を離して、オリヴィエはオスカーを見た。
真摯な色がアイスブルーの瞳に浮かんでいる。
「なるって、言ってたよ。」
再び書類に視線を戻して言ったオリヴィエの耳に安心したようなオスカーの吐息が聞こえた。
「気になるなら、素直にそう言ってあげたら?」
きっと、ロザリアはすごく喜んで、必ず留まってくれるはず。・・・・あんたが一言いうだけで。
「彼女はまだ女王候補だ。女王候補のうちは『お嬢ちゃん』さ。」
「あんたのそういう律義さ、理解されてないと思うよ。」
オスカーはその言葉には答えず、部屋を出て行った。
そしてすぐに新女王が誕生したのだった。
今日も夢の守護聖の部屋のドアがノックされる。
どうぞと言うよりも前に青い瞳がのぞいた。
「お邪魔してもいいかしら?」
そう言いながら手に持っている箱を掲げて見せた。
「もう入ってるじゃないのさ。」
くすくす笑いながらロザリアは後ろ手でドアを閉めた。
お茶を入れるために立ち上がったオリヴィエの前に箱を置くとロザリアは奥へお茶の支度をしに行く。
奥から聞こえてきた「今日はダージリンでよろしいかしら?」という声に承諾の返事を返すと、そっと箱を開けた。
今日もチョコレートケーキ。
もうすぐあいつの誕生日だからね、と、甘い香りを感じながら思う。
「どうかしら?」
一口食べて、オリヴィエは指でOKのサインを出した。
ロザリアが嬉しそうに微笑む。
「よかった・・・。これであの方にお届けできますわ。」
「何回目だっけ?」
試食の回数なんてもちろん覚えてる。
「・・・5回ですわね。お付き合いいただいて申し訳ありません・・・。」
とたんに赤くなったロザリアの前でわざと大きな音を立てて紅茶を飲んだ。
「全く、私を太らせる気?・・・御礼に休暇でも貰ってエステにでも行こうかな~。」
補佐官の顔に戻ったロザリアがダメ出しするのに、肩をすくめてみせる。
オリヴィエはフォークにさしたケーキのかけらをくるくるとまわしながら言った。
「しばらくはチョコレートケーキをみたくないね。」あんたがあいつにあげたものなんて。
再び申し訳なさそうな顔になったロザリアにウインクした。
「ま、うまく行けば私の苦労も報われるってもんだよ。」
・・・・嘘じゃない。ただ、苦しいだけ。
嘘をつくのには慣れたはずなのに、ただ、苦しくなる。
なぜか急にキラキラした瞳でロザリアが言った。
「聞いてくださいます?・・・今日、オスカーに『ロザリア』って呼ばれましたの。」
耳まで赤くなってうつむいたロザリアを見つめた。
「そりゃ、もう『お嬢ちゃん』じゃないんじゃないの?」
オリヴィエの言葉にロザリアはますます赤くなってつぶやいた。
「そう思って、いいんでしょうか?」
恥ずかしそうな顔に微笑んだオリヴィエはカップの紅茶を飲みほした。
苦みのないはずのダージリンが喉から苦い塊のように体に流れ込んだ。
ロザリアの乗った宇宙船が墜落したという知らせが届いたのは、新女王が即位してから2ヶ月ほどたった日のことだった。
「どうして?」
女王の声が謁見の間に響き渡ると、研究員は手もとのレポートを握りなおした。
「わかりません。ただ、あのあたりは昔から非常に不安定でよく事故が起こっています。今回のケースもその一つだと思われます。」
「なんで、そんなところを!」
冷静を装っていた女王が感情を出し始めると、研究員はため息とともに報告を続ける。
「航路をそれたことは間違いないようです。原因は今のところ不明です。」
「探してるの?」
ヒステリックな色が混ざり始めた声に努めて冷静に返した。
「非常に不安定な状態ですので、2次災害を起こす可能性があります。落ち着いてから捜索を行う予定です。」
「落ち着いてから?そんなんじゃ間に合わないわ!宇宙に放り出されたら、どうするの?」
「爆発を起こすような事態であれば、すでに手遅れでしょう。不時着していれば、焦る必要はありません。」
玉座から立ち上がった女王は急に倒れ込んだ。
あわててそばにいたジュリアスが受けとめる。補佐官不在の間、ロザリアに変わって女王のそばに付き添っているのだ。
「しばらく女王は休養が必要だ。・・・頼むぞ、オスカー。」
部屋の片隅に従っていたオスカーに声をかけると、ジュリアスは女王を抱きかかえるようにして奥の間へと連れて行った。
なぜ、彼女が。
オスカーはジュリアスの指示通りに謁見の間から研究員を送り出すと、ゆっくりとドアを閉めた。
「今度は一人で行くんですのね。・・・少し寂しいですわ。」
甘えるように青い瞳を向けたロザリアの肩をオスカーは優しく抱きしめた。
「すぐ会えるさ。・・・その時は俺の部屋で過ごしてくれるだろう?」
うつむいてうなじを赤くしたロザリアはそれでも少し寂しそうに瞳を揺らした。
言葉にしなくても受け入れてくれたことが嬉しくて、オスカーはロザリアにそっとキスを落とした。
「誰かに見られますわ。」
恥ずかしがり屋の彼女にはこっそりキスをするだけでも大変だ、とため息をつく。
「わたくし、すぐに帰ってきますわ。・・・あなたと離れているなんて嫌ですもの。」
わざわざそんなことを言うロザリアをほほえましく思った。
実は嫌な予感がしていたのかもしれない。
その2週間前に偶然二人でいくことになった視察の帰り、オスカーは彼女に想いを打ち明けた。
どんなときもロザリアが自分を目で追っていることに気づいてはいた。
だが、それも自分の願望なのかもしれない、と思ってしまうほどオスカーも彼女に惹かれていた。
女王候補の間は手を出さなかったことに、彼女は気付いていないようだったが。
「あの、突然で、わたくし・・・。」
オスカーはロザリアの手にそっと口づけた。
「返事は急がない。」
真っ赤な顔をしたロザリアが走っていくのをオスカーは見送った。
「オリヴィエ様!」
真っ赤になって目を潤ませたロザリアが執務室に飛び込んできた。
興奮しているのか、「様」づけで呼んでいることにも気づいていない。
「オスカー様が、わたくしを・・・!」
そこから先は何も言えなくなってしまったようにぴたりと止まった。
とうとうこの日が来たと思う。
互いの想いを知ってしまう日が。
自分の想いはどこに流れていくんだろう。出口はもうないのに。
うつむいて肩を揺らしたロザリアの頭をオリヴィエは優しくなでると言った。
「よかったね。あんたの想いが通じたんだよ。」
「わたくし、わかりませんわ。とにかくドキドキしてしまって、なにも考えられませんの。」
しゃくりあげながらロザリアはつぶやいた。
「素直に受け取ったらいいんだよ?うれしいんでしょ?」
何度も何度もうなづいたロザリアの頭をぽんぽんと叩いた。
オリヴィエに後押しされて行ったオスカーの執務室でロザリアは初めてのキスをしたのだった。
ようやく想いが通じたと思った矢先の事故。
近くで宇宙船は見つかっていない。
それでも誰もがすでに最悪の事態を予想していた。
ジュリアスの指示に従わなければならない自分の立場を恨めしく思いながら、忙しいことで気を紛らわせることもできる。
オスカーは捜索の指揮をとるために派遣軍へと向かって行った。