2.
宇宙船が消息を絶った場所を聞いて、オリヴィエはすぐに出かける準備を始めた。
自分の故郷の近くのこの不安定な場所は昔からよく船が行方不明になっていた。
そして、その場所で行方不明になったと思われる船の残骸が遠く離れたある惑星で見つかることを知っていたのだ。
普通に考えれば流れ着くはずのないその場所は故郷の星でもほとんどの人は知らないだろう。
自分ですら、祖母から聞いた噂話の一つとして今まで記憶の片隅に埋もれていた。
でも、その話を今思い出したのは、きっと偶然ではない。
混乱している聖殿を抜け出すことは訳もなく、オリヴィエはこっそりと旅立ったのだった。
「最近、けが人が運び込まれたりしてない?」
そう言って病院を中心に探し始めて2日。
宇宙船が墜落したらしいという情報はなく、ただ、流星雨のようなものが流れたという噂は聞いた。
かならず彼女は生きている。
昔聞いた噂の町の中で一番離れた場所までやってきた。
もし、ここにいなければ、もう一度最初の場所まで戻るつもりだった。
町で一番大きな病院はレンガ色の古びたタイル造りの建物だった。
自動ドアが鈍い音を立てて、ガタガタと動く。
受付で救急搬送について聞こうと女性に近づくと、奥から声が聞こえた。
「あの125号室の患者さん、どうしたらいいのかしら?」
「身寄りがいないみたいだし、お金もなさそうね。」
「早く警察に行った方がいいんじゃないかしら? 」
「でもまだオペしてすぐじゃない?ドクターがもう少し待つって。あんなに若くて綺麗なひとだもの。誰か探しにくるって。」
「ドクター、意外に恋愛小説ファンだからね~。」
ナースたちがどっと笑った。
オリヴィエは走り寄ると、一人の腕をつかんで尋ねた。
「今の話。そのコって青い瞳?青紫っぽい髪?」
目を丸くしたナースが思わず頷くと、隣にいたナースがえっと声を上げた。
「もしかして、探しに来られた方?身寄りの方ですか?」
奥から「ホントに来た~。」と、騒ぐ声が聞こえる。
「彼女はどこ?」
あまりに真剣なオリヴィエの表情にナースたちは顔を見合せながらも廊下の向こうを指差した。
「ここをまっすぐ行った125号室です。すぐにドクターを呼びますから・・・。あ、ちょっと待って!」
最後まで聞かずに走り出した。
周りにいた人が何事かとさっと彼をよける。
ヒールの音がリノリウムの床でカツカツと音を立てた。
「ロザリア!」
振り向いた彼女は不安げに瞳を揺らした。
頭に包帯を巻いて病院の綿のパジャマを着たロザリアは静かにオリヴィエを見つめていた。
たなびくカーテンが彼女の顔に柔らかな影を落とす。
殺風景な部屋でロザリアは一輪の薔薇のように座っていた。
信じてはいたけれど。
ようやく会えたことに我を忘れた。
オリヴィエは駆け寄ると、ベッドの上に座ったままの彼女を抱きしめる。
ロザリアの視界にオリヴィエの金の髪が広がった。
「探したよ・・・。」
ロザリアは抱き返すこともせずにおとなしくオリヴィエの腕の中にいる。
オリヴィエはじっと彼女を抱きしめた。
この時くらいは抱きしめることが許されるはずだから。
しばらくしてオリヴィエはロザリアの頬に手のひらをあてると、額を寄せた。
「とにかく、無事でよかった・・・。何で連絡しなかったの?」
少し顔を離して青い瞳を見つめると、その瞳にはただ困惑だけが浮かんでいた。
「ロザリア?」
「その女性はどうやら記憶を失ってしまったようなんですよ。」
後ろからかかった声にオリヴィエはベッドから降りた。
靴も脱がずに彼女の元へ上がり込んでいたことに気付く。
「覚えていないそうなんです。自分の名前も、周りの人のことも全部ね。」
そろそろ中年の域にさしかかった白衣の男は、自分が彼女の主治医であると名乗った。
オリヴィエがドクターの方に向けた顔を再びロザリアに戻すと、彼女はただ自分を見つめている。
綺麗な青い瞳。
記憶を失ったというのなら、私のことも、聖地のことも、女王試験のことも全て忘れたのだろうか。
・・・・あいつのことも。
好奇心の光を宿したドクターが尋ねた。
「あなたはこの女性のなんですか?」
神様、私は地獄に落ちるかな。
それでも彼女を。
「私はね、このコの婚約者なんだ。」
オリヴィエは包帯を巻いたロザリアの頭をそっと抱き寄せる。
包帯の下から伸びた髪は切れ切れになっていて、とても痛々しい。
あれほど綺麗だった青紫の髪。
「私のことも、忘れちゃった?」
顔を覗き込んだオリヴィエにロザリアは少し微笑んだように見えた。
オリヴィエはロザリアの首にかかるネックレスを指ですくい上げた。
「これ、私があげたんだよ。愛がかなうおまじない。裏にあんたの名前が彫ってあるの見える?」
『to rosy』
「ロジー・・・。」
「そうだよ。あんたをそう呼んでた。」
ロザリアという名前は今日で捨ててしまおう。
今日から、あんたは私のロジー。
指先のピンクの石をロザリアはじっと見つめている。
ドクターがオリヴィエを外に呼び出した。
「彼女はここに来た時かなりの深手を負っていました。・・・ここに、大きな傷が。」
ドクターは自分の胸の下から右わきを示した。
「普段は隠れていると思いますが、婚約者であるなら、気になさるかと。」
オリヴィエはドクターをまっすぐに見た。
「いや。気にならないよ。・・・・彼女がいれば、それでいいんだ。」
「では、もう少し入院していただいて、検査が無事終われば連れて帰っていただけますよ。」
ドクターの言葉にオリヴィエはその手を握った。
感謝と尊敬の想いをこめた姿に幾多の患者を見てきたドクターですら熱くなる。
「お願いします。」
そのまま、彼女の病室に戻っていくオリヴィエを見てナースがドクターに声をかけた。
「あの人、信用していいんですか? なにしてるかもわからない人ですよ!」
ドクターがおや、という顔をする。
「君、あの人を見てわからないの?彼女のこと、本当に大切に思ってるよ。信用できる。」
「もう、ドクターは恋愛小説の読み過ぎですよ!」
そう言ったナースもそれ以上は言わなかった。
確かに誰が見ても、オリヴィエの愛は真実だと感じることができたからだった。
「一緒に帰ろう?」
見上げたロザリアの瞳をオリヴィエは優しく見つめ返した。
「あんたには家族がいないし、どうせもうすぐ一緒に暮らすはずだったんだから。」
ひとつ、嘘をつくと、次々に嘘がこぼれる。
「私がそばにいるよ。だから、心配しないで。」
ロザリアは小さく頷くと、「ありがとう。」とだけ言った。
久しぶりに見た笑顔はとても純粋でオリヴィエは胸が熱くなった。
近くのホテルに長期の予約を取ると、オリヴィエは毎日病院へ通った。
聖地から考えれば、この1ヶ月の日々でさえ、ほんの2,3日。きっと誰もオリヴィエの不在に気付かないだろう。
日に日に増えていく薔薇の花をナースにからかわれてロザリアは赤くなった。
「あの、オリヴィエ?」
「なあに?」
花瓶が足りなくなって手ごろなビンなら何でも使った。ナースたちも協力してくれて窓辺にずらりと欠けたカップなどが並んでいる。
やっと、名前を普通に読んでくれるようになったロザリアに鼻歌交じりで返事を返す。
初めに「オリヴィエさん」と言われた時はどうしようかと思ったけれど。
「お花が多すぎますわ。」
枯れた花を摘み取っているオリヴィエにロザリアが声をかけた。
「だってさ、食べ物はダメっていうし。他になにができるのさ。」
摘み取った花を屑かごに入れると、ロザリアの隣に腰掛ける。
「何かしたいんだ。早く良くなってほしいからね。」
「オリヴィエ・・・。」
すぐ赤くなるところは全然変わっていない。オリヴィエは手を軽く握った。
それに気付いてロザリアがオリヴィエを見つめた。
この素敵な人が本当にわたくしの婚約者なのかしら?
でも、オリヴィエといると、とても心が暖かくなる。
・・・好きだったのかもしれない。いいえ、きっと好きだったのだわ。だって、今も。
「あの、検査してもいいですか?」
ドクターの声にオリヴィエはあわててベッドから飛び降りる。
「まあ、仲がよいのはいいですけどね。では、包帯を取りましょうか?」
ナースがロザリアの頭の包帯に手をかけると何重にも巻かれた包帯から髪がこぼれおちた。
「ずいぶん短くなったね。」
耳元の髪をなでながら言ったオリヴィエにロザリアは尋ねた。
「以前のわたくしは髪が長かったのですか?」
「ん・・・。いつもきれいにカールしててね。あの髪、好きだった。」
「また伸ばせますよ。」
ドクターが割って入る。
「まだ若いからすぐに伸びますよ。」
うんうんとドクターはオリヴィエを見た。髪よりもそれよりも気になった傷あとはどこにもなかった。
そのドクターの顔に密かに安堵する。
「さあ、そろそろよさそうですね。明日あたり退院にしましょうか?」
一瞬嬉しそうにしたロザリアの瞳に影がよぎる。
退院した後、どうなるのか。不安でうつむいた。
「よかったね。明日から二人だよ。」
オリヴィエがいかにも邪魔ものだと言いたげにドクターとナースを見ると二人は苦笑していた。
その言葉にロザリアは泣き笑いのような顔をする。
「一緒に帰ろう。」
ロザリアの手を握ると、彼女がそっと握り返してきた。それだけで、幸せになれた。
目を真っ赤にしたドクターとナースたちに送られて、二人は病院を出た。
ぎこちなくオリヴィエの隣を歩くロザリアをいきつけの美容院に連れていく。
「病院ってとこのセンスはホント最悪だね。ここなら可愛くしてくれるから。」
大きな鏡の前で、ロザリアは自分の髪がぼろぼろになっていることに気付いた。
事故のせいか、ところどころ色が変わっているところもある。
「カラーもしようか?ここ、気になるよね。」
茶色くなった部分を指差されてロザリアは恥ずかしくなった。
隣にいるオリヴィエはいつもとてもきれいだ。指先のネイルも服装も。ドキッとするほど整った顔立ちも。
「そうだねえ・・・。黒髪なんてどう?この茶色もうまく隠れるよ。」
青い瞳は隠せない。髪型を変えるだけで雰囲気も変わる。でももっと、隠したい。
「ええ、そうですわね。オリヴィエの思う通りで構いませんわ。」
ちらちらと雑誌をめくりながら変わっていくロザリアを見つめた。 斜めに下ろした前髪と、もともとのくせ毛のせいかふわふわしたボブ。なにより黒い、その髪。
「どうかしら?」
はにかんだ笑顔は変わらないけれど、以前とは全く違うロザリアがいた。
「かわいいよ。」
オリヴィエの言葉に安心したように微笑むと、
「本当ですわね。わたくし、何でも似合うみたいですわ。」と、満足そうに言った。
今にも高笑いをしそうな様子にくすりと笑いがこぼれた。やっぱり中身は変わってないみたいだ。
「さあ、行きましょう?」
ロザリアはオリヴィエの服を引っ張って笑った。
もし、彼女が女王候補として生きていなければ、こんなふうに笑う少女だったのかもしれない。
オリヴィエは新しいロザリアと、ずっと一緒にいたいと、それだけを思っていた。