12.
今日も一日が終わる。
オレンジ色の夕日はビルの谷間を染め上げて、鏡面のような窓を眩しく光らせていた。
その輝きに一瞬目を奪われて、ロザリアは立ち止まる。
こんなふうに輝いた夕陽の中にいた時があった。今でも鮮明に心に残る思い出。
アスファルトに長い影が伸びる。
「社長?」
自動ドアが開いても中に入ろうとしないロザリアに声がかかった。
怪訝そうに見つめる瞳は随分前に別れた親友と同じ、綺麗な緑。
「あら、ごめんなさい。夕日に目を奪われてしまったわ。」
閉じようと動き始めたドアに手を当てて、ロザリアはビルの中に足を踏み入れた。
顔に当たる冷気がふと頭に昇る思い出を追い払う。
中にいた人々の視線がロザリアを認めると、一斉に頭を下げた。
ロビーを横切り、まっすぐエレベーターに向かう途中、受付にいた女性が走って来る。
「あの、社長。総帥が見えています。それから・・・。」
ロザリアは言葉を遮るように最上階のボタンを押すと、その女性に向かって微笑んだ。
「わかったわ。ありがとう。」
エレベーターのドアが閉まる。
ロザリアの姿が消えて、ロビーにいた人々の緊張が緩んだ。
「ロザリア社長って、綺麗よね~。」
「それにやり手だし。10年で、ここをアパレルのトップにしたんでしょ?」
「まだ、若いらしいけど、総帥とはどうなのかな。結婚するのかしら?」
「するんじゃない?総帥はべたぼれだもんねー。でも、社長には忘れられない恋人がいるとかいう話よ?」
うわさ好きの女の子たちはどこも変わらない。
それでも終業を知らせるベルが鳴ると、潮が引くように次第に人気は無くなっていった。
ロザリアが最上階でエレベーターを降りると、秘書が近付いてくる。
「あの・・・。お客様がいらしています。」
「総帥でしょ?下で聞いたわ。オフィスなの?」
「あの、それ以外にもお一方いらしていまして・・・。入社したいというデザイナー希望の方なのですが。オフィスの方でお待ちいただいています。」
ロザリアの眉が寄せられた。
最上階はロザリアにとってプライベートな空間も含まれている。
だから、滅多な人間はあげないようにきつく言ってあるはずだ。
「なぜ、入れたの?」
「それが・・・。」
叱るのは後だ、といいたげに秘書を一瞥すると、ロザリアはオフィスのドアに手をかけた。
差し込む夕日。
眩し過ぎる光に目がくらみそうになる。思わず目を細めたロザリアの前に輝く金の髪。
ロザリアの息が止まる。
「オリヴィエ!」
駆け寄って飛び込んだ胸は忘れたことのない人の香りがした。
「どうして?なぜここが?こんなに早く?本当にあなたなの?」
ロザリアを受け止めた腕がすっと動いて、指先が頬に触れる。
「言いたいことはそれだけ?」
見上げた先にあるブルーグレーの瞳。
想いのあふれたその色にロザリアは背伸びをして近づいた。
「会いたかった・・・!」
重ねた唇が、震えた。
あの日、ルヴァに連れていかれたのは、蔵書部屋の奥。
足を踏み入れた先にあったのは、一台のベッドとそれにつながれた無数のコード。そして先にあるタマゴほどの大きさの石。
「これはなに?」
石に触れながらルヴァは言った。
「サクリアを吸い取る機械なんですよ。」
電源を入れると、つながれたPCのディスプレイが明るく浮かび上がる。
「放出したサクリアをこのコードを通じて、石に吸収させる。この石がね、とても珍しいんです。
ここに、空洞があるでしょう?ここにあらゆるエネルギーを内包することができるんです。・・・信じられますか?」
ルヴァの顔をほの暗い灯りが照らしていた。
「サクリアがある限り、あなたは守護聖を続けなければいけない。けれど、下界は時が過ぎるのが早い。
きっと、あなたが守護聖としての役目を終えるころには、ロザリアはこの世にいないでしょうね。」
まっすぐな視線がオリヴィエを見つめる。
どこか暗いその瞳は後悔の色にも似ていた。
「サクリアを無くせば、聖地を出ることができます。」
信じられない、とオリヴィエは思った。
サクリアを無くすなんてことが可能なら、とっくに誰かがやっているはずだ。
ウソかもしれない、うまく行かないかもしれない。
オリヴィエの内心を読み取ったのか、ルヴァは大きく頷いた。
「確かに危険は大きいですよ。実験を繰り返している時間はありませんからねぇ。ぶっつけ本番です。
・・・最悪死ぬかもしれません。」
ルヴァの真剣な様子にオリヴィエはつばをのんだ。
「どうしますか?私を信じてやってみますか?」
ディスプレイのライトが赤い点滅を繰り返すなか、オリヴィエはベッドに寝転んだ。
ロザリアにもう一度会えるなら。
「やるよ。このままなら、死んでいるのと大して変わらない。」
ルヴァの手が装置に伸びて、オリヴィエの体にコードをつなぎ始めた。
ひんやりとしたパッドが身体に触れて、オリヴィエは身震いする。
「一度に全部、というわけにはいきません。毎日少しづつになると思いますよ。」
これが最後、というようにルヴァは念を押した。
「うん。かまわないよ。やって。」
ルヴァは深呼吸して、スイッチを入れた。
オリヴィエの体から光があふれ出すと、装置の動く鈍い音が部屋中に響く。
言葉を交わすこともないまま、二人は一夜を明かした。
翌朝、心配していたような異常が見られなかったことに二人は安堵の息を漏らした。
それからしばらくの間、毎晩それを繰り返したオリヴィエのサクリアは急速になくなり、間もなく新しい夢の守護聖が選出されたのだった。
夢の守護聖の交代が公にされた夜、ルヴァはひとり、奥の間にいた。
サクリアを吸い取った石はあやしいほどの輝きを増して目の前にある。
「想い合う力は全てを変えることができるのですね・・・。」
理論上、間違いはなかった。
それでも最後まで実際のところどうなるか予想できなかったことも事実。
もし、この世に絶対の存在があるとするならば、きっとそれは二人を認めたのだろう。
ルヴァが石を握りしめると、ぼんやりとした光が手のひらからあふれだして、やがて消えていく。
「私の想いをどうか吸い込んでください・・・。」
願わくば、悲しみに濡れるだろう、もう一人の少女の想いも。
静かに過ぎていく闇に、ルヴァは大きく、ため息をついた。
守護聖交代の知らせを聞いたアンジェリークが新宇宙からやってきた。
聖殿に用意された謁見の間でオリヴィエと向かい合う。
オリヴィエに認めてもらいたくて、ずっと執務に集中してきた。
再会の時を夢見て、がんばってきたというのに。
今日もあの青いドレスを身につけたアンジェリークの表情は歪んで、今にも泣きだしそうに見えた。
「オリヴィエ様。行かないでください。新宇宙に来て下さい。わたし・・・離れたくありません!」
背中に抱きついたアンジェリークの手をオリヴィエは静かに払いのけた。
「私が行きたい場所は一つだけなんだ。」
アンジェリークの手がオリヴィエの服をギュッとつかむ。
「あの方はもうオリヴィエ様を忘れているに決まっています!」
「それでもいいんだ。私が彼女を愛しているんだから。そばにいたいっていう気持ち、あんたにならわかるだろう?」
オリヴィエの瞳は穏やかにアンジェリークを見つめていた。
そばにいてほしい。たとえ心がそばになくても。
そう願ったのは、確かにわたし。
アンジェリークが足元に崩れ落ちていく。
「どうして?どうして、わたしを好きになって下さらないんですか・・・?」
泣きながら蒼いドレスを握りしめた。
ドレスよりも欲しかったオリヴィエの心は、もう二度と手に入らない。
「ねえ、アンジェ。世界は広いよ。あんたを愛してくれる人がどこかにきっといる。
もしかしたら別の宇宙で、あんたに巡り合う日を待っているのかもしれないよ。
私とロザリアが時も場所も越えて巡り合ったみたいにね。その人に出会えたら、その時に、ドレスは捨てて。」
泣き続けるアンジェリークを残して、オリヴィエは聖殿を後にした。
聖地の緑は鮮やかで、青々と茂る木々が時折風に揺れる。
オリヴィエは近くの木から葉を一枚とると、大切なものをしまうように、そっとポケットに入れたのだった。
聖地を去る日。
リモージュの前で膝をついたオリヴィエは、名前を呼ばれて、顔を上げた。
「オリヴィエ。あなたはどこへ行くの?」
一回り小さくなったリモージュは泣き笑いのような顔をしている。
「決まってるでしょ?あの子のそばに行く。だからね、あんたももう、我慢しなくていいんだよ。」
女王の間のドアが開いて、一人の守護聖が姿を現した。
リモージュの瞳から大粒の涙がこぼれおちると、その涙が床に落ちるよりも前に彼の手のひらがすくう。
「これからは、二人で聖地を治めていってよ。それが、ロザリアの願いだったんだから。」
固く抱き合う二人に背を向けて、オリヴィエが言った。
「私も行くよ。もう一度、始めるためにね。」
一歩、前に踏み出したオリヴィエにリモージュが声をかける。
「ロザリアはきっと、あなたを待っているわ。」
その言葉にオリヴィエは振り返ると、リモージュにウインクした。
それは愛する人の腕に包まれたリモージュが思わず頬を染めるほどの最高の笑顔だった。
聖殿の門の向こうにルヴァが立っていた。
ルヴァの長い執務服の裾が風に揺れている。オリヴィエは自分の足元にふと目を向けた。
華美な靴も、服ももう身につけていない。
軽やかな足取りでオリヴィエはルヴァの元に近づいた。
「最後のお茶をいかがですか~?」
微笑んだルヴァに頷いた。
「ありがとう。あんたのおかげだよ。ルヴァ。」
ロザリアが去ってから、まだこちらの時間で1年もたっていない。
きっとまだ、彼女を追いかけることができる。
オリヴィエはサクリアを閉じ込めた石を手にしながら、その輝きを見つめた。
「最後に一つ、聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
手にしていた石をテーブルに置くと、無機質な音が部屋中に響いた。
「自分がやろうと思わなかったの?」
湯呑を手にしたルヴァが湯気に向かってふうっと息を吹きかけると、ゆらゆらと上がる湯気はあたりに散らばって消えた。
思わないはずがなかった。
あのパーティの夜から、ロザリアがいずれ聖地を去ることになるというのは予想できた。
もし、下界に降りたロザリアのそばに行き、共に過ごせば、いつか自分を愛してくれる日が来るかもしれない。
・・・それでは同じだ。アンジェリークと。
ルヴァの脳裏に青いドレスのアンジェリークの姿が浮かぶ。
それからサクリアを無くす方法を考えていて、あの石を手に入れた。
石の大きさから考えても、サクリアを吸収できるのは一人。
装置が完成した日、ルヴァはベッドに寝た。
PCのディスプレイはスタンバイの表示をちかちかと繰り返している。
ルヴァはスイッチを入れようとして手を止めた。
「ロザリア、あなたを誰よりも愛していますよ。」
自分が手に入れるよりも、彼女を幸せにできる方法があるなら。
何度同じことがあったとしても、自分はそちらを選ぶだろう。
だから、ルヴァはオリヴィエに石を使った。
それを後悔してはいない。
再び湯気が立ち上るのを見てルヴァは言った。
「思いませんでしたよ。どんな危険があるか見当もつきませんでしたからねぇ。私は怖がりなんです。」
「私は実験台ってこと?」
「まあ、そうですかね。」
ルヴァが意味ありげに笑うと、オリヴィエはソファに深く座りなおした。
「本当にありがとう。」
「ロザリアに会えたら、私のことを褒めておいてくださいね。」
感謝という形であっても、ロザリアの心にルヴァは永遠に残るだろう。
ロザリアの心に永遠に残ること。それも一つの想いの昇華。
ルヴァはゆっくりと頷くと、静かに微笑んだ。
「ん。わかった。私もあんたのこと、忘れないよ。」
立ち上がったオリヴィエは軽く手を振った。
最後の別れとは思えないほど、軽く。
去っていくオリヴィエの背中にルヴァは祈った。
どうか、彼女が幸せになりますように、と。
西日が次第に影を濃くしていく。
どれくらい、抱き合っていただろう。
やっと、顔を上げたロザリアが言った。
「わたくし、あなたより、ずいぶん年上になってしまいましたわ。」
拗ねた顔にオリヴィエは微笑みながら、ロザリアの髪をなでた。
「そういうのも、いいんじゃない?私は面白いと思うけど。社長が年下男を捕まえたって、みんな喜ぶよ?」
「まあ!」
もがきだしたロザリアをオリヴィエはさらに力を込めて抱きしめた。
「ダメ。もう離さない。」
そう言いながら笑って、オリヴィエは急に腕を解いた。
「あんたにこれを持ってきたんだ。」
近くに置いてあったケースを開けると、ロザリアの視界に広がったのは輝くような白いドレス。
手縫いでつくられた見事なマリエがロザリアの手の中にあった。
「あんたのために作ったんだ。着てくれるよね?」
ベールを手にしたオリヴィエが微笑んだ。
「ああ、ぴったりだ・・・。ホントに綺麗。」
マリエを着たロザリアをオリヴィエは震える瞳で見つめた。
この日のことだけを考えて、残された聖地でドレスを作ったのだ。
サクリアをなくすための日々の中で、たった一つの希望。
再びオリヴィエの腕がロザリアを包み込むと、ロザリアは目を閉じた。
「離さないで・・・。」
言いかけた言葉がそのまま途切れた。
開いたままだったドアが音もなく閉じられる。
「恨まん約束やったけど・・・。やっぱり恨みますわ。オリヴィエ様。」
10年、ロザリアのそばにいた。
「ドレスを作る会社を作りたい。」
それがオリヴィエのためだとわかっても、チャーリーは力を貸した。
「マリエはつくらへんの?」
急成長した会社に舞いこむオーダーにチャーリーは何度も尋ねた。
そのたびに首を横に振ったロザリア。
誰とも結婚するつもりはないと、そう言っていたのだろう。
それでもいつかは自分を見てくれると、チャーリーは信じてきた。
誰よりも近くにいると、そう思ってきたのに。
「これ、要らんようになってもうたな。」
いつか渡そうとポケットに忍ばせていたダイヤのリングをチャーリーはぼんやり眺めた。
それを自分の小指にはめて、くるくると回す。
光るダイヤより綺麗な涙が、今、ロザリアの頬を濡らしているだろう。
チャーリーは秘書に向かってウインクすると言った。
「今日はもう帰ってええよ。それから、明日から社長はしばらくお休みや。社長のスケジュールは全部俺にまわしたって。」
すぐに秘書が帰っていくと、チャーリーはオフィスのドアを見つめた。
誰よりも好きな人。
その人の幸せを今はただ、祝福したい。
「さよなら。」
エレベーターに乗ったチャーリーは一言つぶやく。
『閉』が点灯したまま、行き先を押さないエレベーターはしばらくそこに止まっていた。
目を開けても、オリヴィエの腕の中にいる。
夢でないことを確かめたくて、ロザリアはオリヴィエにしがみついた。
「愛していますわ・・・。」
「私もだよ。」
月日が二人を引き離しても、変わらない想いがあったから。
もう一度、始めることができる。
今日から、once more,again・・・。
FIN