マゼンダに溶ける

3.

新女王の即位式を控え、久しぶりに聖地の私邸に戻ったオスカーはワイングラスを傾けながら、考え込んでいた。
試験に負けたロザリア。
彼女は、この先、どうするつもりなのだろう。
完璧な女王候補として育てられてきた彼女は、生家を出てくるとき、まさか負けるなど、想像すらしていなかったはずだ。
きっと家族も同じだろうし、最早、帰ったところで、彼女の居場所などないかもしれない。
いずれにしても家のために結婚させられるのがオチだ。

「補佐官になってほしいの。」
宇宙の移動の後、呼び集められた謁見の間で、アンジェリークがロザリアにそう懇願しているのを聞いた。
前女王もディアも、ジュリアスも、その場にいた全員が、それが自然だと思っていただろう。
もちろん、オスカーもだ。
アンジェリークとロザリアなら、前女王とディアのような関係を築いていける。
それに、補佐官になれば、一緒に聖地で暮らすことができる。
離れ離れにならずにすむのだ。
皆がロザリアの答えを待ち、謁見の間が静まり返る。
「…考えさせてもらってもいいかしら。」
静寂を破ったロザリアの言葉は、意外な一言で。
結局、その答えは今日まで出ていなかった。

彼女が帰りたいと望むのなら。
それが本心ならば…帰らせるしかないのだろう。
思ったよりもダメージを受けている自分に、オスカーは苦笑していた。
あの飛空都市で最後に二人きりになった日。
互いの想いが通じ合ったと、そう思っていたのに。
新女王誕生以来、彼女は聖殿にこもりきりで、オスカーは姿を見ることさえもできていない。

グラスを干したオスカーは、立ち上がると、上着を手にとった。
即位式の時に補佐官の任命も同時に行われる。
彼女に直接会うチャンスは、その前夜祭のパーティしかない。
そのたった一度きり。

急ぎ足でオスカーが向かったのは、オリヴィエの私邸だ。
オスカーの話を聞いたオリヴィエは、渋い顔をしながら、
「あんたんとこに残ってるカティスのワイン。 残らず寄越すなら、お願いをきいてあげる。」
試すような視線を向けてきた。
オスカーにこんな駆け引きを挑むのはオリヴィエくらいだろう。
だからこそ、オスカーもオリヴィエを信用していた。

「わかった。 一本残らず、おまえにやる。 それでいいか?」
迷いのない返事に、オリヴィエは肩をすくめた。
「ったく、こんなギリギリになってからなんだから。 もうちょっと早めになんとかできたでしょうに。」
「無理なら他を当たる。」
「できないなんて言ってないでしょ。 ま、見てなよ。」
自信ありげなウインクをするオリヴィエに、オスカーは心の中で頭を下げたのだった。


いよいよ前夜祭。
新女王の誕生を祝う盛大なパーティが開幕した。
聖地に連なる惑星の王族や指導者など、ゲストもいわゆる支配者層に占められた、豪華絢爛なパーティだ。
規模も招待客の格も宇宙一だろう。
高らかに鳴り響くファンファーレの中、豪奢なドレスに身を包んだアンジェリークが玉座に腰を下ろした。
金糸の手刺繍で仕上げられたドレスはシャンデリアの光を反射し、女王のオーラと相まって、神々しいまでに輝いている。
即位式こそ明日に予定されているものの、宇宙の移動と記憶の譲渡が終わっている以上、アンジェリークが現女王であることは揺るがない。
アンジェリークは着慣れないドレスに窮屈そうにしているものの、物おじするような様子は見えなくて、オスカーもさすがは女王だと見なおした。

筆頭守護聖の挨拶が終わり、新女王からの乾杯の御言が告げられる順番になる。
緊張の面持ちで立ち上がったアンジェリークの元に、背後からそっと手が差しのべられた。
今まで玉座の裏にでもいたのか。
アンジェリークの少し後ろに控えるように並んだのは、ずっとオスカーが姿を探していたロザリアだった。

アンジェリークの豪奢なドレスに比べ、ロザリアのドレスはごくシンプルなデザインだ。
ベアトップの上半身にはほとんど飾りがなく、それがかえって綺麗な身体のラインを引き立てている。
キュッと絞られたウエストからふんわり広がるフリルスカートはアシンメトリーなデザインで後ろが長い。
ミニスカート仕立てのフロント部分に彼女のすらりとした美脚が披露されていて、つい目を引かれてしまう。
大人の女性のセクシーさと少女の可愛らしさが同居する、まさにロザリアのためのドレスだった。

「ね、任せてって言ったでしょ?」
思わず見とれていたオスカーの肩にポンと手を置いたのはオリヴィエだ。
「前々からあの子にはああいうドレスが似合うと思ってたんだよね。
 スタイルいいし、足も綺麗だもんね」
「…ロザリアでおかしな想像をするな。」
「ヤダ! もしかして嫉妬してるとか?!
 せっかくいい話を聞かせてあげようと思ったのに、どうしようかねぇ。」
思わせぶりなオリヴィエの態度に、オスカーは軽く舌打ちをする。
オスカーの珍しい苦い顔に、オリヴィエは笑いながら話し始めた。

「あんたに頼まれた通り、今朝、出来上がったドレスを届けに行ったんだよ。」


オリヴィエがロザリアの部屋を訪ねると、彼女の部屋には箱に入ったままの荷物が詰まれていた。
「…片づけてない、ってことは、帰るつもりなの?」
ズバリ尋ねると、ロザリアは
「わかりませんの。 まだ、迷っていますわ。」
困ったように首を振る。
いつも自信たっぷりで、高飛車だったロザリアの打ちひしがれた様子は、見ているほうが辛い。

「まあ、あんたにとっちゃ、一生の問題だしね。
 私達守護聖と違って、補佐官は選ぶことができるんだから、自分の好きな未来に進めばいいさ。
 でもね。」
迷っているなら、まだチャンスがある。
オリヴィエは持参した箱をロザリアに押し付けた。

「これをある男からあんたに渡すように頼まれたんだ。
 あんたなら、渡すだけでその意味が分かるから、って。
 もちろん、見てからどうするかは、あんたの好きにしてくれていい。」
「…。」

ロザリアは無言だった。
けれど、オリヴィエの言う『ある男』が誰なのか、彼女は気が付いているようだった。
「じゃ、確かに渡したからね。
 私も最高に気合を込めて作ったから、できれば、あんたが気に入ってくれることを祈るよ。」
冗談ぽく笑いながらも、しっかりとロザリアと瞳を合わせる。
まだロザリアの瞳は迷うように揺れていたけれど、その奥には、さっきまでとは違うなにかが輝いていた。


「しかし、赤とはね。
 意外だったけど、こうして見ると、すごく似合ってるよ。
 さすがってとこ?」

紫の長い髪と青い瞳に対照的な赤のドレス。
一見、反発し合うように見えて、驚くほど調和しているのは、彼女の内面がにじみ出ているせいだろうか。
ロザリアが登場した時から、周囲の人々の意地の悪い囁きがオスカーの耳にも聞こえてくる。
招待客の中には、社交界でのロザリアを知っている者も多くいるのだ。

「あの名門の生まれの娘が。」
「庶民に負けた。」
「世間に顔向けできない。」
「恥ずかしくないのか。」

当然、ロザリアがその声に気が付いていないはずはない。
けれど、彼女は刺すような視線の中、堂々と、アンジェリークの補佐をこなしている。
アンジェリークが言葉に詰まりそうになると、そっと背中を支え、励ます様子が見えた。

「強さを司る炎の色だからな。」
オスカーの口からつい零れた言葉に、オリヴィエが目を丸くする。
「ねえ、それって、惚気?」
「そう思うなら好きにしろ。」
アンジェリークの挨拶も無事に終わり、一呼吸の後、ダンスが始まる。
ジュリアスに手をとられ、アンジェリークがフロアの中央に進み出ると、ロザリアはまた背後から姿を消してしまった。

高らかに鳴るオーケストラ。
次々と踊る男女。
舞踏会の開始とともに、オスカーの元にもダンスを申し込む女性たちが押し寄せてくる。
いずれ劣らぬ艶やかな花たちだが、オスカーがその手を取ることはなく。
オリヴィエに彼女たちを押し付けるようにして、その場を逃げ出していた。

「はいはい、順番だよ。
 あ、リュミエール、ランディ。 あんた達も今日くらいは踊りなさい。
 ゼフェルは踊れないの? ったく、弟子の不出来はあんたの責任。
 ルヴァはそっちね。」
オリヴィエが要領よく、他の守護聖達に女性を割り振り、ダンスをさせていく。
「ま、コレもアフターサービスの一環だよね。」
二人のキューピッドとして、ちょっとくらいのご奉仕もいいだろう。
…あのオスカーが滅多になく頼みごとをしてきたのだから。
オスカーの抜けた穴を十分埋める働きをしつつ、オリヴィエは手近な女性の手を取ると、フロアへ進んでいった。



人ごみを掻き分けて、オスカーは、テラスの階段を下り、中庭に向かった。
聖殿での喧騒が嘘のように、中庭は静寂に包まれている。
澄み切った空には青い月が浮かび、一面に星が瞬いていた。
ゆっくりと足を進めると、最奥にある東屋に人影がある。
逸る気持ちを抱えて、オスカーはその人影へと歩み寄った。

「どなた?」
振り向いた彼女の顔はとても穏やかで、優しく、オスカーは息を飲んだ。
それでも、ニヤリと笑みを浮かべ、からかうように彼女の髪の一房を指で掬い取った。
「君に引き寄せられた哀れな蝶さ。」
あの時のことを想いだしているのか、ロザリアは一瞬だけ遠い目になると、すぐにくすっと笑う。

「どの花よりも、俺を惹きつけるのは君だ。
 どんな名でも、どんな立場でも…。  君は俺にとって『特別』な花なんだ。」

女王候補のロザリアはもういない。
今、目の前にいるのは、ただのロザリア。
オスカーにだけ、特別であり続ける花。

オスカーはロザリアの腰に手を回すと、その体をそっと抱き寄せた。
彼女の髪を飾る、一輪の紅いバラ。
贈ったドレスに髪飾りはつけなかったから、彼女がこれを選んだに違いない。

「君の名は?」
「…ロザリア。」
誰よりもふさわしい名前に、オスカーはほほ笑む。
「あなたは?」
「俺は…オスカーだ。」



見つめ合った二人の瞳に、お互いの顔が映っている。
言葉よりも雄弁に、想いを語り合う瞳。
そっと瞼を閉じたロザリアに、オスカーは唇を重ねた。
「ロザリア…。」
「オスカー様…。」
触れ合うだけから、次第に深くなる口づけ。
オスカーは彼女の身体を強く抱き、逃がさないとばかりに、紫の髪に指を絡めた。
ロザリアもまた、オスカーの髪に指を入れる。
深いキスの合間、お互いの存在を確かめるように、二人は名前を呼び続けていた。

──赤と青が溶けあう瞬間
  ふたつの愛はひとつになった──


FIN
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