1.
「あんたってば、本当にトロイ子ね。そんなことで、女王候補が務まると思っているの?」
ロザリアの声はとてもよく響く。
庭園の東屋でよく言えば自主的な休憩、はっきり言えばサボっていたオリヴィエは、ため息をついた。
壁の隙間からこっそりのぞいてみれば、思った通り、二人の女王候補がやってくる。
見つかったら面倒なことになる、と思いつつ、移動するのも面倒で、オリヴィエはそのまま寝転がっていた。
「だいたい、あんたはせっかく女王候補に選ばれたんだから、せっせと勉強していればいいの。全然わかってないんだから。」
よく響く上に大声なのか、とオリヴィエはまたため息をついた。
しかも、尊大な態度そのままの口調には、本当にうんざりしてしまう。
金の髪のアンジェリークはまだまだ子供で、とてもまともに話をする気にはならない。
それでも。
この青い瞳の女王候補よりはずっとましだ。…彼女のような傍若無人で自己中なタイプは本当に気に入らないのだから。
「それで?どうしたいの?」
相変わらずの詰問調。
話し声が移動しなくなったところから考えると、二人はどうやら東屋の横のベンチに腰を下ろしたらしい。
隙間からちょうど二人の後ろ姿が見えて、オリヴィエはつい、覗くようになってしまった。
アンジェリークが手を空に向けて、大きく伸びをしている。
「でも、わたしにはちょっと無理かなって思うの。昨日もジュリアス様に叱られちゃったし。」
「まったく、あんたときたら要領が悪いのよ。で、どこが悪いっておっしゃっていましたの?」
パラパラとノートをめくり、アンジェリークがある場所を指差した。
「なるほどね。たしかにこのままではバランスが悪いと思うわ。ジュリアス様の言う通り、直した方がいいわね。」
「えー!そうなんだぁ。」
ロザリアの声が続く。
「それと、ここね。今はよくても、あとから必ずバランスを崩すわよ。」
「そっかぁ。ありがとう、ロザリア。」
アンジェリークがそう言った時、ロザリアの耳の後ろがさーっと赤くなった。
照れているのかと意外に思ったオリヴィエが少し首をまわして、ロザリアの顔を見ると顔は白いままで、むしろ平然としている。
「あら、御礼なんて必要なくてよ。上の者が下の面倒をみるのは、当たり前のことですもの。」
相変わらずの高飛車ぶりにオリヴィエはカチンときたものの、隠れている以上、その場を離れられない。
育成の話しが一通り終わった後、二人の会話は少女らしい噂話に変わっていった。
「でも、ジュリアス様って本当に苦手。だって、いつも怒ってるような気がしない?」
アンジェリークが言うと、ロザリアは首を振った。
「そうでもないわ。あの方はやるべきことさえやっておけば、あとのことはうるさくおっしゃらない方よ。とてもわかりやすいわ。」
「えー、でもイヤなのー。それに比べて、リュミエール様はとってもお優しいし、素敵よね。」
またまたロザリアが首を振る。
「ああいう方の方がなにを考えているのか分りませんわ。きっと、怒らせたら怖いと思いますわよ。」
「えー、そうかなあ。そう言えば、オスカー様のことはあんまりお好きじゃないみたいよね。」
「オスカー様は仕方がないわよ。ああいう態度ですもの。わたくしだって、何度殴りたくなったか分りませんわ。」
「でも、カッコいいじゃない?」
そんなこんなで、守護聖の批評が続く。
どちらかというと表面的なアンジェリークに対して、ロザリアの批評は的確だ。
ときどき吹き出しそうになりながらも、ガールズトークに耳を傾ける。
自分のことが出てこないことに安堵していたオリヴィエだったが、とうとうアンジェリークが名前を出した。
「オリヴィエ様は変わってるよねー。絶対、おかしいと思う!なんで、お化粧とかしてるのかな?おもしろいけど、彼氏にはできないよね。」
大きなお世話だ!と、オリヴィエはつぶやいた。
こっちだって、あんなお子様とどうこうなろうだなんて、考えたこともない。
オリヴィエがひそかに憤慨していると、ロザリアが言った。
「でも、たしかに見た目はふざけているかもしれませんけれど、オリヴィエ様は一番…。」
一番? なんだろう?
じっと見ていると、ロザリアの耳の後ろがまた赤くなってきている。
「なに?オリヴィエ様がなんなの?」
アンジェリークが緑の瞳をまん丸にしてロザリアを見た。
「そうね、おかしいですわ!オリヴィエ様は守護聖さまの中でも一番おかしいですよわね!」
行きましょう、と、急にロザリアがアンジェリークを引っ張っるように立ち上がった。
まだ、耳が赤い。
オリヴィエはすごく不思議な気持ちでベンチから起き上がると、聖殿へと戻って行ったのだった。
それからすぐの日の曜日。
気が進まないながらもオリヴィエは女王候補たちとのピクニックに出かけた。
ルヴァの部屋でお茶をしていたら、女王候補や年少組がやって来て、みんなで、遊びに行きましょう!と言うのだ。
さすがにお子様5人をルヴァ一人に見させるのも気の毒で、行くことにしたのだが。
オリヴィエの少し前を二人の女王候補が歩いている。
せめて集合場所までは静かに行きたいと、わざと声をかけずにいた。
「ごめんね。ロザリア。わたし、すっかり寝坊しちゃって。大変だったでしょ?」
「別にこのくらい何ともありませんわ。あんたのことだから、そんなこともあるんじゃないかと、思っていましたわ。」
「えー!」
「いいのよ。二人で作ったのは間違いないのだから。」
「でも、わたし、リンゴをむいただけだよー。」
「どうせそれくらいしかできないでしょう。」
本当にどうかと思う高飛車な口調もアンジェリークは気にならないようだ。
オリヴィエは何食わぬ顔で待ち合わせの場所で合流し、目的地の湖に着いた。
年少組と飛び出して行ったアンジェリークとは対照的に、ロザリアは持ってきたシートを広げている。
少し風が吹くとめくれあがるシートに悪戦苦闘している姿を見かねて、、オリヴィエは足で一角を抑えた。
ロザリアがじろりとオリヴィエを見る。
「…ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありませんわ。」
慇懃無礼という言葉がぴったりくる話し方にオリヴィエはやはりイラッとする。
「あんたって、なんでそんな言い方するの?素直にありがとうって言えばかわいいのにさ。」
なぜだか、そんなことを言ってしまった。
ロザリアの目が丸くなる。
「丁寧に御礼を申し上げたつもりですけれど、お気に召しませんでしたか?でしたら、申し訳ありません。」
深々と頭を下げると、ロザリアはまたシートを引く作業に戻った。
今度は隅に石を乗せたので、めくれあがることはない。
ロザリアはその上に腰を下ろすと、木の影に座っているルヴァを呼んで、自分は本を読み始めた。
ルヴァが「どっこいしょ」と言いながら腰を下ろすと、オリヴィエを手招きする。
「あなたもこちらにどうですか?立っていると、疲れるでしょう?」
ルヴァの言葉にロザリアがちらりとオリヴィエを見た。
なんだか感じの悪い視線のような気がして、オリヴィエはわざとルヴァとロザリアの間に座った。
「あちらの方があいておりますわよ。」
広いシートの片隅に3人が固まって座っているのは、はたから見ればとても奇妙だろう。
けれどオリヴィエは聞こえないふりをして、そのまま寝転んだ。
気持ちの良い風が吹いていて、なんだか眠くなる。
昨夜、夜更かししていたことも手伝って、オリヴィエはいつの間にか眠ってしまっていた。
「わー!すごい!これ、二人で作ったの?」
「すげぇ。」
「やっぱり女の子なんだな。見なおしたよ。」
うるさい声に起こされて、オリヴィエは目を覚ました。
ふと、自分にタオルケットのような物がかけられているのに気づいて、よく見ると、それはアンジェリークのバスタオルだった。
「あれ?これ、あんたの?」
「はい。わたしのです!もしかして湖で濡れちゃうかもと思って持ってきたんです。」
「ふうん。ありがと。」
オリヴィエは、ウインクとともにバスタオルをアンジェリークに手渡した。
「あ、でも、」
「アンジェリーク、この卵焼き、すっごくおいしいよ!」
ランディに誉められて、アンジェリークは瞳を輝かせてランディの方に振り向いた。
「本当ですか?さすがロザリア!」
「え?これ、アンジェリークがつくったんだよな?ロザリアはサンドイッチを作ったって言ってたけど。」
アンジェリークがロザリアを見ると、ロザリアはつんと顎を上げて、サンドイッチを食べている。
アンジェリークの視線に気づいて、一瞬、顔を向けたけれど、またすぐに元に戻った。
「このハンバーグもすっげえ柔らけぇな。店のよりうまいんじゃねーの?」
珍しくゼフェルも食欲旺盛にお弁当をぱくついている。
「オリヴィエ様もどうぞ。」
プラスチックの取り皿に卵焼き、ハンバーグ、ニンジンのグラッセ、唐揚げなど、いくつかのおかずが乗せられている。
ロザリアからお皿を受け取ったオリヴィエは、卵焼きを口に入れた。
「ん。たしかにおいしいね。」
「ええ~、アンジェリークは料理が上手なんですねぇ。いいお嫁さんになれますよ。」
ルヴァの言葉を一生懸命否定しているアンジェリークに、ランディがまた「春巻きもすごくおいしいね。俺、気に入っちゃったよ。」と誉める。
お弁当の真ん中には少し皮の残った、不揃いなリンゴ。
オリヴィエは今朝の二人の会話を思い出していた。
「おめーはこんだけかよ。まったく、お嬢様ってのはなんもできねーんだな。」
ゼフェルがサンドイッチをつまんだ。
確かに味は悪くないけれど、おかずの豪華さに比べれば見劣りするのは仕方がない。
「ええ。別に料理ができてもできなくても、女王になるわたくしには関係ありませんわ。」
「フン。できねーだけだろ。」
ロザリアは別に言い返すこともなく、ルヴァにおかわりを渡している。
「でもさ、今時は男だって料理くらいできないとね。ゼフェルもできた方がいいんじゃないの?普段ロクなもの食べてないじゃない?」
なんとなく、助け船を出すような形になってしまった。
本当はあんたが作ったんだろう?と言いたかったが、それをなんとか堪えると、ロザリアがちらりとこちらを見ている。
その視線が、余計なことは言うな、と睨んでいるように見えて、オリヴィエは肩をすくめた。
「そうだよな。あ、アンジェリーク、今度、俺にもこの卵焼きの作り方、教えてくれないかな?」
照れたようなランディに言われて、アンジェリークは瞳をキラキラさせて頷いた。
なんてわかりやすいコ達なんだろ。
オリヴィエが呆れながら、ロザリアを見ると、彼女の顔が少し嬉しそうに微笑んでいる。
本当にほんの少しだけれど、いつもと印象が違っていて、なんだか、とても、かわいいと思ってしまったのだった。
「オリヴィエ様ー。こんにちはー!」
アンジェリークが勢いよくドアを開けると、二日酔いの頭にキーンとやすりのような音が響く。
「ああ、いらっしゃい。」
顔をしかめたオリヴィエに、アンジェリークが首をかしげながら近づいてきた。
「どうしたんですか?具合でも悪いんですか?」
「ああ、うん、頭痛がね…。」
「え!大変!!それじゃ、お話はまたでいいです。お大事に!」
アンジェリークが来た時と同じような勢いで飛び出して行った後、オリヴィエはソファにごろりと寝転んだ。
昨夜、雨夜の品定めよろしく、オスカーと飲んだのがいけなかった。
オスカーがロザリアにちょっかいをかけている、という話を聞いて、なんとなく飲み過ぎてしまった様な気がする。
「まったく、私らしくもない。」
少しだけ寝よう、とオリヴィエが目を閉じたときだった。
コンコン、と規則正しいノックの音がした。
すぐに返事をすればよかったのだが、なぜか遅れてしまうと、今度は言いにくい。
返事がないことを不思議に思ったのか、ロザリアがゆっくりとドアを開けて部屋に入ってきた。
きちんと後ろを向いて、両手でドアを閉めると、ロザリアはきょろきょろとあたりを見回した。
「いらっしゃらないのかしら・・・?」
そう言いながら、ソファに近づいたロザリアは、ぎょっと息をのむ。
腕で顔を隠して、おそらく眠っているのだろう。規則的に胸が上下している。
「こんなところで…。」
ロザリアの非難するような口調に、オリヴィエは心の中で舌打ちする。
頭の固い彼女のコト、きっと怠けていると思っているのだろう。ドアの向こうでとっとと追い返しておけばよかった、と後悔した。
けれど、ロザリアはため息をついて、部屋を出たかと思うとすぐに戻ってきた。
ふわり、と身体にかけられたストール。
「ピクニックの時といい、この方はどこでもお休みになってしまわれるのね。わたくしたちのせいでお疲れなのかもしれませんわ。」
ロザリアがしゃがみこんで自分を見ているのがわかる。
オリヴィエはタヌキ寝入りが気づかるのでは、とドキドキしていたが、ロザリアは一向に気付かない。
そして、ふふふっと、笑い声を洩らした。
その可愛らしい笑い声に、オリヴィエはなぜかドキドキが大きくなる。
「やっぱり、オリヴィエ様って、守護聖様の中で一番…。」
ばたん!と扉を開ける大きな音がして、アンジェリークの声がした。
「ロザリア!ここにいたの?!」
しゃがんでいたロザリアは立ち上がると、アンジェリークに向かって「しー。」と人差し指を立てた。
「オリヴィエ様はお加減が悪いみたいよ。静かにしなさい。」
「いいの。昨日、二人で飲みすぎたって、オスカー様も頭を抱えてたもの。ただの二日酔いみたい。」
悪びれないアンジェリークにロザリアは首を振った。
「二日酔いでも体調が悪いことには変わりないでしょう?さあ、行きますわよ。何の御用かしら?」
唇を尖らせたアンジェリークがオリヴィエをちらりと見ると、指を指した。
「あ!わたしのストール!この前もわたしのバスタオルをオリヴィエ様にかけてあげたでしょ。絶対誤解してると思うなあ。」
「誤解?」
「わたしがオリヴィエ様にかけてあげたって思ってるんじゃないかな。ホントはロザリアなのに。好きになられちゃったら、どうしよう?困っちゃう!私にはランディ様がいるのに~。」
絶対ない!と、心の中でオリヴィエは大きく否定した。
「大丈夫よ。オリヴィエ様があんたを好きになるなんてことは絶対にないから。」
しれっとヒドイことを言うロザリア。
「ならいいんだけど~。ね、卵焼きの作り方を教えてほしいの。」
ひょっとしてアンジェリークはものすごく鈍感なんだろうか?平然としているアンジェリークがオリヴィエは不思議でたまらない。
「今度の日の曜日にランディ様が一緒に作ろうって!きゃー!お部屋に来るなんて、どうしよう!」
「まあ、あと3日しかないのよ。できるようになる方が先決でしょう?それじゃあ、早く練習しなくてはね。」
「きゃ!ロザリア大好き!」
アンジェリークがロザリアにしがみつくようにして、二人は部屋を出て行った。
オリヴィエはかけられたストールを引っ張り上げた。
この前もロザリアだったのだ。なんとなくそんな気がしていたけれど。
それにしても。
「私の何が守護聖一なのかねえ…?」
結局気になって、オリヴィエは昼寝ができなくなってしまったのだった。