結局、オリヴィエの欲しいものはわからなかった。
袋の中でプレゼントの包みがかさかさと音を立てているのを聴きながら、ロザリアはふわもこのアンジェリークの背中を追いかける。
聡い彼のことだから、すでに今夜のお遊びなんてお見通しに違いない。
しかし、それならそれで、なにかそれなりの物を教えてくれるのもまた、いつものオリヴィエなのだ。
なのに今回は頑として『ヒミツ』と言って譲らなかった。
それが少し…寂しい。
「どうかした?」
ぼんやりしたロザリアにアンジェリークが足を止めて振り向いている。
今まで自分の想いをロザリアは誰にも言ったことがなかった。
おそらくアンジェリークには感づかれているだろうが、はっきりと口にすれば何もかもが壊れてしまいそうな気がして。
仲の良い守護聖としての彼までも失ってしまいそうな気がして。
どうしても言い出せないまま、ずいぶん経ってしまった。
もう今更打ち明けたところで、「そんなの知ってるわ。」と軽く返されるのがオチだろう。
「なんでもありませんわ。 ただ、オリヴィエのプレゼントは本当にこれでよかったのかしらと、気になって…。」
「ああ! そんなの大丈夫よ! わたしが保証するわ。」
ロザリアが悩みに悩んで決めたアトマイザーをアンジェリークときたらロクに見もしないで「いいんじゃないの。」と言った。
あの適当さときたら、いくら興味がない相手にしてもひどすぎるとロザリアは密かに憤慨したものだ。
もっともアンジェリークがオリヴィエに興味津々であっても困る。
無関心すぎても腹が立つし、興味があり過ぎるのもイヤ。
そのあたりは複雑な乙女心とでもいうべきか。
自分でもうんざりするほどオリヴィエに関することだけは上手くコントロールできない。
今だっていっそ逃げ出してしまいたいと思うほど、足が震えているのだから。
「でも…。」
「いいの! どうせプレゼントなんてさ~。 ホラ、着いたよ!」
何度となく足を運んだこともあるオリヴィエの私邸。
けれど、こんな時間に訪れるのはもちろん初めてで、ひっそりとした佇まいにロザリアはなぜか気おくれしてしまう。
この中で彼が眠っているのだ。
思わずアンジェリークの陰に隠れると、アンジェリークは笑いながら、ロザリアを門の中に押し込んだ。
「サンタクロースでしょ! 早く、早く!
大丈夫! ちゃんと手筈は整えてあるんだから。」
自信満々なところを見ると、例の薬を盛ったのだろうか。
こんなところで言い争っても仕方がない、と、ロザリアはドアをくぐり、足音を忍ばせて、廊下を進んだ。
時々後ろを振り返り、アンジェリークの姿を確認するのも忘れない。
オリヴィエの屋敷の間取りはすっかり頭に入っているから、迷うことなくすぐにロザリアは一番奥の寝室までたどり着いた。
考えてみれば、オリヴィエの寝姿を見るのは初めてだ。
ノーメイクの姿を初めて見た時も驚いたけれど、彼の寝顔は…どれほど綺麗なんだろう。
潰れそうなほどの緊張感が襲ってきて、ドアノブを持つ手が震えてしまう。
ロザリアは頭の中でしつこく打ち鳴らされている鼓動をかき消すように、目を閉じると、一気に扉を開けた。
瞼の裏に優しくさす銀の光。
その明りにロザリアは慌てて目を開いた。
明かりがついているという事はすなわち、オリヴィエが起きているという事。
「アンジェ。 どうする…。きゃ!」
振り向こうとして、いきなり背中を押されたロザリアは足を止めることができずに、そのままよたよたと部屋の中央まで進んでしまった。
ぎょっとしてアンジェリークを睨み付けたが、もう遅い。
ぺろりと舌を出すアンジェリークになにかを言う前に、
「いらっしゃい。サンタクロースさん。」
オリヴィエの声がする。
万事休す。
叱られるのを待つ子供のように、うなだれたままロザリアはオリヴィエの方に体を向けた。
視線の先にオリヴィエの足が見える。
ふわふわのスリッパに、赤いズボン。
赤?
目の覚めるような赤は、まるで…。
思わず顔を上げたロザリアの前に立つオリヴィエは、全身真っ赤な服を着ている。
「サンタクロース?」
およそ彼の美意識には反するであろう、真っ赤な上下と例の帽子。
まぎれもないサンタコスプレ。
「ど、どうして・・・?」
二の句の継げないロザリアにオリヴィエはブルーグレーの瞳を細めてくすっと笑う。
「プレゼントをあげるならこのスタイルが一番自然でしょ?」
当然のように言うオリヴィエにロザリアは頭が混乱してきた。
すると。
「きゃ! もうこんな時間。
ロザリア、わたし、ルヴァのところに行くから。 明日は午前中お休みしまーす!
午後一の謁見にはちゃんと行くからね! それじゃ。」
なぜかほぼ棒読みで大声をあげたアンジェリークに、ロザリアははっと振り返った。
しかし、その場にはもうアンジェリークの姿はなく。
脱ぎ捨てられたトナカイの着ぐるみがもふもふと山になっているだけだ。
「ちょっと! アンジェ! 待って!!!! 休みってどういうことですの?!」
もちろん休みも聞き捨てならないが、それよりもこんな状況でロザリアだけを放り出されてはたまらない。
追いかけようと足を踏み出したロザリアの腕を背後からギュッとオリヴィエの手が掴む。
もうその時点でロザリアは限界だった。
オリヴィエの手の暖かさ。
暖かいというよりも熱い。
ロザリアはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「ちょっと、大丈夫? 痛かったの?」
咄嗟に手を離してくれたオリヴィエにブンブンと首を振り、ロザリアはうつむいていた。
どうしたらいいのか。
掴まれた腕ばかりが熱くて、言葉も出てこない。
ふと自分の膝頭が目に入り、慌ててスカートの裾を引っ張ってみたが、そうすると今度はお尻の方がせり上がってきて、めくれてしまいそうになる。
今更ながら、こんな格好をさせたアンジェリークを恨んだが、そのアンジェリークは今頃とっくに恋人の腕の中だろう。
明日の朝一番で押しかけてやろうか。 でも、ラブラブ熱にあてられるのも御免こうむりたい。
全くあの二人ときたら、年中イチャイチャし通しで、ロザリアの苦労なんて全然顧みないのだ。
明日だってアンジェリークが休むなら、その分ロザリアの仕事が増えることになる。
午後からは死ぬほど働かせて…。
ああ、でも、とにかく今は。
この状態をなんとかしなくては。
頭の中がグルグルと意味不明な考えでいっぱいになってくる。
落ち着きなくもぞもぞとしているロザリアを、オリヴィエは楽しそうに見下ろしていた。
「ねえ、プレゼントを持ってきてくれたんじゃないの?」
放っておいたらいつまででもそうしていそうで、とうとうオリヴィエは声をかけることにした。
いつもの凛とした補佐官姿からは想像もできない、ロザリアの少女らしい一面。
本当はもう少し楽しみたいのだが、今日は特別な夜なのだ。
「え?! あ、そうでしたわね。 ごめんなさい。」
声をかけられて、ようやく意識を取り戻したのか、ロザリアは立ち上がると、そばに転がっている袋に手を伸ばし、プレゼントの箱を取り出した。
「本当は起きている悪い子にはプレゼントは差し上げられませんのよ。
今回は特別ですわ。」
ニッコリと笑いながら、ロザリアはプレゼントを差し出した。
小さな赤い箱に銀のリボン。
一番欲しいものではないかもしれないけれど、きっとオリヴィエの好みにはあっているはずだ。
彼のことばかりを考えているのだから、それだけは自信がある。
けれど、オリヴィエは受け取った包みをサイドテーブルに置いたまま、ロザリアをじっと見つめていた。
「私の欲しいもの、わかってないね。」
ブルーグレーにとらえられて、ロザリアは息を飲んだ。
素顔のままのオリヴィエは、いつもの女性的な雰囲気が抜け、精悍な雰囲気すら漂わせている。
とても男らしく見えて素敵だ。
意識し始めると、また、ロザリアの鼓動がうるさくなってきた。
このままここにいたら、とんでもないことを言い出してしまいそうだ。
『わたくしをプレゼントしたいの。』
…妄想としてもひどすぎる。
ロザリアはそうそうに逃げ出すことに決めた。
「では、お勤めも果たしましたし、わたくし、帰りますわ。
こんな時間におじゃましてごめんなさい。 メリークリスマス、オリヴィエ。」
袋を手に歩き出そうとしたロザリアの腕を再びオリヴィエが掴む。
「私も一応サンタクロースなんだよ。
あんたへのプレゼント、もらってくれる?」
なにを?と言いかけたロザリアの息が止まる。
腕を掴まれて引き寄せられた、その先。
ロザリアの視界いっぱいに広がる赤。
気が付くとロザリアの体はオリヴィエの腕に包まれていた。
「ほら、しっかり抱っこしないと、逃げ出しちゃうよ。」
耳元で囁かれて、ロザリアは咄嗟にオリヴィエの体を抱きしめた。
嗅ぎ慣れた彼の華やかな香りに頭がぼうっとして、まともな思考が働かない。
ただ感じていたのは、腕の中のこのぬくもりを逃がしたくないということだけ。
無意識にギュッと力を込めたロザリアに、オリヴィエは目を細めた。
「ん。 いい子だね。
あんたへのクリスマスプレゼント。 …私で、いいかな?」
いつもの彼らしいからかいの口調の中に、少しだけ混じる不安の色。
ロザリアはギュッと抱き付いたオリヴィエの胸がどきどきと早い鼓動を刻んでいることに気が付いた。
きっと自分もこれ以上に早いだろうけれど、オリヴィエでもそうなのだから当然だと思う。
「サンタクロースさん。」
「なに?」
「わたくしの欲しいもの、覚えていらして?」
「なんだっけ? え~っと、たしか、ステキな?」
わざと知らんふりをする憎らしいオリヴィエ。
…でも、そんな彼が…とても…。
「恋人、でしたわ。 でも、だれでもいいわけじゃありませんの。
あなたでなくてはダメなんですの。
サンタクロースさん、わたくしの一番欲しいものをくださって、ありがとう。」
見上げると、オリヴィエの瞳が優しくロザリアを見つめていて。
「うん…。 私の一番欲しいものも、サンタクロースがちゃんとくれたよ。 」
「え? 本当にアレでしたの?」
散々迷って決めたアトマイザー。
喜んでくれるのは嬉しいが、一番、とは大げさな気がする。
「あ、違うね。 プレゼントをくれたのは…。」
ちらっとドアの方を見てオリヴィエは苦笑を浮かべた。
「トナカイのほうかな。」
あの日。
プレゼントの調査に来たロザリアに、オリヴィエはすぐにアンジェリークのお遊びに気が付いた。
いつものようにロザリアをからかって、最後には普通にアクセサリーとでも答えておこうと思ったのに。
気が変わったのは、ロザリアの欲しいものを聴いたから。
『ステキな恋人』
女王試験のころから、ロザリアはまじめでまっすぐで、およそ恋愛なんてものに興味がなさそうだった。
実際、オリヴィエが示したかなりあからさまな好意も華麗にスルーされるばかり。
いい加減呆れてしまったが…。
それならロザリアが恋をする日まで待てばいいなんて、ちょっと大人ぶって余裕をかまし過ぎていたのかもしれない。
いつの間にかロザリアは成長していて、恋をしたいと願うような少女になっていて。
他の男に譲る?
そんなことは考えたことすらなかった。
出ていったロザリアのすぐ後で、女王の間に飛び込んで、アンジェリークに頼み込んだ。
「ロザリアのサンタクロースになりたい。」と。
オリヴィエはロザリアを抱いていた腕を緩め、青い瞳を見下ろした。
本当は下を向くと彼女の豊かな胸元に目が行ってしまい困るのだが、このまま抱き合っていてはもっと困ることになる。
ずっと想いをためていた分だけ、理性は簡単に吹き飛んでしまいそうだ。
少し身体を離してから、
「あのね、もう一つプレゼントがあるんだけど。」
耳元に囁いた。
「え…。これって…。」
プレゼントを示されて、ロザリアは絶句した。
『南の島への旅行券』
でかでかとそう印字されているキンキラキンの封筒には確かに見覚えがある。
「そ。 私が当たったんだけど、これ、ペアだったんだよね~。
ホント、陛下はよくわかってるよ。」
恐ろしいほどの満面の笑みを浮かべたオリヴィエが、ロザリアの手に封筒を押し付けてくる。
「一枚は私がもらったから。 もちろん、一緒に行ってくれるよね?」
断れるはずがない。
他の誰かを誘われるなんて考えたくもないし、オリヴィエと二人で過ごす南の島は魅力的過ぎる。
頭の中で休みの算段を考えただけで心がうきうきしてきた。
それにしても。
サンタクロースはオリヴィエに優しすぎるのではないだろうか。
「ん? どうしたの?
一緒に行きたくない?」
ちょっと拗ねたように微笑まれて、ロザリアはそれ以上考えることを放棄した。
サンタクロースが優しいのは、きっと。
「オリヴィエはとてもいい子なんですのね。」
「そうかな? すごく悪いオトナだと思うんだけどね。」
再びロザリアの腰をグッと抱き寄せたオリヴィエは目を細めると、その唇にキスを落としたのだった。
翌日。
恋人のルヴァと熱い一夜を過ごしたアンジェリークは寝ぼけ眼のまま、慌てて謁見の間に現れた。
ギリギリすぎてロザリアはすでに女王の間にいなかったし、謁見の間には守護聖達がそろっていて、女王の登場を待っている。
昨夜は、お互いにプレゼントを交換し、そのあとは…。
思い出しただけで顔がにやけてしまうのを我慢して、玉座に座ったアンジェリークの隣にそっとロザリアが控えた。
「陛下、時間通りですわね。」
冷ややかに耳元で囁かれ、アンジェリークの体が固まる。
昨日のことで怒られることを覚悟したアンジェリークが恐る恐るロザリアを見上げると。
「ふふ。 昨日はありがとう、アンジェリーク。」
恥ずかしそうに、でもとてもうれしそうにロザリアはほほ笑んでいる。
つやつやした頬は幸せに満ちているし、うっとりとした青い瞳はアンジェリークでさえもうっかり吸い込まれてしまいそうなほど輝いていて。
一目で昨夜の出来事が大成功だったことをアンジェリークに伝えてくれた。
つい嬉しくて、立ち上がりかけたアンジェリークをロザリアが目で制する。
「お話はあとで。 わたくしも聴いてほしいんですの。」
ほんのりと頬を赤らめたロザリアに、アンジェリークは叫び出したいのをぐっと我慢して、玉座に腰を落ち着けた。
目の前に居並ぶ守護聖達でもちろん一番最初に目を止めたのはオリヴィエだ。
全く感謝しなさいよね、と、若干脅しを込めてオリヴィエを見たアンジェリークは、彼の憔悴した様子に目を丸くした。
オリヴィエは明らかに寝不足のようで、あくびをだけは何とか噛み殺しているものの、立っているのもやっとという風情。
アンジェリークと目が合うと、オリヴィエはニッと笑って…すぐに肩をすくめた。
それはそれは大変だった、と言いたげな様子にアンジェリークはぐっと笑いを我慢する。
あの様子では、オリヴィエはサンタクロースのプレゼントを腕に抱いて一夜を過ごした、というところだろう。
ロザリアはオトナっぽい雰囲気だけれど、中身はとても初心な少女だ。
まあ、隣に立つ幸せオーラ全開のロザリアの様子を見れば、キスくらいはしたのだろうけれど。
オリヴィエ的には辛い一夜になったのかもしれない。
もっとも今まで散々やきもきさせられたのだから、それくらいの罰は当然だ。
あとでロザリアから聞き出すのがとても楽しみで、謁見なんか早く終われ、と願っていると。
それが伝わったのか、ロザリアに睨まれてしまった。
そして、ソワソワしているアンジェリークになぜか痛いほどの視線が突き刺さる。
ふとその視線の先をたどってみると、紺碧の瞳がじっとアンジェリークを見つめていた。
不審に思って見つめ返したアンジェリークの目に映った、ジュリアスの髪。
一部だけがウネウネと明らかに規律を乱している。
「あ。」
思わず声が出そうになって、慌ててそれを飲み込んだ。
隣のクラヴィスを見れば、いつもと変わらずサラサラのストレートだし、その向こうのリュミエールの髪もいつも通りだ。
なぜ、ジュリアスだけ??
グルグルしていたアンジェリークにクラヴィスがふっと片笑みを浮かべる。
それでピンときてしまった。
たぶんジュリアスは髪の事に気が付かず、屋敷の者たちも恐ろしくて口に出せなかったのだろう。
三つ編みのまま聖殿にやってきて、クラヴィスに指摘された…。
その時の二人のやり取りまでが目に浮かぶようで、アンジェリークの身体から血の気が引いた。
「陛下。」
重々しいジュリアスの言葉が恐ろしい。
助けを求めたロザリアはアンジェリークのことなど全く意に介さず、ただオリヴィエを見ては、はにかんでいる。
恋する乙女を邪魔したら、今度こそ本気で後が怖い。
では、ルヴァに、と思ったら、彼は昨夜の疲れからか、半分眠っているように立ったまま舟をこいでいた。
「陛下。」
より一層険しくなったジュリアスの声に、アンジェリークはトナカイになって逃げたい、と心から思ったのだった。
FIN