naiveな恋人

1.

知らないことを知ってみたい、と思うのは人間であれば当たり前のこと。
少なくともレイチェルはそれを当然と思って生きてきた。
だからふと、その場面を目にした時、「これはワタシの知らないことだ。ならば知ってみなければ。」と思ったのも当然なのだ。

あの日。
レイチェルは上手くいかない執務に頭を抱えて、神鳥の宇宙へ出向いていた。
もちろん相談相手は神鳥の宇宙で補佐官を務めているロザリア。
レイチェルにとってのあこがれの女性だ。
年もそう変わらないというのに、ロザリアは綺麗で才気にあふれていて、補佐官という重職を立派に勤め上げている。
レイチェルが尊敬できる、数少ない人間の一人。
最もレイチェルだって、幼いころから『天才少女』と呼ばれてきて、実際にIQなら、ロザリアよりも確実に上だろう。
だが、執務というもの、要するに人生というのはそんなに簡単なものではない。
女王試験を経て、様々な出来事を重ねていくうち、レイチェルにもわかってきた。
自分が人よりも優れていること。
単純にいえば計算速度の速さや確かな記憶力。
けれどそんなものは生きていくうえでほとんど必要がない。
必要なのは…実は今でもはっきりとはわからないけれど、それを自分よりもロザリアのほうが多く持っていることは確かだ。
だから、レイチェルは困ったことがあると、自然にロザリアに相談するようになっていた。

端末を一つ抱え、レイチェルはロザリアの部屋をノックし、すぐにドアを開けた。
ぶしつけかもしれないが、そこは女同士の気安さ。
それにここのところ通い詰めているというのもあった。
いつも通り、美しい笑みでロザリアが出迎えてくれる、と思っていたら。
部屋の中にいたのはロザリアだけではなく。
なんとロザリアはもう一人の人間と唇を合わせて…つまりキスをしていたのだ。

「わお!!!!」
見なかったことにしてUターンでもすればよかったのに、レイチェルは咄嗟に声を上げてしまった。
ハッと目を見開いたロザリアと目が合う。
彼女は慌てて、真っ赤な顔で目の前の男を押しのけようと両腕をつっぱらせた。
が、男のほうは一向にキスをやめる気配もなく、その体はびくともしない。
ドアが開いたことにも、誰かが来たことにも当然気が付いているはずなのに。
さすがだわ、と変なところでレイチェルが感心していると、ついに、
「いい加減になさいませ!」
ロザリアの鋭い声。
残念そうに、でも若干面白そうな顔で、その男、オリヴィエはロザリアから離れると、レイチェルに向き直り、軽いウインクを飛ばした。


「はーい、レイチェル。 また困りごと?」
ひらひらした衣装でひらひらと手を振るオリヴィエ。
そこにはきわどいシーンを見られたという疚しさは全くなく、むしろ常よりも爽やかなくらいだ。
なのでレイチェルもさっきのことはとりあえず頭の隅に追いやって、いつも通りのあいさつをすることにした。
「ハイ。そーなんです。 なんかこの数値がおかしくて。
 守護聖も全部そろっているから、こんな風にはならないはずなんですケド。
 こちらの宇宙のデータとちょっと比較してみたいなと思って。」
「ふーん。 だってさ、ロザリア。」

レイチェルが取り出した端末のデータを眺めていたオリヴィエに突然話を振られたロザリアは、まだ耳を赤くしている。
けれど、そこは歴代随一の補佐官との誉れも高いロザリアだ。
すぐにいつもの優雅な笑みを浮かべ、
「わかりましたわ。 研究院のデータをそろえてまいりますから、少しお待ちになってね。」
と、すたすたと部屋を出て行ってしまった。
その足取りがなんとなく焦っているようで、レイチェルはなんだかロザリアのことを可愛いと思ってしまう。

気が付けば、オリヴィエは当たり前のように奥の間に行き、慣れた様子で紅茶を淹れて戻ってきている。
優美なカップを二つテーブルに並べたオリヴィエは悠々とソファに座り、レイチェルにもお茶を勧めてくれた。
「ありがとうございマス。」
カップを持ちあげると、ふんわりとバラの香りがレイチェルの鼻をくすぐる。
「オイシイ!」
思わずこぼしたレイチェルにオリヴィエは機嫌よく頷いた。
「でしょ? これ、ロザリアも大好きなんだよね。 あんまり出回ってない葉だから、ココだけの秘密ね。」
「ハイ。」
華やかで甘い薔薇の香りは本当にロザリアにぴったりだ。
レイチェルは半分くらい紅茶を飲んでから、ずいっとソファから身を乗り出した。


「ロザリア様とキスしてましたね! お二人はどういう関係なんですか?!」
「どういうって、そういうカンケイ。」
文字にしたら間違いなく語尾にハートマークがついていそうな口調でオリヴィエが言う。
レイチェルは、は~と大げさにため息をこぼして見せた。
「そうなんですネ…。 ロザリア様が…。」
レイチェルの理想の補佐官像。
美しく、高潔で、有能なロザリア。
まさか恋人がいるとは思わなかった。…しかもこんな身近な守護聖で。しかもこんなオリヴィエと。

「あんた、今、ロクでもないこと考えてたでしょ。」
オリヴィエにびしっと指摘され、レイチェルはどきりと目線を宙に向けた。
「まあ、慣れてるから。そういう反応。
 ロザリアと私は意外な組み合わせに見えるんだろうね。」
はい、とは、いくらレイチェルでも言えなかった。
「でも、誰かを好きになるって、そういうもんじゃない?
 お似合いだとか理屈とか関係ないんだよ。」
そういうものなのかもしれない、とレイチェルも思う。
お似合いだから、なんて理由で好きになれるくらいなら、誰も困らないだろう。

「好き、なんですか?」
「そうなんだよね。 こんなとこでキスしたくなっちゃうくらいなんだから、かなり重症でしょ?」
困ったように笑うオリヴィエに、レイチェルも笑い返した。
なんだかとてもステキ。
オリヴィエもロザリアも、人間らしくて魅力的だ。

しばらくオリヴィエと話をしていると、研究院からロザリアが戻ってきた。
「おかえり~。」
「…まだいらしたんですの?」
ロザリアの嫌味に肩をすくめるオリヴィエ。
でも二人はとても楽しそうで、暖かな空気が目に見える。
そして、まだバツの悪そうな笑みを浮かべているロザリアを、レイチェルはやっぱりなんだか可愛いと思ってしまうのだった。



「ステキだよネ…。」
あの時のことを思い出すと、いまだについうっとりとしてしまう。
レイチェルは端末を操作しながら、ふと、暗い画面に映りこんだ自分の顔を見た。
そう悪くない。
まあ、若干目がキツイかもしれないけれど、十分綺麗だと言ってもいいだろう。
憧れのロザリアに近づくために、あと足りないとすれば、やはり。
色気、くらいだろうか。
オリヴィエとキスをしていたロザリアはとても綺麗で、レイチェルですら危うくときめいてしまいそうだった。
キスの魔法。
恋の魔法。
いずれにしても、レイチェルにとっては未知のもの。
…恋は難しいかもしれない。
でも、キスならば。
思いついたレイチェルは端末もそのままに補佐官室を飛び出した。


「…どうぞ。」
エルンストの声がいささか不機嫌なのは今に始まったことではない。
レイチェルは全く遠慮なくノックの後すぐにドアを開け、ずいずいとエルンストに近づいた。
彼は当然のように執務机に座り、書類にさらさらとなにかを書きつけている。
レイチェルがひょいとその手元を覗き込むと、それは先日の会議の議題で。

「それって、ユーイに回したんじゃなかったけ?」
つい口出しして、にらまれた。
「…ユーイの書いた物をそのまま提出できると思いますか?」
「無理ダネ。」
即答したレイチェルにエルンストはくいっとメガネの中心を持ち上げた。

「で、貴女は何の御用ですか。 …執務のことではないようですね。」
素早くレイチェルを観察したエルンストは手ぶらのままの様子を見て判断したらしい。
そのせいか、エルンストはすぐにまた書類に視線を戻し、レイチェルの存在などまるでかやの外だ。
確かな分析力、と褒めてもいいが、今はそれが忌々しい。

「あのね、すごく大切なことなんだってば! ワタシにとっては!」

…たいていこういう時のレイチェルの大切なことはロクなことではない。
身をもって知っているエルンストはあえて返事をしなかった。
すると、レイチェルはエルンストのすぐ後ろにある窓枠に背中を預け、半ば腰かけるようにしてじっとエルンストを見下ろしている。
しばらく無視を決め込んでいたエルンストだったが、仕方がない、と言いたげにため息をこぼすと、椅子の向きをくるりと変えた。
「なんですか? 相談なら聴きますよ。」
レイチェルがまだ子供のころから、幾度となく繰り返されてきたセリフ。
まさかこんな場所まで来ても使う羽目になるとは思わなかった。


「エルンストから見て、一番キスが上手なのって誰だと思う?」
…予想の遥か斜め上を行く相談にエルンストは、眼鏡のふちを上げようとして、そのまま固まってしまった。
が、そこは年の功とでもいうべきか。
小さく息をつくと、すぐに平静を装うことに成功した。

「フランシスあたりではありませんか? 彼は女性の扱いが上手そうですから。」
一番に頭に浮かんだとおりのことをエルンストはそのまま言ってみた。
まあ、無難な答えのはずだ。
ところがレイチェルはう~んと唸ったまま、
「フランシス、か。 悪くはないケド、どうもどんよりしそうだし、取り巻きの女の子たちが怖いヨネ。
 刺されたりしそう…。」
と、あまりお気に召さないらしい。
目で、次は?と促され、エルンストは続けた。

「チャーリーはどうでしょう?」
「チャーリー…。 ダメ、ダメ! あのしゃべり方じゃ、ムードってもんがなさすぎるヨ!」

「レオナードも年上ですし、経験も豊富そうですよ。」
「レオナード?! ナイナイ!! ワタシ、たばこのにおいダメだし。」

「セイランは…?」
「えー! アイツ、女嫌いでしょ? 」
エルンストは思いつくまま、守護聖達の名を挙げてみた。
が、ヴィクトールは「ナイ」、ティムカ、メル、ユーイは「ムリ」と即答される。

仕方なく
「オスカー様なら間違いないと思います。」
神鳥の宇宙にまで範囲を伸ばしてみたが、
「あんなフェロモンな人のそばに近づいたら、それだけで妊娠しちゃうヨ!」
と、およそ非科学的に否定された。
その後も結局全員にダメ出しされ、気が付けば、思い浮かぶ人間はだれ一人いなくなっていた。


「…ところで、それを聴いてどうするつもりなのですか?」
いい加減にしてほしい。
執務はまだまだ残っているし、そもそもこんな会話は不毛すぎる。
バカバカしくなって、くるりと椅子を戻そうとしたエルンストだったが、背もたれをがっしりとレイチェルにつかまれて動かせない。
そのまま、レイチェルの話。
つまり、聖獣宇宙でのロザリアとオリヴィエのキスシーンの話を聞かされることになった。

「ネ、すごいでしょ?」
得意げなレイチェルにエルンストはふう、と、小さくため息をこぼした。
それを目ざとく見つけたレイチェルがじろりとにらんでくる。
「…あのお二人がそういう関係だと気が付いていなかったのですか?」
「え! ナニ?! エルンスト、気づいてたの?!」
「ええ。 お二人を見ていればわかります。」
まさか気付いていなかったとは。
エルンストは本気でレイチェルの鈍感さにあきれていた。
あの女王試験のころから、とっくにみんな気づいていたはずだ。 
レイチェルの分析力や理解力は感嘆の域に達しているが、それはどうやら恋愛という部分には全く適用外らしい。
エルンストは今度は大きくため息をついた。

「それで、貴女はキスをしてみたくなった、ということでよろしいんですね。」
カタリ、とメガネをテーブルに置き、眉間を抑えるエルンスト。
まさに、頭が痛くなってきた、とでもいうような仕草もレイチェルには見慣れたものだ。

「ウン。 このワタシにあと足りないものって言ったらそれかな~って。
 でも、どうせするなら、上手な方がいい…ええっ?!」

レイチェルは目を見開いた。
気が付けば、眼前にエルンストの薄いグリーンの瞳。
いつもは眼鏡のレンズ越しに隠されているその瞳がレイチェルのすぐ目の前にある。
目の前どころか、重なってしまいそうな…。
と思ったら、重なっているのは瞳ではなくて、もっとやわらかいモノ。
唇が、エルンストのそれに、重なっていた。


「ふえっ?!」
レイチェルが思わずこぼした声にもお構いなく、エルンストは唇を離さない。
レイチェルの顎下を持ち上げる指にぐっと力を込め、背中に腕を回す。
抱き寄せて、さらに唇を押し付けると、唇で唇をはさむように、何度か触れあわせた。
ようやくわざとちゅっと音を立てて唇を離した時、胸の中のレイチェルは呆然として固まっていた。

「レイチェル?」
エルンストは石のように固まったまま動かないレイチェルの両肩を揺すった。
初めは弱く。
でも、全く反応がないので次は少し強く。
頭のベールがぶんぶんと揺れるほど強く揺すられるほどになって、ようやくレイチェルは我に返ったのだろう。
キッとエルンストを睨み付けると、
「バカ!最低! エルンストのセクハラ!!!!」
恐竜のような足音で部屋を飛び出していった。


Page Top