ホップ→ステップまでの距離

1.

初冬の陽は傾き始めれば、あっという間に落ちてしまう。
レイチェルとエルンストは、ぽつぽつと街灯の灯り始めた大通りを歩き、帰途についていた。
今日は一日、二人でセレスティアで楽しく過ごした。
毎日執務で顔を合わせているものの、恋人らしいデートはほぼ一か月ぶり。
背にした夕日から伸びる長い影は、二人の親密度を表すかのように、仲良く並んでいた。
「ね、見てヨ!」
繋いでいた手を大きく振ると、同じ動きで影も手を振る。
「やっぱりだいぶ入射角度が傾いてるネ。 寒くなるはずだ~。」

常春の聖地、と思われているが、ここ新宇宙の聖地にはきちんと四季が作られていた。
作られた、というのは、いささか語弊があるかもしれない。
この宇宙の創生を担った現女王が暮らしていた時の記憶が、そのままこの地に反映されている、というのが正しい認識だとエルンストは思っている。
意図したわけではなく、女王のイメージが、四季を与えているのだ。
次代女王が亜熱帯や寒冷地の出身であれば、もしかすると聖地の気候も変わるのかもしれない。

そう考えて、エルンストはまだ影で遊んでいるレイチェルを見た。
補佐官になり、少しは落ち着いたかと思えば、こうして無邪気な部分も残している。
まだほんの小さな子供だった頃から彼女を知っているエルンストとしては、むしろ、こちらの姿の方がごく自然に受け入れられるのだが・・。
ヒヤリとした風がレイチェルの髪を揺らすと、シャンプーの残り香なのか、甘い花の香りがエルンストの鼻先を掠める。
一瞬垣間見えた大人びた横顔に、ドキリと高まる鼓動。
誤魔化すようにメガネの縁をくいっと上げたエルンストは、そっと繋いでいた手を離した。

「着きましたよ。」
「ウン。 送ってくれてありがとう。」
手を離した瞬間、ひらりと身をひるがえして、レイチェルはエルンストに向かい合った。
小首を傾けて見上げる姿が可愛らしい。
「また明日ネ。」
「はい。 明日の朝礼の資料はすでに回してありますので。」
「あ~、そうだった。 ちゃんとレオナードは持ってくるかな。」
「大丈夫でしょう。」
エルンストから見て、レオナードの仕事ぶりは100%満足できるものとは言えないが、ちゃんとボーダーをうろうろしている。
不満すぎることがない、というレベルだが、彼なりの努力は認めているのだ。
「ふふ、エルンスト、意外とレオナードともうまくやってるよネ。」
「…うまく、というつもりはありません。」

たわいもない会話が続き、聖殿の窓に明かりがぽつぽつと灯り始める。
空気もかなり冷えてきて、強く吹き付けた風にレイチェルがぶるりと身を震わせた。
「そろそろ戻りましょうか。」
エルンストがそう声をかけると、レイチェルは小さく頷いた。
一瞬、重なり合う甘い視線に、自然と二人の顔が近づいてゆく。
けれど。
レイチェルの肩越しに見える扉がわずかに開いたような気がして、エルンストは動きを止めた。
隙間から感じる生き物の気配。
見られている、と思った瞬間、するりとすり抜けてきた猫の姿にホッと安心すると同時に、冷や水を浴びせられたように一気に我に返った。

誰もいない聖殿の裏口とはいえ、外で。
自分は何をしようとしたのか。

「エルンスト…?」
驚いたように目を丸くしているレイチェルから視線を外し、エルンストはメガネのずれを直した。
心の中で長い三次方程式の解の公式を思い浮べ、改めて視線を合わせる。
今度は努めて、冷静に。

「では、また明日。」
エルンストは決まり正しい角度で礼をして、くるりとUターンした。
「ちょ、え?」
レイチェルの戸惑った声を背に受けても、一度も振り返らず、エルンストはさっさとその場を立ち去っていった。




次の土の曜日。
「それってどうなの?」
一番最初に声を上げたのは、神鳥宇宙女王のリモージュだ。
飲んでいた紅茶のカップをガチャリと乱暴に置いたおかげで、隣のロザリアにじろりとにらまれ、首をすくめている。
「あら、別におかしいとは思いませんわ。
 だって、まだ、あなた方は付き合い始めて半年足らずでしょう?」
優雅な手つきでカップをソーサーに戻し、ロザリアがにこりと笑う。
「そりゃ、ロザリアは一年以上もお預けしてたんだから、そう思うかもしれないけど。
 普通は3回目のデートくらいでいいんじゃないかな~。」
「え、一年?」
目を丸くしたコレットがカップを持ったまま、ロザリアをじっと見る。
そのコレットの様子にロザリアが慌てて、
「そ、それはあの方がわたくしの気持ちを汲んでくださっていただけで…。
 急ぐ必要なんてありませんでしょう?!」
しどろもどろで言い訳を始めた。

けれど、
「私は、付き合うまでが長かったけど、そこからは早かった…かも。」
コレットの爆弾発言に、
「あ、それはあるかも! わたしも付き合うまでは本当に長かったの。
 女王試験のころからずっとアプローチしてたのに、全然気づいてもらえなくて、やっと、だったからな~。
 そこからはあっという間に…うふ。」
リモージュは大きく頷いている。

「うふ、じゃありませんわよ。 本当にあんたたちはどこでもイチャイチャしすぎですわ。」
「ロザリアは結婚するまで派だもんね。」
「え、そうなんですか? じゃあ、まだ・・・?」
ロザリアは頬を赤く染めると、ふいっと顔を背けた。
「なんでも早い方がいいというわけではないでしょう?!
 ゆっくり時間をかけて、お互いを確かめ合ってからでもよいと思いますわ。」

「そうだよネ!!!」
突然のレイチェルの発言に、皆は一斉に口を閉じた。
話が盛り上がってすっかり忘れていたが、事の発端はレイチェルの悩み相談だったのだ。
議題は『付き合い始めてから一度もキスをしてこないエルンストについて』。

「エルンストもロザリア様と同じ考えなのかもしれないよネ。
 ゆっくり育みたいタイプってこと。
 それに、ワタシ達は付き合うって決めた時に一回キスしてるし。
 一回もしなかったロザリア様達とは違うよ。」
ロザリアの視線がわずかに剣呑なものに変わったことに、レイチェルだけは気が付いていないようだった。


あの時。 エルンストがレイチェルを女性として想っていると伝えてくれた時。
二人は想いを伝える言葉の代わりにキスを交わした。
幼馴染としてではなくて、これからは恋人として、そばにいる。
それを証明するように、エルンストは甘いキスを何度も繰り返したのだ。
たぶん、アレを半年で平均化すれば、週1くらいの頻度にはなっている…気がする。

「1回ねぇ。 でも、それっきり、ってことでしょ?」
「むしろ1回でもしたら、もっと我慢できなくなる気がするんだけど…。
 レイチェルはしたくないの?」
コレットの鋭い指摘。
「したいヨ! もちろんしたい!
 デートのたびに毎回…ううん、会うたびにできたら最高だヨ!」
でも、一応、乙女のレイチェルから口に出せるはずもない。
思わずこぼれた本音に、今回はしっかり全員が頷いたのだった。


一方、女子会のためにデートもお預けのエルンストは、私邸で一人、PCに資料を打ち込んでいた。
静まり返った部屋に響くのは、キーボードの音だけ。
普通の人間なら寂しいと思ってしまいそうな環境が、エルンストにとっては最高に居心地のいい空間だった。
エンターを少し強めに押し、予定の作業を終えると、初めて時計を見る。
表示された時刻に、内心驚きつつ、エルンストは立ち上がると、肩を回した。
バキバキに固まった身体をほぐすと、途端に空腹を意識してしまう。
それもそのはず。
朝食代わりのコーヒーを口にして以来、飲まず食わずでもう14時だ。

キリキリと痛む胃を抱え、冷蔵庫にたどり着く。
聖地に来る前から使っている冷蔵庫はイマドキ珍しい2ドアタイプだ。
上が冷凍庫、下が冷蔵庫。
その下部分の扉を開け、エルンストは顔をしかめた。
中にあったのは、牛乳とソースだけ。
空腹をしのげるようなものは見当たらない。
とりあえず牛乳を取り出し、レンジで温めて砂糖を加えた。
甘いものは好みではないが、疲れた脳細胞には糖分が必要だ。
けれど、ホットミルクを飲んでも空腹はまるで収まらない。
どうしようかと考えて、エルンストは外に出ることにした。


少し陰りはじめたとはいえ、まだ暖かな日差しに、ふと心が和む。
折角の好天にこもりきりだったことを少し反省していると、向こうの方から見慣れた人影が歩いてきた。
長い髪もそのままに、足元はサンダル履きだ。
ラフなファッションは休日ならではのスタイルだろう。
ついエルンストの眉が寄ってしまったのは、肌寒い季節なのに、レイチェルがハーフパンツだったこと。
身体の心配もさることながら、無造作に出している素足が面白くなかった。
「アレ? エルンスト? どうしたの?」
エルンストに気が付いたレイチェルが小走りで近づいてくる。
エルンストは小言をぐっとこらえ、メガネの縁をくいっと持ち上げた。

「あなたこそ、こんなところでなにをしているのですか。 今日は女子会では?」
「ウン。 まだ真っ最中。
 ワタシの好きなお菓子が無くなっちゃったから、買い出しに来たんだ。」
「そうですか。 …私も似たようなものです。」
店までの道のりを話ながらゆっくりと歩く。
買い物を済ませた後も、二人は肩を寄せっていた。

「では、私はここで。」
分岐に当たる地点で、エルンストはすっとレイチェルから離れた。
聖殿に戻って女子会の続きをするとわかっているし、薄着の彼女とこんなところで立ち話をするわけにもいかない。
レイチェルも心得たように、行き先に足を向けて、とん、と一歩を踏み出した。
ところが、そのまま進むかと思ったレイチェルが、エルンストに向き直ったかと思うと目を瞑る。
いわゆるキス待ち顔。
一瞬固まって、エルンストはあたりをきょろきょろと見回した。

休日の聖地は人気が少ない。
ましてや聖殿へ向かう道はなおさら人気がない。
現に行きも帰りも誰にも会わずにここまで来たのだ。
けれど、エルンストは何度も周囲を確認してしまう。
いい年をして、こんなところを誰かに見られでもしたら…特にあれやこれやと考えただけで恐ろしい。
やっと心の準備と周囲への確認を終え、そっとレイチェルへと顔を寄せようとしたところで、急に彼女が目を開いた。
バッチリ絡み合う二人の視線。
異常に気まずくて、お互いに言葉が出ない。

口を開いたのはレイチェルが先で、
「じゃ、じゃ! またね!」
ひらりと身をひるがえし、ものすごいスピードで走り去っていく。
その小さくなる姿を、エルンストは呆然と見送っていた。

どんどん上昇してくる体温と赤くなる頬を誤魔化すように、レイチェルは全力疾走していた。
偶然会ってからあそこまで、あまりにもいい雰囲気だったから、つい調子に乗ってしまった。
ドラマや小説でありがちな、帰り際のキス。
そんなワンシーンを勝手になぞらえて…あんなことを。
目を開けた瞬間の微妙な気まずさを思い出すだけで、顔から火が出そうだ。
しかもさっきの女子会で、エルンストのペースに合わせて、スキンシップはゆっくり段階を踏んでいこうと決めたばかりだったはず。
それなのに。

「もう! ワタシのバカバカ―――!!!」
思わず声に出してしまうと、まずます自己嫌悪に陥りそうだ。
聖殿の前まで来て、レイチェルは足を緩めると、大きなため息をこぼした。
突っ走りがちなところは自分でも短所だとわかっている。
明日からは絶対に焦らずに、自分たちのペースで行こう、と、硬く心に決めたのだった。


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