薔薇の守人

5.

「はあっ!」
集中を欠いたヴィクトールに、容赦なくオスカーの剣が迫ってきた。
「くっ。」
振りかぶったオスカーの剣を、かろうじて横にした剣で止めると、ミシミシと金属同士が押し合う。
本来なら上から押す力の方が遙かに楽で、下からの力は堪えるだけになってしまうが、ヴィクトールは左足を下げ、体幹をしっかりと固定した。
こうなれば、純粋な力比べになり、少しはヴィクトールにも分がある。
お互い歯を食いしばり、一歩も譲らぬ攻防。
ロザリアの真剣な瞳が、ヴィクトールを射るように見つめていた。

「オスカー様。 一つお伺いしてもよろしいですか?」
「・・・余裕だな。 言ってみろ。」
にやりと笑うオスカーこそ、余裕の表情でヴィクトールに続きを促してくる。
お互い、力を入れたまま、刃は微動だにせず拮抗していた。


「オスカー様はあの方をどう思っていらっしゃるのですか?
 ご自分の命に代えてもお守りする覚悟がおありですか?」
「・・・一つじゃないじゃないか。」
ふっと鼻で笑ったオスカーにヴィクトールは自分の失言を理解した。
ヴィクトール的には一つの繋がった質問なのだが、確かに二つになってしまっている。

「まあ、いいさ。 一つは答えてやる。」
ぐっとオスカーが力を込めてきて、ヴィクトールの足がさらに後方へずれると、ジャリッと靴が砂を食む音がした。

「命に代えても守る、なんてつもりは全くないな。」

信じられない言葉に、ヴィクトールは耳を疑った。
剣を交えるうち、オスカーの、この戦いへの尋常ではない勝利への欲求を感じ取っていた。
ただ『聖地一の戦士』という栄誉を得るためだけとは思えない。
もっと譲りたくないもの。
すなわちロザリアの存在が、その理由なのではないかと思いあたったところだったのだ。
なのに。

「・・・それがオスカー様の答えですか。」
「ああ。 そうだ。」
それならば、たとえ彼女の望みがどうであれ、負けるわけにはいかない。
ヴィクトールの体中の筋肉が酸素を欲してうごめき、大きく膨らむ。
押されているばかりだった剣がじわりと動き、オスカーの瞳がぎらりと光った。

「ならば、あなたにあの方をわたすわけにはいきません。」
後ろに下げていたつま先に全身の力を込め、剣へと注ぐ。
ぎしぎしときしみ合う金属の鈍い音。
ヴィクトールの猛烈な反撃に、オスカーの額に汗がにじみ、瞳の光がさらに凶暴な色へと変わっていく。
あと少しでヴィクトールが押し切る、そう思った時。
オスカーがふっと遠くを見るような瞳で笑った。

「命に代えても・・・なんて、俺は思わない。
 最後まで生きて、生き抜いて、彼女を守り抜く。
 彼女を残して死んでもいいと思っているようなヤツは、最初から彼女のそばにいる資格がない。」

頭から冷水を浴びせられたようだった。
命に代えても守るなんて、格好のいい台詞で、自己満足して。
残された時の彼女の悲しみを考えたことがあっただろうか。
・・・なによりも、ヴィクトール自身がそのつらさや悲しみを知っているはずなのに。
右目の傷が疼く。

「う。」
押し合うばかりだった力が均衡を崩し、お互いに足下がよろめいた。
さっと距離を取ったのは、身体に染みついた戦いの記憶が、本能的に働いたにすぎない。
構えのポースを取ったまま、動かないヴィクトールに、オスカーが剣を振り上げて駆けてくる。
無意識に一撃を払いのけたあと、まっすぐ前を向いたヴィクトールの視界の先に、ロザリアがいた。
指を組み、まるで祈りを捧げるかのように、青い瞳をまっすぐに彼へと注いで。

するどく胸元をかすめたオスカーの剣に、ヴィクトールの手から剣がこぼれ落ちる。
ぽとりと土に落ちるコサージュの赤。

「参りました。」
ヴィクトールはそのままオスカーの前に膝をつき、頭を垂れた。
砂にまみれた剣が鈍い光を放ち、ぽつんと落ちている。
派遣軍の頃から考えても、久しくなかった、完全な敗北。
けれどヴィクトールはどこか清々しさを感じていた。
きっと彼ならば、間違いなく、彼女を最後まで守り抜いて・・・生きて愛し続けてくれると、そう思えたから。


遠くからギャラリー達の声が聞こえてきた。
勝敗は見ていてわかったはずだが、どうもブーイングが大きく感じるのは、ヴィクトールの気のせいだろうか。
ゆったりとした足取りで、そちらに歩いて行くオスカーの後を、ヴィクトールも慌てて追いかけた。

「オスカーが優勝ね。」
つまらなそうな女王に、
「あ~あ、それならもっと頑張れば良かったよ。」
「くそ、なんでこいつなんだよ。」
「仕方ないですよね。 強さは間違いないですし。」
ぶつぶつ恨み節が重なってくる。
だいたいが、ヴィクトールへの批判がましい目もセットになっていて、居心地の悪さを感じてしまった。

オスカーはと言えば、そんな空気を意に介することもなく、ロザリアの前に立っている。
相変わらずの不遜な態度。
にやりと笑う顔も、きざったらしい立ち姿も、ついさっきまで激しい戦いをしていたとは思えないクールな姿だ。
彼女も慣れているのか、ふいと横を向いたまま、「おめでとう」の一言すらない。
ここだけ見ていれば、むしろお互いに嫌い合っているようにも見える。
けれど、ロザリアはいつだって、誰にでも優雅に微笑む優秀な補佐官なのだ。
こうして、むき出しの嫌悪感を見せていることがなによりも、オスカーに対する特別な気持ちを表しているのかもしれない。

「もちろんダブルルームで予約してくれるんだよな? 補佐官殿。」
「まさか! 最低でもツイン、できれば、寝室が二つあるタイプの部屋を予約しますわ。」
「それではボディガードの役目が果たせなくなる。 
 たしか女王陛下も『同室で』と仰っていたはずだが。」
「それは・・・。 床に寝る覚悟がおありでしたら、検討いたしますわよ。」


わいわい騒いでいるメンバーを残し、ヴィクトールはそっと聖殿を抜け出した。
今なら負けたショックで一人になりたがっていると、皆、解釈して、追いかけてなど来ないだろう。
そう思っていたのだが。
「ヴィクトール様!」
聞き慣れた声に振り返ると、コレットが走ってくる。
試合前にも同じようなことがあった、と思い出しながら、ヴィクトールは彼女が追いつくのを待った。

「あの、ヴィクトール様。」
コレットはそれきり、黙ってしまった。
顔色が蒼くなったり赤くなったり、何かを言おうとして口を開きかけたかと思ったら、また黙ってしまったり。
焦った様子で、くるくる表情が変わる。
普段、レイチェルの影に隠れるようにしているコレットにしては、こうして声をかけるだけでも、相当な勇気が必要だったのかもしれない。

「あの、お怪我を・・・。」
ようやく声を絞り出したコレットが指さした先を目で追うと、どうやら自分の顔のようだ。
ヴィクトールが手で左頬に触れてみると、手袋にうっすらと赤いシミがついた。
「ああ、このくらいなら気にするな。
 この傷に比べれば、どうってことはない。」
茶化すように右目の傷を指さすと、コレットは少し眉を寄せ、ぐっと手を握りしめている。

困らせてしまったか、と不安になったのも、つかの間、コレットは
「ダメです! 小さな傷でも化膿したりすれば、大変なこともあるんです!」
今までの小さな声が嘘のように、きっぱりと向かってきた。
そして、
「傷を見せてください!」
有無を言わせない口調で、ヴィクトールの袖を力強く引いてくる。

結局、ヴィクトールはコレットの勢いに逆らえず、傷のあるらしい頬をコレットに寄せた。
なんとなく直視するのも気恥ずかしく、コレットがごそごそと何かをしているのを、黙って待っていると。
「これしかなくてすみません。」
ぺたり、と、頬に絆創膏が貼られた。

「すまないな。 ありがとう。」
絆創膏の感触を指先で確かめながら、コレットにお礼を口にする。
この程度の怪我を心配してもらうなんて、軍時代はあり得なかったし、手当までしてもらうとは、逆に申し訳ないくらいだ。
つい顔が綻んで、またコレットの頭にぽんぽんと手を乗せてしまった。
すると、コレットは突然顔を真っ赤にして
「あの、こちらこそ、図々しいことをしてしまってすみませんでしたっ。」
転がるような勢いで、聖殿の中へと消えていく。
あまりの早さに、ヴィクトールはぽかんと彼女の消えていった扉を眺めつつ、首をかしげた。

気弱そうに見えたかと思うと、意外に大胆なことをしてみたり。
強気になったかと思うと、急に恥ずかしがったり。
あの年頃の少女の考えることややることは、本当に理解不能だ。

コレットは思ったよりも足が速い、などと場違いな感想を思い浮かべながら、ヴィクトールは絆創膏のくすぐったい感触に不思議な暖かさを感じるのだった。


FIN
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