1.
それはいつも通りのランチの時間のことだった。
「わ!今日はパスタなんだ! わたし、クリーム系のパスタ、大好きなのよね。」
大広間に運び込まれたランチのワゴンを見て、アンジェリークが大喜びしている。
パスタのほか、前菜、サラダ、ピッツア。
ボリューム満点のランチは見た目も豪華でいかにも手の込んだ料理だ。
大きなエビが丸ごと入ったクリームパスタ。生ハムを使ったリッチ感のあるピザ。
聖殿のシェフが腕によりをかけたメニューが、大きなテーブルいっぱいに並べられた。
今日は隔週で執り行われているランチデー。
「聖殿の親睦をはかるため」 とか、なんとか理由づけしているが、なんのことはない。
ようするにただのお食事会だ。
女子供じゃあるまいし、と、最初は難色を示していた守護聖もいたが、回を重ねるうちに、定着してしまった。
今となっては、それぞれが食べたいものをリクエストしたり、時には誰かが腕をふるったりすることもある、恒例の行事になっている。
「あ、ホント。美味しそうだね。」
色鮮やかなブルスケッタを前に、オリヴィエはガーリックの香りを吸い込んだ。
オリヴィエもイタリアンは大好きだ。
鮮やかな色合いも、多彩なメニューも、実に自分好みで。
ただ、その強烈なカロリーを考えると、とても毎日食べる気にはならない。
実はほんの3日前、オリヴィエはイタリアンを食べたばかりだった。
その時増えた体重がようやく元に戻ったところに、また。
うんざりしながらも、食欲をそそるチーズとクリームの香りに、午後からの運動を覚悟した。
「あら、今日はイタリアンですのね。」
少し困ったようにロザリアが眉を寄せている。
「あれ?ロザリア、イタリアン苦手だったっけ?」
「いいえ、そうではありませんけれど…。今日は、ちょっと…。」
聞こえてきたロザリアの言葉にオリヴィエは耳をそばだてた。
確かに3日前に一緒に食べたばかりだから、がっかりはするだろう。
でも、それほど食べていたわけでもないし、まして、食事にクレームをつけるなど、マナーに厳しい彼女としては珍しいことだ。
「うーん、じゃあ、ロザリアの分は、みんなで分けましょ? わたし、このエビちゃん、もーらい!」
「じゃあ、オレはピザもらうぜ。」
「僕はキッシュがいいー!」
さすが食べざかりのお子様たちだ。
わらわらとロザリアの分の皿の料理が採り分けられていく。
「なにも食べないのでは、身体によくありませんよ。なにかいただいてまいりましょう。」
リュミエールがロザリアを気遣い、声をかけている。
「そうですわね。でも、本当に食欲がないんですの。…冷たいシャーベットくらいなら食べられるかもしれませんわ。」
「シャーベットですね。頼んできましょう。」
大広間を出ていくリュミエール。
ロザリアはみんなから少し離れた窓辺に立ち、外を眺めている。
本当に気分が悪そうな様子に、オリヴィエは心配になってしまった。
3日前の夜までは、たしかにいつもと変わらない様子だったのに。
リュミエールからシャーベットを受け取ったロザリアは、みんなの会話に参加しながら、それをちびりちびりと舐めるように口に運んでいる。
楽しそうにしてはいるが、食べ物の匂いも気になるのか、時々、部屋の外へ出て、息を整えているようだ。
気になったオリヴィエは、何度か彼女に付き合おうと腰を浮かしかけたが、ロザリアのそばにはぴったりとオスカーが付いている。
気遣うふりをして、彼女の背中に手を添えているのが腹立たしいが、しかたがない。
わざわざ押しのけていくのも不自然に見えるだろう。
あとで直接聞いてみることにして、食事に専念することにした。
お茶の時間になって、オリヴィエは補佐室を訪ねてみた。
ロザリアはちょこんと執務机に座り、なにかを書いている。
まだ青白い顔をしているのに、仕事をしているのだ。
オリヴィエは彼女の机から書類を取り上げた。
「なにをなさるの!」
白い顔に青い瞳がやけにはっきりと見える。
睨みつけられたオリヴィエは、小さく肩をすくめた。
「そんな顔色で仕事なんて、身体壊すよ。ちょっと休むか、医務室にでも行っておいで。」
「大丈夫ですわ。…単なる寝不足ですもの。」
「寝不足って、ホントにそれだけ? とてもそうは見えないけど。」
疑わしいように彼女の顔をじろじろと眺めると、ロザリアは怒ったのか、顔をそむけてしまった。
そして、そそくさと席を立つと、奥のキッチンへと向かっていく。
「どこ行くの?」
「どこって…。お茶を飲みにいらしたのではないの? お菓子は無理でもお茶くらいなら淹れられますわ。」
「いいよ!」
驚いてロザリアを制止した。
確かに今はお茶の時間だが、具合の悪いロザリアに準備をさせるつもりはない。
「私が淹れるよ。」
ロザリアを強引にソファに座らせ、キッチンに入ったところで、ドアが鳴った。
「ロザリア~。調子はどうですか~? ちょっとしたお薬を持ってきましたよ~。」
ルヴァの声。オリヴィエはじっと息をひそめた。
心なしか声が嬉しそうに聞こえるのは、オリヴィエの気のせいではないはずだ。
多分、彼女の役に立てることが嬉しくてたまらないのだろう。
ルヴァは薬の効果や飲み方を説明すると、ロザリアの向かいに座った。
どうやらすぐに帰る気はないらしい。
「お茶でも淹れますわ。」
ロザリアが立ち上がりかけると、
「いえいえ、具合の悪いあなたにそんなことはさせられませんよ~。 私がお水をとってきましょうかね。」
と言いだした。
まずい。
オリヴィエは咄嗟に戸棚の影に隠れると、キッチンへ入って来たルヴァに見つからないように、さらに息をひそめた。
つま先立ちになって壁に体を密着させていると、本当に息が詰まりそうだ。
かいがいしくロザリアに薬を飲ませたルヴァは、ようやく名残惜しそうに立ち上がった。
ふう、とオリヴィエが息をついたのも束の間。
入れ替わるようにリュミエールが体にいいハーブティを淹れて持ってくるわ、
オスカーが「綺麗なものを見ると心も体も癒されるんだぜ」とかなんとか言って、花を持ってくるわ、
ジュリアスまでもが残りを仕事を引き受けるといってやってきた。
最後にゼフェルが「いい音楽聴くと休まるぜ」と言って、デッキを持ってくる頃には、息をひそめているのも疲れてしまっていた。
「みなさん、お帰りになりましたわよ。」
ロザリアがキッチンに向かって声をかけた。
「あ、そう…。」
隠れていた戸棚の影からオリヴィエが姿を現した時、ロザリアは本当に疲れたのか、さらに青ざめた顔をしている。
辛そうにソファに座りこんでいるロザリアを見てしまい、今日のお茶は本当に無理のようだと感じた。
こういうときは無理をせずに寝かせてあげるのが、一番いいだろう。
「じゃ、私も行くね。」
「あら、お茶は…?」
「もういいよ。こんなあんたとじゃ、お茶を飲むのもなんでしょ? 今夜も行かないから。」
本当なら、今夜、ロザリアの家に行く予定だった。
執務の都合もあるし、二人で過ごせるのは週に2回が限界だ。
実際、オリヴィエ自身もまだ若いし、本当なら毎日でも会いたいところだが。
「いらっしゃらないの?…一緒にいるだけでも…。」
「ううん、いいから。 一人でゆっくり寝た方がいいよ。」
もし行けば、寝不足で辛い、と言っている彼女をさらに寝不足にさせてしまうことは間違いない。
「今日はやめとく。」
「そうですの…。」
残念そうなロザリアを見るのは辛いが仕方がなかった。
早く治してもらわないと、邪魔ばかりが入って、ゆっくりお茶も飲めないのだから。
「…なぜ、隠れるんですの?」
「へ?!」
突然聞かれて、オリヴィエは言葉に詰まってしまった。
「なぜ、ルヴァ達が来た時に、隠れたんですの?」
「そ、それは・・・。」
狼狽するオリヴィエに、ロザリアは大きくため息をついた。
「いいえ、ごめんなさい。 わたくしたちのことは秘密でしたわね。」
「ごめん…。」
ロザリアが苦しそうにソファに横たわったのを合図に、オリヴィエも補佐官室を出た。
なぜか、と聞かれれば、答えは一つしかない。
ロザリアと深い仲だということを、みんなに知られたくないからだ。
イヤだ、というわけではなく、むしろ、世界中に自慢したいくらいなのだが、それができない理由は。
新女王にアンジェリークが即位して、すぐ。
守護聖だけの内輪のパーティが開かれた。
クラヴィスは例によって、サボっていたが、ジュリアスの音頭であるパーティを欠席すると、あとあとやっかいだ。
めんどくさいと思いながらも、オリヴィエも出席した。
本当に行かなければよかった、と、今になれば思う。
「アンジェ、じゃなかった、陛下はランディ野郎とくっついちまったよな~。」
「そうだね! でも、僕は嬉しいよ。 ランディと陛下はすごくお似合いだと思うし。」
「まあ、バカ同士でちょうどいいんじゃねえの?」
「バカとは言いすぎですが、そうですね~。とてもお似合いですね~。」
わいわいと、恋愛話で盛り上がるのは、いい具合に酔いが回ってきた証拠だ。
どうも、今日はみんなテンションが高すぎる。
宇宙の危機を乗り切った高揚感なのだろうが、普段は未成年の飲酒にうるさいジュリアスも、ほぼ黙認していた。
「あとはロザリアだな。」
「なんのことですか?」
すでにかなり酔いが回った様子のオスカーがぽつりとつぶやいた言葉に、リュミエールが噛みついた。
「陛下はランディと出来ちまったから、あとはロザリアだ、って言ったんだ。高貴な女性を落とす楽しみが残っていることには素直に感謝しないとな。」
「なんということを…。」
リュミエールが美しい柳眉を逆立てている。
「あなたのような下賤な男に、ロザリアは渡しません。 私がそばで支えると、誓ったのですから…。」
「なに? リュミエール、お前、ロザリアに告白でもしたのか?」
「いいえ。心の中で、です。あなたのような鬼畜と一緒にしないでください。」
「鬼畜?!」
「鬼畜とは穏やかではありませんね~。でも、オスカー。ロザリアをそんな遊びの対象として見るだなんて、私も許しませんよ。彼女は…。その…。」
「なんだ、ルヴァ。まさか、お前…。」
「いえいえ!!! そんな想いを告げるだなんて、大胆な!! ただ、陰ながら力添えできたら…と。」
なんだろう。この展開は。
みんな酔っ払いすぎたのか、本音がダダ漏れではないか。
3人の会話を茫然と聞いていたオリヴィエの前に、また一人。
「おいおい、おっさんどもは引っこんでろよ。 ロザリアはオレが最初に目ェつけてたんだからよ。」
ずずいっと身を乗り出してきたのはゼフェルだ。
たしかに彼女とゼフェルは最初から揉めながらも、楽しそうにじゃれ合っていたことを覚えている。
同年代の気安さ、というヤツだろう。
「そのような順番など、関係ありませんよ。大切なのは想いの深さ、そうでしょう?」
「そうだぜ。 俺の燃えるような想いがロザリアに届かないわけがないさ。」
「ああ~、私だって、負けていませんよ。」
「オレなんか、アイツとエアバイクでニケツしたんだぜ?」
「にけつ?」
「あいつがしがみついてきてよ。」
「なんですって。そんな危険なことを…。さぞ恐ろしい思いをしたでしょうね…。」
「ああ~~、ロザリアは高いところが苦手だと言っていませんでしたかねぇ~。」
「俺は馬で二人乗りしたがな。…彼女の柔らかい胸が背中に当たって…。」
「「「変態!」」」
わいわいとヒートアップする会話を、ランディとマルセルが呆れたように眺めている。
「俺はアンジェ一筋だからさ。」
「僕も…。ロザリアは好きだけど、あの仲間に入るのは嫌だな。」
オリヴィエも同じだ。
というよりは、こんなにもロザリアを狙っている男がいたことに驚いた。
試験中、それほどでもなかったのは、それなりに皆、遠慮していたということなのか。
ドンドン話が卑猥な方へ移りかけた頃、案の定、雷が落ちた。
「いい加減にせぬか。 ロザリアは皆の補佐官なのだぞ。 独り占めは私が許さん。」
「は?!」
茫然とする皆の前で、ジュリアスが堂々と宣言した。
目つきはしっかりしているが、かなり酔っているのかもしれない。
「ロザリアは皆のものだ。 勝手な振る舞いは許さぬ。」
「それって…。」
思わず口を挟んだオリヴィエをジュリアスがじろりとねめつける。
「抜け駆けせずに、皆で平等に愛そうではないか。 ロザリアを守る協定だ。」
一瞬、空気が止まって、皆が顔を見合わせた。
たしかにそれぞれがライバルの状態では、この先の生活に支障が出るだろう。
皆で平等。
なかなかに素敵なアイデアのような気がする。
「そうですね…。私達の争いで、ロザリアが傷つくようなことはあってはなりません。」
「ああ~~、皆で仲良く、ですね。すばらしいことですよ~。」
平和主義の二人が賛同すれば。
「ジュリアス様がそうおっしゃるなら…。」
実はジュリアスもライバルだったと知って、動揺しているオスカーも同意した。
ゼフェルだけは最後までごちゃごちゃ言っていたが、もともと恋愛に積極的な方ではない。
「オレはべつにどーでもいいぜ。」
と、放りだした。
「では、協定だ。 ロザリアには手を出さない。よいな。」
ジュリアスに念を押され、その場はおさまった。
けれど、なぜか知らんぷりを決め込んでいたオリヴィエまでもがいつの間にか協定のメンバーにされていて。
『ロザリアを守る会』が発足したのだ。
「守る会、とか言っちゃってさ~。」
そういえば、さっき、ロザリアの部屋でお茶を飲みそこねてしまった。
仕方なく自主的に休憩することにして、執務机に足を乗せ、オリヴィエはため息をついた。
実際のところ、好きでもなにもできないジュリアスの上手い策略だったのではないかという気もする。
まんまと乗せられたのかもしれない。
けれど。
あの時、すでにオリヴィエは、ロザリアとかなりいい感じだった。
他の守護聖の思惑など知らず、ロザリアはみんなにあまり好かれていないのではないかと悩んでいたのだ。
オリヴィエだけは普段通りだったから、彼女も近寄りやすかったのだろう。
育成の相談や、いろんな話をしているうちに、すっかりオリヴィエに懐いていた。
そして見た目の美しさ以上に純粋なロザリアに、いつの間にかオリヴィエも心惹かれてしまっていて。
たびたびデートも繰り返し、試験の終わりには、何度も湖に出かけていた。
まさに最終段階間近。
多分、ロザリアも同じ気持ちだったのだろう。
協定が結ばれて、すぐ。
オリヴィエはロザリアから告白された。
「補佐官になって、もう、我慢しなくてもいいと思いましたの。」
真赤になって、震えながら胸に飛び込んできたロザリア。
愛しい少女にそう言われて、手を出さない男がいたら見てみたい。
協定のことなど、すっかり忘れて、彼女を抱きしめてしまった。
「どうしましょう…。こんな…。皆さまになんて言えばいいのかしら…。」
ベッドの中で恥ずかしそうに胸に頬をうずめたロザリアに、オリヴィエは、はっと思いだした。
いくらなんでも、協定を結んでからの展開が早すぎる。
オスカーには蹴られるだろうし、リュミエールにはねちねちと嫌味を言われるだろう。
ルヴァには毒ぐらい盛られそうだし、ゼフェルにはメカチュピで突かれるかもしれない。ジュリアスにいたっては…。
考えたくもない。
「あのさ、しばらく、秘密にしておかない?」
「え?」
「あんたとこうなったって、知られると、いろいろマズイんだよね。」
「どうしてですの?」
「あー、まあ、いろいろあってね…。とにかく、誰にも言わないで。 ちゃんと会いに来るから。」
ロザリアが少し悲しそうにうつむいたのが気になったが、とりあえずは仕方がない。
週末は人目につかないように下界でデートして、夜に会えば、ベッドを共にする。
ランチやお茶を一緒にすることもあるが、あくまでも守護聖の一人として。
初めのうちは、気にしていたロザリアも、このごろは何も言わなくなった。
もう少し、ほとぼりが冷めて、協定云々が笑い話になったら皆に伝えよう。
そう思いながら、今までずるずると隠し続けてしまっていた。