「まあ、オリヴィエ。どうなさったの?」
現れたのはロザリア。
今日もゆったりとしたワンピースにぺたんこのバレエシューズだ。
オリヴィエはロザリアの元に走り寄ると、彼女を腕の中に包みこんだ。
強く強く抱きしめると、ロザリアの髪から薔薇の香りが漂ってくる。
愛しい香りに、胸が熱くなった。
「苦しいですわ…。」
あまりに力を込めすぎたのか、ロザリアがもぞもぞと動いている。
オリヴィエはほんの少し腕の力を緩めたが、そのままじっと、彼女を抱きしめ続けた。
「あの、オリヴィエ、苦しいのですけれど。」
ロザリアがさらにバタバタと身体を捩っている。
はっと、オリヴィエは腕を解いた。
彼女の身体はどうなっているのだろう。
お腹に子供がいるのなら、こんなに力を加えては大変なことになる。
「子供は…?」
「え?」
「子供はどうしたの?」
聞くのが恐ろしいが、ロザリアがどんな選択をしたとしても、それは自分の責任として受け入れるつもりだった。
彼女を誤解させ、不安に陥れたのも、全て自分なのだから。
「どうした、って…。 どうもしませんわ。」
「よかった…。」
まだ、ロザリアは子供に何もしていなかった。
彼女の中には、自分達の愛の結晶が存在しているのだ。
愛おしさが溢れて来て、オリヴィエは再びロザリアを抱きしめた。
最初は不思議そうに身体を捩っていたロザリアも、どうやら観念したのだろう。
オリヴィエに身体を預け、抱きしめられている。
バタバタと足音がして、アンジェリークの声がした。
「あ!ロザリア! 赤ちゃんはどうだったの? 男の子だった?女の子だった?」
「さすがそこまではまだわからないんじゃないでしょうかね~。」
二人の声に、ロザリアがまた暴れ出した。
「オリヴィエ。人が来ましたわ。秘密がばれてしまいますわ。」
「いいんだ。もうバレたし。それに子供が生まれるんなら、どうせ隠しきれないでしょ。」
「子供?…なんのことかしら?」
本当にロザリアは不思議そうな顔をしている。
不思議そうというよりは、きょとんと、まるで宇宙人に出会った時のような顔だ。
オリヴィエは抱きしめていた手を離し、ロザリアの顔を覗きこんでみた。
「ロザリア、おめでとう! 全然気がつかなかったけど、あなた達、子供ができたんだってね! なんだか先を越された気分だわ~。」
割って入って来たアンジェリークにロザリアはますます目を丸くした。
「子供ができた? 誰にですの?」
「やっだー!ロザリアったら。もう隠さなくていいのよ! オリヴィエが白状したんだから!」
「オリヴィエが? あんなに隠したがっていたのに、なぜ?」
話せば長い。
長すぎるから、とりあえずそれは後回しだ。
今、どうしても確認したいことは一つ。
「ロザリア。子供ができたんでしょ? 私達の大切な子供なんだ。産んでくれるよね?」
しんと静まり返った。
聖地の気候は常に過ごしやすく、今日も常春の青空が広がっている。
吹く風もさわやかで、 周囲の緑がさわさわと音楽のような葉ずれを奏でる。
そんななか。
恐ろしい程の沈黙はどれくらい続いただろう。きっと一瞬だったに違いない。
「できていませんわ。 そんな…。どうしてそんなことを? だって、オリヴィエはいつもきちんと…。」
かあっと彼女の頬が染まる。
言外にオリヴィエと深い仲であることを告白したようなものだ。
恋愛に奥手なロザリアにとって、それはかなり恥ずかしいことなのだろう。
「でも、食欲がないとか、すっぱいものが欲しいとか…。ほら、今の服とか靴だって!」
アンジェリークがたたみかけるように尋ねている。
そう、自分達が誤解したのには、それなりの理由がある。
「それは、本当に寝不足で…。服は説明しましたわ。靴は流行りのモノだとオリヴィエに教えていただいたから…。」
そうだ。
以前、デートでウィンドーショッピングをした時に、今年の流行はバレエシューズだといった気がする。
ローウエストのワンピースも。
彼女はオリヴィエの話をきいて、実践してくれていただけなのだ。
困惑するロザリアを前に、アンジェリークとルヴァが大きくため息をついた。
完全に勘違い。
大騒ぎしたあの時間は一体何だったのだろう。
「とりあえず、みんなにちゃんと説明していただきましょうかね~。」
「クラヴィスも今頃、すごく迷惑してると思うわ。呼び戻さないと。」
二人の会話にオリヴィエはまた頭を抱えた。
多分、オスカーには蹴られ、リュミエールにはねちねちと嫌味を言われる。
そして、ルヴァには毒を盛られ、ゼフェルにはメカチュピでつつかれるだろう。
事情を知ったジュリアスにも、山ほど仕事を押し付けられるのは明白だ。
「どういうことですの。」
まだ事情が呑み込めない様子のロザリアにアンジェリークが答える。
「てっきりロザリアに赤ちゃんができたんだと思って、大騒ぎしていたの。
オリヴィエが自分の子供だって告白してね。愛しあってるから、産んで欲しいって。」
「オリヴィエが…。」
ロザリアの青い瞳が潤んだ。
ずっと二人の関係を隠すように言われ続けて、もしかしたら遊びなのではないかと、気になっていた。
けれど、オリヴィエを想う故に、厳しく問いただすこともできず。
自分の中で葛藤がどんどん大きくなっていたのだ。
「わたくし、あなたの子供なら、喜んで産みますわ。」
さっきよりも赤くなったロザリアの頬。
オリヴィエは、もう一度抱きしめようと手を伸ばした。
たとえどれほど、嫌がらせを受けたとしても、もう離せない。
「ホントにいるじゃねーか。クラヴィスのヤツ、適当なこと言って追い返したのかと思ってたのによ。」
つい癖で、伸ばしかけた手を引っ込めてしまったオリヴィエを、ロザリアが悲しそうに見た。
また誤解させてしまうし、もう隠す必要はないのだ。
オリヴィエは、そのままの手でロザリアの手を握った。
途端にロザリアが瞳をうっとりと潤ませる。
こんな些細なことで喜んでくれるなら、もっと早くやっておけばよかったと後悔した。
「大丈夫ですか?ロザリア。 オリヴィエがきちんと男の責任を果たさないばっかりに…。」
「まあ、気持ちはわかるがな。やっぱり着いてるのと着いてないのとじゃ、感じ方が違う。」
「オスカー!」
「おっと。」
「ったく。このおっさんの頭ン中はロクでもねえな。」
騒がしく戻ってきた3人は、目の前で仲良く手を繋いでいる二人に気づいた。
憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしているオリヴィエと、とてもとても嬉しそうなロザリア。
しっかりと繋がれた手が、二人の絆のようで。
思わず3人は顔を見合わせて、溜息をついた。
「お前、協定違反の罪は重いぞ。」
「あんただって、口説いてたんでしょ?ね、ロザリア。こいつになんて言われたの?」
「え? 一緒に食事をしたいとは誘われましたけれど。お断りしましたわ。」
「食事だけですか? この鬼畜のことです。きっとあなたを食べてしまうつもりだったに違いありません。」
「おい、お前の方が、よっぽどアブナイ考えじゃないか!」
「では、違うとでも?」
「ああ~、まったくジュリアスがきいたら嘆くでしょうね。ロザリアはオリヴィエにとられ、オスカーが自分を裏切っていただなんて~。」
「おい!」
「言いつけてやろうぜ。」
「ちょっと!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てているみんなの前に、アンジェリークが立ちはだかった。
「ここで立ち話するくらいなら、お茶会の続きをしましょ? パンプキンパイ、食べかけなんだもん。」
行くわよー、と勢いよく号令をかけたアンジェリークに、ロザリアが並んだ。
手を繋いでいるオリヴィエも当然引きずられ。
結局、そのままテラスに戻ったメンバーは、すっかり日の落ちた中、夕方のお茶会を開いたのだった。
手を繋いでロザリアの家に帰ったオリヴィエは、リビングのソファでのんびりとくつろいでいた。
お茶会の間中、からかわれ続けて、精神的に疲れ果てていたのだ。
パイを食べようとすれば「あーん、ってやってみたらどうだ。お前なら恥ずかしくもないだろう。」と言われ。
お茶を飲もうとすれば、「やっぱり紅茶ですか…。好みも同じなのですね…。」とため息をつかれ。
ちょっとでもロザリアに触れようものなら、「すっかりオレの女扱いだぜ。」と鼻を鳴らされ。
「どうぞ飲んでくださいね~。」と怪しげな茶を渡され、飲むとなぜかめまいがした。
まさに針のむしろ状態。
けれどたとえ何をどうしても、到底気が済むことではないのは、オリヴィエにもよくわかっている。
みんなのアイドルを奪った罪は重い。
それに、すぐそばで嬉しそうに微笑んでいるロザリアがいたから何でも我慢できた。
「あんなにからかわれるなんて。」
思い出してほんのり頬を染めるロザリアの頬にかるく口づけた。
彼らはロザリアには何もしなかったが、アンジェリークに根掘り葉掘り聞かれていたのを見ている。
彼女にとって、それはかなり恥ずかしかったらしい。
「ま、しばらくは仕方ないんじゃない? 私はもう覚悟したよ。」
週が明ければ、ジュリアスから嫌というほど執務を押し付けられるだろう。
ひょっとしたら、しばらくの出張、なんてこともありえるかもしれない。
「もしかして、オリヴィエ。このことがわかっていたから、隠そうとしていたんですの?」
「うーん。それは…。」
『協定』のことをロザリアに話すつもりはなかった。
あれこそ男同士の秘密の話。だとしたら、ここは、誤解させておく方がいい。
「まあ、そうかも。」
「わたくしったら、本当に考えが至らなくて…。ごめんなさい。」
しおらしくうつむくロザリアに多少心が痛むけれど、もう過去のことだ。
彼女の綺麗な横顔を見ていたら、ふと、目の下のクマが気になった。
「ねえ、寝不足って、なんで? もしかして、わたしのせい?」
眠れないほど悩ませていたとしたら。
「ごめん…。」
オリヴィエはロザリアの手をとると、ぎゅっと握りしめた。
謝ってすむことではないけれど、せめて誠意は伝えたい。
「今日はゆっくり眠って。 また明日デートしよう。」
週末に下界でデートするのはこれからも変えるつもりがなかった。
聖地の彼女と違う姿を見ることができるのは自分だけの特権なのだから。
ぎゅっと一瞬抱き寄せて、すぐに身体を離そうとしたオリヴィエをロザリアが引きとめた。
「寝不足なのは、あなたのせいではありませんの。」
「いいって、気を使わなくても。悩ませたから仕方ないよ。」
本当は帰りたくない。久しぶりに彼女の体温を確かめたい。
けれど、体調が悪いのに、無理強いするようなことはしたくなかった。
帰り支度をしているオリヴィエの隣で、ロザリアはものすごく困ったような顔をして、考えこんでいる。
「そんな顔しないで。 今日はゆっくりお休み。」
「いいえ、あなたのせいだけれど、あなたのせいではありませんの。ですから、今日も帰らないでくださいませ。」
「は? どういう意味?」
ロザリアは決意したように席を立つと、戸棚から籠をとりだした。
その中に入っていたのは、いくつかの毛糸玉。
「もうすぐあなたの誕生日ですから、プレゼントにセーターを編んでいましたの。 つい根をつめてしまって、寝不足になったんですわ。
今日、毛糸も買い足しましたし、もう少しでできますの。ですから…。」
今日彼女が主星まで出かけていた理由もわかった。聖地には毛糸を売っているような店はない。
取り寄せればいいだろうが、すぐにみんなにばれてしまう。
籠の毛糸玉は、深いワインレッド。
冬になればきっと、オリヴィエの金の髪が映えるだろう。
「ありがと。そんな素敵なものを用意してくれていただなんてね。」
「誕生日まで、秘密にしておきたかったのに…。」
残念そうなロザリアを今度こそ強く抱きしめた。
「やっぱり秘密はよくないね。これからはさ、なんでも話してよ。いいことも、悪いことも、あんたのことなら全部知りたいから。」
「ええ。あなたも。」
ロザリアの額に軽くキスを落とすと、見上げる青い瞳が潤んでいた。
寝不足のロザリアをさらに寝不足にしてしまうけれど、こればかりはどうしようもない。
それにもう、隠し事はしないと約束したのだから。
「今夜は寝かせないけど。…いい?」
素直に言葉にすれば、ロザリアも小さく頷いた。
オリヴィエはそのままソファにロザリアを押し倒すと、キスの嵐を落としたのだった。
FIN