1.
もうすぐ彼の誕生日。
新しい月のカレンダーをめくったロザリアは、気合を入れ直すようにグッと拳を握った。
女王候補のころから密かに想い続けたオリヴィエと、晴れて恋人になって数か月。
初めて訪れる彼の誕生日なのだ。
気合が入らない方がオカシイというものだろう。
特別ななにかを彼のためにしたい。
ロザリアはじっとカレンダーを見つめて、考え込んでいた。
数日後。
ロザリアは謁見の間でぐるりと9人の顔を見渡していた。
いつもは玉座にいるアンジェリークも、今日はロザリアのすぐ隣に立っている。
ようするに、今は女王としてではなく、アンジェリークとしてこの場にいるという事だ。
「今日は皆様にお願いがありますの。」
厳かに切り出したロザリアだったが、すぐに
「オリヴィエの誕生日よね!」
アンジェリークが突っ込み、
「どーせサプライズパーティとかって言うんだろ。 わかってるっつーの。
その相談のために、わざわざオリヴィエのヤローを遠くまで行かせたのかよ。 ごくろーなこった。」
ゼフェルがつまらなそうに言う。
的確な指摘に、ロザリアはうっと喉を詰まらせた。
確かに守護聖の誰が行っても差し支えのない出張に、オリヴィエを行かせたのは、彼が留守の時間を作りたかったからだが。
ゼフェルにまで見え見えでは、勘のいいオリヴィエならとっくに感づいているのかもしれない。
苦笑交じりで出ていった彼の姿を思いだして、ロザリアは目を泳がせた。
さらに
「先々月、ジュリアスの誕生日の時もパーティをしましたしねぇ。」
ルヴァが悪意のない笑みを浮かべて、うんうんと頷く。
「あの時のオレンジケーキ、すごく美味しかったよね!」
「俺もあれは美味しいと思ったよ。 ロザリアはだんだんお菓子作りが上達してるよな。」
「ええ。 ハーブティにもよく合いましたね。」
皆がそれぞれにわいわいと話し出した。
「まあ、やるとわかっているのに、今更サプライズと言うのもおかしな話だとは思うがな。
別に普通に誕生日パーティでいいんじゃないのか?」
からかうようにニヤリと笑うオスカーを、ロザリアがきっと睨み付けた。
アンジェリークが女王に就任してから、すでに守護聖のバースデイパーティは恒例化している。
今更、サプライズと言わないことは重々承知。
「ですから、今回は聖殿ではなく、わたくしの私邸で開こうと思いますの。」
「え! ロザリアの家で?! 」
びっくりした面持ちのアンジェリークと守護聖達に向かって、ロザリアは考えていたことを話し始めた。
「その日、わたくしが屋敷で、こっそり準備をいたしますわ。
ですから、皆様はわたくしが不在なことをオリヴィエに気付かれないようにしていただきたいんですの。
それと、いろいろとお手伝いもお願いするかもしれませんわ。」
聖殿でのパーティは、もはや当たり前すぎる。
だから、サプライズパーティがあると思い込んでいるオリヴィエが、なに事もなく帰ろうとしたところを連れ出して、パーティをスタートさせる。
それが今回、ロザリアの考えたアイデアだった。
「きっと、皆が執務を終えて、普通に帰ってしまう様子を見たら、オリヴィエはちょっとがっかりすると思うんですの。
だって、自分の時だけパーティがないんですもの。」
「でも、実はそれは罠で、わたし達はロザリアの屋敷で待ち伏せしてるってわけね。
面白そう!」
アンジェリークはかなり乗り気になっている様子だ。
「オリヴィエの驚く顔が見れるかもしれないな。」
「ええ。 オリヴィエは滅多なことでは驚きませんからね~。」
「楽しみだなんて、少し不謹慎でしょうか?」
思いのほか、皆も乗り気な様子で、あれこれと相談している。
唯一、なにも言葉を発しない、ジュリアスとクラヴィスを見ると、二人も別に反対ではないようだ。
心持ち、ジュリアスもワクワクしているように見えるのは、ロザリアの気のせいだろうか?
とりあえず、表立って反対されていないのだから、ここは強引に事を勧めるのが得策だろう。
実際、オリヴィエにサプライズを仕掛けるというのは、ロザリアにとって相当ハードルが高い。
彼に今まで隠し事などできたためしがないのだから、ひとりの力では無理に決まっている。
皆の協力は不可欠だ。
ぐるりと見回せば、みんなパーティを楽しみにしているのがうかがえる。
どうやらうまくいきそうだと、ロザリアがほっと胸をなでおろしていると、謁見の間のドアが鳴った。
「あの、ロザリア様。
至急、確認したいことがございます。」
ドアの向こうから聞こえてきた、穏やかな女官長の声に、ロザリアは皆にもう一度確認の意味を込めて告げた。
「10月20日はよろしくお願いいたしますわ。
それ以前にも皆様にいろいろお願いに伺うかもしれませんけれど。
協力してくださいませね。」
「オッケー! 任せておいて。」
アンジェリークが即座に返答して、皆もうんうんと首を縦にする。
「わたし、サプライズは大得意なんだから。
スモルニイのころなんか、サプライズのアンジェ、って言われてたのよ!」
そんな二つ名は初耳だ。
アンジェリークの妙なにこにこ顔が気にはなったものの、女官長にせかされ、ロザリアはそそくさと謁見の間を後にした。
それから数日。
「はーい、ロザリア。 そろそろお茶の時間だけど…。」
ノックもせずにドアを開けたオリヴィエは、主のいない部屋に向けて大きなため息をついた。
中央奥に備え付けられている執務机はもぬけの殻。
そのそばに立っていた秘書官が、申し訳なさそうにオリヴィエを見つめている。
「も、申し訳ございません。 補佐官様はただいま、離席しております。」
「あ、そ。」
それ以上何も言えず、オリヴィエは肩をすくめると、扉を閉めた。
ここ最近、ロザリアはとても忙しそうで、不意打ちの訪問はほぼ空振りに終わることが多い。
今までなら、大抵笑顔で迎えていてくれただけに…なんとなく面白くない気がするのだ。
しかも。
「あ。」
仕方なく執務室に戻りかけて、オリヴィエはさっと観葉植物の陰に隠れた。
慌ただしく開いたゼフェルの部屋のドア。
ちょうど、そこからロザリアが出てきたからだ。
「では、また後程。」
「おう。 任せとけ。」
そんな会話が耳に届いて、オリヴィエは顔をしかめた。
同じ聖殿で執務をしていれば、いろんな面でお互いに協力したりするのは当たり前だ。
補佐官と守護聖であれば、関わりがあるのも当たり前。
「でもね、今って、そんな緊急の案件あったっけ?」
女官を介すこともなく、わざわざロザリアが自ら出向くほどの事由がオリヴィエには思い当たらなかった。
ロザリアは全くオリヴィエに気が付かない様子で、補佐官室に戻っていく。
その彼女の横顔が、わずかに頬が赤らんでいて、とても嬉しそうに見えて。
なんとなくオリヴィエは胸がモヤモヤするのを感じていた。
補佐官室に戻ったロザリアは、手の中のクリアファイルを鍵のかかる引き出しへとしまい込んだ。
ゼフェルにはパーティ当日の音響を頼んでいる。
ロザリアの私邸にも音楽を聞く設備はあるが、リビングでダンスを踊りたいというロザリアの希望を叶えるには、その設備ではものたりない。
機械音痴のロザリアには今ひとつわからないが、ゼフェルは部屋の配線を快く引き受けてくれていた。
「あとは…。」
まだまだ準備することはたくさんある。
飾り付け、料理。
聖殿であればすぐに手配できるものも、ロザリアの私邸まで運び込んだりすることを考えると、いちいち大変だ。
「あ、これの注文がまだでしたわ。」
ロザリアはファイルを手に取ると、急いで電話をかけた。
慌ただしく日々は過ぎていく。
その日、ロザリアはオスカーの執務室にいた。
「オリヴィエの好きなワインはこれでいいかしら?」
せわしなく尋ねるロザリアに、オスカーは苦笑しながら、資料に書かれたワインの名前に丸を付けていく。
「ま、このあたりなら間違いはないだろう。」
「ありがとう。 わたくしはあまりお酒をたしなみませんから、よくわからなくて。」
頬を染めながら微笑むロザリアは、可憐な乙女そのものだ。
高飛車で生意気そうにしか見えなかった守備範囲外の少女でも、恋をすればこれほどまでに変わるのか。
同じ男として、オリヴィエが少し羨ましくもあり、ちょっとした悪戯心がわいてくる。
オスカーはにやりと笑みを浮かべると、ロザリアの顔の横の巻き髪へと手を伸ばした。
「パーティの準備も結構だが、肝心のオリヴィエとは上手くいっているのか?」
からかうように問えば、ロザリアはムッとした様子で、ふいっと目を細めた。
「ご心配なく。 問題はありませんわ。」
「本当か?」
「ええ。」
「ちゃんと愛を交わしてるのか? 言葉だけで終わり、じゃないだろうな?」
一瞬、ロザリアはグッと喉を詰まらせた。
たしかにここ最近、デートらしいデートはしていない。
毎日のランチは時間が合わず、お茶の時間もバタバタしていて過ぎてしまう。
事実、今日も、まだ一度もオリヴィエと言葉を交わしていなかった。
そこにはあまり話をすると、ついぼろが出てしまうかもしれないという危惧もあるのだが…。
端的に言えば、コミュニケーション不足なのは、ロザリア自身が一番感じていることだった。
「男なんて、意外と寂しがりやな生き物なんだぜ。
好きな女性とはいつだって繋がりを感じていたいものなのさ。」
言外に淫らな空気を感じ取って、ロザリアは顔を背けた。
けれど、顔を背けられても、オスカーは何事もなかったかのように、ロザリアの髪に触れるのをやめようとしない。
ロザリアは今度こそはっきりと手を払いのけた。
「あなたとオリヴィエを一緒にしないでくださいませ。 ちゃんとわたくし達は心が繋がっていますの。
パーティだって、必ず成功させて見せますから!」
怒りのせいで顔を赤くして、ロザリアは憤然と立ち去っていく。
こういう部分は昔と同じで、何ともからかい甲斐があるものだ。
残されたオスカーは、くくっと小さく笑い声をこぼしていた。
「あれ。」
また、たまたま廊下を歩いていたオリヴィエは、オスカーの部屋から勢いよく飛び出して来たロザリアに気が付いた。
彼女は顔を真っ赤にして、瞳を潤ませている。
あきらかに何かがあった、としか思えない様子。
足早に補佐官室へと戻っていくロザリアに、オリヴィエは声をかけそびれてしまった。
「うーん。なんだかねえ。」
オリヴィエは椅子に深く腰をかけると背もたれを揺すり、執務机に足を投げ出した。
ロザリアが見たら行儀が悪いと眉を顰めるだろうが、彼女は最近、この部屋を訪れてくれない。
「たぶん、アレだとは思うんだけど。」
ちらりと向けた視線の先にはカレンダー。
10月のイベントは、祝日が一度。 最終日にハロウィン。 そして…。
オリヴィエ自身の誕生日。
ロザリアをはじめとして皆がこそこそと何かを準備しているのには、もちろん気が付いている。
気が付いているけれど、何も言わないのも優しさだ、とオリヴィエはあえて知らんぷりを決め込んでいた。
特に可愛いロザリアが自分のために頑張ってくれているのだ。
オリヴィエが上手くバランスを取るのが、お互いのためだと理解している。
けれど。
「それにしても忙しすぎるよね。」
今までも守護聖の誕生日ごとにサプライズパーティは繰り返されてきたのだ。
準備だって、悪く言えば慣れてるはずだし、今更、ロザリアがこれほど時間を取られる理由がわからない。
しかも、ここ最近の彼女の様子は明らかにおかしい。
他の守護聖の部屋から赤い顔をして出てきたり、夜遅くまで残っていたり。
なによりもオリヴィエを避けているような気がするのだ。
「うーん。」
考えてもよくわからないまま、今日もやはり彼女はやってこない。
美味しいお茶とお菓子の準備はいつだって整えているのに。
「誕生日パーティねぇ…。」
誕生日なんて別になくたって構わない。
そんなことまで考えてしまう自分が情けなくて、オリヴィエはため息をついていた。