My treasure…

3.

豪奢な正面玄関ではきらびやかなシャンデリアが光を放ち、礼儀正しいドアボーイが会釈をくれる。
あちこちに飾られた生花や、品のいい調度品。
夕方のこの時間でも、真昼のような明るさの照明。
どちらかといえば、のんびりしたアルカディアの中で、ここだけは別世界のように華やかだ。
オリヴィエは大勢の客やホテルマンのいる広いロビーを横切り、エレベーターホールへ向かった。
きちんとしたジャケットを着ていることもあって、途中で呼び止められることもない。
ホールには10基くらいのエレベーターがあるが、目的はその一番奥だ。

オリヴィエは胸ポケットからさっきのカードを取り出すと、壁のセンサーにかざした。
すると、それまで休止中の表示が出ていた液晶画面が明るく点灯し、左右にドアが開く。
乗り込んだオリヴィエは、ぐるりと箱を見回した。
エレベータの内部は真っ白な大理石が一面に貼られ、天井のシャンデリアが眩しく照らしている。
派手ではないが、お金をかけたつくりは、明らかにVIP用だ。
そして、操作パネルには通常あるようなボタンが一切ない。
オリヴィエは手にしていたカードをパネル下部にあるスリットに差し込んだ。
ピッと小さな電子音がしたかと思うと、一瞬床が沈み込み、重力に逆らうような速度でエレベーターが上昇し始める。
耳がツンとするほどの高速。
そして、ふわっと包まれるようにエレベーターが止まった。


ドアが開くと、そこはペントハウスで、高い天井のホールになっていた。
御影石をはめ込んだ床や、一目でオーダーと分かる豪華なシャンデリア。
さりげなく置かれたソファやサイドテーブルに至るまで、こだわりぬかれた意匠で統一されている。
おそらく小さな花瓶一つで、立派な車が変えるほどの価値があるだろう。
ホールから続く広いリビングスペースは、一面のはめ込みガラスになっていて、落ち始めた夕日が部屋中に差し込んでいる。
夜になれば、素晴らしい夜景が一面に広がるはずだ。
眩しいオレンジ色の光に目を細めたオリヴィエは、一角から漂う花の香りに気が付いた。
導かれるように進むと、そこはメインベッドルームらしい。
広い部屋の中に、大きな天蓋のついたベッドが一つだけ置かれていた。

カーテンが引かれた部屋は薄暗く、壁のライトだけがぼんやりと灯っている。
「ロザリア!」
ベッドの上に横たわっている人影。
オリヴィエは最初に送られてきた画像を思い出しながら、ベッドへと近づいた。

ベッドの上でロザリアはすやすやと眠っている。
画像のように手足を縛られてはおらず、横向きに小さく丸まっている姿は、子猫のように愛らしかった。
穏やかな表情と規則正しい寝息。
待ち合わせ場所で見た時と同じ白いワンピースに、下ろしたままの長い髪が、シーツの上に広がっている。
彼女の無事をようやくこの目で確かめられたオリヴィエは、大きく息を吐き出していた。
おそらく…と予想はしていたものの、やはり不安は大きかったのだ。

静かにマットレスに上がり、彼女の隣に座る。
しばらく寝顔を眺めた後、オリヴィエはロザリアの顔の横に手をつくと、耳にささやきかけた。
「ロザリア。 迎えに来たよ。」
チュッと頬にキスを落とすと、ロザリアの睫毛が震える。
「ん…?」
まだ彼女は目覚めない。
オリヴィエはくすりと笑みを浮かべると、もう一度、今度は唇にキスを落とした。

「…オリヴィエ?」
うっすらと瞼が上がり、青い瞳にオリヴィエの姿が映る。
二、三度、パチパチと瞬きをしたロザリアは、急に何かを思い出したかのように飛び起きた。
「え? どうして? わたくし、眠ってしまっていましたの?
 アンジェリークは?!」
青ざめた顔で、ロザリアは辺りを見回している。
オリヴィエはそんなロザリアの肩をそっと抱いて、自分の方へと引き寄せた。

子供をあやすように、背中をポンポンと叩く。
「何があったか教えて。」
穏やかなオリヴィエの声に、狼狽していたロザリアも少し落ち着いたようだ。
軽く頷いて、知る限りの状況を話してくれた。

待ち合わせの場所に行く途中、なぜか黒づくめの服を着たオスカーとリュミエールに、このホテルに連れてこられたこと。
ここに着いたら、アンジェリークとルヴァが待っていて、「オリヴィエが来るまで」と、一緒にお茶をしたこと。
今、気が付いたら、目の前にオリヴィエがいたこと。

「オスカー達が待ち合わせ場所が変わったから、と言っていましたけれど、ここでよかったんですのね。
 なかなか連絡をくださらないから、心配していましたのよ。」
ロザリアは全く疑っている様子もなく、約束通り、オリヴィエが来たと思い込んでいるらしい。
もっとも、時計を見せて、あれから数時間が経っていることには、驚いていたが。
「眠ってしまうなんて…せっかくのあなたのお誕生日でしたのに、ごめんなさい。」
ロザリアは申し訳なさそうに縮こまっている。
「…あんたのせいじゃないよ。」
そう、今日一日のすべての出来事の黒幕は…。

突然鳴り響く、携帯の着信音。
オリヴィエはジャケットから携帯を取り出すと、通話ボタンを押した。
「あ、オリヴィエ! 無事についたみたいね。 おめでとう~!」
能天気なアンジェリークの声。
背後で鳴り響いているクラッカー。
電話を替わろうとするロザリアの動きを手で制して、オリヴィエは大げさにため息を吐き出した。
「無事にお姫様は救出したよ。 …ったく、どういうつもりなのさ。」
すでに怒る気はなくなっている。
ただ、悪ふざけにしてはちょっと度が過ぎている気もするし、返答次第では、多少、あちらにも痛い目を見てもらうのもいい。

「え? わたし達からの誕生日プレゼントよ!」
「プレゼント? なにが?!」
思わず声を荒げたオリヴィエにアンジェリークが笑う。

「そう! 普通にモノなんかプレゼントしたって、オリヴィエは喜ばないでしょ?
 だ・か・ら。
 スリリングな体験をプレゼントにしてみたの! ドキドキしたでしょ?」

アンジェリークには悪びれる様子が全くない。
むしろ、大成功に自慢気なくらいだ。
「スリリングな体験…。」
全く、なにを考えているのか。
そもそも花束もアクアリウムもマグカップも、全部支払いはオリヴィエだ。
プレゼントをもらうほうが支払いをするなんて、驚きを通り越して、呆れて言葉が出ない。

「それともう一つ。
 もしかしたら、忘れかけてるかもしれないから、オリヴィエに大切なことを思い出してほしかったの。
 オリヴィエの宝物。」

今度の沈黙は、アンジェリークの言葉に反論できなかったからだ。
『忘れかけていた大切なこと』 『宝物』
たしかにアンジェリークの言う通りだ。
もしも、今日がいつも通りの時間だったら。
その大切な宝物に気が付かずに、いつか本当に失くしてしまっていたかもしれない。

「…ここは、やっぱり、素敵なプレゼントをありがとう、って言わなきゃダメかな。」
正直、素直に認めるには、少しだけ抵抗がある。
けれど。
オリヴィエは隣で大人しく電話が終わるのを待っているロザリアを見た。
目があうと、ロザリアは小さく微笑んで、そっとオリヴィエに体を寄せてくる。
暖かなぬくもりに心までが温かくなって。
彼女は本当に何も知らないのだろう。
今日の出来事のアレコレだって、きっといろいろ尋ねたいだろうに。
何も言わないのは、オリヴィエを信じているからだ。

「ねえ、一つ聴いてもイイ?」
「なあに?」
「私を眠らせたのって、誰?」
これがどうしても気になっていた。
オリヴィエに気取られることなく背後を取り、眠らせた男。
守護聖の中で、オリヴィエと勝負になるのは、オスカーくらいだと思っていたが、オスカーはロザリアを連れ出す役だったらしい。
となれば、あの時の男は誰だったのか。

「あ、アレね…。」
言い淀むアンジェリークの背後から、
「クラヴィスですよ~。 彼は気配を消すのが上手いですからねえ。」
のんびりした声が聞こえてくる。
「クラヴィス…。」
思い出せば、納得できた。
ふと翳ったかと思えば、気配もなく、首筋がひやりとして。
軽々と抱き上げられたのも…クラヴィスならば可能だろう。

「というわけで、あとは二人っきりでね!
 その部屋もわたし達からのプレゼントだから、ゆーっくり熱い一夜を過ごして~!」
「明日の休暇も許可しよう。 二人とも、執務のことは心配せずともよい。」
「ジュリアス様がここまでしてくださるなんて、滅多にないぞ。 ありがたく思え。」
「きっとロザリアのためでしょう。 彼女はいつも頑張っていますからね。」
「オレの誕生日も一週間くらいの休みがほしいぜ。」
「あ~私も休暇がいいですかね~。 のんびり魚釣りなどをしたりしたいです~。」
「僕はケーキがいいなあ。」
「俺は…なにがいいかな? 思いつかないや。」
「ふふ、欲がないのですね。」
「…くだらぬ話をせずに、早く解放してやれ。」
結局、祝福してくれているのかなんだか、よくわからない言葉が続き、突然電話が切れる。
プレゼントはありがたくもらっておくことにした。

「アンジェリークはなんて?」
「ん? 今夜はここに泊まっていいってさ。 誕生日プレゼントだって。」
「まあ、本当ですの?」
「おまけに明日も休みにしてくれるって。 …どうする?」
目を細めて、ロザリアに問いかけると、彼女は頬を赤くして俯いた。
こういう初心なところは相変わらずで…やっぱり愛しくてたまらない。

「まあ、とりあえず、あんたからのプレゼントをもらっておこうかな。」
オリヴィエは言いながら、ロザリアの顎を掴むと、唇を重ねた。
軽く触れ合うキスを何度も繰り返して、そのままさらに深く。
と、思ったところで、ロザリアが声を上げる。
「お、お待ちになって。 プレゼントなら、あちらに用意してありますわ。
 ケーキだって…。」
懸命にオリヴィエの胸を押し返すロザリアに、オリヴィエはニヤリと笑ってみせた。
彼女が選んでくれたプレゼントも気になるし、手づくりの誕生日ケーキも魅力的だ。
けれど、今は、ケーキよりももっと、欲しいものがある。

「もう待てないよ。 それに、私的に、誕生日プレゼントは『ロザリア』って決めてんの。」
「ん。」
始めこそわずかに抵抗したロザリアだったが、オリヴィエの巧みなキスに、次第に身体から力が抜けていく。
オリヴィエがベッドに押し倒した時には、もう、彼女の青い瞳は熱に濡れていて。
これから始まる甘い夜の予感に、オリヴィエはようやく誕生日の始まりを感じていたのだった。


FIN
Page Top