あかのいと

7.


「全然変わってないもんだね。」
女王試験の間は、下界と聖地が同じ時間を共有していたせいだろうか。
降り立った主星の街は、一年前と少しも変わっていなかった。
この季節特有の明るい太陽と爽やかな風。
去年よりも少し気温が低いような気がするのは、街路樹の落ち葉が歩道をうっすら覆っているからだろう。
今日はジャケットの袖をまくらなくてもよさそうだ。
去年と全く同じ服を着て、帽子をかぶり、メガネをかけて。
オリヴィエを知る誰もが、一目では彼と気が付かない姿。

「花はいかがですか?」
子どもがオリヴィエの行く先に花を差し出してくる。
安っぽい造花がペーパーに包まれているだけの、おもちゃのようなブーケ。
その花すらも、一年前とまるで変わらない。
「じゃ、その紫のをもらおうかな」
籠の中を一つを指させば、
「ありがとう!」
子どもは威勢のいい声でブーケを渡してくれた。
以前とは違う子どもだが、やはり痩せた身体をしていて、彼らの複雑な境遇が想像できる。
新しい女王は彼らに、なにを与えられるだろう。

ブーケを手にして数メートル進んだあたりで、オリヴィエはくすっと笑ってしまった。
「また、買わされてないとイイんだけど。」
そうなったらそうなったで、3つあっても構わない。
オリヴィエはメガネ越しに街並みを眺め、目的の聖殿へと歩みを勧めた。


約束の時間を前に、オリヴィエはあの場所に立っていた。
相変らず観光客はいるが、去年よりはかなり少ない。
若者は殆どおらず、年配者のグループばかりが目に付く。
おそらく去年は、記念式典の効果でいつもよりも人出が多かったのだろう。
これなら、彼女が来れば、すぐにわかるはずだ。

間もなく12時の鐘が鳴る。
オリヴィエはただじっと、門を見つめていた。
『一年後の今日。 この同じ場所で』
何度も読み返した手紙は、今、執務室の机の引き出しの中だ。

たんたんと、軽く石畳を蹴る足音が聴こえてきた。
一人の少女が、門をくぐり、オリヴィエの方へと走ってくる。
走るたびに揺れる長い巻き髪。
オリヴィエを認めて、嬉しそうに輝く青い瞳。

「お待たせしてしまいましたわ。」
そう言って、笑う少女はやっぱり去年と同じ、淡いブルーのワンピースを着ていて。
編み上げの紐が足首に擦れるサンダルを履いていて。
彼女は間違いなく、あの日、あの時の『アンナ』だった。

向かい合ってじっとお互いを見つめ合う。
景色も周囲の人も、今は何一つ関係ない。
ただ、現実にお互いが存在していることだけを確かめていたかった。

しばらくの後。
彼女はオリヴィエから目をそらさずに、語り始めた。

「一年前、わたくしは式典を見るためにこの街の別荘に来ていましたわ。
 でも、本当に式典を見るだけで、自由な外出は許してもらえませんでしたの。
 わたくしは生まれた時から特別な存在として、特別な教育をされてきましたから、不自由さも仕方がないと思っていましたわ。
 でもあの時…わたくしはばあやの服を借りてでも、外に出たいと思いましたの。
 守護聖様がいらしたあの聖殿で、女王陛下に、わたくしの願いを聞いてほしいと」

そこまでの想像はついていたし、まだ彼女の正体を決定的にすることではない。
オリヴィエは軽く頷いて、話の続きを促した。

「そして、あなたに出会いましたわ。」
甘く視線が絡み合う。
言葉にしなくても、あの時のときめきに胸が疼いた。

「あなたから次の日も会いたいと言われて、とても嬉しかった…。
 わたくしも同じ気持ちでしたもの。
 でも、別荘に戻った夜、父から急な連絡が入りましたの。」

手紙を届けてくれたばあやもそう言っていた。
そして、たぶん、その急な知らせとは。

「女王試験が行われるから、すぐに戻って準備するように、とのことでしたわ。
 それからは…あなたもよくご存じのはずですわよね? …オリヴィエ様。」

彼女のまっすぐな瞳がオリヴィエをとらえて離さない。
オリヴィエはくすりと笑みを浮かべると、帽子と眼鏡をはずし、結っていた髪をほどいた。
さらりと風になびく柔らかな金の髪。
いつものからかうような笑顔はそのまま。
けれど、ノーメイクのせいか、男性らしい精悍さも併せ持った美貌がさらに際立っている。

「いつから気が付いてたの?」
「…あの、崖下で抱きしめられた時、ですわ。 あなたと…彼が重なりましたの。
 それまでは本当に…。」
まるで自分を責めるように、唇をかみしめるロザリア。
彼女にしてみれば、悔しい思いもあるのかもしれない。

「だって、オリヴィエ様はいつもメイクしてらして、今と全然違うんですもの。
 分からなくて当然ですわ。」
「ま、そうだよね。 これ、結構、変装のつもりだし。」
悪びれた様子もなく、オリヴィエは肩をすくめた。
あの時はまさかこんなことになるなんて、思ってもいなかったのだから仕方がない。

「私はね、最初に女王の間であんたを見た時から気が付いてたよ。」
「…やっぱりズルイですわ。 …わたくしだって…ずっと、会いたかったのに…。」
震える声で伝えられた想いに、それ以上の返す言葉は見つからなくて。
「ごめん。」
オリヴィエはただそれだけを呟いて、誰にも彼女の涙を見せないように、そっと胸に抱き寄せた。

暖かな日差しが降り注ぐ。
女王の慈愛のような光は、平和な宇宙の象徴のようで。
この幸せな世界をたった一人の少女が支えているだなんて、この聖殿にいる人々の一体誰が想像しているだろう。

「オリヴィエ様」
顔を上げた彼女の瞳は、もういつもの輝きを取り戻していた。
それ以上になにかを決意した強い意志の力を感じる。
「今のわたくしは、ただの『アンナ』でもなく、『ロザリア』でもなく、この宇宙の女王ですわ。
 女王であり続ける限り、わたくしはこの宇宙のために、生きていかなければなりません。」

オリヴィエは戴冠式のロザリアの姿を思い出していた。
背中に広がった金の翼。
玉座に降り立った神々しい姿は、思わずひれ伏すほどの高貴なオーラを持っていて。
彼女は生まれながらにして女王だったのだと、誰もが思わずにはいられなかった。

「でも、もしも…もしも、女王でなくなった後、ただの『ロザリア』にお会いいただけるのでしたら…。
 もう一度、同じお約束をいただけませんか?」

女王でなくなった時。 この場所で。
何年先になるかもわからない約束。
もしかしたら、一生、その日は来ないかもしれない。
けれど、きっとロザリアはそう言うだろうと予想はしていた。
彼女はなによりも女王として生きることを選ぶ。

「ごめん。 ムリだよ。 私はそんなに待てない。」

オリヴィエを見上げていた青い瞳に驚きと悲しみが広がる。
それでも涙を見せなかったのは、ロザリアのプライドとそれ以上に。
オリヴィエを困らせたくないという優しさだ。

「そう、ですわよね。
 いつまでも待ってほしいだなんて、わたくしのわがままでしたわ。
 オリヴィエ様には、きっともっとふさわしい方がいらっしゃいますもの。
 どうか…お幸せになってくださいませ。
 わたくしは…女王として頑張ります。」

くるりと背を向けて駈け出そうとしたロザリアの腕をオリヴィエが掴んだ。
「お放しになって。」
オリヴィエから顔を背けたまま、ロザリアは強い力でオリヴィエの手から逃れようとする。
けれど、男の力にかなうはずもなく、ロザリアの体は再びオリヴィエの腕の中に囚われていた。
今までのどの時よりも、ずっと強い力で。

「全く…あんたは時々子どもみたいなんだから。
 ちゃんと最後まで、私の話を聞いてよ。」
「だって…」
まだ俯いて顔を見せてくれないロザリアを軽々と抱き上げたオリヴィエは、額同士をこつんと合わせて、その青い瞳をじっと覗き込んだ。

「そんなに待てない。
 …だから、今夜、あんたに会いに行くよ。」
「え?」
「窓のカギを開けて待ってて。 約束だよ。」

しばらく、ロザリアは呆然として、ようやくオリヴィエの言葉の意味を理解したらしい。
さっと頬が朱に染まったかと思うと、あっという間に耳まで赤くなった。

「わ、わたくしは…。 女王、ですのよ…。
 今日だって、アンジェリークにどうしてもって頼み込んで、やっと外に出られたくらいですのに…」
そんな自由が許されるはずがない。
混乱するロザリアの耳元にオリヴィエは囁いた。

「女王に恋人がいちゃいけないなんて、いったい、誰が決めたっていうのさ。
 私はね、いつだって、私のやりたいようにしかやらないんだ。
 もう、女王様を恋人にするって決めたんだから。
 どうしても嫌なら、窓から私を突き落としたらいい。 別に恨んだりしないよ。」
「オリヴィエ様…ずるい。」
「ズルイし、チャラいし、派手好きだよ。 それが私。
 でもね。」

それはきっと運命だったに違いない。
出会った時から全てが決まっていた。

「約束する。 あんたを絶対に離さない。」

どんな姿で出会っても、どんな名前で巡り合っても。
二人をかたく結んだ糸は決して切れずに繋がっていて。

 

抱き上げたまま、オリヴィエはロザリアに顔を近づけていく。
彼女の唇に落としたキスが、永遠の愛の約束になるように。

「ねえ、もう少し髪を切ったほうが、可愛くなると思うんだけど。」
「もう切っても構いませんわ。 …わたくしの願いは全て叶いましたから。」
「願いって?」
「それは…女王になることと…」
少し言いよどんだロザリアの顔がどんどん赤く染まっていく。
「愛する人に出会う事ですわ。」


その夜、ロザリアの私室には、2つのブーケが寄り添うように、飾られていたのだった。


Fin


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