6.
そして、日の曜日。
ピクニックと称して、裏山に出かけた7人は頂上を目指してのんびりと歩いていた。
前日の雨が嘘のように、澄んだ青い空が広がり、爽やかな風が頬を撫でていく。
常春の飛空都市とはいえ、散歩には最高の日よりだ。
「待ってください~」
やっぱり最後尾のルヴァと先頭をどんどん行ってしまうランディ。
その間に、花を楽しみながら歩く、意外と元気なマルセルとアンジェリーク。
ゼフェルがちょっと遅れているのは、若い割には体力がないということか。
そして、さらに遅れがちなロザリアとルヴァを見失わない程度の位置でオリヴィエが歩くという形になっていた。
「ルヴァ様―! このお花は何ですかー?」
マルセルの呼び声に、ルヴァがひいひい言いながら、ロザリアとオリヴィエを追い越していく。
なんだかんだ言いつつ、ルヴァもこのくらいは歩けるのだろう。
…背中に植物図鑑などを背負っていなければ、確実にもっと楽なはずだ。
「大丈夫?」
とうとう最後尾になったロザリアは、なんだか蒼い顔をしている。
「もしかして、体調悪いんじゃないの?」
ただ疲れているだけとは思えない息遣いに、オリヴィエは彼女の横に並んで、顔を覗き込んだ。
すると、ロザリアはオリヴィエの視線を避けるように、ふいっと首を横に向ける。
その勢いに自分でふらついたのか、とうとうロザリアの足が止まってしまった。
明らかに彼女は様子がおかしい。
止まったままのロザリアをその場に残し、オリヴィエは駆け足で先に行ったアンジェリーク達に追いついた。
そして、ロザリアの体調が悪いこと。 先に二人で帰ることに決めた、と告げる。
「え、本当ですか? そういえば、昨日も遅くまで勉強してたみたいだったし…」
「無理はいけませんからねぇ。」
「俺、おぶってもいいですよ!」
「バーカ。 てめーはよくてもあっちは嫌がるに決まってんだろ。」
「今日はみんなで帰った方がいいかな。」
わいわいと話し合いが始まったが、最後はアンジェリークが、
「でも、皆で帰るなんてことになれば、きっとロザリアは気にしますよね。
じゃあ、オリヴィエ様、お願いします!」
にっこりと送り出してくれた。
…若干、笑顔に黒いものを感じたのはオリヴィエの気のせいだと思いたい。
オリヴィエが戻ると、ロザリアは元の場所から少し下った木の影で休んでいた。
やはり無理をしていたのか、さっきよりも顔色が悪い。
「先に帰るって言ってきたから。 ちょっと休んでいこう。」
オリヴィエはロザリアと同じ木の幹に背中をもたれかけ、目を閉じた。
するとロザリアもようやく安心したのか、同じように目を閉じ、ウトウトしているようだ。
遠くから聞こえてくる鳥の声と風にそよぐ葉擦れの音以外、何も聞こえない。
オリヴィエも少し眠ってしまったのか、気が付けば、日差しがさっきよりも高く昇っていた。
「歩ける?」
こくりと頷くロザリアの背中を支えるようにして、ゆっくりと歩き出す。
休んだおかげか、ロザリアの足取りは、さっきよりは幾分しっかりしているようだ。
これならなんとか、候補寮まで戻れるだろう。
けれど、その油断が一瞬のスキを産んでしまったのかもしれないし、そもそもたかが裏山と侮っていたのかもしれない。
ふらついて草に足を取られたロザリアが勢いよく倒れ込んだ先は、ちょっとした崖のようになっていて。
「ロザリア!」
彼女の腕をつかんで自分の胸に引き寄せたところで、オリヴィエは背中にかたい衝撃を感じて、転がった。
幸い、身体の痛みはそこまでひどいものではなく、せいぜい打ち身程度。
腕も肩も普通に動くし、足も問題なさそうだ。
彼女を抱えながらも咄嗟に受け身を取れたことと、生い茂っていた雑草がほどほどに衝撃を吸収してくれたのがよかった。
けれど。
オリヴィエは驚きのあまり、まだ固まったままのロザリアをそのまま座らせ、空を仰いだ。
元の道の崖上までは目測で3m程度。
飛び跳ねたくらいでは届きそうもないし、近くにロープがわりになりそうなものもない。
「万事休す、か。」
オリヴィエは小さくため息をつき、ロザリアのそばにしゃがみ込んだ。
「オリヴィエ様、お怪我はありませんか? わたくしのせいで・・・」
震える声で尋ねるロザリアに微笑んで、
「私は大丈夫。 あんたもけがはない?」
「はい。」
「じゃ、ちょっとあそこまで歩こうか。」
オリヴィエは大きく顎のように崖が突き出した岩かげを指さした。
とりあえずロザリアを休ませることと、日陰で体力を残しておくことが大事だ。
彼女を支えて歩きながら、今の自分の手持ちを思い浮かべて、先を考えてみる。
お弁当はランディが持っていたから、食料と言えば、彼女の持っているお菓子程度。
あとは常日頃から持ち歩いているナイフとライターくらいだ。
とはいえ、この飛空都市には危険な生物もいないし、それに夜になっても二人が戻らないとわかれば、誰かが探しに来るだろう。
最大で一晩。
そう思えば、特になんてこともない。
問題は…ロザリアの体調だけ。
岩陰は思ったよりも大きく、横部分にも張り出しているおかげで、風を遮ることもできた。
ここならゆっくり休めそうだ。
オリヴィエは着ていた上着を地面に敷こうとしたが、すぐにロザリアに止められた。
「ピクニックですから、汚れてもいい服にしていますの。 お気になさらないでくださいませ。」
そう言って、そのまま地面に足を三角にして座る。
オリヴィエもマナーに反しない程度の距離をあけ、ロザリアの近くに座った。
また静かな時間がやってくる。
ロザリアは緊張があるのか、今度は眠れない様子で、ずっと外の様子を眺めている。
草が揺れるたびに、びくびくしている彼女に
「そのうち誰かが助けに来てくれるよ。 ま、のんびりしよう。」
オリヴィエはわざと足を崩して寛いで見せた。
そうはいっても、ロザリアが不安になるのも無理はない。
きっと責任を感じて自分を責めているのだろう。
「体調はどう?」
なにげなく聞くと、ロザリアは
「…寝不足でしたの。 このごろ、少し…眠れなくて…。」
ポツリとこぼした。
いつも高飛車な彼女にしては珍しい弱音。
この二人きりの雰囲気がそうさせるのか、ロザリアはぽつりぽつりと話し始めた。
「中の大陸までの道筋が見えてきたら、とても不安になりましたの。
女王になって本当によいのか、と。」
「なんで?」
「ずっと女王になるために生きてきましたけれど、もっと他に…やりたいことがあったかもしれない。
他の生き方も…あるかもしれない、なんて。」
膝を抱えた腕にぎゅっと力が入り、蒼い瞳もわずかに潤んでいる。
あとすこしで夢まで手が届きそうだからこその、不安。
「叶えたい約束もあるのに、それも守れないかもしれない…。」
彼女の言う『他の生き方』や『約束』がなにか、正確にはわからない。
けれど、彼女の迷いはよく知っていた。
オリヴィエも同じ迷いを何度も感じていたから。
「あのね、女王になったからって、他のやりたいことを諦める必要なんてないって、私は思うんだ。」
「でも…。 他のことなんて考えている余裕なんてないのでは?」
「もちろん、全力で女王をやるのは当たり前。
でも、その後は? 今の女王だって、その前の女王だって、任期があったんだ。
女王だけが人生のすべてじゃないんだよ。」
前女王はともかく、現女王はまだ就任して数年。
ジュリアスやルヴァと同年代だと聞く。
「私だって、今、守護聖やってるけど、その後はまだ決まってない。
決まってないってことはなんだってできるってことなんだよ。
それにね、今だって、私はやりたいことしかしてない。
守護聖だから何もできないなんて、それは何もしてないヤツの言い訳なんだ。
どこにいたって、なにでいたって、自分が自分であれば、できないことなんてないよ。」
自分に言い聞かせているみたいだ。
いつになく熱く正論を語る自分がおかしくて、オリヴィエはくすくすと笑いだした。
「なんてね。 ちょっとは夢の守護聖らしいでしょ?」
冗談めかしてウインクすると、ロザリアは
「オリヴィエ様…」
呆れたように、くすっと笑って返してくれた。
「オリヴィエ様の夢はなんだったのですか?」
「あー、まあ、ファッションとかそういうの。 モデルをしてたこともあるんだよ。」
「まあ。 それであんな奇抜な…いえ、個性的な執務服なんですのね。」
「あんた、言い直してもしっかり聞こえてるから。」
午後のお茶の時間のようにのんびりと話をしていると、
「くしゅん」
ロザリアがちいさくくしゃみをした。
ここで座り込んでどれくらいの時間が経ったのか。
かなり日が傾いてきているし、風も若干冷えてきている。
あまり体調の良くないロザリアを放っておけば、さらに悪化してしまうこともありそうだ。
オリヴィエはロザリアの風上に場所を移動すると、彼女に寄り添うように座った。
「風よけだと思って我慢してよね。」
ロザリアは否定も肯定もせず、けれど、その場を動かずにいる。
触れ合った肩はとても暖かくて、二人でいることが楽しくて。
すっとこうしていたい、と不覚にも思ってしまった。
けれど、そのころ聖殿では、戻らない二人のことでちょっとした騒ぎが起きていた。
「どうしよう! まさか帰ってきてないなんて! 駆け落ちかな?!」
焦るアンジェリークに
「駆け落ちってなんだよ。」
「え、まさか、オリヴィエ様とロザリアが?! 俺、ちょっとショックだな…」
めいめいがトンチンカンなツッコミを入れる。
「まあ、そこまで心配はいらないと思いますけれどね~」
ルヴァが宥めようとしたところに、騒ぎを聞きつけたジュリアスとオスカーが連れだってやって来た。
「遭難していたらどうするのだ。」
ジュリアスは生真面目に二人の心配をしているが、オスカーは
「オリヴィエが一緒でしたら、よほど大丈夫だと思いますが。」
「この飛空都市には危険な生物なんかもいませんしねえ~」
アンジェリークが意外なほど、皆、そこまでは心配していないようだ。
オリヴィエが一緒であることが、大きなポイントになっているらしい。
「オリヴィエ様って信用があるんですね。」
ついアンジェリークがこぼすと、ルヴァは笑って
「ああ見えて、オリヴィエはしっかりしてますから。 それに…
なんだか殺しても死なないような気がしませんか?」
「あ、それはそうですね。」
確かにヒラヒラマイペースで、つかみどころがない。
結局、裏山のどこかにいるだろう、ということで、オスカーが探しに出ることになったのだった。
木々のざわめきが大きくなる。
聞き覚えのある音が遠くから聞こえてきて、オリヴィエは耳をそばだてた。
「やっぱりあいつが来たか。」
げんなりしながら、座っていて固まった身体を伸ばすように肩を回して立ち上がる。
不思議そうに見上げるロザリアに、「助けが来たかもね」とウインクをして見せた。
日が完全に落ちきるにはまだ時間がある。
一夜を明かす覚悟はあったが、ロザリアのためにも助けが早い方がいいには決まっているのだ。
少し残念だと思う気持ちに蓋をして、オリヴィエはロザリアに手を差し出した。
岩かげにいては見つからないから、外に出ていた方がいい。
差し出された手を握り、立ち上がろうとしたロザリアだったが、すっかり足が縮まっていて、上手く力が入らない。
声を出す間もなく、体が大きく前に傾いた。
転ぶ、と思った寸前
「おっと。」
咄嗟にオリヴィエはロザリアの身体を抱き留めていた。
あの時と同じ。
腕の中にすっぽりと納まる細い身体。
柔らかさもぬくもりも香りも、ずっと忘れたことがない。
どうしても止められなくて、一瞬だけ、ぎゅっと力を入れて彼女を抱きしめて、すぐに腕を離した。
「まったく、あんたってば転んでばっかりだね。」
おどけた声で彼女の額を人差し指で小突いた。
いつものロザリアなら怒りだすところなのに、彼女は額を抑えたまま、じっと俯いている。
彼女の様子が気になったものの、外から聞こえる音は、はっきりと蹄の音になってきていて、通り過ぎてしまう前に気付いてもらうことが先決だった。
ぼんやりしているロザリアを残し、オリヴィエは岩陰の外に出て「おーい」と大声で叫んだ。
近づいてくる蹄の音。
しばらくして、崖の上からぶるると馬の鼻息が聴こえ、オスカーの姿が見えた。
「お嬢ちゃんは?」
「この奥にいるよ。」
「わかった。」
オスカーは馬の向きを変え、またどこかに走り去ると、今度はオリヴィエのいるところまで下りてきた。
「向こうからならこのまま降りれるぞ。」
「そうなんだ。 ま、そんなことだろうと思ったけど、無理させたくなかったからね。
じゃ、あの子を乗せてってあげて。」
「当たり前だ。 お前だけなら探しになんて来ないさ。」
「来られても気持ち悪いって。」
オスカーとのやりとりが聞こえたのか、ロザリアが岩かげから出てきた。
「オスカー様。 ありがとうございます。」
パンツスタイルでも、膝を折る礼の所作は美しい。
オスカーはふっと笑うと、
「姫君を助けるのはナイトの仕事だからな。 さあ、乗ってくれ。」
乗馬に慣れているだろうと予想した通り、ロザリアは苦も無く鐙に足をかけると、オスカーの背後に飛び乗った。
「気を付けてね」
オリヴィエが声をかけても、ロザリアは全く視線を合わせようとしない。
それどころか小さく頷いただけで、すぐに反対側をむいてしまった。
オスカーが手綱を引くと、馬はゆっくりと歩き出す。
オリヴィエを残して、あっという間にその姿は見えなくなっていった。
翌日、ロザリアは朝一番にオリヴィエの執務室を訪れた。
「昨日はありがとうございました。 無事に助けを待てたのも、オリヴィエ様のおかげです。」
計ったような45度のお辞儀に、オリヴィエはかるく手を振って返した。
「あんなのは私じゃなくたって、どの守護聖でもやることだよ。
女王候補に怪我させたんじゃ、みんなから怒られちゃうからね。」
いつものような軽い口調に、ロザリアも軽口で返してくると思ったが、今日はなんだか勝手が違うようだ。
ロザリアは少し迷うような顔をして、黙ったままでいる。
青い瞳はなにか言いたげにも見えて。
「…もしかして、妨害?」
思いついたことに口を滑らせると、ロザリアはきりりと眉を吊り上げた。
「そんなことは致しませんわ!」
「じゃあ、なに?」
問い詰める口調でじっと瞳を見つめると、彼女もじっと見返してくる。
見つめ合う事数秒。
ロザリアは急ににっこりと笑顔を浮かべた。
「いいえ、なんでもありませんわ。
ただ…なんだか不思議だと思いましたの。」
「不思議?」
「実はわたくし、女王試験の前にオリヴィエ様にお会いしていますの。」
「え?!」
まさかあの日のことを言っているのだろうか。
オリヴィエが内心の動揺を必死で隠していると、
「試験の始まる直前、主星の祝祭にいらしていましたでしょう?
わたくしもあの聖殿にいたんですわ。」
ロザリアは懐かしむような口調で言う。
「あの時は、手の届かない、まるで別世界の神様のようだと思っていましたわ。
でも、今はこうして、お話をしたり、草むらに転がったり…なんだかおもしろくて。
レールの上を歩いてきたような人生だと思っていましたけれど、案外いろんなことが起きているのですわね。」
くすくすと笑うロザリアは、あの日の『アンナ』の笑顔と同じで。
やっと彼女の周りを覆っていた固い殻の最後の一枚が、はがれたような気がした。
「それって神様みたいにカッコよかったってこと?」
「…キラキラしてはいらっしゃいましたわ。 いろんな意味ですけれど」
またいつも通りのやりとりが当たり前のように始まる。
彼女の名前も立場も、べつになんだってかまわない。
ただ、こんな時間がずっと続いてくれたなら。
けれど、女王試験は滞りなく進んでいく。
それからおよそ一か月後。
女王試験開始から352日目にして、フェリシアの民が中央の島にたどり着き、新女王が誕生した。