永遠の『故郷』

Illustration by あおい楚春様

1.


神鳥の宇宙の中庭は、まさに百花繚乱という言葉が相応しい。
この宇宙に属する惑星のほとんどの花々が一面を埋め尽くしている様は、花に興味のない人間であっても、思わず目を止めずにはいられないほど見事だ。
囁くような風に、一斉に頭を揺らす花々。
ただそこにあるだけで漂う馥郁の香り。
代々の女王が大切に守ってきたというのも頷ける。
もっとも今上の陛下は花より団子のタイプで、今の中庭の管理者は実質的には補佐官のロザリアだ。
伝統と格式と、ある種の洗練された様式美は、まさにロザリア自身を体現している。
「僕はこの庭はあまり好きではないね。」
以前、女王試験でこの地を訪れた時のセイランの言葉を思い出して、ティムカはくすりと笑みを浮かべた。

ティムカ自身はこの庭をとても気に入っている。
もちろん聖獣の宇宙の宮殿にも、こことよく似た花園があり、十分に目を楽しませてくれる。
けれど、やはり聖獣の宇宙はまだ新しい。
若駒のような瑞々しさと勢いはあっても、歴史の重みのような成熟は感じられないのだ。
そして。

ティムカは花園の奥へと足を進め、一番奥まった個所にある温室へと向かった。
扉を開けた途端に、ティムカの全身を包み込む、懐かしい花の香りと、独特の熱気。
ここには変わらない『故郷』の姿がある。
ティムカが神鳥の宇宙を訪れるたびに、ここに足が向いてしまう理由は、おそらくこのためなのだろう。
女々しいと思いながらも、心の片隅から決して離れることはない故郷の息吹を、この場所に求めてしまうのだ。


「あら、ティムカ。 いらっしゃい。」
生い茂る緑の大樹の向こうから声をかけられ、ティムカは胸に手を当てて礼を取った。
さっき、女王の間に補佐官がいなかったのは、ここで木々の手入れをしていたからなのだろう。
故郷の木々を愛してくれていると思うと、ティムカに自然に笑みが浮かぶ。
ロザリアも手にしていたシャワーの水を止め、ティムカにほほ笑んだ。

「ごきげんよう。ロザリア様。 お邪魔でなければ、私にもお手伝いをさせていただけませんか?」
ティムカがそう言うと、ロザリアはわずかに顔を曇らせた。
いつも優美なロザリアにしては珍しい表情。
なんとなくお互いに黙っていると。

「そう、ですわよね。 ティムカにもお手伝いしていただいたほうがいいですわよね。
 この苗を運んでいただいてもよろしいかしら。」
ロザリアの視線に促されて、彼女の足元を見ると、トレーの上に多くの苗が並んでいる。
新たな花を植えるのか、と、考えたティムカは、その苗の多くが穀物のモノであることに気が付いた。
「ロザリア様、これは…?」
およそ花園にはふさわしくない苗に、ティムカの心の奥に不安が忍び寄る。
この花園の意義が単に目を楽しませるためだけでないことは知っている。
有事の際の種の保存。 再生。
むしろ、聖地にこの場所があるのは必然なのだ。

「白亜宮の惑星へ送るものですわ。
 …ご存じですわよね。 あの惑星が今、どれほど大変か…。
 ここに来たくなったティムカの気持ち、わかりますわ。 いてもたってもいられないのでしょう?」

ロザリアの言葉の意味を理解するのに、ティムカは何度も頭の中で繰り返さなければならなかった。
『白亜宮の惑星』、『大変』、『いてもたってもいられない』
あの星で、いったい何が起きているのだろう。
何も知らない。 
何も…聞いていない。
すぐにでもロザリアに問いただしたい気持ちを押し殺し、ティムカは曖昧な笑みを浮かべた。

「はい。 知っています。
 それで、今、白亜宮の惑星はどういった状況なのですか?」
ティムカの声をの震えを、ロザリアは誤解したのだろう。
さらに沈痛な面持ちで、惑星の様子を語り始めた。
ロザリアの口から語られる現在の状況は、ティムカが想像していた以上に悪いものだった。
足が震え、握った拳が白くなるほど。

「コレットとレイチェルもきっと辛いと思いますわ。
 あなたにとって、大切な故郷ですもの…。
 わたくしたちも全力で対応に当たっていますから、どうか、気を落ち着かせてくださいませね。
 必ず、いい方向へと導いていきますから…。」

ロザリアの励ましに、ティムカは呆然と頷いた。
それでも、その場に崩れることなくいられたのは、ただ、激しい怒りが渦巻いていたせいだ。
哀しみでもなく、絶望でもなく、ティムカを突き動かしたのは怒り。
荒れ狂うような心で、聖獣の宇宙に戻ったティムカは、すぐに女王の間を訪れた。



破るような勢いで扉を開け放ったティムカを、レイチェルが唖然と出迎える。
「どーしたの? 扉が壊れるかと思ったじゃない。
 ユーイじゃあるまいし、珍しいネ。」
いつも通りのレイチェルを、ティムカは睨み付けた。
そしてすぐに、大きく息を吐き、自身を冷静にコントロールしようと試みる。
レイチェルも知っている。
そして、知らん顔をしている。
ともすれば叫び出しそうになるのを、ティムカはじっとこらえ、
「陛下はいらっしゃいますか? お尋ねしたいことがあります。」
静かに告げた。

「え? 陛下なら、奥にいるけど。 ちょっと待ってね。」
守護聖がそろい、宇宙が軌道に乗ってきたおかげか、女王であるコレットもすっかり健康を取り戻していた。
一時期こそ、寝込むこともあったが、最近では昔に戻ったように活動的だ。
新しい宇宙はしがらみもないから、女王も補佐官も守護聖もほとんど自由に過ごしている。


「ティムカ? どうしたの?」
レイチェルに連れられて、コレットが奥から現れた。
女王の正装はコレットの可憐な姿を気品良く飾っている。
優しい笑みと、柔らかな空気。
女王としての威厳と慈愛が彼女のオーラとなって、見る者を惹きつけるように輝いている。
いつもならその姿を見ると明るくなるティムカの心が、今は引き裂かれるような痛みを感じていた。

「なぜ、ですか?」
押し殺したようなティムカの声に、コレットの目が見開く。
レイチェルが慌てて、ティムカの袖を引いたが、ティムカはその手を振り払うように、コレットに対峙した。
「白亜宮の惑星での災害を、ロザリア様から伺いました。
 …すぐにこちらへも連絡を入れたとおっしゃっていましたよ。
 なぜ、私に教えてくださらなかったのですか?」
一度吐き出せば、堰を切ったように溢れ出した。

「なぜですか?
 私にとって、大切な故郷の惑星です。
 なぜ、なぜ…。」

異変が起きてすぐ、コレットとレイチェルには連絡を入れた、とロザリアが言っていた。
普通なら別の宇宙のことをわざわざ報告することはない。
例外的な扱いにしたのは、神鳥の宇宙の皆がティムカの気持ちを慮ったからだ。
特に、同じような体験をしているゼフェルが、『伝えるべきだ』と主張したという。

大声で叫ぶこともなく、ティムカはコレットを見つめた。
けれど、抑えているからこそ、彼の心の中の慟哭がコレットにも伝わってくる。
握りしめられた手の震え。
普段から物腰穏やかなティムカだが、心の奥はとても熱いものを持っているのだ。
コレットは一瞬目を伏せるとすぐに、意を決したように、その緑の瞳でティムカを見つめ返した。

「白亜宮の惑星のことは聞いています。
 でも、私とレイチェルの判断で、事を伏せました。」
ティムカは何も言わず、コレットの言葉の続きを待っている。

「あくまで神鳥の宇宙の出来事です。
 宇宙全体に影響があり、聖獣の宇宙にまで波及するようなことではない以上、こちらが動く必要はないと判断しました。
 それだけです。」

凛とした女王としての威厳。
恐らくコレットの判断は正しい。…女王として当然だろう。
別の宇宙の一惑星の出来事まですべて背負っていては、女王も守護聖もいくつ体があっても足りない。
それに、神鳥の宇宙の出来事に、こちらが口を出すのはそもそもがルール違反になる。
ティムカはぎゅっとこぶしを握り、目を伏せた。
頭では理解している。
けれど。

「二人にしていただけませんか? レイチェル。」
「え?!」
コレットのそばに控えていたレイチェルは明らかにうろたえている。
「大丈夫です。 ただ、二人で話をしたいのです。 …お願いできませんか?」
あくまでティムカは落ち着いた口調を崩さない。
けれど、きっと気持ちの上では収まらない部分もあるはずだ。
困ったレイチェルがコレットにちらりと視線を向けると、コレットはまっすぐな瞳でレイチェルに頷き返した。
二人きりで話したい。
コレットもそう考えているのがわかって、レイチェルは静かに部屋を出た。


しんと静まり返った女王の間に、ティムカの声が響く。
「なぜ、黙っていたのですか? アンジェリーク…。」
コレットはティムカから目を逸らし、うつむいた。
彼の哀しみと怒りと。
このことを秘密にしようと決めた時に、それを背負う事になるのは覚悟はしていたはずだ。

「昨夜の貴女の優しさは、私への憐みだったのですか?
 貴女の膝でまどろむ私を、貴女はどんな気持ちで…。」
「違います。ティムカ。 私は…。」

女王試験のころから、お互いに心惹かれ、数度の再会と別れを経て、ようやく同じ世界へと導かれたティムカとコレット。
二人が恋に落ちるのはある意味必然だった。
けれど、いくら女王の恋愛がタブーではなくなったとはいえ、大っぴらな交際はできない。
それでも、毎夜のように、コレットのもとを訪れるティムカの姿が人目につかないわけもなく、二人の交際は暗黙の了解となっていたのだ。

昨夜もティムカはコレットの寝室を訪れていた。
恋人同士の熱い抱擁の時間。
昼間は女王と守護聖という垣根をきちんと守るティムカが、コレットに恋人として接することのできる短い時間だ。
歓喜の波の後、いつもならそのまま眠ってしまうコレットが、昨日に限って、せがむように抱き付いてきた。
「どうしたんですか?」
笑いながら尋ねたティムカに、コレットは首を振り、唇を重ねてくる。
結局、若さゆえか、コレットからの素直な求めに応じ、真夜中まで抱き合っていたのだが。

「では、なぜ、伝えてくれなかったんですか?」
責めるような口調になっていることは気づいている。
けれど言わずにはいられない。
やがて、コレットが重い口を開いた。

「言って、どうなるんですか?
 私達は、もう、聖獣の宇宙の人間なんです。
 あちらで何かがあっても、なにもできません。
 サクリアを送ることも、なにも、できないんです。
 だから…。」

「それは、アンジェリークとしての考えですか?」
咄嗟にティムカの口をついて出た言葉。
「その考えは、アンジェリークとしてですか? 女王としてですか?」
コレットの顔がゆがむ。

「私は…女王です。
 女王としてしか、生きられません…。」


あおい楚春様より


その夜、ティムカは聖地を抜け出した。
自分の行動がどれほど愚かで許されない事かわかっている。
けれど、このまま、なにもしないでいることはできなかった。
守護聖としてではなく、一人の人間として。
どうしても放っておくことはできない。
あの星の王として生まれながら、その責任を放棄した自分。
もしも、今、救う手があるのなら、守護聖となった意味も初めて分かるのではないか。
次元回廊と星の小道を抜け、白亜宮の惑星に降り立つ。
ティムカの目の前に現れたのは、あまりにもひどい、目を覆いたくなるような惨状だった。


「…次元回廊が動いてるヨ。」
ディスプレイを見守るレイチェルの言葉にコレットは目を伏せた。
きっとこうなると思っていたのだ。
この事実を知れば、ティムカは必ず白亜宮の惑星へ行く。
自分がどれほど反対しても。
だからこそ、言えなかった。
知らずに過ぎていけばいいと、そう願ってしまったことが、自分でもよくわからない。
いや、きっと嫉妬したのだ。…ティムカの心をいまだに占める、あの星に。

「いいの? 今ならまだ連れ戻せるよ?」
コレットははっきりと首を横に振った。
王としての誇りを傷つけるように連れ戻したりすれば、彼は二度と許してはくれない。

「無事で、いてくれたら、いいの…。」
見守るしかできない。
女王の立場がコレットをこの地に縛り付けているから。
次元回廊のピークがディスプレイ上から消える。
切り裂かれるような胸の痛みをじっと耐えるコレットの背をレイチェルは黙って抱きしめた。


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