Fall

7.


抱きしめあっているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
明け方、目を覚ましたロザリアは、飛び込んできたオリヴィエの素肌に、ギョッと目を見開いた。
昨夜は動転していて、とても見ている余裕などなかったけれど、男性とは思えないほどキレイで滑らかな肌だ。
ほどよく筋肉のついた身体は、彫刻のような精悍な美しさを感じさせる。
どんな女性でも、きっと見惚れてしまうに違いない。

今、彼の腕や足はロザリアをしっかりと抱いていて、抜け出したりしたら、すぐに目を覚ましてしまいそうだ。
この状態が、腕まくら、というものなのだろう。
ロザリアにとっては、もちろん初めての体験。
貴族として厳しく育てられたロザリアは、両親とですら同じベッドで眠った記憶がない。
その近すぎる距離に、改めて昨夜の出来事を思い出して、頬が熱くなった。

とうとうオリヴィエと。 
嬉しさと恥ずかしさが入り混じって、彼の前でどんな顔をすればいいのかもわからない。
起こすこともできなくて、再び目を閉じると、ロザリアはそっとオリヴィエの胸に頬を寄せた。
耳に聞こえてくる、彼の鼓動。
とても安らかで、いつまでもこうしていたくなる。


しばらくそうしていると、突然、オリヴィエの腕に力がこもった。
「まだ起きなくていいでしょ?」
そう言いながら、彼の手はするりと背中を撫で、腰から双丘へと伸びていく。
そのまま腿から内側へ。
あっという間に足の付け根に滑り込もうとした手に、ロザリアは体を硬くした。

「で、でも、今日は、ルヴァと約束をしていて…。 先週の本を返さなければいけませんの。」
申し訳なさそうに俯いたロザリアの体を、オリヴィエは仰向けに押し倒した。
まだ薄明かりの朝日の中に、ロザリアの白い肌が浮かび上がる。

キレイだとは思っていたが、彼女は本当に美しい。
顔やスタイルの整った造形だけでなく、純粋な透明感や清楚さ。
女性らしい柔らかさや優美な曲線。
オリヴィエの少なくない経験からしても、ロザリアは間違いなく最高だ。
…もう手放せそうにない。


「ルヴァのところに行くの?」
「だって、約束してしまったのですもの。 
 急に行かなくなったら、怪しまれますわ。」
「それって困るわけ?」
オリヴィエに問われて、ロザリアは目を泳がせた。
補佐官の恋は昔から特にタブー視されていたわけではない。
ましてや女王の恋も解禁された今となればなおさらだ。
でも。
「皆に知られてしまうのは…。まだ…。」

オリヴィエとのことはまだ、アンジェリークにすら言っていない。
きちんと付き合い始めたら言おう、と思っていて、今日まで来てしまった。
『帰り道に話をしている』『自宅でお茶を飲んでいる』
ただそれだけのことを、いちいち報告するのもいい年をして恥ずかしいと思ったからだ。
その上、昨夜のこともある。
何もかも飛ばして、こんなことになってしまった理由を上手く説明するのに、少し時間が欲しかった。

「…ふうん。」
「きゃ!」
両手をシーツに押し付けられ、抵抗を塞がれた胸元に、オリヴィエがいくつもの赤い花を散らす。
チリっとした痛みにロザリアが驚いていると、オリヴィエは突然身体を離して、ベッドから滑り降りた。
そして、すぐに散らばった服を集め、元通りに着ていく。
乱れた髪を指で梳いて軽く整えたオリヴィエは、ぽかんとしているロザリアに大きなウインクをした。
「じゃあ、帰るね。」

バイバイ、と軽く手を振って出ていくオリヴィエをロザリアは呆然と見送った。
引き止める間もなく、取り残されて。
…初めての朝なのに。
ロザリアの口からついため息が零れる。


自分なりに考えていた、初めての夜とは少し違っていた。
シャワーを浴びて、二人でベッドに入り、愛の言葉を繰り返した後、ゆっくりと唇を重ねる。
小説や映画で得た知識で、ロザリアは漠然とそんなことを想像していたのだ。
それがあんなふうに、成行きのように身を任せてしまうなんて。
けれど、それは大した問題ではない。
オリヴィエは終始優しく、激しく、ロザリアを一番に考えるように抱いてくれた。
考えていたほどの痛みがなかったのは、きっとオリヴィエが気遣ってくれたからだろう。

それになにより、ロザリアはオリヴィエを好きなのだ。
好きな人に求められて、嬉しくないはずがない。
今でも考えただけで、顔が熱くなって、胸がきゅんとしてくる。
彼の暖かさや唇、綺麗な指。
なにもかもが…好き。

なのに、ため息が零れてしまうのは、オリヴィエがロザリアをどう思っているのか、まったくわからないせいだ。
抱きしめられた時。 キスをされた時。
彼を受け入れた時。 目が覚めた時。
思い返してみても、オリヴィエは、やっぱり何も言わなかった。

『綺麗だよ』
繰り返し、そう言われたことは覚えている。
けれど。

『付き合ってほしい』、『恋人になって欲しい』。
それから、『好き』の一言。
そんなふうに彼の心を告げてくれる言葉は一度もなかった。

今だって、あっさり帰ってくれたのは、オリヴィエの優しさなのだろう。
予定のあるロザリアを困らせないように気遣ってくれたのだと思う。
でも。もしかして。
ただの 一夜の遊びだったら。
そんなことを考えてしまう自分がひどく惨めで、哀しくなった。


少し前まで、純潔を失うことはとてつもなく大きなことだと思っていた。
それこそ、その時には世界が大きくひっくり返るほど、自分は大人に変わっているのだと思い込んでいた。
けれど、いざ、その時になってみても、ロザリアには自分が何一つ変わったように思えない。
ただ動くと引き攣れたように下腹部が痛むくらいだ。
身体は大人になったといえるかもしれないけれど、心は子供のまま。
初めて好きになった人に、気持ちを伝えることさえできない。



「ロザリア?」
ハッと意識が戻ると、目の前のルヴァの気づかわしげな瞳とぶつかる。
テーブルの上の湯呑から立ち上る若い緑の香り。
その隣に置かれている、黒い塊。
古びた鎧が視界に入ってきて、ようやくロザリアはここがルヴァの屋敷だったことを思いだした。

「お返事がないので、どうしたのかと思いましたよ~。
 これ、羊羹という辺境の惑星のお菓子なんです。 とても上品な甘さなので、貴女も気に入っていただけると思いますよ。」
「ご、ごめんなさい。」
ロザリアはほんのりと顔を赤くして、ルヴァに頭を下げた。
ルヴァはただニッコリとほほ笑んで、ぼんやりしていたロザリアを咎めることもなく、さらにお茶を注いでくれた。

「どうかしたんですか? 貴女にしては珍しく、ぼんやりしていましたけれど。」
羊羹を一切れ口に含み、もごもごと飲み込んだルヴァが尋ねる。
ロザリアも同じように羊羹を一口ほおばると、「美味しいですわ。」と、ほほ笑んだ。
「ええ~。そうでしょう? よかったです。」

のんびり屋のルヴァだが、鈍いわけではない。
知恵を司る守護聖は、なかなかに洞察力も判断力も優れている。
それに男性であることは間違いないのだから、ロザリアよりもオリヴィエの気持ちに近いものはあるだろう。
…聞いてみようか。
このもやもやした気持ちに少しでも答えが出ればいい。
ロザリアはお茶を飲んで唇を湿らせた。


「あの、先日お話しました、わたくしの知人のこと、覚えてらっしゃいます?」
「え~と、あの、恋をしているんじゃないか、と話された方ですかねぇ。」
「ええ! そうですわ。」
覚えていてくれたのなら話が早い。
ロザリアが身を乗り出す。

「実はあの後、二人で食事をしたりしたそうなんですの。」
「は~、では、お二人はお付き合いを始めたんですね。 それは良かった~。」
うんうんと頷くルヴァにロザリアは小さく息を吐いた。

「それが少し…難しいんですの。
 相手の男性からは特別なことは何も言われていないらしくって。
 あの、お付き合いするときって、やはりなにか一言くらいはありますわよね?」
伺うように聞いてみると、ルヴァは考えているのか、右の拳を顎に当てて視線を落としている。

「う~ん。 まあ、そうですかねえ。
 私にはそういった経験が少ないので、よくわかりませんが、まあ~、やはり、何かは言うでしょうねえ。
 ええ、言ったかもしれません。
 言わないと、伝わらないことも多いですから…。
 なるべく今は伝えるように努力はしているのですがねぇ。」
まるで自分に言い聞かせるようなルヴァの言葉に、ロザリアはこくりと喉を鳴らした。

「言わないまま、という事はありませんの?」
「ああ~、それもあるかもしれませんねえ。
 なんとなく言いそびれるとか、タイミングが合わないとか…。」
「ですわよね!」
思わず勢い込んで、テーブルに手をついたロザリアにルヴァは目を丸くしている。
ロザリアは居心地悪そうに腰をもじもじとすると、また元のように背筋を伸ばして座った。

「はあ、貴女の知人はそのことで悩んでいるんですか?
 彼がきちんと言葉にしてくれない、とか。」
合点がいったとばかりに問われて、ロザリアは頷いた。
すると、ルヴァはとても優しい顔をして、ロザリアに微笑んだ。

「心配ありませんよ。
 誰だって、ヘンなところで恥ずかしがったり、その、カッコよく見せようとしたりしてしまって、言葉にできないことも多いものですから。
 もう少し待ってあげてください。
 二人の間がもう少し進むときには、きっと彼も言葉にしてくれますよ。
 同じ男として、私からもお願いします。」

もしかしてルヴァは気が付いているのかもしれない。
この話が『知人』なんかじゃなく、ロザリア『自身』のことだと。
まさか相手がオリヴィエだとは思っていないだろうけれど、この広いとは言えない聖地でのこと。
ロザリアと親しいぶんだけ、何かを感じているのだろう。


帰り道。
また新しく借りた本を胸に抱いて、ロザリアは考えた。
真昼の日差しは暖かく、日ごとに春が近づいていることを教えてくれている。
恋を知る前は、ただ過ぎていくだけだった時間。
それが今は鮮やかに目の前を彩っていく。

「そうですわよね。 焦ることなどないんですわ。」
思えば、ここまで、駆け足で近づいてきたような気がする。
女王試験のころからあの日までに比べれば、本当にあっという間と言ってもいい。
だからなんとなくタイミングを逃してしまったのだ。
オリヴィエも、そしてロザリアも。

もしも伝えようと思えばいつでも言える。
オリヴィエが『好きだよ』と言ってくれたら、『わたくしもですわ。』と答えればいいだけ。
自分から伝えるのは少し恥ずかしいから。

  
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