Fall

8.


いつも通りの帰り道。
話をしながら、ロザリアの家まで歩いて、そのままお茶をして。
それに加わったのが、ベッドでのひと時。

「おいで。」
向かい合わせのソファからオリヴィエが呼び寄せるのを合図に、ロザリアは誘われるようにオリヴィエの胸元に倒れ込む。
飲み終えたカップもそのままに、ふわりと抱き上げられたかと思うと、下ろされるのはベッドの上。
こじんまりとした屋敷だから、リビングからベッドまではほんの数歩たらずだ。
だから、言葉を交わす間もなくたどり着いて、そのまま唇を塞がれる。
それからあとはもう、言葉ではなくて吐息だけが二人の間を支配して。
快楽に飲み込まれる時間が続く。
二人がシャワーを使うのは、いつも行為の後だった。


「一緒に浴びてもいい?」
バスルームの扉の向こうから、決まって聞こえるオリヴィエの声。
「ダメですわ! 絶対にダメ!」
きちんと鍵をかけておかなければ、オリヴィエは本当に入ってきそうで恐ろしい。
バスルームには小さな窓が一つあるだけで、明かりは一種類しかないのだ。
つまりは、点けるか消すかの2通りで、消せば真っ暗だし、点ければ明るい。
真っ暗では危険だから、当然点けることになる。
そうなれば・・・さすがに明るい場所で彼に生まれたままの姿をさらすのは恥ずかしい。
オリヴィエにとっては些細な冗談を生真面目にとらえるロザリアが楽しくて、毎回、オリヴィエが同じことを聞くとも知らず。
ロザリアの手は今日も、しっかりと鍵を抑えていた。

ロザリアがパジャマに着替えてから、寝室に戻れば、入れ替わるようにオリヴィエがシャワーに向かう。
オシャレにこだわりのあるオリヴィエに勧められて、ロザリアのドレッサーにもいろいろな化粧品が並ぶようになった。
それまでは化粧水とクリームくらいだったのに、今は美容液やパックなどまでもおいてある。
全部オリヴィエが選んだものだから、ロザリアも安心して使うことができた。
おかげで最近、「肌がきれいになった!」とアンジェリークにも羨ましがられるほどだ。

一通り肌につける頃、オリヴィエがバスルームから出てくる。
「ん、ちゃんと使ってるね。
 やっておいて無駄なことはないから。」
オリヴィエはぷにぷにと感触を確かめた後、ロザリアの頬に手を当てて、チュッと唇を合わせた。


それからオリヴィエがあっという間に、ロザリアの髪を乾かしてくれる。
彼の手は魔法のように、めんどくさい癖のあるロザリアの髪をキレイなカールに整えてくれるのだ。
どうやら彼は、ロザリアの髪がお気に入りらしい。
いつも補佐官服のまとめ髪を『つまらない髪型』と言ってくる。
ロザリア自身は、多少跳ねていようがどうにでもなるまとめ髪は楽でありがたいのだが。

「はい、次はあんたの番。」
オリヴィエからドライヤーを手渡され、ロザリアはスイッチを入れた。
オリヴィエの髪は本当にキレイだ。
手入れが行き届いているのか、絡み合うこともなく、指先をサラサラと流れていく。
絹糸のような、というありきたりな表現では、伝えきれないほど、手からこぼれていくのが惜しいと思えてしまうほど。
ゆっくりと、丁寧に。
でも長時間のドライヤーは髪に良くないから、それなりに手早く。

「もう、じっとしてくださいませ。」
「ん~。 このカールがちょっとね。」
ロザリアの髪を指先に絡めて、オリヴィエがくすくすと笑う。
懸命なロザリアには、背を向けているオリヴィエの顔は見えないけれど。
ロザリアに髪を乾かされている間、オリヴィエの顔に浮かんでいる蕩けそうな笑みを見れば、それは本当に幸せな恋人同士の姿だ。


「あんたも飲む?」
「…少しだけなら。 お酒はあまり…。」
「まあ、ベッドでお菓子はいけませんわ。 禁止にしていますの。」
「やってみたいって言ってたくせに。」
「良くないっておっしゃったのは、あなたじゃありませんの。」

一緒にベッドに入って、少しふざけながら、いつの間にか眠っていて。
けれど、真夜中を過ぎるころ、必ずロザリアは目を覚ました。
ふと、寂しくなる隣。
起き上がったロザリアが、ベッドの向こうに視線を向けると、オリヴィエはすでに着替えているのだ。

「…お帰りですの?」
「ん? 今の時間の方が外にいる人が少ないからね。
 朝は、健全少年がランニングしてたり、堅物が馬でウロウロしてたりするからさ。」
一緒に朝を迎えたのは、初めの日だけ。
あれからオリヴィエはいつも暗いうちに帰ってしまう。
「じゃあね。」
頬に落とされたキスのあとを、ロザリアは掌で温めた。

もうなんど、こんなふうに彼とベッドを共にしているだろう。
寒くて震えていた帰り道も、次第に風がぬくもりを運んでくるようになったのに。
『帰らないで』と、初めのうちは恥ずかしくて言えなかった。
でも今は、別の答えを告げられることが怖くて言えない。

『もう少し待ってあげてください。』
ルヴァに諭されてから、ロザリアはずっと待っていた。
それももう数か月だ。
『少し』とはどれくらいなのか。
半年? 一年? もっと?
期待よりも不安が大きくなっていくばかりなのが辛い。
欲しいのは、『好き』の一言だけなのに。



そんな時、アンジェリークの思い付きで、土の曜日のお茶会を聖殿職員全員で行うことになった。
当代女王の御世になってから、導入された四季。
もちろん風情もあって、みんな楽しんでいるのだが、冬の寒さに慣れない者もまだ多い。
どうしても閉じこもりがちになる冬がやっと過ぎ、このところめっきり春めいてきた。
どうせなら花見の意趣を込めて盛大にやろう、と、中庭の花壇前でパーティをすることになったのだ。

パーティの準備となれば、補佐官の仕事は格段に増える。
実務的な料理や会場の設置は女官や職員たちだが、すべてを取り仕切るのは補佐官だ。
主賓のいるような格式ばったパーティではない分だけ気は楽だが、準備の手順としては、そう変わらない。
必然的に立て込んできた執務のおかげで、ロザリアがオリヴィエと会う時間は極端に減ってしまっていた。
以前なら週に2,3度はあったのが、もう最後に過ごしたのが10日ほど前だ。

実際のところは一度も顔を見ていない、というわけではない。
書類を届けるついでや、執務の確認があれば、補佐官と守護聖として、普通に接している。
本当に普通に。

「じゃあ、こちらをお願いしますわ。」
「ん。 了解。」
ただそれだけの短い会話の中に、ロザリアは特別な何かを探してしまう。
すぐそばには秘書官もいるし、何よりも神聖な聖殿で、大っぴらなことはできない。
ましてやロザリアとオリヴィエは交際を公にはしていないのだ。
…正式に付き合ってほしいと言われたわけでもないのに、言えるはずもないけれど。
それでも少しは期待してしまう。
たとえば、恋愛小説によくあるような、書類を渡す時にわざと手が触れるとか、ロザリアの退出に合わせて、彼も部屋を出てきて、そっと廊下の隅でキスをするとか。
でもオリヴィエは目を合わせることすらしてくれない。
本当に以前と全く変わらないのだ。
あの濃密な時間の全てがまるで夢だとでもいうように。



「ロザリア様。」
女官長の目配せで、ロザリアはお菓子の補充にバックヤードに向かった。
いよいよ春の会の当日。
やはりロザリアは朝から忙しく立ち働いていた。
この日のために作ったドレスは、いつもの補佐官服よりもタイトなラインで露出も多い。
春だから、と可愛らしいピンクを選んだアンジェリークと対照的に、ロザリアは鮮烈な赤のミニドレスを選んだ。
冒険したのはオリヴィエに何か言ってほしかったから。
似合う、でも、似合わない、でもいい。
とにかくロザリアに気が付いてほしかった。

テラスの階段で危うく足をとられそうになって、ロザリアはスカートの裾を摘まみ上げた。
パーティが始まってから、オリヴィエはロザリアとは離れた位置で、オスカー達とお茶を飲んでいて、ロザリアのほうを見てもくれない。
今日は日中のパーティだから、アルコールも出ていないし、彼らには少し退屈なのだろう。
オスカーの周りには当然のように女官達が集まっていて、その近くにいるオリヴィエにも、盛んに話しかけている。
楽しそうなのは、パーティのホステスとしては嬉しいが、ロザリアとしては胸が痛い。
そこから笑い声が上がるたびに、小さなため息が出てしまうのを、止められそうもなかった。

「ケーキと焼き菓子の追加を。
 そろそろフルーツ盛りもお願いしますわ。」
シェフに確認をとって、テラスに戻ろうとしたロザリアは、木々の隙間に見慣れたオリヴィエの姿を見つけた。
パーティの喧騒から逃れたのか…それとも、ロザリアに会いに来てくれたのか。
期待に高鳴る気持ちを抑えつつ、歩みを進めたロザリアは、オリヴィエの少し後ろにいる女官たちに気が付いて、足を止めた。


「オスカー様には決まった女性はいらっしゃるんですか?」
聞こえてきた声に安堵した。
どうやら彼女たちの関心はオリヴィエではなく、オスカーにあるらしい。
「今はいないと思うよ。 あんた達にもチャンスはあるってコト。」
きゃー、っと、歓声が上がり、オリヴィエも笑っている。

何やらきわどい話題も織り交ぜながら、オリヴィエの歩みに女官たちが付いていく。
ロザリアも足音を忍ばせながら、こっそり木に隠れるようにして、その後をついていった。
オリヴィエは会話が上手いせいもあって、オスカーとはまた別の意味で女官たちとも仲がいい。
今の様子もノリは女子会だ。
勢いも手伝ったのか、一番年若に見える女官が問いかけた。

「それで、オリヴィエ様は恋人いるんですか?」
若いだけあって、遠慮がない。
オリヴィエが、一瞬眉を寄せたように見えて、ロザリアはドキリとした。
ほんのわずかに覗いた不機嫌そうな表情。
けれど、彼はすぐにいつものような皮肉めいた笑みを浮かべて、女官に向き直った。

「どう見える?」
「え~、意外にいたりして。」
「意外ってどういう意味?」
「だって~、オリヴィエ様はちょっと普通とは違うって言うか~。 あ、でも、私、そういう男性の方が好きなんですぅ。」
若い女官がはしゃいだように上目づかいでオリヴィエを見ている。
ロザリアの胸に重い塊が落ちてきた。

「オリヴィエ様の素顔、見てみたいな。」
「別にそう変わんないけどねぇ。」
オリヴィエの素顔。
ベッドを共にするようになって、ロザリアは何度か目にしている。
メイクをしているときが妖艶な、ある意味、人間離れした美しさだとすれば、素顔のオリヴィエはとても凛としている。
キレイで、でも男らしくて、精悍とすら言えるだろう。
…きっと誰でも、夢中になってしまうに違いない。

「好きな人はいらっしゃるんですか?」
「さあねえ。」
「もう、はぐらかさないでください~!」
「なに? あんた、もしかして、私に興味あったりするの?」
「え~。 どっちでもいいんですけど。 守護聖様に興味があるんです。
 だから女官になったんですし~。」

オリヴィエの目がすうっと細くなった。
「いいよ。 いつでも付き合ったげる。 
 ただし、私はオスカーほどフェミニストじゃないからね。」
妖艶な瞳に女官たちが色めき立った。

「やだ~! 付き合ってくださるなんて、嬉しい!」
自分とそう年は変わらないはずなのに。
ロザリアははしゃぎながらオリヴィエの周りでワイワイ騒ぐ女官たちを羨ましく思っていた。
思ったことを簡単に口にできて。
あんなふうに誰に遠慮することもなく、彼の近くにいられて。
本当は、彼に近づかないで、と飛び出していきたいのに。
結局そんな勇気もなくて。

「今度、おうちに招待してほしいです。」
「ん? そんなこと言っていいの? ただじゃ帰さないよ?」
「きゃ~! どういう意味ですかぁ。」
「もっときれいにしてあげるって意味だけど。」
「え~!ホントですか? ヤダぁ!」
女性特有の黄色い声に、ロザリアは思わず耳を塞いだ。

ロザリアはオリヴィエの自宅に行ったことがない。
彼の家には住み込みの使用人が何人もいるから、どうしても遠慮してしまうのだ。
恋人同士の睦事を聞かれるのは、やっぱり恥ずかしい。
それに、オリヴィエからも誘われたことがなかった。

嫉妬しているのだ、と、ロザリアも自覚していた。
今、目の前にいる彼女たちだけではなくて、彼と親しくしている全ての女性に。
キスも、それ以上のことも、オリヴィエは慣れた様子で、当たり前のようにしてくる。
きっと経験豊富なのだろう。
ロザリアの知らない、彼の部屋を見たことがある女性がたくさんいるのだと思うと、胸が苦しくて張り裂けそうだ。
黒いドロドロしたカタマリが体を覆って、息ができなくなる。

まだふざけ合っているオリヴィエたちを残して、ロザリアはこっそりとテラスへ戻った。
指示した通り、テーブルには新たなお菓子が並べられていて、サンドイッチやフルーツも追加されている。
ロザリアは女官長に目で合図を送り、飲み物のサーブを手伝うことにした。
賑やかな声があがったのは、オスカーの周囲で、さっきの女官たちが今度は嬉しそうに彼の周りにまとわりついている。
もちろんオスカーもまんざらではなさそうだから、それはそれでいいのだろう。

しばらくしてから、ことづけられていた用事を済ませ、ふと辺りを見回すと、オリヴィエがテラスの隅で、ルヴァと話しているのが見える。
のんびりとお茶を飲んでいる二人の姿に、何となくほっとした。
やはりどんな形でも、オリヴィエが女性といるのは胸が痛い。


お開きになる少し前、オリヴィエがルヴァと一緒に近づいてきた。
嬉しさを隠して、にっこりとほほ笑んだロザリアに、オリヴィエは
「似合ってるね。 この庭の中でも一番キレイだよ。」
と、眩しそうに目を細めて褒めてくれた。
さっきまでの黒い気持ちが嘘のように消えて、舞い上がりかけたけれど。

「え~、わたしはぁ?」
というアンジェリークの突込みに、
「陛下は一番カワイイね。」
と返していたから、それもまた冗談かもしれない。
…さっきの女官たちにだって、同じことを言うのかもしれない。
賞賛の言葉さえ、素直に受け入れられない自分が、とても情けなくて、ロザリアは曖昧な笑みを浮かべて、その場を離れていった。
背中に、オリヴィエの視線が注がれていることにも気付かないまま。

  
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