Fall

9.


無事にパーティが終わり、片付けを後の者に任せると、着替えるのもなんだか面倒で、ドレス姿のまま、ロザリアは聖殿を出た。
すでに黒い空にはぽっかりと月が浮かび、柔らかな春の夜風が長い髪を撫でていく。
あまりにも気持ちの良い風に、ロザリアの顔には自然と笑みがうかび、足取りも軽くなった。
ミニのドレスは人の視線さえ気にしなければ、補佐官服よりもずっと楽だ。
高いヒールでひょい、と岩を飛び越え、近道を下れば、すぐに家の前に着いた。

当然のように暗い屋敷のカギを探してバッグを探ると。
ふっと華やかな香りが鼻をかすめた、と思った瞬間、ロザリアの身体を暖かな腕が包んだ。
「オリ…。」
呼ぶ間もなく唇を塞がれると、長いキスの始まり。
唇をなぞり、吐息を絡める、貪るような激しい口づけだ。
始めの内こそ人目を気にしていたロザリアだったが、次第にキスに夢中になっていて。
ようやく解放された時には、足から力が抜け、オリヴィエに縋り付いていた。

「遅かったね。 片付けが長引いた?」
オリヴィエはキスの味を確かめるように、ぺろりと舌先で唇をぬぐい、妖艶にほほ笑む。
二人きりになるのは本当に久しぶりだ。
キスの余韻とパーティ後の高揚感も手伝って、ロザリアはいつになく鼓動が早くなっているのを感じてしまう。
ぎゅっとオリヴィエの服の裾を握り、甘えるように彼の胸に寄り掛かる。
すると、急に肩を抱かれて、ロザリアは屋敷の中へと連れ込まれた。

「少し…。 でも、あとは任せてきましたから。」
いつものように紅茶を淹れ、リビングまで運ぶと、オリヴィエが隣に座るように、と、ポンポンとソファの座面を叩いている。
ロザリアは言われたとおりに、オリヴィエの隣に軽く腰を下ろした。


「そのドレス、自分で選んだの?」
「ええ。 …似合わないかしら?」
ミニ丈のドレスは座ると腿の中ほどまで見えて、少し恥ずかしい。
ロザリアは裾を引っ張りながら、オリヴィエを横目でちらりと見た。

「似合ってるって言ったでしょ?」
抱き寄せられたかと思うと、軽く唇が触れる。
そのまま、ソファに押し倒されて、オリヴィエの唇が、今度は首筋に降りてきた。
熱い唇は欲望のサイン。
オリヴィエはロザリアの身体の感じるポイントに触れ、巧みに官能を引き出してくる。

「あの、今日は汗をかいてしまっていますの。 ちょっとだけ、お待ちになって。」
やんわりと体をよじり、ロザリアはオリヴィエの体を押しのけようとした。
パーティで動き回っていたせいで、本当に汗もかいているし、綺麗とは言えない。
シャワーも浴びたいし、久しぶりに二人きりの時間を持てたのだから、もう少し話もしたい。
けれど、オリヴィエはそんなロザリアのささやかな抵抗を封じ込めるように、ドレスの肩ひもをするりと下ろしてくる。
さらにもう片方の手も裾にもぐりこんできて、腿を撫でてきた。

「ま、待って。」
ロザリアはもう一度、彼の手の動きから逃れようと、大きく体をよじると、足をばたつかせた。
さらに腕を伸ばし、ソファの背もたれに手をかけて、体を起こそうと試みる。
それでも、オリヴィエの手は止まらない。
胸を寛げ、下着の中に潜り込もうとする手をロザリアははっきりと押しとどめた。

「ま、待って、お願い。 …イヤ!」
とうとうキッパリと拒絶の言葉を口にしたロザリアに、ようやくオリヴィエの手が止まる。
仕方なく、という雰囲気で、体を起こし、髪をかき上げたオリヴィエの顔は明らかに憮然とした表情だ。
盛り上がっていたところに水を差したのだから、オリヴィエの苛立ちはロザリアにもわかる。
ロザリアだって、彼に抱かれたくないわけではないのだ。
でも。
ロザリアは肌蹴ていた前を慌てて直すと、元通りに居住まいを整えた。


「あの…。」
オリヴィエに話したいことがたくさんあったはずなのに、いざとなると、ロザリアの口からは何も出てこない。
なんとなく気まずい沈黙。
ますますパニックになったロザリアの脳裏に、さっきのパーティでの光景が思い浮かんだ。

「あの、女官たちと何の話をしていたんですの?」
本当は聞いていたけれど、なぜかそう聞いてしまっていた。
もしかしたら、ロザリアがいなくなってから、また恋人の話になったかもしれない。
オリヴィエが恋人がいる、と告げたから、女官たちもオスカーと話すことにしたのかもしれないと、少しは期待もあった。

「え? …ああ、パーティの時? 別に…なにも。」
オリヴィエは少し驚いたような顔をしている。
まさか見られているとは思っていなかったのだろう。
「ずいぶん、楽しそうに見えましたわ。」
「見てたんだ? 別にホントにただの世間話だって。」
「今度、ご自宅に招待すると約束をなさっていたのでは? …あの女官と。」
嫌な言い方をしてしまった。
これでは盗み聞きをしていたのは明らかだし、彼を非難しているようにしか聞こえない。
案の定、オリヴィエは鼻白んだように、顎を斜めに上げ、ロザリアを見下ろしている。


「それって、焼きもち?」
自分の醜い心を言い当てられて、ロザリアはドキッと震えあがった。
恋人でもないくせに、焼きもちなんて、ずうずうしい。
オリヴィエの言葉の外に、そんな皮肉めいた含みを感じて、居ても立っても居られなくなる。
なにか言い返さなくては。
そう思うのに、焦れば焦るほど、なにも言葉が浮かんでこない。

じっと黙ったまま俯いてしまったロザリアの頭の上で、大きなため息が聞こえた。
ツマラナイ女だと呆れてしまったのだろうか。
このままでは、オリヴィエに嫌われてしまう。
二度と、会ってもらえなくなる。 それだけは…嫌だ。


「焼きもちなんて、そんなわけありませんわ。
 だって、わたくしたち、そんな関係じゃありませんでしょう?」

声が震えなくて済んだ代わりに、手が震えて。
それを隠すために、ロザリアはぎゅっとこぶしを握りしめた。

その後の沈黙が長かったのか、短かったのか、ロザリアにはわからない。
けれど、再び頭の上で聞こえたため息は、さっきよりもずっと、長く重いもので。
そして、ふっと隣で舞い上がった風と、それに乗って漂ってきた香りで、オリヴィエが立ち上がったのに気が付いた。
カツン、と鳴るヒールの音が小さくなって、ドアが閉まって。
さっきまで彼のいた場所には、もう何もなくて。
ぎゅっと握ったままのロザリアの拳の上に、暖かな雫がぽたりと落ちた。


言わなければよかった。
でもずっと待って、我慢して、不安で。…もう限界だったのかもしれない。
遊びのつもりでもいいと納得しようと努力したけれど、やっぱり無理で。
そもそも恋愛初心者に、遊びの恋を楽しむなんて、そんな器用な芸当ができるはずがない。
一方的に好きになり過ぎて…止まらなくなった。

『私達、もうとっくに恋人でしょ?』
そんな言葉をくれるんじゃないかとどこかで期待していた。
『焼きもちなんて焼かなくたって、私にはあんただけだよ。』
そんな言葉も。
でも実際は恋愛小説のようなことは一つもなくて、オリヴィエにただ呆れられて、嫌われてしまっただけ。


ロザリアはドレスのまま、ベッドに体を投げ出して、枕に顔をうずめた。
メイクを落とさないと肌に悪い、とオリヴィエがいつも言っていたけれど、今日くらいは逆らってもいいだろう。
もう彼のために、綺麗になる必要なんてない。
それにどうせ枕カバーもぐちゃぐちゃで、シーツだって汚れてしまったのだから。
明日は洗濯と掃除で、一日を過ごせばいい。

やっぱり恋なんてしなければよかった。
恋なんて、ただ苦しくて、辛くて、痛いだけだ。
執務だけの生活はつまらないと思っていたけれど、それだけの時の方が、ずっと楽だった。
好きにならなければよかった。 こんなに彼のことを。
後から後からあふれてくる涙の中で、ロザリアはいつの間にか、眠ってしまっていた。

  
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