20.
新女王の即位記念のパーティは、にぎやかなワルツから。
きらびやかなシャンデリアの下、オーケストラの演奏が始まると、人々のさざめきがあふれ出した。
宇宙の移動という最大の難事を乗り越えた今、皆の表情は一様に明るい。
未来の希望そのもののような笑顔ばかりが並んでいる。
ルヴァに手を惹かれた新女王アンジェリークが、フロアの中央に進み出た。
そして皆の見守る中、慣れないダンスに四苦八苦しながら、ルヴァと踊り始めた。
「ああ、またステップが…。」
ハラハラしながら、二人のダンスを見守っているのは勿論ロザリア。
社交ダンスなど全く経験のないアンジェリークに、なんとかこのワルツだけは教え込んだのだ。
新女王決定の日から、早速の鬼補佐官ぶりは、その特訓を見ていただけの守護聖たちにも十分未来を予感させるもので。
年少組はすでに震えあがっていた。
「大丈夫。…多分。転ぶってことはないんじゃない?」
手にしていたカクテルグラスを掲げ、オリヴィエが慰める。
「ああ…。また…。」
目を覆いたくなるような場面もあったものの、なんとか最初の曲を無難に踊り終えたようだ。
これさえこなせば、後は人々にまぎれてわからなくなるだろう。
ロザリアはふーっと大きく息を吐くと、いからせていた肩を落とした。
「まあまあ、初めてにしちゃ、よく踊った方だよ。」
息を切らしたルヴァが倒れそうになっている。
ダンスなんて、と尻ごみしていたルヴァも、アンジェリークとジュリアスを組ませると言った時から目の色が変わった。
「アンジェリークのパートナーは私です。」
そう断言して人前で踊るルヴァを、信じられないと言った面持ちで、守護聖たちも見守っていたものだ。
「恋の力だね。」
おどけて言うオリヴィエにロザリアがくすりと笑う。
幸せそうなアンジェリークとルヴァは、きっと未来の女王たちの手本になるに違いない。
ロザリアがアンジェリークの方へ行こうとすると、突然壁際から女性達の嬌声が上がった。
少し遅れて広間に現れた、緋色の髪。
熱い瞳で嬌声を上げた女性たちの集団に彼が近付いていく。
礼装のオスカーは、まさに非の打ちどころのない紳士で、その場の輝きを一身に集めていた。
「オスカー様! 私と踊ってください!」
「私と!」「私とも!」
「おいおい、レディたち。 順番だろう? 」
大勢の女性に囲まれたオスカーが、余裕の笑みで、その中の一人の手をとった。
今日のパーティにはたくさんの関係者が招待されていて、その令嬢たちのお目当ては、ほとんどがオスカーだ。
一時でも彼のダンスの相手になれれば、それこそ輪の中のヒロインになれる。
勿論彼も聖地一のプレイボーイの名の通り、多くの女性たちを上手くあしらっていた。
甘い言葉と魅力的な所作。
彼の一挙手一投足に歓声が上がる。
ロザリアはその様子をちらりと一瞥すると、アンジェリークに近付いていった。
あの日、オスカーは確かに傷ついた顔をしていた。
それなのに、補佐官の道を選んだロザリアに、オスカーはわざわざ祝福を言いに来たのだ。
オリヴィエとの噂は聞いているはずだろう。
けれど、手の甲に口づけて、敬意を表したオスカーに、ロザリアに対する想いは感じられなかった。
あの愛の言葉は、冗談だったのだろうか。 苦しいほどの熱情も。
そう思えるほど、オスカーはオスカーで。
すぐに別の女性と親しげに歩いている姿に、ロザリアはどこか安堵している自分に気づいていた。
今日もまた、彼はあの中の誰かと一夜を過ごすのだろう。
アイスブルーの瞳に、一時の本気を乗せて。
何曲かダンスをした後、オスカーは喧騒の大広間を離れ、中庭に出た。
月を浴びた噴水は宝石のようなしぶきを上げ、細かな飛沫をオスカーの髪に降り注いでくる。
緋色の髪を彩る銀の雫は、酔った頬を心地よく冷やしてくれた。
ふと夜空を見上げると、月が浮かんでいる。
青い細い月。
その美しく輝く青に、オスカーは、手の届かない女性の姿を思い浮かべていた。
「綺麗な月ですねぇ。 あなたは月が好きなんですか~?」
「お前は太陽の方が好きなんだろう? 金の髪のお嬢ちゃんは、まさに太陽の輝きだぜ。
…悪いが、今は一人でいたいんだ。 のろけるなら 別のヤツにしてくれ。」
にやりと頬を歪めたオスカーの前に、ルヴァが立っていた。
「あなたは知っていたんでしょう。オスカー。 オリヴィエとロザリアに血の繋がりがないことを。」
水の流れる音に交じり、広間の音楽が聞こえてくる。
こことはまるで別世界のような華やかな音楽。
オスカーは飛沫がかかり、ほんの少し湿った前髪をうるさげに掻きあげた。
「ああ、知っていたさ。」
オリヴィエの告白を聞いてすぐ、オスカーはカタルヘナ家を訪れていた。
自分の目で確かめなければ、何事も信じない性質だ。
ましてや、彼女のこととなれば、曖昧なままではいられなかった。
「私がカタルヘナ家を訪れた時に、3人目だと言われたんですよ。
そして、2人目の方には全てお見せした、とね。 私が気がついたことに、あなたほどの人が気づかないはずありませんからね。」
「よく言うぜ。」
実際、2枚の写真の違いにはすぐに気がついた。
そして、オリヴィエの誤解にも。
けれど、言わなかった。言えなかった。
オリヴィエがロザリアを諦めてくれるのなら、その方がいいと思ってしまったのだ。
卑怯な手段。
そう思いながら、彼女を得るために選んだ道。
「非難しに来たのか? 卑怯者だと謗るなら、甘んじて受け入れるぜ。」
アイスブルーの瞳に青い月が冷たく映り、ルヴァを見下ろしている。
「いいえ。あなたのような強い人でも、弱くなることがあるんですね…。 私が日々迷うことなんて当たり前です。
アンジェリーク、いえ、陛下との未来を考えると、私はいつも不安で、苦しくなります。」
女王の恋は禁忌とされてきた。
それを打ち破ることが、果して自分たちにできるのだろうか。
この想いを諦めるつもりはないけれど、不安は影のように付きまとう。
「想われているだけ、幸せだろう? ぜいたくな悩みだ。」
ふと、影を帯びたオスカーの声。
彼は再び、じっと月を見上げている。
ルヴァは黙って、オスカーに背を向けた。
知りたかった事実は聞いたのだ。
これ以上、彼の心の中にまで踏み込む権利はない。
人の心の謎は、どれほどの書物を目にしても、きっと解けないものなのだろう。
そして解けないからこそ、生きていくことに意味がある。
しばらくして、大広間から人が流れ出したのが、オスカーの耳に聞こえてきた。
女性ばかりの声だから、きっといなくなったオスカーを探しているのだろう。
いずれ劣らぬ美しい花。
以前の自分なら、甘い蜜を求めて戯れていただろうが、唯一の花を知ってしまった今、そんなことに何の意味も見いだせないでいる。
けれど、彼女の前では、次々と花を移動する男でいなければいけないのだ。
傷ついていないふりをすることくらいでしか、彼女への罪は消えないのだから。
探し出される前に、オスカーは大広間へと足を向けた。
美しい青い月に背を向けて。
最後のワルツが流れ始める。
オリヴィエはジュリアスと談笑していたロザリアの手を引くと、半ば強引にフロアへと連れ出した。
「もう! 失礼ですわ。」
「ちょっとは私の相手もして。…ジュリアス、もらってくからね。」
苦笑しているジュリアスにウインクをしたオリヴィエは、
「私をほっといたあんたが悪い。」と、少しも悪びれた様子がない。
流れるようなオリヴィエのステップは、迷いのないリードでロザリアを導いている。
彼は本当に何でもできる人だ。
いつもの執務服と違う、正装のオリヴィエは、髪のメッシュこそしているが、メイクはごく薄い。
男らしい顔に、ロザリアの胸は鳴りっぱなしで。
傍にいると熱が出そうで、わざと避けてしまっていたことも、きっと気づかれているだろう。
余裕のあるターン。
オリヴィエのリードで、足に羽が生えたように身体が軽い。
「ラストワルツは大切な人と、と教わりましたわ。」
ロザリアは少し拗ねたように言ってみる。
「ふうん。じゃあ、私でいいんじゃない。 …そうか。今までは誰と?」
嫉妬交じりの声に、ロザリアは苦笑した。
「もちろんお父様ですわ。」
「それは敵わないね。」
笑いながらステップを踏むロザリアのドレスの裾が、ひらりと揺れた。
今日のドレスは聖地から準備されたものだ。
淡いブルーのシフォンのドレスは、ロザリアの美しさを十分に引き出している。
長身を生かした細身のラインも、余計な飾りのないシンプルさもいい。
ロザリア、という素材を見たままに映したドレスだが、残念ながら、それ以上でもそれ以下でもない。
「私が作りたかったよ。」
オリヴィエが囁くと、ロザリアは頬を染めて頷いた。
「わたくしも作ってほしかったですわ。…とても素敵なドレスばかりでしたもの。」
写真の中で微笑む少女のドレス。
オリヴィエの愛のこもったドレスは、どれも素敵で、でも見ていると胸が痛くなった。
少し震えた青紫の睫毛に気がついて、オリヴィエはステップにまぎれるように彼女の手を強く握りしめた。
「いくらでも作ってあげる。 これからずっと一緒なんだ。
私のドレスしか着られないくらいにたくさん、ね。 …もちろん、純白のドレスだって。」
「楽しみですわ。 白も大好きな色ですもの。」
さりげなく告げたプロポーズも、どうやら鈍いロザリアには伝わらなかったらしい。
けれど、本当に時間ならたくさんある。
一つ一つこれから積み重ねていけばいい。
再びくるりと回った拍子に、彼女の胸元のネックレスが目に入った。
ドレスに隠れてチェーンしか見えないけれど、あのサファイヤのネックレスだろう。
オリヴィエの視線に気がついたロザリアは、ドレスに隠していたネックレスをとりだした。
「ずっとつけていなかったんですけれど。」
オリヴィエとリアーヌの関係を知ってから、思い出すことが辛かった。
けれど今、こうしてオリヴィエと共にいることができる。
それに、候補を下りる覚悟であの場所に向かった日。
導いてくれたのは、リアーヌだったような気がするのだ。
ロザリアの頬を撫でた風は、どこか優しいあの手に似ていた。
「大おばあさまが亡くなる少し前でしたわ。
素敵な恋に導いてくれる、と言って、このネックレスをくださいましたの。
自分は、このネックレスを持って行けない。 天国で旦那様が待っているから、と。
棺の中には大おじい様と結婚した時に作った真珠のネックレスをつけてほしい、というのが大おばあさまの願いでしたわ。」
オリヴィエは、ロザリアの言葉を噛みしめるように聞いていた。
リアーヌの心に最後にいた男性は、オリヴィエではなかったのだ。
運命を受け入れたリアーヌは、新しい愛をそこで見つけていた。
ロザリアを愛することにたった一つ残っていた躊躇いが、ようやく消えていく。
「ロザリア…。やっとあんたに辿りついたよ。」
こみあげた想いをロザリアは察したのかもしれない。
ステップを踏みながら、オリヴィエの胸に頬を寄せた。
暖かな彼女のぬくもり。
どんなことがあっても、もう手放したりはしない。
曲の終わりを待てずに、オリヴィエはロザリアを抱きしめた。
新しい宇宙の、新しい運命の始まりに。
新しい未来をロザリアと歩むために。
Fin