1.
「や、やあ、アンジェリーク。どこへ行くんだい?」
聖殿へ向かう途中、声をかけてきたのは風の守護聖ランディ。
走ってきたのかなんなのか、やけに顔を赤くして、声を上ずらせているランディをロザリアは首をかしげて見つめた。
「あ、ランディ様。おはようございます。」
返事をするアンジェリークもなんだかとっても面白いものを見るような顔でにこにこしている。
ランディはすうっと周囲にも聞こえるような勢いで息を吸い込むと言った。
「あ、あのさ、今度の日の曜日なんだけど、一緒に湖へ行かないか?綺麗な花がいっぱい咲いているんだ。」
言い終わったランディに満足そうに頷いたアンジェリークはいささか大げさに手をたたく。
「本当ですか?行ってみたーい。・・・そうだ、ロザリアも一緒にどう?」
それまで他人事とばかりに近くの花を眺めていたロザリアは突然自分に振られた話にぎょっとして振り返った。
「わ、わたくしは・・。」
「いいでしょ?行きましょうー!!綺麗な花、見たいわよね!」
アンジェリークに両手をつかまれて断われる雰囲気ではない。
半分飲み込めないまま、ロザリアは頷いていた。
「やりましたね。ランディ様。」
ロザリアと別れて、すぐに風の執務室にむかったアンジェリークはブイサインを出しながらランディに近づいた。
「ありがとう!アンジェリーク!」
「ロザリアは奥手だからまずはグループデートがいいと思うんです。・・・だからランディ様も絶対オスカー様を誘ってくださいね!」
「わかってるさ!俺だって、オスカー様のことはいろいろ知ってるんだからさ。」
明るい顔でさらりと怖いことを言うランディ。
しかし、本人には全く悪気はないようで、終始ニコニコしっぱなしだ。
脅迫でもするんだろうか・・・?
ふと不安になったアンジェリークだったが、とりあえずオスカーとデートできるのだ。
湖に着いたら別行動・・・と、ふたりで妄想のような計画を立てた後、アンジェリークが執務室を出ると、ロザリアに出くわした。
声をかけようかと手を振りかけたアンジェリークは、ロザリアと一緒にいる人影に思わず柱の影に隠れた。
口が悪くて乱暴なゼフェルは、アンジェリークにとって苦手な存在で、どうしても避けたくなってしまう。
目を合わせただけでなぜかにらんでくるのだから、見つからずに済むに越したことはない。
しかし、柱の向こうから聞こえて来るゼフェルの声はいつもと少し違っている。
気になって覗いてみると、ゼフェルは真っ赤になりながらロザリアに何かを手渡していた。
「ありがとうございます。大切にしますわ。」
ロザリアが丁寧にお辞儀をすると、ゼフェルは何かをもごもご言いながら、後ずさりして消えて行った。
「ろ、 ロザリア。 今のって…。」
振り向いたロザリアは、目の前のアンジェリークのお化けでも見たような顔にツンと顎を上げた。
「あら、あんただったの。・・・なによ。おかしな顔なさらないでくださらない?」
「だってー。ねえ、ゼフェル様から何をいただいたの?」
別に隠すふうもなく、ロザリアは手の中の小箱を見せた。
綺麗な細工の小箱は開けると音楽が流れ、ホログラフィーのバレリーナが優雅なダンスをしている。
「わあ!きれい!・・・これをゼフェル様が?」
「ええ。以前、わたくしのオルゴールを見て、細工をまねしたいと思ったのですって。 元の物より素晴らしいわ。」
・・・・信じられない。あ、の、ゼフェルが。
アンジェリークの顔を見ると、小馬鹿にしたようにフン、と鼻を鳴らす、あ、の、ゼフェルが。
「ちょうどホログラフィーをつくっていて、合わせたそうよ。・・・ちょっと、アンジェ、聞いているの?」
ロザリアの言葉はアンジェリークの耳を素通りしている。
わかってしまった。
ゼフェルも、ロザリアを好きなのだ。
うふふ、と気味の悪い笑いをもらしたアンジェリークから小箱をひったくったロザリアは無言ですたすたと一人で歩いて行ってしまった。
そして、夕方。
借りっぱなしだった本を返そうと図書館へ向かったアンジェリークは山のような本を抱えたルヴァと会った。
「こんにちは。ルヴァ様。たくさんのご本ですね。」
「ああ~、アンジェリーク。こんにちは。」
挨拶を交わしていると、ルヴァの持っている一番上の本のタイトルが目に入った。
「宇宙生成学?ルヴァ様もこういう本に興味があるんですか?」
いままさに女王候補である自分たちが勉強しているような内容を、ルヴァが知らないとはアンジェリークには思えなかった。
つい、声にも不信感が出てしまったのだろう。
ルヴァは急におろおろとうろたえると、額に汗をにじませている。
「いえ、あの、ぜひ、ロザリアに読んでいただこうと・・・。ああ、あなたにももちろん、お貸ししますからね~。」
あまりに不自然なルヴァの態度にアンジェリークはくすくす笑いが止まらなくなってしまった。
「いいんです。ルヴァ様。わたしはまだまだ、そこまでいきませんから。」
「ああ~~、そうですか。読みたくなったらいつでも言ってくださいね~。」
ルヴァはたくさんの本を持ったまま、よろよろとアンジェリークに会釈をすると、執務室に戻って行った。
その後ろ姿を見ながら、アンジェリークは人差し指を顎にあてて考える。
「ランディ様でしょ、ゼフェル様でしょ、あの感じだとルヴァ様も・・・。きゃ!大変!」
「何が大変なんですの?」
背後から聞こえた声に、アンジェリークはぴょんととび跳ねると、恐る恐る振り返った。
「こんなところでぶつぶつ言っていると、おかしな人だと思われますわよ?
まあ、もっとも、あんたのおかしさは、もうみんなとっくに知っていると思いますけどね。」
ロザリアの憎まれ口にも慣れたもので、すでにアンジェリークの耳を右から左のトンネル状態だ。
アンジェリークはロザリアの隣につつーーっと並ぶと、肘で脇をつついた。
「ね、ロザリア。誰が一番好きなの?」
「え?」
「だから、守護聖さまの中で誰が一番好きなの?」
「・・・・あんたねえ。」
ロザリアの綺麗な指がアンジェリークの頬を優しくつまんだかと思うと、急に力がこもる。
「バカなこと言ってないの。わたくしはそんなコト興味ありませんわ。」
「ふぉんふぉに~~??」
涙目になったアンジェリークにロザリアは少し寂しそうな目になると、突然手を離した。
「あんたはいいわよね。皆さまと仲がいいんですもの。
やっぱり、わたくしみたいに可愛くない女はどこに行っても相手にされないのだわ。」
ロザリアはふうっと、ため息をついて、それきり黙ってしまう。
アンジェリークはロザリアの言葉を頭の中で反芻すると、目を丸くした。
「えっと、それって、ロザリアは自分のコト、可愛くないと思ってるの?」
ロザリアがじろり、とアンジェリークを睨む。
「ええ、そうよ。あんたはランディ様とか、ゼフェル様とか、ルヴァ様と今日も話していたじゃないの。 みんな、あんたが好きなのよ。」
「見てたんだ!」
びっくりしながらもアンジェリークは両手を顔の前でぶんぶんと振った。
「それは違うの。ただのおしゃべりなの!」
とんでもない誤解だ。
自分はまだしも、守護聖様方に申し訳なくて、 アンジェリークは全力で否定する。
けれど、ロザリアはしかたないわね、とでも言いたげに、綺麗に縦ロールされた自分の髪を後ろに払うと、アンジェリークに言った。
「今朝だって、ランディ様はあんたを誘ってたじゃないの。 わたくし一人の時なんて、目があっただけで逃げてしまわれるのよ?」
「それは・・・。」
ロザリアが好きだから、なんて言ったら、ランディに殺されてしまう。
アンジェリークのぴたりと閉じた口にロザリアは満足そうに微笑むと、親指を折った。
「それに、今日はたまたまオルゴールのことがありましたけれど、ゼフェル様だって、わたくしとはほとんど喧嘩ばかりですわ。
あんたには、そんなことないでしょ?」
「それは・・・。」
ただ、無視されているというか、相手にされていないだけなんだ、なんて言ったら、自分が悲し過ぎる。
ロザリアは人差し指を折った。
「それから、ルヴァ様もあんたにはお手製のノートをくださったじゃないの。」
「それは・・・。」
ロザリアはもうとっくにそこを過ぎちゃって、あげるタイミングを逃したからだ、なんて言ったらルヴァ様が鈍いと言っているみたいで気が引ける。
ロザリアは中指を折った。
「ほら、みんなあんたのためでしょ?・・・いいのよ。わたくしは自分のことをよくわかっているから。」
げっそりと肩を落としたアンジェリークの前でロザリアは言った。
「わたくしみたいなブスが、モテるはずないじゃないの。
だから、わたくしは女王になるのよ。女王になれば、ベールで顔を隠してていいんだから。」
腰に両手を当てたロザリアの顔はとても得意げで、・・・とても、綺麗だった。
「オリヴィエ様。」
「なんだい?」
目の前に出された紅茶を一口飲んだアンジェリークは顔をしかめた。
それを見たオリヴィエは笑いながら砂糖つぼをアンジェリークの方へと寄せる。
「ありがとうございます。・・・・そうじゃないんです!」
テーブルを拳で叩いたアンジェリークに驚いて、オリヴィエはようやく読んでいた雑誌から顔を上げた。
「ミルクも欲しいの?」
見ているとアンジェリークは砂糖を立て続けに5杯も入れている。
味も何もあったもんじゃない。
そのままカップに口をつけたアンジェリークは、げっそりと凝視しているオリヴィエににっこりと微笑んだ。
「紅茶のことじゃないんです! オリヴィエ様は、美しさを司る夢の守護聖なんですよね?」
「・・・そうだけど。」
「ってことは、美しさに関してはプロなんですよね?」
「まあ、そうなるかな?」
また雑誌に目を落としたオリヴィエは気のない返事を返した。
「あの、ロザリアってブスだと思いますか?」
「は?」
オリヴィエが顔を上げると、アンジェリークはテーブルから身を乗り出すようにして真剣な表情をしている。
「えーと、それはどういう意味?」
「わたし、ロザリアを最初に見たときにすごく綺麗な子だな~って思ったんです。 気品もあるし、やっぱり庶民のわたしとは全然違うなあって。
それって、間違ってますか?」
まくしたてるアンジェリークの前で、オリヴィエは雑誌を閉じて足を組みかえた。
「確かに綺麗だけどね。・・・なんでそんなことを?」
アンジェリークはさっきのやり取りをオリヴィエに話し始めた。
途中で口をはさんだりしないオリヴィエはとても聞き上手で、つい、ランディたちのことまで話してしまう。
話し終えたアンジェリークはオリヴィエを上目遣いで見ると、「内緒ですよ?」と付け加えた。
了解、とウインクを返したオリヴィエは、おもしろそうな口調で言った。
「つまり、ロザリアは自分のことを『可愛くない』って、思ってるんだね。」
首を縦に振るアンジェリーク。
「あんなにきれいなのに、もったいないですよね。 それに、ロザリアのことを好きな皆さんも、ちょっとかわいそう・・・。」
アンジェリークは紅茶を飲み干すと、そっとカップをソーサーに戻した。
ロザリアとのお茶の時間に「カップを壊すつもりですの?!」と、叱られてから、なるべくそっと戻すようにしている。
「おや。随分お上品になったじゃないか。」
ガチャン、と音を立てることを予想していたオリヴィエが目を丸くした。
にっこりと笑ったアンジェリークが答える。
「ロザリアに教えてもらったんです。わたしって、マナーとか全然知らないから、いつも教えてくれるんですよ?」
他にも勉強とかお菓子作りとか・・・。
アンジェリークの話は延々と続いている。
どうやら、意外にもロザリアはおせっかいな性分らしい。
つんと澄ました顔しか見ていなかったけれど、なかなかどうして。
今までと少し違う興味が自分の中にわいてきたことに気付いて、オリヴィエは内心くすりと笑ったのだった。