Sleeping Pretty

2.


バカは風邪をひかない。
この慣用句が一番に頭に浮かんだ事を申し訳ないと思いつつ、アンジェリークは頬を膨らませた。
「・・・どうして今日なんですか?」
真っ赤な顔をしたランディはその恨めしげな視線にひるみながら、マスクをしているせいなのか、もごもごと返事をした。
「昨日さ、森の湖の下見に行ってきたんだ。そうしたら湖に落っこちちゃって。そのまま考えごとしてたら、風邪をひいたみたいなんだ。」
慣れないことするもんじゃないよな、と続けたランディに、アンジェリークは頷きそうになって慌てて自制する。
考え事というよりはきっと妄想に近かったのだろう。
自分が夢見がちだということを十分に理解しているアンジェリークは、なんとなくランディにシンパシーを感じてしまった。

「せっかくのダブルデートなのに・・・。」
正直、ランディがどうこうよりも、アンジェリークの落胆はそれだ。
やっとこぎつけたオスカーとのプライベートな外出。
目いっぱいおしゃれもして、入念に準備もしたのに、全部パーだ。
ため息をついたアンジェリークにランディは、マンガのようにポンと拳を手のひらに打った。

「俺の代わりに誰か誘ったらどうだい?」
「え?!」
その手があったか!
ランディがなにか言っているのが聞こえたが、アンジェリークの心はすでに『代わり』を選別している。
「でもさ、来週の日の曜日なら俺も…。」
「わかりました!他の方を誘います!」
畳みかけるように宣言して、アンジェリークは走っていく。
ランディはその後ろ姿を茫然と見てつぶやいた。

「本当に他の人を誘うんだ・・・。また今度、とか言ってくれるかと思ったんだけどな・・・。」
そして、はっと気付く。
「あー!ってことは今日、ロザリアはその誰かとデートするってことじゃないか! アンジェリーク、ちょっと待って!」
しかし時すでに遅し。
アンジェリークの姿はとっくの昔に視界から消えていたのだった。


約束の時間通りに待ち合わせの場所に着いたロザリアは、片手をあげたオスカーに軽く会釈を返した。
「やあ、お嬢ちゃん。時間どおりとは嬉しいぜ。俺との出会いを待っていてくれたのかな。」
いつも通りの軽口にロザリアはオスカーを睨みつける。
初めのころはオスカーの言葉を真に受けてドキドキしていたロザリアも今はすっかり慣れてしまった。
ようするに、からかっているだけ。
男に慣れていないと思ってバカにしているのだ、と理解している。

ロザリアの青い瞳がきらりと光るのをオスカーは面白そうに眺めた。
顔をかくそうとでもするように、目深に帽子をかぶりなおしたロザリアは、何も話すことはないとでも言いたげに視線をそらしている。
しかし、そんな態度をされるほど、オスカーという男は構いたくなる性格なのだ。
オスカーが再び口を開こうとした途端、アンジェリークの声が耳に飛び込んできた。

「すいませーん。遅くなりましたぁ。」
ツンと顎を上げたロザリアから小言が飛び出す。
「だから、わたくしが迎えに行くと言ったのに。 あんたったらわたくしより先に寮を出たくせに、どうして遅れるのよ?」
言いながらアンジェリークのリボンを直す姿はまるでお姉さんのようだ。
くすっと、笑い声が聞こえたような気がして、ロザリアは視線を上げた。
「ごめんなさーい。ランディ様からお手紙が届いて慌てちゃったの。それで・・・。」

アンジェリークの隣には、なぜかオリヴィエが立っている。
いつもの派手なスタイルでないせいで、ロザリアはすっかり気が付かなかったが、さっきの笑い声の出所は彼に違いない。
「ランディ様、来れなくなっちゃったから、オリヴィエ様にご一緒してもらうことにしたんだけど・・・。いいかな?」

「べつにかまわなくてよ。でも、今日はランディ様が綺麗な花の咲いているところに案内してくださるんじゃなかったの?」
不審げに首を傾げるロザリアにアンジェリークは慌てて両手を振った。
「そ、その花の場所ならわたしも知ってるの。だから大丈夫よ!」
「そう。では、行きましょう。」
くるりと向きを変えたロザリアの後ろでアンジェリークは安堵の息を漏らした。
ここで、「今日はやめましょう」なんて言われたら、計画は台無しになってしまうところだった。

「よかったね。」
小声で言うオリヴィエにVサインをして見せるアンジェリーク。
どんどん湖へと歩き出すロザリアに、オスカーがなにか言っている。
ロザリアは不機嫌そうだが、オスカーは何やら楽しそうだ。
「ちょっと待ってー。」
それを見たアンジェリークがあわてて走り出して、二人の間に割り込んでいく。

「オスカー様は、どんな花が好きなんですかあ?」
「どんな花もそれぞれに魅力があるぜ。 小さな野の花も、可憐な薔薇も…な。」
意味ありげなオスカーの言葉にアンジェリークはうっとりして、ロザリアは呆れたような顔をしている。
こうまで対照的だと逆に気が合うのだろうか。
オリヴィエは子猫のようにじゃれあう少女たちを見て、ゆっくりと後ろを歩いていったのだった。


爽やかな風の流れがロザリアのキレイに巻かれた髪をほどいていく。
つばの広い帽子を右手でしっかりと押さえながら、ロザリアはアンジェリークとオスカーから少し離れて歩いていた。
オリヴィエはなんとなくロザリアがわざとゆっくり歩いているような気がして、追い越すことはせずにさらに後ろから付いていた。
ロザリアが何度か立ち止り、オリヴィエにちらりと視線を投げてくる。
その青い瞳の中に微妙な色を感じ取って、オリヴィエは首をかしげた。
そうやって、少し時間をかけながら湖のほとりまで来ると、突然に視界が開けて、輝く湖面が現れる。
もちろん気持のいい気候なのは言うまでもなく、キラキラと輝く湖は見ているだけで様々な色を映し出して美しい。
柔らかな草がなびく小道を歩いていると、ロザリアがオリヴィエをまた、ちらりと見た。
理由を聞くには少し離れ過ぎている、と思ったオリヴィエが近づこうとしたときに、ロザリアが突然足を抑えてうずくまった。

「足が…。」
オリヴィエは走り寄ると、足首を抑えているロザリアを覗き込んだ。
「大丈夫?ひねったの?」
日の曜日なのでいつものヒールではないが、ロザリアの履いている靴はあまり歩くのには適しているとは思えないパンプスだ。
こんな道を歩いていれば、怪我をしてしまうのも無理はない。

「ちょっと見せてごらん。」
オリヴィエが手を伸ばしてロザリアの足に触れると、ロザリアは真っ赤な顔をして、足を動かした。
「女性の足に触れるなんて失礼ですわよ!」
あまりに自然に動いた足にオリヴィエが口を開きかけると、背後から足音が聞こえる。

「ロザリア!大丈夫?怪我したの?」
「どうしたんだ?」
先を歩いていた二人が戻って来たらしい。
心配そうなアンジェリークにロザリアが微笑んだ。

「ごめんなさい。足を痛めてしまったみたいなの。こんな靴を履いてきたのが間違いでしたわ。
 わたくしはオリヴィエ様とここで休んでいますから、二人で奥へ行ってらして。」
ロザリアがさも残念そうな顔でそう言うと、
「そういうわけにはいかないだろう。 俺が候補寮まで送って行こう。」
オスカーが今にも抱きかかえそうな勢いでロザリアの前にかがみ込んだ。

「守護聖様にそんなことはさせられませんわ。 それに、少し休めば痛みも引きそうですし。
 あとで追いかけますから。 どうぞ、アンジェリークと先に行ってくださいませ。」
ロザリアは頑として譲ろうとしない。
思案顔のオスカーの腕を、アンジェリークがソワソワと引いた。
「ロザリアもああ言っているし…。」
「だが、怪我をしているというのなら…。」
オスカーもまた譲る気配がない。

押し問答を繰り返しているうちに、
「大丈夫。私が付いているんだから。 
 自分のせいで、せっかくのお出掛けがフイになったんじゃ、ロザリアだって気分がよくないでしょ?
 アンジェリークだけでも楽しんでこなくちゃ。」
咄嗟にオリヴィエがそう言ってしまったのは、ロザリアの瞳が妙な風に輝いていたからだ。
それはオリヴィエが今までに見ていたツンとした雰囲気とは違う色をしていて。
彼女の思惑に付き合ってみたくなった。


「ありがとうございます。 オリヴィエ様。」
アンジェリークとオスカーが木々の向こうに消えていくのを見送ったロザリアは、すくっと立ち上がると、オリヴィエに淑女の礼をした。
もちろん足の痛みなど、微塵も感じさせない動きだ。
オリヴィエの顔に笑みが浮かぶ。

「いいよ。 二人っきりにさせたかったんでしょ?」
アンジェリークがオスカーにメロメロなのは誰が見てもまるわかりだ。
もっともオスカーの方にその気がないことも誰が見てもまるわかりだったが。
「ええ。 オリヴィエ様には申し訳ないですけれど、アンジェリークはオスカー様が好きなんですわ。
 わたくし、二人を結び付けてあげたいんですの。」

ロザリアの瞳が本当に申し訳なさそうに伏せられて、オリヴィエは首をかしげた。
なにかとんでもない勘違いをされている気がする。
「なんで、私に申し訳ないの?」
腕を組んで、ロザリアを見下ろすと、ロザリアはハッと目を見開いた。
とても困ったような、落ち着かない表情は、オリヴィエが今までに見たことがない顔だ。

「だって、オリヴィエ様もアンジェリークのことをお好きなんでしょう?
 とても仲が良さそうですし。」
「仲がいいのは否定しないけどね。
 アンジェリークって、なんか妹みたいに思えちゃってさ。 ほっとけないっていうか。
 子犬っぽいっていうか…。 少なくとも女の子としてどうの、っていうのとはちょっと違うかな。」
オリヴィエがうんうんと頷きながら言うと、ロザリアはくすくすと笑っている。
「わかりますわ。
 アンジェリークって、本当にとっても…可愛いですもの。」
言いながらも、一瞬、ロザリアの瞳がとても寂しそうに揺れたことに、オリヴィエは気が付いた。
この間、アンジェリークが言っていたことが、不意に頭に思い浮かんでくる。

『ロザリアは自分のことを可愛くないと思っている』
あの時はとても信じられなかったが、今、目の前にいるロザリアは、ひどく頼りなさそうで、触れたら崩れてしまいそうなほど可憐だ。
いつも高飛車で尊大な態度を崩さないロザリアは、出自や容姿も含めて、自信に満ちているように見えて。
近寄りがたい、と、オリヴィエも思っていた。
そんな彼女が垣間見せた小さな傷。
もっと知りたい、と思ってしまった。


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