3.
「可愛い、か。」
「ええ…。 アンジェリークはとても可愛くて、女の子らしくて。
皆様から愛されるのも当然ですわ。」
「私から見れば、あんたもかなり可愛いと思うけど。」
ついぽろっと漏れてしまった本音。
オリヴィエに向けられるキレイな青い瞳は、よく見ればくるくると表情が変わり、飽きない。
風に揺れる長い髪も、ふわふわと柔らく。
艶々とした白い肌にある桜色の頬と唇に至っては、思わず触れてみたくなるほどだ。
けれど、ロザリアはそんなオリヴィエの言葉に、ひどく傷ついたような瞳をした。
「わたくし、可愛くなんてありませんわ。」
冷静過ぎるほどの固い声。
「可愛いと思うよ。」
オリヴィエも頑として譲らない。
「可愛くなんてありません!」
「いやいや、可愛いってば。」
何度か同じやり取りを繰り返しているうちに、ロザリアはだんだんヒートアップしてきたのか、顔を耳まで真っ赤にして、オリヴィエを睨み付けてくる。
ムキになるロザリアが本当に可愛くて、つい、オリヴィエはくすっと笑みをこぼしてしまった。
すると、ロザリアはハッと我に返ったように肩を落とすと、作り物めいた笑みを浮かべた。
「…からかっていらっしゃるんですわね。
ええ、今更オリヴィエ様に言っていただかなくてもわかっていますわ。
わたくしが可愛くない、と最初に言われたのは、幼稚舎のころでしたの。」
突然、語り始めたロザリアにオリヴィエは口を挟まずに話に聞き入る。
「スモルニイは女子校ですけれど、時々近くの男子校と交流がありましたの。」
幼稚舎のころ。
園庭で一緒に遊ぶ、という交流会で、一部の男の子たちが、スモルニイの女の子を追いかけまわし始めた。
始めは些細な鬼ごっこだったのが、次第にエスカレートし、中心になった悪ガキが一人の女の子に狙いを定めると、その子が転ぶまで追いかけ続ける。
よくある悪ふざけだが、追いかけられる方にとってはかなりの恐怖だ。
先生の制止も、やんちゃな男の子たちには効果がない。
普段穏やかなスモルニイだけに、こういう対処には先生方もあまり慣れていなかったのだ。
ロザリアは初めから、その遊びの輪には入らず、一人、木陰で絵本を読んでいた。
走るのが嫌いなのは、今も昔も変わっていない。
やがて、一人の女の子が追いかけられて、ロザリアの目の前で大きく転んだ。
転んだ拍子にスカートがまくれ、下ばきが見えた女の子は、恥ずかしさと怖さで大きな声で泣き出してしまった。
その周りで男の子たちはからかうように手を叩く。
先生たちはオロオロするばかりで、まともに注意することもできず、様子をうかがっているばかりだ。
ロザリアは絵本を置き、すくっと立ち上がると、中心の悪ガキの前で腰に手を当てて、言い放った。
「あなたたち、いい加減になさい。 そんなことをして恥ずかしいと思いませんの?
倒れた女性を助けることもしないなんて、男として最低ですわよ。」
同じ年のロザリアに叱責され、悪ガキは少し怯んだ表情を見せた。
ロザリアの青い瞳は、相手をまっすぐに見つめ、目を逸らす隙も与えない。
おそらく、彼の短い人生で、こんなことを言われたのは、初めてだっただろう。
走っていたせいで上気していた頬がロザリアを見て、さらに赤くなっている。
周囲にいた男の子たちも、バツが悪そうにうつむいて、徐々に下がり始めていた。
「な、なんだよ。 コイツが勝手に転んだんだろ!」
それでもリーダーの気概なのか、悪ガキが大声で反論を始めた。
「転んだ理由は関係ありませんわ。
困っている女性がいたら、助けるのが当然でしょう?
その当然のことすらわからないのかしら?」
大人に囲まれて、女王候補として育てられているロザリアにとって、悪ガキは『子供』、しかも、かなり出来の悪い存在。
『教えてあげている』という態度が、ロザリアからは滲み出ていた。
しんと静まり返る園庭。
穏やかな季節は爽やかな風を運んできているはずなのに、子供たちはどこかうすら寒いような顔をしている。
やがて。
「このブス! お前みたいなブス、あっち行ってろ!」
悪ガキの叫び声があたりにこだました。
「ブス…?」
一瞬、ロザリアは何を言われたのかわからなかった。
蝶よ花よと育てられてきたロザリアの辞書に、「ブス」という文字は今まで一度も出てきたことがなかったのだ。
「ブスのくせに! お前みたいな女とは絶対に一緒に遊ばないからな!」
悪ガキは捨て台詞を残して、あっという間にロザリアとは正反対の方へ走り去ってしまった。
つるんでいた男の子たちも、続いて散らばっていく。
そして、もともと時間通りだったのか、それとも急遽切り上げたのか、すぐに交流会は終了し、ロザリアの心には『ブス』の一言が刻み込まれた。
後ほど、その意味を知った時の衝撃は、今でも忘れられない。
家族やばあやからは 『キレイ』と言われ続けてきたけれど、それは家族のひいき目で、異性からは『ブス』だったのだ。
そう言えば、大好きな絵本の悪い魔女も青い目で人を凍らせる。
頭が蛇になっている怪物の髪色も青だ。
それに比べてお姫様はいつだって、金色の髪で優しい色の瞳をしていて。
…自分とはまるで違う。
幼いロザリアが自分の容姿を『可愛くない』と理解したのは無理もないだろう。
「それだけではありませんわ。
初等部の時も。」
同じく男子部との共催だった文化祭。
なぜか最初から、ロザリアは一部の男子に好かれていない雰囲気を感じていた。
ひそひそと陰口をきかれていたり、リボンを隠されたり、不愉快な行動ばかりをされていたのだ。
彼らとはもちろんその時が初対面で、失礼な行為をした記憶もない。
始めの内こそ、そのいちいちに腹を立てていたが、男子たちはロザリアが怒れば怒るほど、喜んでいるようにも見える。
だんだんばからしくなって、彼らの相手をすることをやめた。
すると、やはりいつの間にか『可愛くない』と噂されるようになっていた。
『気が強い、わがままなお嬢様』。
あからさまに『もっと可愛げがあればな。』と言われたこともある。
スモルニイが女子校でほとんど異性との接点がなかったことも、原因の一つではあったかもしれない。
ロザリアは男の子の心理というものを全く理解できなかったのだ。
意地悪なことをされたり言われたりすることが、全て自分への悪意だと捉えてしまった。
そんなことが続いて、ロザリアはなんとなく容姿に引け目を感じるようになっていたのだ。
「ずっとそうなんですの。
わたくしは可愛くなくて、男性からはいつも嫌われていましたわ。
ここへ来てからも、同じ。
皆様、わたくしにはどこかよそよそよそしくて、アンジェリークとは接し方が全然違いますもの。
・・・別に気にしていませんけれど。」
一気に話したロザリアは、ふう、と大きく息をついた。
今まで誰にも話したことがなかったのに、なぜ、こんなことを言ってしまったのだろう。
しかも相手は守護聖で、女王試験にも大きな影響を持つというのに。
ロザリアはちらりとオリヴィエに視線を向けた。
きっと彼は呆れて…ロザリアを憐みの目で見ているに違いない。
ところが、オリヴィエはとても楽しそうにくすくすと笑っている。
目じりにほんのり涙まで浮かべて。
「オ、オリヴィエ様!」
憤慨したロザリアが食って掛かると、オリヴィエは、もう我慢できない、とでも言いたげに、大声で笑いだした。
「ちょ、怒らないで。 ふざけてるんじゃないんだ。
あんたがさ、あんまりにも、可愛いから。」
ひいひいと笑うオリヴィエに、ロザリアは顔を赤くしながらも、何も言い返さなかった。
笑われる、というのは、ある意味新鮮だ。
いつだってロザリアに対する男性の態度は一歩引いた、どちらかと言えば冷たいものだったから。
ひとしきり笑った後、オリヴィエは 「ゴメン。」 と、小さく頭を下げた。
「笑うなんて、失礼だったよね。
でもさ、 小さいころのあんたの姿と、その周りの男どもを想像したら、もう、可愛くてさ。」
ロザリアは無表情な顔でオリヴィエをじっと見ている。
その瞳は冷ややかで、ツンと顎をあげた姿はオリヴィエを見下しているようだ。
今の話を聞く前ならば、たしかにオリヴィエも『可愛げがない』なんて思ってしまったかもしれない。
けれど、今は知ってしまった。
これは、彼女なりの鎧なのだ。
無表情に見えるのも、つい高飛車になってしまうのも、どこか距離を置いた守護聖との関わり方も。
ずっとロザリアが積み重ねてきた誤解が作り上げたもの。
「ね、ロザリア。
あんたはそのままでいいの?」
「そのまま?」
「そ。 このまま、可愛くないって言われ続けていいの? ってこと。」
「それは…。 でも、仕方がないですわ。
顔を変えるなんて、整形でもしなければ無理ですし、可愛くなるなんて…。」
オリヴィエは人差し指で、くい、とロザリアの顎をあげた。
ビックリして青い瞳を真ん丸にしているロザリア。
こんなにキレイで可愛いのに、それを当の本人が知らずにいるだなんて、本当にもったいない。
「私にまかせてくれない?
あんたをとびっきりの可愛い女の子にしてあげる。」
「え?」
ロザリアの目がさらに丸くなる。
ああ、可愛い、と、オリヴィエは心の中でつぶやいた。
こぼれそうなほどに見開いた青い瞳は、まるで、永い眠りから覚めたお姫様のようだ。
できることなら彼女を自分の手で救ってあげたい。
きっと王子もこんな気持ちで姫の手を取ったのだろう。
可愛い女の子を前にした男の気持ちなんて、王子でも守護聖でも大した変りはない。
「おしゃれして、メイクして。
女の子はそれだけで全然変わるんだ。 ほんの少し努力するだけ。
ちょっとしたことで、いくらでも可愛くなれるよ。
試してみない?」
美しさを司るオリヴィエが言うからだろうか。
ロザリアはなぜか、その言葉を信じてみたくなった。
本当はずっと、可愛くなりたかったのだ。
絵本の中のお姫様のように。
黙ったままのロザリアを、オリヴィエは肯定だと受け取ったらしい。
ロザリアの手を取ると、さっさと歩き出した。
「え、オリヴィエ様。 どちらに? 花園はそちらじゃありませんわ。」
引きずられながらも、ロザリアが咎めると。
オリヴィエはにっこりと笑って、派手なウインクを一つ。
「善は急げ、だよ! アンジェだって、私達が来ない方が絶対喜ぶに決まってるんだからさ。
今頃、オスカーとイイ感じかもしれないし。」
「…それもそうですわね。」
ロザリアがにっこりとほほ笑み返して、オリヴィエは目を見開いた。
作り笑いじゃない。 愛想笑いでもない。
本当のロザリアの笑顔は、ちょっとドキッとしてしまうほど、可愛い。
なぜか、ぴゅうと口笛でも吹きたい気分になったオリヴィエは、ロザリアをそのまま自分の私邸へと連れて帰ったのだった。