Sleeping Pretty

4.


翌日。
聖殿へと歩いていたロザリアは、背後からの大きな呼び声に振り返った。
「ロザリアー!!! 待ってーー!!! 一緒に行こう!!」
大きく手を振るアンジェリークに、ロザリアが立ちどまる。
アンジェリークは目いっぱいで走ってくると、ロザリアの隣に並んだ。

「昨日はオリヴィエ様とどこ行っちゃったの? 全然追いかけてこなくて、心配したんだから。」
と言っても心配していたのは、もっぱらオスカーで、アンジェリークは二人きりであることに浮かれていて、それどころではなかったのだが。
ここはオリヴィエの予想通りだったと言えるだろう。
ロザリアもそれを感じ取って、クスリと笑う。

「オリヴィエ様のお屋敷ですわ。」
さらっと返したロザリアにアンジェリークは 「ええっ!!!」と大声をあげた。
「うわー、オリヴィエ様、意外と手が早いんだ!
 いきなり、自宅?! ロザリアもいいの?!
 まさか先越されるなんて~。」
「ちょっと…。あんた、どういう想像してるのよ。
 そういうのではなくて。」
呆れたロザリアがアンジェリークに目をやると、アンジェリークはロザリアの顔をじっと穴が開くほど見つめている。

「な、なんですの?」
たじろぐロザリアに、
「あ、ロザリア、メイク変えたでしょ? なんか、ふんわり系!」
アンジェリークがポンと手を叩いた。

『全体のトーンをピンクで統一して。
ほんのりとした頬の赤みは薄く広く、チークを入れて。
睫毛は長いから、目はそのままで十分。
あとはリップ。
パールピンクのつやつやグロスで、おいしそうな唇に、ね。』
昨日、オリヴィエが教えてくれたメイクを、ロザリアは早速実践していた。
おかげで朝の支度にいつもの3倍の時間がかかったのだが、それは仕方がない。

「オリヴィエ様でしょ? 今までのロザリアと違った感じになってて、すごく可愛い!」
嬉しそうなアンジェリークに、ロザリアの胸が高鳴った。
『可愛い』という言葉が何度も何度も頭の中でリフレインして、つい顔がにやけけしまう。
目指しているアンジェリークからの言葉だから、喜びもひとしおだ。

「いいなあ。 わたしも教えてもらおうかなあ。」
「あんたはいいじゃない。」
十分可愛いんだから、という言葉は飲み込んだ。

「もっと大人っぽくなりたいの。
 だってオスカー様ったら、わたしのことなんて全然子ども扱いなんだもん。」
悲しそうにわずかに伏せられた睫毛。
ロザリアにとって、理想に近いアンジェリークの可愛らしさも、彼女の恋にとっては意味のないことらしい。
本当に世の中というのは無情だ。
ロザリアはそんなアンジェリークの背中にそっと手を添えて、励ますように撫でた。
「一緒にオリヴィエ様のところに行きましょう。
 わたくしも今日のメイクの出来栄えを見て頂こうと思っていましたの。」



アンジェリークを伴って現れたロザリアを見たオリヴィエは、思わず目を細めた。
教えたとおりのふんわりメイクは、ロザリアの整いすぎた顔立ちを優しい印象に変えている。
特にグロスをたっぷりと塗ったつやつやの唇は、触れてみたくなるほど可愛らしい。
本当に女の子というのはメイク一つで変わるものだと、感動すら覚えてしまう。

「オリヴィエ様、おはようございます。」
淑女の礼をするロザリアと、ぴょこっと頭を下げたアンジェリーク。
オリヴィエは二人に向かって、「はあい。朝から仲良くどうしたの?」と軽く手を振った。


「眉を変えて、チークはオレンジね。
 ピンクは甘くなっちゃうから、リップもちょっとヌーディにしようか。」
オリヴィエの綺麗な手がアンジェリークの顔を滑っていく。
手の触れる場所がだんだん変わっていく様は、まるで魔法のようだ。

昨日、一日を一緒に過ごしてみて、ロザリアはオリヴィエのいろんな一面を発見した。
たとえば、お茶一つでさえも、ロザリアの好みを優先してくれる心遣いだとか。
他人のことなど興味がなさそうに見えて、きちんと周りを把握しているクレバーさだとか。
…意外に男らしい横顔だとか。
話してみなければきっとわからなかっただろう。
そしてなによりも、彼はロザリアを一瞬にして変えてしまった。
オリヴィエの手で整えられた自分の顔を見た時。
驚きと喜びと、そして、鏡越しに合わせたオリヴィエの瞳の優しさに舞い上がった。
まるで彼は魔法使い。
ロザリアは魅入られたように、オリヴィエの手の動きを追いかけていた。


「ロザリア、どう?」
話しかけられて、ようやく我に返ると、鏡の中のアンジェリークは可愛らしい容姿はそのままなのに、いつもと少し雰囲気が変わっている。
ナチュラルなのに、艶っぽい。
「ステキよ。 そうね、ちょっと頭がよく見えるわ。」
「もう!」
ぷうっと頬を膨らませたアンジェリークに、オリヴィエは苦笑した。

「ねえ、アンジェ。
 いくらメイクを変えても、それだけじゃダメなんだよ。
 印象って、言葉やしぐさでもずいぶん変わるんだ。
 演技でもいいから、大人の女性を意識してごらん。
 本当にオトナっぽい女性になりたいなら、そんな顔はしないこと。」

つん、と鼻先を人差し指で弾かれて、アンジェリークは膨らませていた頬を急激に引っ込めた。
「そうよね。 大人の女性はこんな顔しないもん。」
「もん、って言う言葉もどうかしら?」
「そ、そうね。 …ほほほ、わたし、このまま行きたいところがありますから、お先に失礼いたしたく…いたそうと、いたしますわ!
 じゃね!ロザリア!」
ウキウキと飛び跳ねるようにして、アンジェリークは出て行ってしまった。
バタン、と耳が痛くなるほどのドアの音を残して。


「まったく、アンジェは面白いよね。」
クスクスと笑うオリヴィエに、ロザリアも笑みを返した。
「ええ。 本当に。 可愛いですわ。」
ため息交じりのロザリアに、オリヴィエは、おや、というように片眉をあげ、ロザリアの瞳を覗き込んだ。
「昨日も言ったでしょ。
 あんたもすごく可愛いって。 今日はさらに10割増しだし。」
「…オリヴィエ様の言うとおりにメイクしてみましたの。 アンジェにも褒められましたわ。」

恥ずかしそうにほほ笑むロザリア。
オリヴィエはつい手を伸ばして、頬に触れてしまった。
驚いたように瞳を見開いたロザリアと目が合って、自分の動作に慌てて言い訳をする。
「肌の調子もイイみたいだね。」
こくりと頷いたロザリアは、とくに不審を感じなかったらしい。
ホッとしたオリヴィエはすぐに手を離した。

「あとは、アンジェにも言った通り。
 あんたが思う、可愛い女の子を演じてみたらいい。
 そのうち、演技が本当のあんたの一部になるよ。」
「はい。頑張ってみますわ。
 女王になるなら、皆様に好かれることも大切ですもの。」
ちくり、とオリヴィエは胸に刺さる棘を意識した。
皆に好かれる女王。
彼女の望むもの。
「では、失礼いたしますわ。 オリヴィエ様。」
当たり障りのない世間話を少し交わしてロザリアが出ていくと、なぜかオリヴィエは小さくため息をついた。



「あ、ロザリア! 昨日はゴメン!」
突然、廊下の隅から飛び出してきたランディにロザリアは後ずさりした。
「急に熱が出ちゃってさ。 俺、丈夫なのが取り柄だったのに、カッコ悪いよな。
 せっかくの約束だったのに、ホントにゴメン。」
頭を膝にくっつけるような勢いで、ランディは頭を下げ続けては、自分がどれほど残念だったか、という事を延々と話している。

「そんなにお気になさらないでくださいませ。」
ランディには申し訳ないが、ランディが来なかったおかげでオリヴィエと有意義な一日を過ごすことができたのだ。
残念どころか、むしろラッキーだったのではないかとすら思う。
そうランディに告げようとしたロザリアだったが、オリヴィエのことを思い出してふと閃いた。

『ランディ様がいらっしゃらなくて、むしろ幸運でしたわ。』
今までのロザリアならそう言っていた。
けれど、アンジェリークなら。
「ランディ様とお会いできなくて、わたくしも残念でしたわ。」
きっとアンジェリークならこう言うだろう。
可愛く、小首を傾げたりして。

すると、ランディは真っ赤になって、急に口ごもり始めた。
「いや、その、俺…。
 あのさ、じゃあ、昨日のお詫びに、今度の日の曜日に花園に案内させてくれないかな?
 ロザリアに絶対見てほしいんだ。」
「今度の日の曜日…。」

昨日遊んでしまった分、今度の日の曜日はレポートを作成するつもりだった。
断ろうとしたロザリアの脳裏に、また、オリヴィエが浮かぶ。
そう、こんな時もアンジェリークならきっと。

「ええ。喜んで。」
にっこりとほほ笑んで、じっと上目づかいでランディを見つめる。
アンジェリークは誰かと話す時、ロザリアのように顎をあげて見据えるのではなく、少し上目づかいになるのだ。
そんな風に見られた時は、ロザリアですら、ドキッとするほど可愛くて。
その仕草をちょっと真似してみた。

「わ、えっと、あの。」
ランディは真っ赤になったまま、もごもごとしている。
そして、不自然なほど急に、ぱっとロザリアから飛んで離れた。
「あ、あとで、また、連絡するからさ。 じゃ!」
走り去っていくランディを、ロザリアはぽかんとして見送った。
一体、彼はどうしたというのだろう。
「話すのも嫌なら誘わなくてもよろしいのに。」
つい、こぼれた愚痴は、もちろん誰も耳にも届かない。

ランディの背中を見送ったロザリアは、それでも満足していた。
きっと今までなら、日曜日の約束もなく、その場で終わっていただろう。
それもこれもオリヴィエのアドバイスのおかげ。
つい笑みを浮かべていると。
今度はゼフェルが前からやって来た。


「よお。 こんなとこでなにニヤニヤしてんだよ。」
「ニヤニヤだなんて、失礼ですわよ。」
ムッと眉を寄せて抗議したロザリアは、ハッとして口をつぐんだ。
これではいつもと同じ。
ロザリアはこほんと喉を鳴らすと、さっきと同じように小首を傾げてゼフェルを見た。

「ランディ様が今度の日の曜日にお誘いくださいましたの。
 はじめてだったものですから、嬉しくて。」
「ランディ野郎が?! おめーを?」
「ええ。」

本当に初めて誘われたのだから仕方がない。
今までの日の曜日と言えば、アンジェリークと出かけるか、勉強しているかだった。
深く考えていなかったけれど、これはかなり楽しみなことなのではないだろうか。
思わずロザリアに自然な笑みが浮かぶ。
けれど、ゼフェルはロザリアの言葉を聞いた途端に苦虫を噛み潰したような顔をして、イライラとつま先で床を叩いた。
そして。

「じゃあよ、その次の日の曜日はオレに付き合えよ。
 こないだのホログラフィーのでかいヤツを見せてやる。」
「まあ。本当ですの?」
目を輝かせてゼフェルをじっと見つめたロザリアは、ゼフェルがふいに顔をそむけたのに気が付いた。
つい、素のままで喜んでしまったが、やはりゼフェルにそっぽを向かれてしまったではないか。
可愛さを演じなければ。

すう、と小さく息を吸い込んだロザリアは、にっこりとほほ笑んで、上目づかいにゼフェルを見上げた。
もっとも二人の身長差では、見上げる、とまではいかなかったが。
なぜか赤くなって、後ずさりするゼフェルとしっかりと目を合わせ、
「すごく嬉しいですわ。 …ぜひお伺いさせてくださいませ。」
声の調子まで変えてみた。
ゼフェルはギョッとした様子でそのまま後ずさると、「ああ。」と、これまた逃げるように去っていく。
ロザリアは首を傾げながらも、二つ目の約束ができたことを素直に喜んでいた。


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