きっと君を思い出す

256代女王即位4380日目


「長い間、わたくしの支えとなってくれて、ありがとう。」
玉座のロザリアは最後の言葉に、今まで仕えてくれた守護聖や女官、職員たちへのお礼の言葉を選んだ。
女王になってから、いろんなことがあった。
新宇宙の発見や、皇帝の侵略。
小さな事件を数え上げればきりがない。
それらをなんとかこなして、こうして、女王最後の日を迎えられたのは、やはり、皆のおかげだと思う。

「うわ~~ん。」
「…あんたが先に泣いたら、わたくしはどうしたらいいのよ。」
すでに号泣している傍らのアンジェリークに、ロザリアは小さく笑う。
でも、アンジェリークが先に泣いてくれてホッとしていたのも事実だ。
できれば笑顔でおわりたいと、ずっと願っていたから。

「ホラ、あんたは次の女王にもお仕えするんだから、めそめそしてる暇なんてないでしょう?」
ルヴァと結婚したアンジェリークは、ルヴァの守護聖の任期が終わるまで、聖地にとどまることになっている。
とりあえずは次代の女王の補佐官として、執務を続けることも決まっているのだ。
「わかってるううう。 わかってるけどおおお。」
「全く、わたくしたち、もういい年なんですのよ? 皆に笑われますわ。」

在位期間13年というのは、長い宇宙の歴史では、短い方だ。
ロザリアの女王としてのサクリアは、大半をあの宇宙の移動に使ってしまっていた。
ただ、短い間でも、名君と呼ばれるにふさわしい時代を築けたことは、ロザリアの密かな誇りでもある。
あの時、女王さえも諦めていたら、こんな気持ちにはなれなかった。
だから、どんなに苦しい時があったとしても、全ては良い思い出なのだ。
今はそう思える。


「さ、行こうか。」
玉座を降りたロザリアの手を、オリヴィエがそっと握り、エスコートする。
ごく自然な動作は、二人の間でそれが慣れた行為であることを示していた。
ただ一つ、今までと違うのは、オリヴィエの姿だ。
派手な執務服ではない、ありふれたグレーのスーツ。
ネイルもなく、切りそろえられた爪は意外に骨ばった男性らしい手に似合っていた。

ロザリアが女王になると決意を新たにした、あの時から、オリヴィエはロザリアを支え続けてくれた。
何かに悩んだ時。困った時。
どんな立場の時も、ごく自然に、オリヴィエの手はロザリアの前に差しのべられていて。
オリヴィエの包み込むような優しさで、いつの間にかロザリアの心は癒えていった。
感謝の気持ちが、愛に変わっていくのは、当たり前のことだったのかもしれない。

ロザリアが想いを伝えた日。
「ねえ、私があんたに一目ぼれだった、っていったら、信じるかい?」
オリヴィエはそう言って、ロザリアを抱き上げると、何度もキスの雨を降らせた。
ロザリアが手に入れた、新しい恋。
初恋はあまりにも激しくて、何もかも捨ててしまおうとすら思ったけれど。
二度目の恋は、全部守りたいと思った。
女王を全うして、今日からは、オリヴィエと二人で、下界での新しい暮らしが始まるのだ。

「行きましょう。」
暖かな恋人の手に、ロザリアもそっと力を込めて握り返すと、瞳を合わせて微笑みあった。
手をつなぎ、聖地の門へと向かう。
アンジェリークの別れの言葉が聴こえなくなりかけたところで、ロザリアは一度だけ振り向いた。
もう見えないかもしれないけれど、大きく手を振って。
頬を伝う涙は哀しみの涙ではないけれど、寂しいと思う気持ちは止められない。
大切な人。 大切な場所。
ロザリアが手を振る姿を、オリヴィエが暖かな瞳で見守っていた。


ジュリアスは眺めのいい場所に立ち、遠ざかる二つの背中を見つめていた。
あの門をくぐれば、世界は分かたれ、二度と会う事もない。
彼女の声を聴くことも、笑顔を見ることもできなくなる。

「ああ~、こんなところにいたんですねぇ。」
探した、とは言わないルヴァは、おそらくジュリアスがここにいることを知っていたのだろう。
聖地の門を遠く望める場所は、ここくらいしかない。

「行ってしまいましたよ。 陛下…いえ、ロザリアは。」
「ああ、知っている。」
ルヴァはジュリアスの隣に立つと、遠くを見る時の仕草で、手のひらを額にかざした。
二つの影は小さくなっていて、かろうじて、彼女の髪色がうっすらと草地に浮かんでいるだけだ。
あと少しで門を出て、彼らは只人になる。
二人揃って。

「どうやってオリヴィエのサクリアを操作したのだ?」
ジュリアスの問いかけにルヴァは、とぼけたような笑みを浮かべる
「さあ? 何のことですかね?」
女王のサクリアの衰えと共に、急激にオリヴィエのサクリアも減少していった。
同時期の退位は異例中の異例だ。
ましてや、想いあう二人となれば、何らかの作意があったと思うのが普通だろう。

「ロザリアにも幸せになってほしいと、妻が毎日泣くんですよ。
 さすがに放っておけないじゃありませんか。
 それに私も…ロザリアには幸せになってほしいと思ったんです」
やはりそうだったのか、とジュリアスは納得した。
宇宙一の賢者と言われるルヴァならば、そのくらいのことができても不思議ではない。

「彼女は幸せになれると思うか?」
「ええ。 オリヴィエならきっと、彼女を幸せにしてくれると思いますよ。」
「そうか…。」

ジュリアスの長い髪を風がゆっくりと撫でていく。
この爽やかな風も、暖かな日差しも、広大な自然の何もかもが、宇宙のすべて。
あの時、ジュリアスが選ばなければ、今頃はこのすべてが失われていたのだろう。
荒れ果てた地や苦しむ人々。
それらを救うための自分の決断を間違っていたと思ったことはない。
なのにこの、心の苦しさは、痛みは。
ジュリアスは胸に手を当てると、そこでグッと拳を握った。

「ジュリアス?」
「すまないが、先に戻ってもらえないか。 式典には間に合うように戻る。」
一人にしてほしい、と願うジュリアスの心を汲んだのか、ルヴァは静かに去っていく。

今も、何度考えても、ジュリアスの答えは同じだ。
宇宙を救うため、ロザリアを女王にする。
ジュリアスのために試験を降りるとまで言ってくれた彼女を翻意させるには、あの時、別れを告げるしかなかった。
女王になる道を選ばせるには、あの方法しか。

ロザリアに事情を話せば、と考えなかったわけではないが、あの時はお互いに恋に溺れ過ぎていた。
宇宙と引き換えにしても恋を全うしたい、と彼女に言われたなら…ジュリアスにもそれを止めるすべはなかっただろう。
どこまでも共に堕ちていく。
宇宙が崩壊していこうとも。
けれど、それは光の守護聖として宇宙を守り続けてきたジュリアスには、どうしてもできないことだった。

そして、もう一つ。
ジュリアスは『愛』を完全に理解していなかったのだ。
たとえあんな別れをしても、どこかでロザリアは許してくれると思い込んでいたような気がする。
なにをしても、きっとジュリアスを想い続けてくれるだろう。
女王になってからでもすべてを明かせば、また、想いを通じ合うことができるだろう。
そんな勝手な想像をしていた。
もちろんロザリアを責めるつもりはない。
オリヴィエを恨む気持ちもない。
『愛』がお互いに育てていかなければ、朽ちてしまうものだと知らなかったのは、ジュリアス自身の落ち度だから。


門の前でロザリアが立ち止まった。
その時、一瞬だけ。
ロザリアの視線がジュリアスをとらえたような気がした。
ジュリアスの想い過ごしかもしれない。
視線が合ったと思うには、あまりに距離が遠すぎる。
けれど、ジュリアスはそう感じた。

その一瞥が、彼女からの永遠の別れのあいさつなのだ、と。

「私は…光の守護聖だ。」
なによりも宇宙の安寧を優先していく。
誰が知らなくとも、自分自身が、この選択を誇りに思うことができればいいのだ。

…それでもきっと、最期の時。
彼女のことを想いだしてしまうのだろう。
あの美しい青い瞳を。
優しい声を。
あたたかな唇を。

門の向こうに二人の影が消えた時。
ジュリアスはただ、穏やかに流れる聖地の風に身を任せていた。


Fin


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