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うららかな日の曜日の午後。
ジュリアスは私邸のリビングでソファに座り、真正面からテレビを見ていた。
いや、見ていた、というのは正確では無い。
正しくは、見せられている、だ。
「きゃー!!見て見て!!ここよ!ここがいいの~」
隣にいたアンジェリークが素早い動きでリモコンを手に取り、画面を静止する。
大画面のテレビに大写しになったのは、女王ロザリアとオスカーの姿。
このシーンは、あらゆるメディアに取り上げられ、今やこの宇宙で知らない人は居ないだろうという勢いで拡散しているのだ。
先日の戴冠式の終盤。
退出しようとしたロザリアが玉座から立ち上がり、洗練された所作で美しい左手を差し出した。
その手を、ごく自然に支えるために伸びたオスカーの右手。
ぴたりと二人の呼吸が合い、手が重なり合った瞬間、女王ロザリアは微笑みを浮かべ、オスカーが恭しい礼をする。
美男美女の二人の姿は、どんな映画のワンシーンよりも美しく、神々しくさえある。
そして、表面的な美しさ以上に、二人の間の特別な空気が愛に満ちていたこともあり、女王と炎の守護聖のロマンスは宇宙中に知られるところになった。
「ホントに素敵・・・」
うっとりとしたまなざしで、テレビの画面を見つめるアンジェリークの隣で、ジュリアスはエスプレッソをすすっていた。
戴冠式から、この映像を何度見せられたことだろう。
毎回このシーンで一旦停止するおかげで、そろそろだな、とカウントダウンができるまでにもなってしまっている。
確かに絵になる二人だとジュリアスも思う。
けれど、アンジェリークがここまで見惚れるのは、何か別の理由があるせいではないかと勘ぐってしまうのだ。
澄んだ水に闇が一滴、ぽとりと落ちて黒く滲むような感覚。
おそらくこれは嫉妬という、これまで知らなかった感情だ。
「ねえ、ジュリアス、このシーンの写真が下界ですごく流行っているって知ってる?」
「ほう。それは初耳だな」
「ポスターにして飾ってる人も居るらしいわ。もうアイドル並みの人気なんだって!わかるわ~」
アンジェリークが一時停止を解いた画面は、二人が並んで大広間を退出していく背中を映している。
カメラがその場に残った守護聖たちを一巡して、VTRが終わった。
その後、アンジェリークはすっかりぬるくなってしまったオレンジジュースを飲み干すと、ジュリアスに今週の様々な出来事を話し始めた。
同じ聖殿に勤めているとはいえ、二人ともに忙しい身だ。
そうそう同じ時間を過ごすことはできないから、話すことは山のようにある。
ジュリアスは時折相槌を打ちながら、楽しそうにおしゃべりを続けるアンジェリークをほほえましく見つめた。
この年頃の女性の話すことになど興味がないと思っていたのに、アンジェリークの言葉は魔法のようにジュリアスを明るくする。
飲み物を数回おかわりしていると、夕食の時間が近づいてきた。
楽しい一日はあっという間に過ぎてしまう。
これまでは休日も執務をしていたから、曜日すら気にしていなかったけれど。
「また来週も来ますね」
はにかみながら約束をするアンジェリークに、ジュリアスは
「うむ」
と、短く返した。
気の利いた言葉の一つも言えないことがはがゆいが、それでも彼女はとても嬉しそうに、何度も振り返っては手を振る。
ジュリアスも彼女の姿が小さくなるまで、門の先で見送るのだった。
これが、アンジェリークが補佐官になり、ジュリアスと公認の仲になってからの二人の恒例の週末の過ごし方だ。
日の曜日は明日に備えて休息しておきたいというジュリアスの希望をきいて、外出しないお家デートになったのだが、まさか、毎週、このVTRを見ることになるとは思っていなかった。
別に見ることに問題はない。
ないのだが。
女王試験が始まって間もない頃。
飛空都市の聖殿の裏庭を通りかかったジュリアスは、少女達の賑やかな笑い声に足を止めた。
裏庭の東屋にいたのはアンジェリークとロザリアで、二人ともジュリアスには見せたことのないようなリラックスした表情で、おしゃべりに興じている。
一見、親しくなる要素など見当たらない二人だが、案外仲良くやっているようだ。
首座の守護聖として喜ばしい。
「ねえ、ロザリアは守護聖様の中で誰が一番素敵だと思う?」
そんな言葉が耳に飛び込んできて、前回の女王試験をぼんやりと思い出したジュリアスの唇にふっと笑みが浮かんだ。
年頃の少女達の関心事はいつの時代も変わらないものだ。
ただ、あのときの恋の結末は、ジュリアスにとってもいまだに忘れられない痛みとなっているが。
「まあ!あんたったら、守護聖様方をそんな風に見ているの?わたくしたちは女王候補ですのよ。恋愛なんかにかまけている暇はありませんわ」
それはそれはロザリアらしい返答。
彼女は女王候補の自覚があるようだ。
けれど、すぐに
「・・・でもそうね、強いていえば、ルヴァ様かしら。あの方の知識は本当に広範囲で素晴らしいですもの。尊敬していますわ」
意外な名前を挙げ、ジュリアスを驚かせた。
驚いたのはアンジェリークも同様だったようで。
「うーん、そういうのじゃないんだけどなあ~。うん、でもなんかロザリアらしいわ。」
と、頷いたかと思うと、急に目を輝かせ、
「わたしは断然オスカー様!だって、すごくカッコいいんだもん!」
これまでのオスカーとのやりとりを事細かく語り出した。
どれもジュリアスには理解できないような気障なセリフや仕草だったが、アンジェリークが惹かれるのはよく理解できる。
女王候補に限らず、オスカーはとにかくモテるのだ。
「わたくしはあまり好きではありませんわ。『お嬢ちゃん』だなんて呼び方、失礼じゃありません事?」
「それもいいのよ~。大人っぽくて素敵じゃない」
不満そうなロザリアをアンジェリークは気にする様子もない。
ロザリアもロザリアで、アンジェリークのオスカー賛美を右から左へ聞き流しているようだ。
話がかみ合っていないというか、お互いの興味のベクトルがまるで違っている。
これが会話と言えるのだろうか。
まったくジュリアスには理解できないが、二人とも楽しそうだから、こういう友情もあるのだろうと自分に言い聞かせることにした。
いつの間にか話題は候補寮の食事の事に移っていき、デザートの貧弱さをアンジェリークが嘆いている。
「飛空都市にはお菓子が売っていないのよ!買い食いできないんだから、もうちょっと豪華なケーキとかにしてくれてもいいと思うの!」
ジュリアスは長話をとがめたい気持ちをぐっと堪えて、その場を後にした。
女王候補達に出すお茶菓子を、もう少しいいものにしなければならないと思いながら。
あの頃のアンジェリークはオスカーに夢中だった。
けれど、試験が進むにつれ、オスカーの興味が誰にあるのか、アンジェリークにもわかったのだろう。
ジュリアスですら、オスカーとロザリアが惹かれあって行くことに気がついていたのだから。
今、アンジェリークはジュリアスのそばに居てくれている。
女王がロザリアに決定し、生家に帰ろうとしていたアンジェリークを引き留めたのはジュリアスだ。
いつも明るく前向きで、眩しい笑顔を向けてくれたアンジェリーク。
女王にふさわしいかと言われれば否かもしれないが、一人の人間として女性として、彼女はとても魅力的だった。
即位式の前日、ジュリアスはアンジェリークを森の湖に誘った。
静かな湖面は滝からこぼれ落ちる雫を受けてキラキラと輝き、静寂の中にも明るさを感じさせる。
爽やかな葉擦れの音、遠くから聞える鳥の声。
何度も二人で訪れた場所だが、今日は特別だ。
飛空都市はこの後、新しい宇宙の一部となり、足を踏み入れることはないからだ。
アンジェリークと過ごした思い出が胸の中に次々と蘇り溢れてくる。
「補佐官として共に聖地に来てくれないだろうか?」
アンジェリークの手を取り、そう告げたジュリアスの声は僅かにうわずった。
人生最大の勇気を振り絞ったと言っても過言ではない。
首座の守護聖としてあるまじき事だと頭の中で理解していても、アンジェリークと離れることなど考えられなかったのだ。
それでも甘い言葉はどうしても口に出せず、
「そなたに帰って欲しくないのだ」
遠回しに秘めた想いを伝えた。
すると、アンジェリークは緑の瞳をいっぱいに見開いて、
「本当ですか?わたしも・・・ジュリアス様と離れたくない、って思っていました」
はにかみながらもはっきりと答えてくれたのだ。
潤んだ瞳に引き寄せられるように、アンジェリークの細い体を抱き寄せると、初めて得た愛に心から満たされた気持ちになった。
愛し合っている、と思う。
けれど、アンジェリークはオスカーに惹かれていたはずなのだ。
あの告白の日以前に、ジュリアスはアンジェリークに好かれていると思ったことは一度もない。
むしろ、厳しいことしか言わないジュリアスは嫌われているかもしれないとすら思っていた。
たとえ何度デートに誘われても、それも女王候補としての努めに過ぎず、好意から来るとは思っていなかった。
だからこそ、告白を受け入れてもらって舞い上がっていた気持ちが少し落ち着いた今、アンジェリークの本心がわからない。
こうして即位式のVTRを何度も見るのは。
もしかして、そこに彼が映っているからではないのかと、そんな気がして。
ぽつり、とまた闇が一滴落ちる。
ほんの一滴であっても、いつかは水の全部が黒く染まってしまうような気がして、ジュリアスは軽く首を振った。