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数日後、ジュリアスはまた廊下の片隅で、女官達がたむろしているのに出くわしてしまった。
別におしゃべりの一つも許さないほど、石頭ではないと思ってはいるが、他人はそう思っていないらしい。
前回同様、女官達はぴたりとおしゃべりを止め、手にしていた何かを後ろに隠し、ジュリアスに礼を取った。
普段ならそのまま取り過ぎるのだが、あまりに慌てたせいか、女官の一人が手から隠した何かを取り落としてしまったのだ。
ひらり、とジュリアスの足下を一枚の紙が舞う。
「あ」
女官は思わず声を漏らしたが、落ちた先がちょうどジュリアスの爪先で拾うに拾えず、固まっている。
ジュリアスは落ちてきた紙を拾い上げ、眉を寄せた。
それは、あのVTRのワンシーン。
アンジェリークと何度も見返したあのオスカーとロザリアの写真だった。
「これはなんだ?」
詰問したつもりはなかったが、女官達は一様にびしっと背筋を伸ばし、お互いに目配せをしあっている。
気まずい沈黙。
やがて観念したように、写真を落とした女官がおずおずと口を開いた。
「即位式の場面を切り取った写真です」
それはわかっている。
問題はなぜ、この写真を皆が手にしていて、こそこそしているのかということだ。
紺碧の鋭い瞳で見つめられた女官達は蛇に睨まれた蛙のように縮み上がっている。
「あの、その写真を持っていると恋が叶うという噂があるんです」
沈黙に耐えきれず、一番年若い女官が言い出すと
「そうなんです。それで今、みんなで持ち歩くのが当たり前になっていて・・・」
彼女たちが口々に言う話をまとめると、どうやら、下界での流行が聖地にまでやってきていて、二人の写真を持ち歩くのが若い女性の間では当然になっているらしい。
「写真のパワーで目が合う回数が増えるとか」
「彼氏とそれぞれに陛下とオスカー様を持っていると自然に会える回数が増えるとか」
「いろいろあって」
なるほど、おまじないの道具の一つになっているということか。
ジュリアスは手の中の写真を見つめて、ため息をついた。
たしかに写真の二人からは幸せそうなオーラを感じるから、これも女王のサクリアの一部と言えないこともないかもしれない。
けれど、持っているだけで思いが叶うなど、そんなことがあれば、誰も苦労はしない。
ジュリアスは写真を女官に返すと、
「執務中は私語を慎むように」
と、しっかり釘を刺した。
怒った様子ではないが、ジュリアスの威厳のある所作に圧されて、女官達は首をカクカクさせて頷いた。
歩き出したジュリアスは、ふと、あることを思い出した。
アンジェリークが写真を持ち歩いていたり、オスカーの部分を枕に敷いていたり。
もしかしてアレもおまじないの一つだったのではないか、と。
くるりと行き先を補佐官室に向け、ジュリアスは早足で歩き出した。
ノックするのももどかしく、ジュリアスは
「私だ。入るぞ」
と、いつもにないマナーで扉を開けた。
すると
「きゃー!」「いやー!」
若い女性の悲鳴が二つ、立て続けに響いてくる。
声質の違う二つの悲鳴に、ジュリアスが目の前の光景を凝視すると、そこにはアンジェリークが二人。
金の髪の補佐官が二人並んで立っていた。
「これはどういうことなのだ!?」
同じ髪型、同じドレス。
けれど良く見れば、微妙にシルエットが違う。
そして、なによりもジュリアスを見つめる瞳の色がまったく違う。
「陛下・・・」
印象的な青い瞳に、ジュリアスはすぐに二人目の補佐官の正体に気がついた。
まあ、アンジェリークと一緒になってこんなことをする相手はそもそも女王しかいない。
「なにをなさっているのですか?」
ジュリアスの呆れたような声と自らの行状に、女王は顔を赤くした。
たしかに呆れられても仕方がないし、女王らしくない行動といわれれば反論の余地はない。
「あのね、ジュリアス。コレには深いワケがあるの」
すかさずアンジェリークが割って入り、ジュリアスと対峙する。
アンジェリークのまっすぐな緑の瞳に見つめられ、ジュリアスはひとまず話を聞くことにした。
「聖殿って、ちょっと息が詰まる様な気がしない?」
アンジェリークは首をかしげ、ジュリアスに同意を求めている。
それはたしかにそうかもしれない。
年月を経た建物特有の重苦しい空気とでもいうか、それもまた歴史と伝統の重みなのだが、どこか暗い雰囲気であるのは否めない。
ジュリアスの同意を感じ取ったのか、アンジェリークが続ける。
「だから時々は女王も外に出た方がいいと思うの。毎日じゃなくても時々でいいから、外の空気を吸って、聖地の人々の様子なんかも見て、気分転換というか、そういうのも必要だと思うの」
ようするに、息抜きに補佐官に変装して外出していた、ということか。
ジュリアスの眉間のしわが深くなり、こめかみに怒りの印がうっすらと浮かぶ。
アンジェリークの言いたいことはわかる。
女王といえども人間で、さらにまだ若い女性だ。
時には息抜きもしたくなるだろう。
けれど。
「なぜ、変装など」
「でも、女王として外に出ようとすると、警備員がついてきたり、いちいち大事になるし、ゆっくりできないでしょ?
ちょっと休憩がてらカフェに行くくらいの自由があってもいいと思うの」
「仕方がないではないか。陛下の御身に何かあったらどうする」
「だから、外出の時はいつもオスカーについてもらっていたもの。警備隊長だし、なにより陛下のことなら自分の命に代えても守ってくれるわ」
ね、と女王に目配せすると、女王は頬を赤らめてはにかみながらも力強く頷いた。
「ごめんなさい。少し羽を伸ばしたいだなんて女王としてはあるまじき事ですわよね」
しゅんとうなだれる女王に対して、
「聖地から出るわけじゃないんだし、何がいけないのかわからないわ」
アンジェリークは激しく怒っている。
アンジェリークの勢いに圧され気味になったジュリアスは、長い息を吐いて肩を落とした。
「別にカフェで休憩することが悪いとは言っていない。変装してこそこそすることが気に入らぬと申しているのだ」
「え」
「オスカーが警護に就くというのならば信頼もできよう。私としても陛下の御身に危険がなければ頭から反対はせぬ。隠れて出かけて有事の際にすぐに陛下の居場所がわからぬようなことがある方が問題なのだ」
「でも、先代の陛下は女王の間から出してもらえなかったって・・・」
「誰がそのようなでたらめを。たしかに先代が外に出る機会はほとんどなかったが、それも宇宙が不安定で目が離せない状態が続いていたからこそだ。先代自身のお考えで宇宙を見守っていらしたのだ。今の状況でそこまでする必要はない」
「え、そうなんだ・・・。わたし、てっきり女王は閉じ込められてるんだと・・」
結局、お互いにきちんと確認し合っていれば、こんな事にはならなかった。
女王が外出したいと言えば、ジュリアスもオスカーを警備に就け、許可しただろう。
なぜ、一言相談してくれなかったのかと、それが歯がゆい。
「・・・じゃあ、ジュリアスは賛成してくれるのね?」
「無論だ。反対する理由がない」
「なんだ~。わたし、絶対に怒られると思って言い出せなかったの」
「なぜそう思うのだ」
女王からの懇願がなくても、アンジェリークが提案することなら、即座に否定することなどしない。
どうすれば彼女の希望に近づけるか、一緒に考えるはずだ。
アンジェリークが自分を頼ってくれていない、心を許してくれていない、そんな気がして、ジュリアスは胸をひゅっと掴まれたような気がした。
「それでは、ジュリアスの許可も下りたことですし、もう変装しなくても良いということですわね」
ロザリアが金髪のカツラを脱ぎ、にっこりと微笑んだ。
「ドレスも返しますわ。女王の間で着替えてきますから、あとで取りに来てくださるかしら?」
「うん。わかったわ」
まとめていた青い髪をさらりと背中に放ち、ロザリアはリップをティッシュで拭き取った。
ティッシュについているのは淡いピンク色。
いつもの女王のリップとは違うその色に、ジュリアスの頭に先日の事が蘇ってくる。
女王の間に向かって仲良く歩くオスカーとアンジェリーク。
あの日、ジュリアスがアンジェリークと思ったのは、きっと女王だったのだ。
そういえば、はっきり顔を見たわけではなく、髪型やドレスで判断してしまっていた。
変装を解いたものの、ジュリアスの突然の来訪にリップを変えることまでは忘れていたのだろう。
黒い水面がほんの少し晴れてくる。
「では、わたくしはオスカーとお茶に行って参りますわ」
堂々とジュリアスに宣言し、ロザリアは補佐官室を出て行った。
きっとこれからは毎日のようにカフェでイチャつく二人を見ることになるに違いない。
新しい時代ならば、それも良いだろう。
平和な聖地の象徴になりそうだ。
後に残ったジュリアスとアンジェリークは、なんとなく気まずい空気を感じて、二人とも黙り込んでいた。
「ごめんなさい」
最初に口を開いたのはアンジェリークで、米つきバッタのように頭を膝まで折り曲げて下げている。
「わたしが陛下にこうしたらいいんじゃないかってもちかけたの。絶対ジュリアスには反対されるからって」
「・・・なぜ、相談してくれなかったのだ」
「しようかな、と思ったけど。思ったけど、なんか言い出しにくくて」
「私とそなたは・・・その、恋人なのであろう?ならば、何でも言い合えるはずではないか」
言っていて恥ずかしい言葉。
けれど、しっかりと自分の心を伝えて、アンジェリークにもわかって欲しかった。
「うん。そうだよね。あのね、わたし、またバカなこと言って嫌われるのがイヤだったの」
「嫌うなど・・・。そなたは私が言ったことをもう忘れたのか?」
「ううん!もちろん覚えてるし、絶対に忘れないけど・・・」
アンジェリークは少しためらうように目を泳がせた後、
「女王候補の頃、ジュリアスはいつもロザリアばっかり褒めてたでしょ?優秀だ、とかよく勉強しているな、とか。定期審査だって、いつもロザリアの方を選んでたし。だから、わたし・・・」
「それは首座の守護聖として、女王にふさわしい者を聞かれていたから、そう答えていただけだ」
「ふつう、そういう時ってお気に入りの子を言うものじゃない?他の守護聖はみんなそうだったわ。だから、わたしはずっとジュリアスには嫌われていると思ってたの」
くすっとアンジェリークが笑う。
ジュリアスは意外な言葉に反論する気を失っていた。
彼女の言うとおり、定期審査では陛下の名前を答えていたが、それは光の守護聖としての公平な目で『ふさわしい』候補を選んだだけだ。
人間として、一人の女性として、であれば、アンジェリークを選んでいた。
ジュリアスは自分がいろんなところで、激しく誤解されていたことがよくわかった。
もともとこの顔で、この所作で、近寄りがたい、めんどくさい石頭と後ろ指を指されていることは知っている。
アンジェリークが相談しにくかったのもムリはない。
なにもかも、自分のこの性格のせいなのだ。
もっとアンジェリークに理解してもらうには、まず、自分をさらけ出さなければ始まらないだろう。
「オスカーの写真を枕の下に入れていたのはなぜだ?」
気になっていたことをジュリアスはストレートに尋ねた。
「えっ」
アンジェリークはギョッとした様子で、両足で飛び跳ねた後、緑の瞳をまん丸に見開き、両手を胸の上で合わせている。
そわそわと揺れる体。定まらない視線。
まるで隕石が目の前に落ちてきたかのような驚きぶりだ。
「え、え、なんでそれを?!」
「そなたの部屋に招かれたとき、ちょうど落ちてきたのだ」
その時のショックは微塵も出さず、ジュリアスは紺碧の瞳をぴたりとアンジェリークに合わせる。
アンジェリークは面白いほど狼狽して、
「あ、アレは・・・」
「なにかのまじないか?女官達が教えてくれたのだ。あのシーンの写真にまつわるまじないが聖地で流行っている、と」
「そっか・・・今、みんなやってるもんね。バレてるなら仕方ないわ。そうなの。枕の下にオスカーの写真を入れておくっていう、おまじないがあるの」
「なんのまじないなのだ」
「そ、それは~」
唇をきゅっと結んだアンジェリークは、なかなかネタばらしをしようとしない。
逆にじっとりと見上げられて、ジュリアスも困ってしまった。
ここまで隠したい事を暴くのは紳士としてどうなのだろうか。
けれど、簡単にスルーできる問題でもない。
「女官達に聴いてみるしかないようだな」
ジュリアスがため息交じりにこぼすと、アンジェリークはカッと目を見開いた。
「それは恥ずかしいから止めて!言うわ、言えばいいんでしょ」
若干頬膨らませて唇を尖らせたアンジェリークは、もはや開き直ったようだ。
「陛下の部分を自分の身につけて、オスカーの部分だけを枕に入れて寝ると・・・」
「寝ると?」
「・・・キ」
「なんだ? 木?気?」
「キスできるっておまじないなの!」
アンジェリークの言葉をジュリアスが咀嚼するまでに数十秒。
その間の沈黙がアンジェリークの両肩に重くのしかかった。
ジュリアスにしてみれば、なんてばかばかしいと思うだろう。
もっとも、アンジェリークとしても、自分をバカだと思うのだから仕方がない。
「じゅ、ジュリアスが悪いのよ!だって、せっかく聖地に来て、毎週お家デートもしてるのに、全然甘い雰囲気とかないし、休憩時間だってお茶してくれないし、お昼だって、わたし、いつも陛下と一緒かひとりなんだからね!」
真っ赤な顔して瞳を潤ませているアンジェリークがまくしたてる。
本当にアンジェリークのことを何一つわかっていなかった。
なによりも嬉しいのは、アンジェリークがちゃんとジュリアスを好きでいてくれたことだ。
おかしな妄想で、自分を痛めつけていたのは、他でもないジュリアス自身。
「すまぬ。私はこの通りの男で、オスカーのように上手く気持ちを表現することができぬのだ。本当は昼食も午後のお茶も、そなたと過ごしたいと思ってはいるが、執務を続けているとそのような時間すらままならぬ」
ジュリアスはそっと、アンジェリークを抱き寄せた。
一瞬、びくりと体を硬くしたアンジェリークだったが、すぐに力を抜き、ジュリアスのトーガを握る。
今までで一番近い距離。
ちょうどジュリアスの胸のあたりにアンジェリークの顔があって、鼓動が気取られないか、不安になった。
「だが、これからはなるべくそなたと過ごせるように努力しよう」
「うん、約束よ!私も迎えに行ったりしちゃうんだから」
上目遣いでぺろっと舌を出したアンジェリークにジュリアスは微笑んだ。
「私達はお互いにもっと話し合う時間が必要だったのかもしれぬな。これからはそれも努力しよう」
「そうね。だって時間はたくさんあるんだもの。もっと、もーっといろんなお話をしたいわ」
今回のこともそれぞれがちゃんとお互いの気持ちを話していれば、おこらなかった誤解ばかりだ。
ジュリアスの嫉妬も、アンジェリークのジレンマも。
相手のことを思うが故なのに、ひょっとしたら、全てが終わってしまったかもしれない危うさだった。
きっと一歩ずつ歩み寄って、知っていくことが大事なのだ。
二人の関係は始まったばかりなのだから。
絡み合う視線がふっと熱を帯びる瞬間。
アンジェリークが目を閉じるのと、ジュリアスが顔を近づけるタイミングが重なった。
けれど、ジュリアスの唇が行き着いたのは、アンジェリークの額で。
「・・・今はこれが限界だ」
目をまん丸にして、アンジェリークはうっすら口を開けている。
呆然、という表情が、一転して笑顔になったのは、耳まで赤くなって、そっぽを向いているジュリアスの姿を見たから。
なんて可愛い人なの、と年上のしかも首座の守護聖がとても愛しくてたまらない。
「はい!次を楽しみにしていますね!」
ニコニコ顔のアンジェリークに困り顔のジュリアス。
こんな関係がもしかしたらこの先も、ずっと続くのかもしれないけれど。
彼女の笑顔に勝る光はない。
晴れ渡る聖地の青空のように爽やかな気持ちで、ジュリアスは再びそっとアンジェリークを抱き寄せたのだった。